リタリーとのわだかまりがなくなり連携が取れるようになると、アンナはさらに飛ぶ鳥を落とす勢いで仕事をし、高評価を得ていく。
そんなアンナも、家に帰ってグレイと一緒にいる時は、かわいい彼女となっていた。
二人とも忙しい日々を送っているので、ベッドに入るとこてんと寝てしまう時もよくある。しかしこの日、アンナはベッドの上でランプの灯りを頼りに武器辞典を読んでいた。
「アンナ、まだ起きてるか?」
「グレイが寝るなら、私も寝るわ」
「いや、そんなに眠くないから平気だ。なんか面白い武器でもあったか?」
グレイもギシッと同じベッドに上がると、アンナの肩を抱いて後ろから武器辞典を覗く。
新しい武器を買うつもりだったアンナだが、武器辞典でちゃんと調べてからと思い、まだ買うには至っていない。
しかもアンナは最初から順に読み始めてしまったので、剣の章に行くまでにはまだまだ時間がかかる。
「今、ナイフと短剣の章を見てるんだけど、色々あって面白いわ」
「ナイフと短剣か。ジャンのようにメインではなくとも、一つは常備しておいた方いいかもな」
「そうね。剣が使えない状況とか、奪われた時のために身につけておくと役立ちそうだものね」
そう言いながら、アンナは読み終わったページを一枚捲る。
するとひとつの短剣が、アンナの目に飛び込んできた。
「カルティカ……?」
初めて聞く名前を呟き、その絵をじっと見つめる。
カルティカはジャンビア系の短剣で、広く湾曲した刃には儀式的な模様が刻まれ、神秘的な印象を与えた。
白黒なので色はわからないが、精巧な彫刻がされ、いくつもの宝石が埋め込まれているのがわかる。豪華な剣だ。
鞘もまた刃に沿うように曲がり、渦巻き模様や幾何学的なデザインが施された装飾だった。単なる武器以上の存在感を放っている。
「へぇ、綺麗な短剣だな。これもコムリコッツの遺跡から発掘されるのか?」
「いいえ、これは儀式的なもので、今でも職人が作っている短剣みたいだわ」
「儀式的?」
「ええ」
アンナはその下に書いてある小さな小文字を、手でなぞりながら声にする。
「カルティカは、ナハシール公国の伝統的な短剣であり、主に生まれ持った悪い宿命を断ち切る象徴として用いられる、神秘的な武器である。
その湾曲した刃と装飾的な柄は、単なる実用性を超え、宗教的な儀式や瞑想の際に欠かせない存在とされている。
また、カルティカは重要な人生の節目を象徴する道具としても扱われ、特に婚約の際に結納の品として男から女へと贈られる。
この贈呈は、愛する者を守る誓いと、共に歩む新たな運命を切り開くという決意を示す、特別な意味を持つものだ。伝統と深い象徴性が融合したこの短剣は、所有者にとって守護の存在となるだろう」
説明を聞いたグレイは、なるほどと美しい装飾の短剣をじっと見た。
「婚約の際に、か。こっちでいう、婚約指輪のようなもんだな」
「婚約短剣ってところかしらね。道理で素敵な短剣だと思ったわ」
「欲しいのなら、俺が手配してみるが」
気を遣うグレイに、アンナは首を横に振ってみせる。
「欲しいというわけじゃないの。私はもう、指輪を貰っているのもの。ただ、こんな短剣があるなんて、ロマンチックだと思っただけよ」
カルティカに目を落としたアンナは、そっと目を細めた。
婚約指輪のように扱われる剣があるなど、今まで知らなかったのだ。
こんな素敵な短剣が贈られた人は嬉しいだろうなと、アンナは心を寄せて微笑む。
それでもいるかと聞かれれば、特にいらないとしか答えようがない。
「私はもう少し、シンプルな短剣でいいわ。邪魔にならないくらいの大きさで、いいのがあればいいんだけど」
「これだけ色々載っているんだ。アンナにしっくりくるものがあるだろ」
「それがSSSランクじゃないことを願うわね」
「確かに、手が出ないものはどうしようもないからな」
二人はそんな会話を交わしながら武器辞典を捲っていき。
目が疲れたところで、二人は体温を交換しながら眠るのだった。
結局アンナは悩みに悩み抜いた末に、精霊の短剣と呼ばれるアウラダガーを購入した。
銀色に輝いている刃は、どこか透明感もある材質でできている。
刃の形状は直線的で細め、先端がほんの少しカーブしていて鋭い。
黒檀のような色合いの柄の中央には、小さなクリスタルがはめ込まれていて、アンナが気に入ったところのひとつだ。見る角度によって微妙に色を変え、精霊の力が宿っているかのように見えるため、精霊の短剣と呼ばれている。
グレイは短剣も使えるので、基礎動作を教えてもらおうとしたアンナだったが、驚くことに最初から完璧すぎるくらいに短剣を扱えた。
グレイは「生まれ持った才能ってやつだな」と笑い、アンナは「剣の才能の方が良かったけれど」と少し眉を下げる。
「それにしても、グレイは剣以外にも色々な武器を扱えるのね」
夏の日差しの中、庭先で手合わせを終えた二人は額に汗を滲ませながら、短剣を仕舞った。
「ああ。本物を持ったことはなくても、木や石でそれっぽいものを作ったりして、色んな武器を試したからな」
「その中で一番上手く扱えたのは、剣だったの?」
「そうだな、やっぱり片手剣、両手剣あたりが一番使いやすかった。次いで打撃武器、斧、短剣、槍だな。弓の適性が一番低いと思ってる」
あれこれと武器を試しているグレイだ。逆にアンナは片手剣一筋でやってきた。シウリスと、一緒に。
「グレイはすごいわね。そんなに色んな武器が扱えるなんて」
「アンナも片手剣と短剣、それに盾も扱えるだろ」
「ええ……まさか短剣の適性があるなんて、考えもしていなかったけれど」
「魔法の書しかり、相性や才能ってあるんだよな」
「そういえば、グレイは魔法を習得したりはしないの?」
強さにこだわるグレイが、魔法を習得する様子のないことを、アンナは不思議に思った。魔法こそ相性が顕著に出るが、逆に言えば相性の良い魔法を習得すれば、強くなれるはずなのである。
「魔法は、書を買うのも試しに習得するのも金が掛かるし、したことがなかったな」
「今ならお金はあるでしょう? 小隊長なんだもの」
同じ小隊長という役職なので、給金はさほど変わらない。
よく出回っている一般的な魔法の書なら、試すだけの余裕は十分にあるとアンナはわかっている。
「金云々はとりあえず横に置いといてだな。俺は、魔法を使いたいと思わないんだ」
「そうなの?」
そんな会話をしながらアンナは家へと向かい、グレイも後に続く。
「ああ、武器を振り回す方が性にあってる」
「ふふ、それもそうね」
「アンナこそ、トラヴァスやカールのように魔法の書を習得しないのか? アンナは器用だから、魔法も難なく使いこなせるだろう」
グレイに言われ、アンナは今まで魔法を習得することを視野に入れていなかったことに気づいた。
トラヴァスは氷魔法を使いこなしていて単純にすごいと感じているし、そこまで火魔法を使わないカールを見ても、あると便利そうだとは思っている。
しかし自分が習得しようとは、まったく考えもしていなかったのだ。
「私も、あんまり魔法に興味がないのよね。魔法にかける時間があれば、剣の稽古をしたいと思っちゃうわ」
「まぁそうだな。俺も同じだ」
アンナはタオルを出して顔を拭き、少し落ち着くとひとつの考えを口にした。
「それに私、習得するなら魔法の書じゃなく、異能の書を習得したいの。母さんみたいに」
「……救済の書をか?」
グレイは眉を寄せるようにしてアンナを見る。どうしてそんな顔をしているのかが、アンナにはわからない。
「救済の書を、というわけじゃないわ。魔法よりも異能の方が、私に合ってるんじゃないかと思っただけ」
「確かにな。魔法は詠唱時間もあるし、近接武器との組み合わせはかなり難しい。だが異能は多種多様にあり過ぎて把握できないからな。自分に合っているか試すだけでも一苦労だ」
「それに欲しい異能の書が手に入るとも限らないわ。剣以上に出会いが難しいのよね、異能の書って」
剣を買うだけでもまだ決めきれないというのに、自分に合った異能の書など、中々出会えるものではないのだ。値段もピンキリで、異能の書専門店でも手に入らない書は山ほどあるのだから。
「アンナの父親は神足の異能持ちだって話だったよな。トレジャーハンターはやっぱり、そんなすごい異能の書と巡り合う機会が多いんだろうな」
「なにかひとつくらい、娘に置いていってくれればよかったのに」
ぷんと頬を膨らませるアンナだ。
雷神は娘の存在を知らないのだから、無理な話だとわかってはいるのだが。
「異能の書は、当たり外れも激しいようだし、すべてを網羅している本も出ていないからな」
「そう考えると、武器辞典はコムリコッツの遺産まで解説や伝説付きで載ってるって、すごいわね」
「よっぽど古代遺跡に精通していないと書けないだろうな。アンナの父親みたいに……」
そこで言葉を詰まらせると、グレイとアンナは顔を見合わせた。
二人は同時に動くと武器辞典を手に取り、背表紙を捲る。
そしてアンナはその箇所を見つけて声に出した。
「コムリコッツ遺産の伝説に関する情報提供、トレジャーハンター雷神……」
「おいおい、本当にアンナの父親の通称が載ってるじゃないか」
まさかとは思ったが、本当に雷神が伝説の情報を提供していると知り、二人は目を丸くさせた。
「発行は、今から一年前だわ」
「この本の出版社に問い合わせれば、居所がわかるんじゃないか?」
「どうかしら……多分、この本が出るまでに時間も掛かっているでしょうし、父さんは一、二年で拠点を変えるらしいから、きっとここにはもういないわ。一応、母さんには知らせるけれど……」
気分を沈ませるアンナ。複雑な感情を抱えているのはわかっていたが、アンナ自身はどうしたいのだろうかとグレイは問いかける。
「アンナは父親に……会ってみたいか?」
情報提供の欄を見ながら、アンナは少し考えて首を横に振った。
「わからないわ。会って、文句を言いたい気もするし……私という存在を知って、喜んで欲しい気もする。でも、もし喜んでくれなかったら? 私の存在が迷惑だと言われたら……っ」
「アンナ……っ」
アンナの震える指を握って、グレイは引き寄せた。
ぎゅっとアンナを抱きしめて、軽率な発言をした自分を責める。
「悪かった。余計なことを聞いた」
「ううん……今はわからないけれど……いつか、会いたいと思うこともあるかもしれないから……大丈夫よ」
グレイからゆっくり離れたアンナは、にっこりと微笑む。
「この本の情報提供が、父さんだと気づいてくれてありがとう。母さんが喜ぶわ」
「……ならよかった」
「ふふ。私も少しだけ、父さんのことを見直したわ。少しだけね!」
アンナの顔が明るくなったのを見て、グレイはほっと息を漏らす。
アリシアを置いて出て行った父親を、中々許せなかったアンナが〝見直した〟と言ったことは、大きな前進だ。
もしも会える時が来た時、アンナが会いたいという気持ちになれていたなら一番いいと、グレイは思った。
今はまだまだ、無理な話ではあるが。
「アンナ、コーヒーでも飲むか?」
「ええ、いただくわ」
アンナは椅子に座り、テーブルの上で改めて武器辞典を開く。
笑顔で武器の説明文を読んでいるアンナを見て、グレイもまた、コーヒーを淹れながら微笑んでいた。