翌朝、決意が鈍る前にトラヴァスは筆頭大将アリシアの元へと向かった。
忙しくしていたアリシアは、時間を捻出してトラヴァスを執務室に入れる。
そこには優雅に働く副官ルーシエと、本来なら休みのはずのジャンが部屋にいた。
「朝からどうしたのかしら? なにか急ぎのようね」
「急ぎというわけではありませんが、わかったことがありますので伝えに参りました」
「聞きましょう。座って」
アリシアに促されたトラヴァスは、応接セットのソファーへと対面で腰を下ろす。
そしてトラヴァスは、カールとミカヴェルのことをアリシアに話した。ミカヴェルがカールのことを〝最高傑作〟と言ったことだけは秘密にして。
「今まで言えなかったのは、本当に極秘任務だった場合、カールだけでなくカールの家族の命も危険に晒されるからです。しかし私が調査したところ、騎士にも兵士にも、それらしい人物はいませんでした。極秘任務ではなかったと確信を得て、報告した次第です」
ずっと黙って話を聞いていたアリシアはトラヴァスが話し終えるのを待って、ようやく口を開いた。
「私はそんな任務を誰にも命じてなんていないわ。他の将が命じたという報告書も見ていない。そうよね、ルーシエ」
アリシアが副官に目を向けると、空気のように仕事をしていたルーシエが首肯する。
「はい。ミカヴェル・グランディオルに関してましては、死んだ線が濃厚という判断により、それ以降の調査は誰もしておりません」
「まさか、十一年間もストレイア王国で暮らしていたなんてね……」
視線を下げて少し顔を顰めたアリシアに、トラヴァスは頭を下げる。
「報告が遅れ、申し訳ありませんでした」
「いいわ。事情が事情ですもの。この話はあなたの他に、誰が知っているの?」
「カールが直接話したのが私とアンナ、そしてグレイには私が伝えています」
「二人から、なにか有益な情報は?」
「いえ、特には」
「ふむ」
アリシアは大袈裟に腕を組むと、顔だけ後ろを向けて「ジャン、報告書を」と彼を呼んだ。
呼ばれると思っていたジャンは、すぐに応接セットの前へと向かう。
「昨日の話、繋がったようよ」
「みたいだね」
「……昨日の話とは?」
疑問を上げるトラヴァスに、ジャンは昨日まとめた報告書の一部をトラヴァスに見せる。
トラヴァスはその内容に、一瞬で釘付けになった。
「これは……」
「カールが会ったジェイとアスという男は、おそらくその二人でしょう」
報告書には、フィデル国クロエ指揮下の軍のトップ、百獣王ブラジェイと刹那狩りのユーリアスの容姿が、詳細に書かれている。
「やはりストレイア国民ではなく、フィデル国の者だったのか……!」
ブラジェイとユーリアスの容姿は、カールの話していた特徴と一致していた。
「これで確定ね。ミカヴェルはその二人に連れられて、フィデル国へと戻っているわ。まだ表舞台に立つことなく潜んでいるということは、近いうちになにか仕掛けてくる可能性があるわね」
立ったままのジャンが、アリシアの言葉に頷く。
「ミカヴェルはいないものと
アリシアは少し考えた後、すぐに口を開いた。
「まずは、カールから直接詳しい話を聞きたいわ。誰か使いに出して、連れてきてちょうだい」
「俺が行こうか、筆頭」
「いえ、私に行かせてください」
ジャンの言葉を遮って名乗りを上げたのは、もちろんトラヴァスである。
「仕事の方は平気なの?」
「はい。今日の指示はすべて出しておりますので。私が行った方が、カールも状況を把握しやすいかと思います」
「そうね、家族の命が脅かされていると思っている状態では、他の人が迎えに行ったところで警戒されるでしょう。行ってきてちょうだい、トラヴァス。遅くなっても構わないわ。私はここで待っているから」
「かしこまりました。ではすぐに行って参ります」
そうしてトラヴァスは馬に乗り、オルト軍学校へと向かった。
教官に筆頭大将からの勅命だと告げ、カールを呼び出す。
食堂で昼食をとってから、二人はそれぞれの馬に跨がって王都を目指し始めた。
「で、なんなんだよ。食堂じゃ言えねぇ話ってのは」
王都とオルト軍学校を結ぶ街道は見晴らしがよく、周りには誰もいない。
夏のきつい日差しを浴びながら、トラヴァスは馬上からカールを見た。
「ここでならよかろう。アリシア筆頭に会うまでに説明しておく」
そうしてトラヴァスは、これまでの経緯を話した。
ストレイアの騎士にも兵士にも、アス、ジェイ、ティナという三人は見つからなかったと。
三人組の言う極秘任務は嘘であったとトラヴァスは結論づけ、筆頭大将に報告しようとした。
しかしその前に、カールが最高傑作であるということをアンナに口止めしなければならないと思い、一緒にいたグレイにも事情を説明したと告げた。
「悪かった、カール。勝手にグレイに伝えてしまった」
「いや、構わねぇよ。トラヴァスがそうした方がいいと思ったんなら、問題ねぇ。グレイにだけ言ってなかったのは、俺も気になってたしな」
しかしそのせいでトラヴァスは〝カールが裏切った時には斬る〟という誓いをする羽目になったのだ。
さすがにそのことはカールには伝えられなかったが。
そしてトラヴァスはジェイとアスの正体をカールに教えた。フィデル国の五聖執務官の一人、クロエという女性の配下にある、軍のトップになっていることを。
「百獣王ブラジェイ……刹那狩りのユーリアス、またの名を三日月の剣士……か。間違いねぇ、そいつらだ」
確信を持ったカールは奥歯を噛み締める。
カールはその二人にまんまと騙されてしまっているのだ。脅しを信じて、なにもできずに悔しい思いを抱えて暮らすしかなかったことに、憤りを感じる。
「やはりミカヴェルは、確実にフィデル国に戻っているだろう。今のところ表立って行動してはいないが、ジャン殿の報告書を読む限り、クロエは国中の他種族をひとつにまとめようとしている。それが俺には、ミカヴェルの計略としか思えないのだ」
「……口八丁なミカなら、やってやれねぇことはねぇだろうな。もちろん、簡単じゃねぇだろうけどよ……」
フィデル国にいる全種族がまとまれば、それはストレイア王国にとって脅威となる。
ミカヴェル・グランディオルという男が一人加わっただけだというのに、フィデル国の兵が何千にも膨れ上がるような恐怖をカールは覚えた。
「ともかく、アリシア筆頭がお前の話を聞きたがっている。なにかミカヴェル攻略のヒントがあればいいのだが」
「……んなの、ねぇよ」
カールはボソリと一言、厳しい顔で言ったっきりで。
二人はもう、なにも語ることなく王都へと入った。
王宮にある筆頭大将の執務室にトラヴァスが戻ってきたのは、退勤時間の少し前だ。
「早かったわね、トラヴァス。お疲れ様。カールは悪いけれど、これからミカヴェルに関することをすべて話してもらうわよ」
そうして筆頭大将アリシアによる、カールへの聞き取りが行われた。
トラヴァスは帰ってもいいと言われたが同席し、カールから語られるミカヴェルという人物像を分析していく。
ルーシエとジャンも聞きながら、聴取記録用のメモをとっていた。
アリシアとカールによる一通りの問答が終わると、アリシアは強い瞳でカールを覗くように見る。
「カール。あなたはミカヴェルに、なにか思想を植え付けられてはいないのね?」
「はい。ごく一般的な知識を詰め込められただけだって、俺は思ってます」
「じゃあフィデル国のことで、あなたがミカヴェルに習ったことをすべて教えてちょうだい」
アリシアの問いに、カールはミカヴェルに聞いた話を思い出しながら話し始めた。
***
フィデル国は、五つの大きな都市に、それぞれ代表となる執務官がいる。その五人を五聖執務官と言って、フィデル国の方針は五聖が集まって話し合いで決める、合議制だって聞いた。
一つ目の都市はベルフォード。
フィデル国の北に位置する都市で、〝白翼の騎士団〟を有してる。一匹のロック鳥を従えてっけど、もう年寄りだからロック鳥は移動の手段に使われるだけで、基本的な戦闘は騎士が行うって聞いた。
二つ目の都市はカジナルシティ。
フィデル国の東に位置していて、ストレイアに一番近い都市だ。
近隣の村も統治しているこのカジナルは、昔からストレイアとの小競り合いが多くあったって聞いてる。
近くに湖畔があって、自然と隣接した綺麗な街だって話だった。
三つ目の都市はディアモント。
フィデル国の西に位置している都市で、獣人も住む街だ。
街に住んでいるのは主に
近隣に
フィデル国に住んでる獣人は基本的にこの五種族で、
フィデル国には他にも獣人の
獣人族と人族は、エルフやドワーフなんかと比べると、まだ仲が良い方だっつってた。
ディアモントはストレイア王国から一番遠い場所なこともあって、軍としては一番消極的で、執務官も保守的だって言ってた気がする。
四つ目の都市はヴァルシードだな。南西にある、レイノル竜騎士団を有した街だ。
竜の種類は中型竜のユノーア、数は約百体。
竜の胴体は馬の倍ほどの大きさで、人を乗せて飛ぶのはせいぜい二人か、多くても三人が限度だって話だ。
竜騎士は約三百人いるから、全員が竜に乗れるわけでもねぇらしい。世話係とかもいるしな。
けど機動力は半端ねぇから、たかが百体でも、千の兵に匹敵する力を持ってんだそうだ。
五つ目の都市はレオストラシティ。南東にあって、カジナルの次にストレイアから近い街だ。近隣にはドワーフの村とエルフの森もある。
人とドワーフ、エルフの間には根深い問題があるみてぇで、レオストラはドワーフやエルフの存在を受け入れてはいるが、積極的に関わり合うつもりはねぇらしい。
お互いに触れ合わないことが、暗黙の了解になってるみてぇだった。
俺がミカに聞いたフィデル国のことは、こんくらいのもんだったと思うぜ……じゃなくて、こんくらいだったと思います。