夕食の片付けを皆で終わらせたカールとトラヴァスは、アンナとグレイに礼を言って家を出た。
家の灯りが減り始め、空を見上げると夏の星座をくっきりと見ることができる。
「すっかり遅くなってしまったな。近くのホテルをとってやろう」
「近くって、ここらは貴族地区でホテルも高ぇんだろ?」
「まぁそうだが、今から一般区に行くのもな。その後、私はまたこっちに戻って来ねばならんし」
前回はトラヴァスの実家に泊まったカールだが、今日は時間も時間なので迷惑を掛けるとお互いに判断し、そちらの線は消えている。
「宿舎って、客は泊まれねぇのか?」
「空いている部屋に泊まることは可能だが……狭いぞ?」
「べっつに構わねぇよ。部屋がなけりゃ、トラヴァスん部屋で床にごろ寝したっていいんだ。軍学校と違って一人部屋なんだろ?」
「カールがいいならそれで構わんが」
「おう、行こうぜ!」
カールが明るく言い、二人は夜道を宿舎の方へと歩き始めた。
「夏でよかった。冬だと宿舎は凍てつくからな」
「相変わらずお前は寒がりだなー、トラヴァス!」
「実際、オルトの寮よりよほど寒いぞ。建物が古いからな。どこにも暖炉などないし、冬など極寒地獄だ」
「まじか」
「お前も来年からは宿舎暮らしだろう。覚悟しておけよ」
「ま、俺は火魔法使えっから、大丈夫だろ」
手元にぽうっと炎を出して道を照らし始めたカールを見て、寒がりのトラヴァスは少し羨ましく思う。
そうして宿舎の前に着いたところで、ちょうど中に入ろうとしていたジャンと遭遇した。
「ジャン殿。今仕事を終えたのですか?」
「仕事は一時間前に終えてるけど。筆頭の部屋でお茶を飲んでただけだから」
と言っても現在は午後九時を回っているので、八時までは仕事をしていたということだ。
大変そうだと視線を送っていると、逆にジャンの方が訝しげな目線を流した。
「まさかカール、宿舎に泊まるつもり」
「はい! 俺、別にホテルに興味ねぇし」
「宿舎の方に興味があるとか、酔狂過ぎない。好きにすればいいけど」
宿舎の中に入っていくジャン。その後ろを着いていくように、カールは彼に話しかけた。
「ジャンさんも宿舎なんだな。隊長職って筆頭は言ってなかったっけか? あ、ジャン隊長って呼ぶべきか!」
「やめてくれる。一応の役職をもらってはいるけど、俺は自分のことを隊長だなんて思ってないから。ただの諜報員だし、ジャンでいい」
「じゃあ聞くけどよ、ジャン」
カールの唐突な距離の詰め方に、隣で冷や汗を掻くトラヴァスである。
しかしジャンは気にした様子もなく、若干の面倒臭さを孕んだ瞳で「なに」と聞き返した。
「なんで宿舎住まいしてんだ? そんだけ上の役職なら、家なんてどこでも借りられんだろ?」
「貴族地区の家賃、舐めてないでくれる。離れたとこなら借りられるけど、そう安くはないから。王宮に近いここの方が便利だし、そもそも俺は諜報活動で月の半分は王都にいない」
「なるほどなぁ」
そんな会話をしながら振り切ろうとさっさと進んだジャンは、廊下の一番奥の部屋のドアを開ける。後ろにはもちろん、なぜかカールとトラヴァスの姿。
ジャンは嫌な予感がしながらも、中に入ろうとした。
「入ってもいいか?」
距離感のおかしいカールである。
「……普通に嫌だけど。どうして俺の部屋に入ろうとするわけ」
「申し訳ない、ジャン殿。おい、カール」
「だって、こんな機会そうそうねぇだろ! 筆頭の直属と、話ができるんだぜ!!」
赤い眼をキラキラとさせてカールは言い、トラヴァスはますます変な汗を掻く。
「お前の距離の詰め方はおかしいのだっ」
「そっかぁ? 遠慮なんてしてたら、いつまでたっても詰められねぇだろ」
「そうかもしれんが、少しは配慮というものを知れ!」
「お前は配慮しすぎなんだよ、トラヴァス。たまにはガッと踏み込んでもいいんだぜ!」
「今はそういうことを話しているのではなかろうっ」
珍しくトラヴァスが声を荒げてやんややんやと人の部屋の前で話していると、「っふ」と口から吹き出す音がした。
トラヴァスとカールが目を上げると、そこには高身長で色っぽい目をしたジャンが、半眼で見下ろしながらうっすらと笑っている。
「ジャン殿?」
ジャンは二人に目を流すと、扉を開け放ったまま中へと入った。
もしも相手が女なら、イチコロだったと思われる眼差しで。
「どうぞ。言っとくけど、お茶なんか出ないから」
「よっしゃ! サンキュー、ジャン!」
カールは遠慮なく部屋に入っていき、トラヴァスはどうするべきかと迷いながら、そのままカールを放置するわけにもいかずに部屋に入った。
宿舎の一人部屋は狭く、ベッドの他には小さなテーブルが一つ、椅子が一脚しかない。
ジャンがベッドの上に腰を下ろし「適当にして」と言うと、カールはその隣へストンと座る。
隣に座られたジャンは、半眼でカールを見た。
「ほんと、距離の詰め方おかしいよね……」
「いや、だって、座っとこねぇし。椅子はトラヴァス使えよ」
「この部屋の主人のような言い方をするな、お前は……」
他に座るところのないトラヴァスは、結局カールに言われた通り、椅子に座った。
なぜこんな状況になっているのか、よくわからないジャンとトラヴァスである。
「で、なにか聞きたいことでもあるわけ」
「いや、特にこれと言ってはねぇ!」
「カール……」
椅子に座ったまま、頭を抱えるトラヴァス。
どちらかと言うと、トラヴァスの気持ちの方がわかるジャンはうっすら笑みを見せた。
「いるよね、突拍子もないこと言う人」
「申し訳ない、ジャン殿……」
「けど俺たちみたいな人間にとって、そういう人間は貴重な存在だ。大切にするといいよ」
意外にも穏やかに語るジャンを見て、トラヴァスは拍子抜けした。
「アンナも結構真面目で考え込みがちだしね。君らみたいな仲間がいると、俺も安心できる」
「ん? ジャンはアンナとどういう関係だ?」
カールの問いに、ジャンは手を顎に乗せて少し悩んだ。
「どんな関係と言われると、難しいな。俺はアンナの父親と関わりがあるから、その繋がりだけど。生まれた時からアンナを知ってるし、妹みたいな感じではあるよ」
「そっか、アンナにそんな人がいたんだな!」
イシシッとカールは笑い、よかったと心で呟く。
アンナからは度々孤独を読み取っていたカールだが、本当の孤独ではなかったのだと思い、安堵したのだ。
トラヴァスはジャンとアンナの関係を知り、ふむと顎に手をのせる。
「アンナの父親というと、アリシア筆頭の夫に当たる人物か……」
「結局結婚はしてないけどね。筆頭は気にしない風を装ってる。けどアンナは内心、複雑だろうと思うよ。親に……父親に愛されてないと思って育つって、結構つらいことだから」
ジャンは深い緑眼に影を落としてそう言い、カールはその心の沈みを感じ取った。
だからといって、それについてなにを言えるわけでもなかったが。
「結婚かぁ。やっぱ、相手がいるならちゃんとしてぇよな。そういや宿舎に住んでるってことは、ジャンは結婚してねぇのか。ここって、入れんのは独身者だけなんだろ?」
「まぁ、そうだね」
「めっちゃモテそうなのに、意外だぜ」
「実際、ジャン殿は引く手あまただろう。気にしている女性隊員もいるようだしな」
トラヴァスの言葉に、カールはやっぱりなと大きく頷き、ジャンの顔を覗き込む。ジャンは面倒そうにカールを見るも、そんなことなどお構いなしにジャンを褒め始めた。
「ジャンの顔の良さはちょっと規格外すぎるよな。美しいとか整ってるとか、そんな生半可な言葉じゃ片づけらんねーぜ。黒髪も深くて艶やかで、ちょっと動くだけで光を受けて流れる感じがもう反則級だしよ。しかも目が深ぇ緑で、 角度によって妖しく光って吸い込まれそうになんだよなぁ。これに捕まったら最後、もう戻れねぇんじゃねぇか? それに、なんつっても色気がやべぇ! 堂々としてるのに、どこか影があって、それがまた魅力を倍増させてんだよな。完璧な容姿に、ちょっと憂いを帯びた雰囲気とか……ずるすぎねぇ? 視線を向けられたら、それだけで息が詰まるレベルだろ。圧倒的な美っつか。俺が女なら、まともに喋れねぇ自信があるぜ」
そんなジャンを前に、よく喋るカールである。
「褒め過ぎなんだけど。さすがに照れるから」
照れると言いつつ、呆れ顔でジャンは言った。イシシッと笑うカールに、もちろん悪気はない。
見目麗しいジャンを的確に表現するカールに、トラヴァスも激しく同意する。
「確かに、ジャン殿は見る者を虜にするような美形だ。惚れられるであろうのに、結婚していないのが不思議なくらいだな」
「別に俺も、結婚したくないわけじゃないけど」
視線を逸らすジャンの瞳には、言葉にならない切なさが静かに宿っていた。しかしジャンは気持ちを悟られる前に、すぐ話題を変える。
「そういうトラヴァスだって、付き合ってる子いるだろ。支援統括隊のローズ」
「……ご存知だったのですか」
「仕事柄、どんな話も耳に入れるようにはしてるから」
本当は、ヒルデの件を調べた際にトラヴァスのことも調べ上げていたジャンだ。だがそうとは言わずに、上手く誤魔化した。
「筆頭の前で話をしたら結婚しろってうるさいから、黙っとくといいよ」
「は。そうします」
「ふぅん……結婚する気はなし、か」
トラヴァスはジャンの誘導尋問に引っかかっていたのだと気づき、ハッとした。けれどもジャンは、特段興味を示す様子もない。
「色んな選択肢があるわけだし、本人同士が納得してるならいいんじゃない。それより君らは、いつまでここにいるつもり。俺は明日からまた調査に行かなきゃいけないし、もう寝たいんだけど」
話を切り上げようとするジャンに、トラヴァスは目を瞬かせる。
「ジャン殿は先日戻ってきたばかりでは。また出られるのですか?」
「ミカヴェルが出てきたとなると、早めに対策は打っておきたいからな。またしばらくフィデル暮らしだ」
はっと息を吐くジャンを見て、トラヴァスとカールは立ち上がった。
「ジャン、悪ぃ。ゆっくり寝てくれ!」
「唐突に押しかけてしまい、申し訳なかった」
「本当だよね」
半眼で二人を見るジャンだが、その瞳はどこか温かみすらあって、二人はほっとする。
「ああ。そうだ、ひとつ言っておきたいことがある」
「なんでしょうか」
部屋を出ようとした時、カールとトラヴァスはそんな風に呼び止められた。
迷惑だと言われることを覚悟したトラヴァスだが、ジャンの口にした内容はまったく違っていた。
「これから、アンナの出世をよく思わないやつが出てくるはずだ。グレイの出世は認めても、アンナの出世は認められないって理屈に合わないことを言い出すやつがね」
ジャンの話に、カールとトラヴァスはバイロンのことを思い出し、目を合わせて頷く。
アンナはオルト軍学校に入隊してすぐの年、女だからという理由で理不尽な言葉を投げ掛けられているのだ。
その他大勢に埋もれていたならば、言われることのない文句だっただろう。
特出した才能を持つ者は、男社会と言われる軍の中では特に女性が叩かれやすいのだと、カールとトラヴァスもわかっている。
「筆頭は『そんなの自分でどうにかするわよ』って言ってたけど、アンナの出世は筆頭の時よりも早すぎる。君らは、今まで通りアンナが助けを求められる存在でいてあげてくれる」
ジャンの兄としての言葉に、二人は胸を張って。
「おう! もちろんだぜ!」
「当然のことです」
大船のように自信を持って返事をした。
ジャンは「助かるよ」とクスッと笑い。
流された瞳に射抜かれるような衝撃を受けながら、カールとトラヴァスはジャンの部屋を出た。
あの視線を、アリシアは〝エロビーム〟、直属の仲間たちは〝怪光線〟と呼んでいることを、二人は知らない。