ジャンの部屋を出たトラヴァスは、空き部屋を一つ確保してから自室に戻り着替えを用意すると、カールと共に離れにある浴場へと向かった。
「
夏だというのにどこか薄ら寒い廊下を渡り、手洗いを済ませてから浴場に向かった。
脱衣所で二人は豪快に服を脱ぐ。オルト軍学校の頃から慣れているので、二人とも平気だ。
しかしカールは久々に見るトラヴァスの裸体を見て、ぎょっとした。
「げ、トラヴァス、お前また筋肉ついてんじゃねーか。着痩せすんだよな、お前」
「ふ。カールも中々仕上がってきているじゃないか。入隊した頃のチビ助とは思えないぞ」
「ふん、言ってろ。今にお前を抜かしてやっからな!」
「私はお前の年には、もう今と変わらぬ身長だったが」
「だったら筋肉で勝つ!」
「なら私は剣術と魔法で勝つさ」
ふっと目を細めて笑うトラヴァスにカールもニッと笑いながら、二人は大きな浴場に入る。時間が遅かったせいか、人はまばらにしかいない。
「っへ、いつかはトラヴァスと真剣勝負しねぇとな。どっちが強ぇか、白黒つけてやら」
「今やれば、私の勝ちだからな。数年は待ってやろう」
「待ったことを後悔させてやるぜ」
「できるものならな」
二人は素っ裸でフッと笑うと。
並んでゴシゴシと体を洗うのだった。
風呂を出るとカールはトラヴァスの着替えを借りる。少し丈が大きいので、なんとなく悔しいカールである。
カールは用意された部屋ではなく、まだ話がしたいとトラヴァスの部屋へと戻ってきた。
彼の実家の部屋も本で覆われていたが、宿舎の部屋にも所狭しと本が並べられてある。
「すげぇな、相変わらず。やっぱ戯曲が多いんだな」
「まぁな」
「演劇とか、一人で観に行ったりすんのか?」
「一人の時もあるし、ローズと一緒に観に行くこともある。いいチケットを手に入れてくれるのだ」
「ふーん……ローズだったんだな、トラヴァスの彼女」
同じオルト軍学校で、支援統括班だった優秀な人物だ。
あまり関わりはなかったカールだが、ローズの顔と名前は知っている。
「……不誠実だと
無表情だが、その心の裏にある恐れを、カールは感じ取った。
無二の親友に非難されることを、心の奥底では怖がっているのだと。
カールは少し考えてから、口を開く。
「いや、まぁ男女のことだしな。色々あんだろ。気持ちがなくなってんなら別れた方がいいとは思っけどよ。トラヴァスのことだ。そうじゃねぇんだろ?」
「ああ……気持ちがないというのとは少し違う。今は少し離れてはいるが……いつかまた、気持ちを取り戻せられるのではと思っている」
「冷めた気持ちを取り戻す、か……もしかしたら、冷めたんじゃなくて落ち着いたってだけかもしれねぇしな」
もしも冷めてしまっていたなら、心を戻すのは難しいとカールは考えていた。
しかしカールは心の機微に聡いとはいえ、トラヴァスの気持ちが明確にわかるわけではない。本当に冷めているのか、落ち着いただけなのか、それはトラヴァスにしかわからないことだ。いや、トラヴァスは自身ですらも、まだちゃんとわかっていなかった。
「お前の方はうまくいっているようだな、カール」
「フローラか? ああ、いいやつなんだ」
「そのようだな。正直、お前はもっとアンナのことを引きずるかと思っていた」
「んなわけねぇだろ。アンナにはグレイがいるんだしよ」
「ああ、そうなのだが……」
トラヴァスはその後の言葉を口にはしなかった。
話を聞く分には、カールはフローラを大事にしているのだとわかる。
アンナの家でさんざしていた惚気で、フローラを好いているということも理解はできた。しかし。
その好きは本物なのか。
どうしてもそこが疑わしく思うトラヴァスである。
カールはフローラのことをかわいいやつだと、いいやつだと、面白いやつだと絶賛している。実際にそうなのだろうとトラヴァスは感じているし、カールが彼女を大切にしていることも間違いはない。
(しかしなんと言えばいいのか……カールはフローラという女を、妹か、それに近い感覚で接しているように感じるのだが。アンナのように強い女ではないから、そう見えてしまうだけかもしれんが)
そう感じたトラヴァスだが、妹のような状態から愛が芽生えるのはよくある話だと思い直した。
すでに情も交わしていると察知していたトラヴァスは、余計なことは言わずに友の幸せを願うに留まる。
「それにしても、ジャン殿がアンナの兄のような存在だったとはな」
トラヴァスは話を逸らして、先ほどの色男を話題に挙げた。
「かっけぇ人だよな。色気、やばすぎねぇか?」
「あれだけ美形だと、女は放っておかんと思うのだが。宿舎住まいが本当に謎だな」
「ありゃ本命がいるぜ。振り向いてもらえねぇんじゃねーかな」
「お前はよくそういうことがわかるな」
「ジャンはわかりやすい方だろ。言っとっけど、お前が一番わかりにくいかんな、トラヴァス」
「ふむ……そうなのか。光栄だ」
「褒めてねぇっつの!」
カールは突っ込んだ直後にカカカッと笑い。
トラヴァスも珍しく破顔して、二人の笑い声が狭い部屋に響いた。
「おっと、ここは壁が薄いからな。迷惑を掛ける」
「お、そっか。気をつけねぇとな。明日は俺、勝手に帰っていいのか?」
「ああ、もう聴取もないし好きに帰ってくれていい。一人で帰れるか?」
「バカにすんなっつの! 一度来た道は忘れねぇよ」
「ふ……そうか」
もちろん、トラヴァスは心配などしていない。
街道沿いに出る魔物など、カールのレベルになれば一撃だ。
「んじゃ、寝っかな!」
「ああ。次に会う時は、お前も騎士だな」
「おま、半年以上も会わねぇつもりかよ。剣術大会も観に来ねぇ気だな!?」
「行かずともわかる。お前は敵なし状態で、一位を取ることくらいはな」
「っへ! まぁな!」
カールとトラヴァスは目を合わせて、互いにニッと笑う。
「きっちり首席で上がってこい、カール」
「おう。そっちがモタついてたらすぐに追い抜かしてやっからな、覚悟しとけよ!」
「っふ。楽しみだ」
二人はニヤリと笑い合い、拳をガッと当てると。
翌朝には、それぞれの場所へと戻ってゆくのだった。