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87.癖になったらどうするつもり?

 騎士の誓いをした四人は、それぞれの決意を胸に邁進していた。

 九月のオルト軍学校での剣術大会は、当然のようにカールが一位を攫っていく。

 そして秋の改編を目前にして、グレイは上司である隊長のフラッシュに命令されていた。


「よし、来いグレイ! 今日は楽しい日にしてやるぜ!!」

「フラッシュがはしゃぐと、ろくなことが起きないんだが」

「わはは、まぁいいじゃねーの!」


 ガツッとゴツい筋肉で肩を組まれたグレイは、無愛想と仏頂面を超えて明らかに嫌な顔をする。しかしフラッシュは気にせず、グレイを抱えたまま筆頭大将の執務室へと入った。


「ひっとーぅ、俺です! 入りまっす!」

「もう入ってるじゃないの」


 アリシアの言葉に、隣で胃を押さえるルーシエである。


「なにか用? さっさと言ってちょうだい、フラッシュ」

「筆頭、俺に冷たくないっすかぁ?」

「別に普通よ。で、なにかしら?」


 フラッシュは気にせず、ぐいっとグレイの頭を引き寄せる。

 首が横に曲げられて、なぜこんな格好になっているかわからないグレイだ。


「筆頭、今日は無礼講の日っすよね!」

「こらこら、勝手に決めるんじゃない!」

「グレイを追い出すって聞きましたよ! 無礼講は、今日しかないと思います!」


 さらにグイッと首を引っ張られて、さすがにグレイは限界に達した。怒りの。


「離せ……フラッシュ」

「わはは、悪い!」


 あからさまに怒りのオーラが充満しているというのに、フラッシュは悪びれなく笑ってグレイの拘束を解いた。

 グレイはゴキッと首を鳴らしながら元に戻し、アリシアはそんなグレイを見て、ふむと顎に手を置く。

 秋の改編は目前だ。育て上げたグレイを、アリシアは当初宣言した通りに放り出すつもりでいる。


「今日しかないと言われると、確かにそうね」

「ひゃっほー!!」

「こらフラッシュ。私はまだなにも言ってないわよ」

「えー、なしっすかぁ?」


 しょんぼりと耳と尻尾を垂らすフラッシュの姿が、グレイの目には見えた、気がした。


「まったく、仕方ないわね。ルーシエ、どこかいいところあれば、予約しておいてちょうだい」

「かしこまりました、アリシア様」


 その言葉に、フラッシュの獣耳と尻尾がぴーんと立つ。もちろん実際には生えていない。


「さっすが俺らの筆頭大将! 気前も器もでっかいぜ!」

「褒めてもなにも出ないわよ。退勤時間までにちゃぁんと仕事を終わらせなさいな。じゃないと一人で仕事をしてもらうわよ」


 アリシアの言葉に、フラッシュは大真面目な顔になってグレイに顔を向ける。


「そういうことだ、グレイ。今日の俺の分の仕事は頼んだぜ」

「それはお断りだ。自分でやれ」

「わはは! ちゃんと断れるようになったじゃねーの」


 ニッとフラッシュは笑っていて、今までわざとふっかけていたことに、グレイはようやく気づいた。

 あの仕事の山をこなしてきたのは一体なんだったんだと、グレイは今さらながらにげっそりとする。


「朝からなんの騒ぎ……廊下にまで響いてるんだけど」


 ジャンがそう言いながら入ってきて、マックスも後ろからぴょこんと顔を出した。


「おい、フラッシュ。またアリシア筆頭に無茶言ってるんじゃないだろうな」

「任せろ、今日は無礼講の日にしてやったぜ!」

「むーちゃーをー言うなーって、言ったよなぁああああ」

「いでで! わはは!」


 頭をマックスに拳でぐりぐりされながら、フラッシュは笑っている。

 そんな二人を横目に、ジャンはアリシアへと疑問を投げ掛けた。


「飲み会か……筆頭は行くの」

「ええ、グレイのいる飲み会は最初で最後になりそうだものね。私も顔を出すわよ。ジャンはどうする?」

「行くよ」


 間髪入れず即答するジャンを見て、密かに笑みを漏らすのはルーシエとマックスだ。

 アリシアはいつも通り「そう」とにっこり笑い、皆に目を向ける。


「じゃあ、今日はこの面子で飲みに行くわよ! きっかり五時までに仕事を終わらせなさい!」

「っは!」

「うっす!!」

「うん」

「かしこまりました」

「俺は行くって言ってないんだが……」

「わはは! 仕事に戻るぜ、グレイ!」


 筋肉男にガシッと腕を掴まれたグレイは、そのまま筆頭大将の執務室を出る。

 嵐のような一幕に、グレイは呆れながら息を吐いた。


「まったく、強引すぎるぞフラッシュ」


 フラッシュはグレイから隊長と呼ばれるのを嫌っているので、まるで昔からの仲間のように話しかけている。どちらが上司かわかったものではない。


「いーじゃねーの。こうでもしないと、俺らの大将は仕事づくめだからな」

「!」


 フラッシュの思惑にハッと気づいたグレイは、少し見直してフラッシュに目を向けた。


(なんだかんだと、意外に気のつく男なんだよな、フラッシュは)


 しかしそう思ったのも束の間、第一の軍務室に向かう途中で、フラッシュはいきなりくるりと振り向いた。そして指をビシッとグレイの鼻先に突きつける。


「よし、グレイ。お前は今から第六軍団のアンナのところに行け!」

「……は?」

「上官の命令だぜ。アンナを飲み会に連れてきてもいいしな。そこは好きにしろよ!」


 そう言ってフラッシュはさっさと先に行ってしまった。

 命令と言われたグレイは、どうしようかとその場で唸る。


(確かに、アンナには言っておかなきゃならないが……勤務中に飲み会を伝えるために会いに行くって、どうなんだ)


 少し悩んだグレイは上官の命令をありがたく受け止めて、第六軍団の軍務室へと向かうことにした。

 しかし第六の軍務室前で、やはりどうしようかとグレイは惑う。


(待てよ、今の時間は各軍団は打ち合わせ最中だろ。邪魔してしまうよな。やっぱ後の方がよくないか? けどアンナの予定がわからないからな、退勤時間までに会えるとも限らないし……)


「どうかしましたか?」


 後ろから声をかけられて、グレイははっと振り返る。そこにはリタリーという、アンナの部下の班長がいた。

 グレイとは同期入隊になるので、もちろんグレイもリタリーを知っている。


「もしかして、アンナ小隊長ですか?」

「ああ、まぁそうなんだが」

「呼んで参りましょうか」

「悪い、頼む」


 ここまで来て会わずに戻れば、フレッシュになにを言われるかわかったものではない。結局グレイはリタリーに頼んだ。

 一度軍務室に入ったリタリーは、アンナを呼んで戻ってくる。

 グレイを見上げて驚いた顔をしたアンナは、とっても愛くるしかった。


「どうしたの、グレイ」


 しかしアンナはすぐさま気持ちを切り替えて、凛とした顔を見せる。


「あー、そうだな……少し……」


 後ろにチラリと見えた第六軍団の面々が、興味深げにグレイたちの方をチラチラと見ていた。

 アンナとグレイが婚約者だということを、興味のある者は知っている。わざわざ勤務時間に呼び出して、『飲み会があるから晩御飯はいらない』と伝えるのはどうにも言い難い。


「アンナ小隊長、グレイ小隊長、機密なら談話室をお使いになられては?」


 すかさずリタリーが提案し、話しにくそうなグレイを見てアンナは頷く。


「ええ、ありがとう。そうするわ。行きましょう、グレイ」

「あ、ああ。そうだな」


 グレイはほっと息を漏らし、一番近い談話室へと二人で入った。

 パタンと扉を閉めると、アンナも小隊長の顔から少し柔らかい表情へと変わる。


「どうしたの、グレイ。仕事の話、よね?」

「いや、直接仕事とは関係ないんだ。悪いな、朝の忙しい時間帯に」

「それは構わないけれど、一体どうしたの?」


 首を傾げるアンナを見て、俺の嫁はかわいいなと思いながら、グレイは理由を口にする。


「実は今日、第一軍団の小隊長以上で飲み会をすることになってな。晩飯はいらないっていうのと、帰りは遅くなるかもしれないっていうのを伝えたかったんだ」

「あら、そうなのね。母さんも一緒ってこと?」

「ああ、来るって言ってたぞ。フラッシュがアンナも誘っていいと言っていたんだが……どうする?」

「私も? 何時からかしら」

「就業時間の五時に仕事を終わらせろっていう筆頭のお達しだから、それくらいだな」


 それを聞いて、アンナは少し悩んだ後、首を横に振った。


「折角だけど、私は遠慮しておくわ。仕事がその時間に終われるかわからないし、第一軍団でもない私が飲み会に参加するのはおかしいわよ」

「まぁ、そうだよな」

「筆頭大将に贔屓にされていると思われるのも困るし。それでなくても親子だから、慎重にならざるを得ないもの。私のことは気にせずに、楽しんできて」


 そうなるだろうとは思っていたが、アンナが来ないのは少し残念な気もして、グレイはそっとアンナの黒髪を手で梳く。


「一人で寂しくないか」


 アンナはグレイと付き合い始めてからずっと、誰かと一緒に夕飯を食べてきた。

 一人にさせるのは心配なのだ。孤独だった、昔を思い出させてしまいそうで。


「平気よ。もう子どもじゃないんだから」

「アンナも誰かを誘って、外で食べて来てもいいんだからな。なるべく早く帰るようにはするが」

「ふふ、心配性ね。大丈夫よ、ディックと待ってるわ」

「あいつは気まぐれだからな……帰ってこないこともあるし」


 グレイはアンナの髪を優しく手で梳きながら、どうにかしてこのかわいい生き物を一緒に連れていけないかと思案する。しかし結局、母親である筆頭大将のいる飲み会に参加させるのは、アンナのためにはならないという判断をせざるを得なかった。


「ゆっくり楽しんできて。私は大丈夫だから」

「じゃあ夜の分、今のうちにもらっておく」

「なにを……んっ」


 言わずもがな、である。

 アンナは「もうっ」と呆れていて、グレイは笑いながら婚約者のきめ細やかな頬から手を離した。


「王宮でこんなことして、誰かに見られたらどうするの」

「鍵も閉めてるし、声も聞こえないから大丈夫だ」

「そういうことじゃないわよ、癖になったらどうするつもり?」


 ぷくっと頬を膨らませて上目遣いをするアンナを見て、ごくりとグレイは息を呑む。


「なるほど。こりゃ確かに癖になりそうだな」

「もう、ばか」


 グレイはたまらずにおかわりをした後。

 二人はようやく談話室を出て、仕事に戻ったのだった。

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