祝宴から二週間が過ぎて七月に入った。するとスウェルは当初宣言していた通り、九月の秋の改編を待たず、本当に構成を変えてしまった。
もちろん全体の改編ではないので、第六軍団内だけではある。
あまり頻繁に変えると隊員が混乱するため、他の軍団の将はよしとしていない。なので全体を見直す秋の改編に合わせて、自軍を編成するのが一般的だ。
しかし第六軍団は少人数制で編成しやすく、さらには型破りなスウェルのおかげで、アンナは入軍三ヶ月目にして小隊長に昇格したのだった。
将にスウェル、隊長にガッドとエリルバイン。この二人の地位は変わらずそのままで。
ガッドの下の小隊長にはロランダという女性とヨシュ、アンナはエリルバインの下になり、もう一人の小隊長はライクという男性である。
アンナの下は、三班で構成されている。そのうちの班長は、リタリーが選ばれた。
小隊長となり、覚えることもやることもさらに増したアンナは、忙しくも充実した日々を送っている。
リタリーとは、この王都に来る際に少し揉めたことがあるため、わだかまりがないわけではない。しかし当時のことを引きずるほど、アンナは弱くはなかった。
彼女もまた、班長に抜擢されるくらいには優秀なのだ。騎士に志望した理由が不純だったとしても、真面目に仕事をこなしているのなら、アンナとしても文句はない。
「アンナ小隊長。管轄地区の巡回を終了しました。こちら、気になる事象をピックアップしているので、確認お願いします」
「ご苦労様。退勤の時間が近いから、任務記録と明日の予定の確認作業に入ってくれて構わないわ」
「わかりました」
リタリーはハキハキと返事をしたあと、少し言いにくそうに再度口を開く。
「あの……アンナ小隊長」
「なぁに?」
「少し、気になることがありまして」
その声の大きさから、人に聞かれたくない話なのだとわかる。
隊長格は別室を設けられている軍団もあるが、第六軍団は人数が少ないこともあり、隊長から隊員まで、全員が軍務室を利用している。
一番奥に隊長二人の席が、その手前に小隊長の席が四つあり、あとは十二のテーブルにそれぞれの班員が集まれるようになっていた。
退勤の時間が近くなっている今、ほとんどの班員が軍務室に戻ってきている。他の軍団と比べると静かな第六軍団でも、今は少し騒がしい。
「わかったわ、少し出ましょう」
そう言ってアンナはリタリーを連れ出すと、狭い談話室へと入る。
外からの声は遮断され、中の声は漏れない作りになっているので、ここなら安心して話してくれるだろうとリタリーを見た。
「で、気になっていることって?」
「すみません、大したことではないんですけど」
「いいわ。言って」
「実は、班員がアンナ小隊長に不満を抱いていまして」
不満と言われて、アンナはひゅっと息を詰まらせた。
部下に認められることも、上に立つ者の重要な要素である。
アンナは、自分ではできる限りのことをやっているつもりだ。部下のこともちゃんと気遣っているし、一部ではロディックやユーミーのように慕ってくれている隊員もいる。だが、それは全員ではないということもわかっていた。
もし本当に不満があるというのなら、爆発する前に解決しておきたい。
「不満って、ローテーションの組み方に余裕がなかった?」
「いえ、それは問題ありません」
「私の言い方や性格がきついかしら?」
「上に立つのですから、そのくらいがちょうどいいかと個人的には思っています」
「じゃあ、なに?」
自分では思い当たらずリタリーに聞くと、彼女は苦笑いした。
「実は……飲みに連れて行ってもらえない、と……」
「!」
以前、アリシアが『親睦を深めるにはいい交流の手段にはなるわよ』と言っていたことを思い出した。
軍内で改編があり、班員もかなり入れ替えられている。仕事上の付き合いだけではない、飲み会のようなものが必要な者もいるだろう。
「あなたはどう思う? リタリー」
「本音を言っても?」
「いいわ」
アンナが頷くと、リタリーは間髪入れず声を上げた。
「いい男がいるなら行きたいです! それ以外は面倒なので出たくはありません!」
きっぱりと言い切ったリタリーにアンナは目を丸め、その後思わずぷっと息を吹き出した。
「ふふっ、ブレないのね、リタリー」
アンナは、この王都の来た馬車での彼女の発言を思い出す。
──いい男に出会うには、いい職場でなきゃいけないと思っただけ。
彼女は、いい男に出会うために騎士になったのだ。
アンナには理解できない感覚ではあるが、その考えを否定するつもりはない。
理由はなんであれ、しっかり働くのであれば、それでいい。
「あの時はごめんなさい、アンナ小隊長……」
リタリーの唐突の謝罪に、アンナは目を瞬いた。
「ごめんなさいって……今さら?」
くすっと笑うと、リタリーは眉を垂れ下げる。
「謝りたいと思ってたんだけど、機会がなかったの。アンナは……アンナ小隊長は、本当に頑張ってるわ。実力もあるし、親の七光だなんて関係なかった。あなたの下について、よくそれがわかったわ。優秀だもの」
「私もあの時はきつく言いすぎたわね。ごめんなさい。それと、隊員に不満があるって教えてくれて助かったわ。ありがとう」
アンナがお礼を述べると、リタリーはにっこり笑って言葉を正した。
「伝えられてよかったです。で、どうされるんですか?」
「そうね……行きたくない人もいるでしょうから強制にはしないけれど、お食事会のようなことはしてもいいかもしれないわね」
「きっとみんな喜びます。お店の手配は任せてください」
「いいの? リタリーは参加しないのに」
「不満を漏らしたのは私の隊員ですので、お気になさらず。呼びかけは、アンナ小隊長直轄の七班から九班のメンバーでよろしいですか?」
「ええ、それでお願い。日取りも任せるわ」
「わかりました」
リタリーがすべてを請け負ってくれたのでほっとする。
アンナは馬車で王都に来た当時のことをうじうじ気にするでもなかったが、あの時のことを謝ってもらえたことで、気持ちが楽になったのは確かだ。
こうしてアンナは、初めて部下と交流の機会を設けることになったのである。
当日、アンナ含め直轄の班員は全員定時で仕事を切り上げて、リタリーの予約したお店に向かった。
下町にある品のいい小さなレストランを借り切っていて、お酒も飲めるが食事がメインの場所だ。
参加したのはアンナ含めて十六人。つまり、全員が参加をしていた。あのリタリーも。
着いた時にはあらかじめ食事が用意されていて、それぞれが席に着くとアンナは部下たちに語りかける。
「みんな、いつも私の期待以上に頑張ってくれてありがとう。忙しい日々が続いているけれど、体調の方は大丈夫かしら?」
アンナの問いに、隊員たちは「大丈夫ーっす!」「底なしに食えまーす!」と言って笑っている。
ここにスウェルはいないので、気兼ねなく大きな声を張り上げていた。
アンナはくすっと笑って、次の言葉を続ける。
「それぞれが隊務に全力で取り組んでくれていることを、とても頼もしく思っているわ。私の部下としてよくついてきてくれていること、本当に感謝しています。これからもっと高い目標に向かって、一緒に挑んでいくつもりよ。今日はその英気を養って楽しんでね。それでは、乾杯!」
「「「かんぱーい!!」」」
グラスが高く上げられて、それぞれが口に含んだ。
そこからはわいわいがやがやと、それぞれに食事を堪能しながら会話を楽しんでいる。
アンナは二杯目を呑まずに水にして、目の前の料理を端の方で一人で黙々と食べた。
こういう時、部下たちの輪へずけずけと入っていっていいのかどうかわからない。
(最初に無礼講っていうべきだったのかしら……もっと肩の力を抜いてもらう挨拶の方がよかった?)
即座に脳内反省会をする、真面目なアンナである。
「アンナ小隊長、そんな顔してたらみんな話しかけにくいですよ」
食事を持って移動してきたリタリーが、アンナの隣に座った。
「リタリー」
「まぁ、そういうところがアンナ小隊長らしいと思いますけど」
そう言いながらリタリーは隣を離れず食事を堪能していて、アンナはふっと笑みを漏らした。
「リタリーが参加してくれるとは、思わなかったわ。ありがとう」
「どこでいい男と繋がれるか、わからないですからね。チャンスは掴みに行く主義です」
それならば、アンナを放っておいて向こうの輪に入ればいいはずなのだが、リタリーに動く様子はない。
ここにいるほとんどが男だというのに、リタリーの眼鏡に適う人はいないとわかり、アンナは純粋な疑問を投げた。
「リタリーは、どういう人が好みなの?」
「出世している人か、出世しそうな人なら誰でもいいです」
「誰でもいいって……」
リタリーの言い草に、アンナは眉を寄せる。
アンナは強い男が指標に入るし、そこは人それぞれだとは思っている。しかし強ければ誰でもいい、なんてことは思っていない。
「まぁ、優しくて好みの顔で年が近ければなお嬉しいですけど」
「じゃあどうして、そんなに出世にこだわるの?」
アンナの質問に、リタリーは自虐するように笑う。
「うち、すごく貧乏なんですよ。アールイゼ地方出身なんですけど、親が騙されて借金しちゃって。そんな中、両親は私を上級学校にまで行かせてくれたんです。その後は王都の大学府に行きなさいって言ってくれたんですけど、これ以上は借金を増やしたくなくて、オルト軍学校に入ったんですよね」
リタリーの出自を、アンナは初めて聞いた。相槌も打てずにいると、リタリーは続ける。
「借金は返さなきゃいけないし、弟妹たちも学校に行かせてあげたい。今、弟たちは上級学校に通ってるんですけど、私みたいに大学府を諦めさせたくなくて」
「それで、出世しそうな人を?」
「一番手っ取り早いじゃないですか。私もこれ以上、借金は増やしたくないし。だから気前よくお金出してくれる人なら、誰だっていいんですけどね!」
「……そう」
正直、アンナにも思うところがあり、色々と伝えたいことはあった。
お金のためだけに相手を選ぶなんて悲しいだとか。
相手にも自分にも失礼だとか。
本当にそれでいいのかと、問い正したい気持ちがなかったわけではない。
(私が口を挟めることじゃないわね……)
しかし、アンナはその気持ちをグッと抑えた。
以前リタリーがアンナに〝親の七光り〟〝親の価値を利用するのは当然のこと〟と言っていた気持ちがわかってしまったからだ。
アンナはもちろん、アリシアを利用したつもりはない。しかし今までお金に困ったこともなく、もし大学府に行きたいと言えばそうしてもらえた環境があった。
リタリーにとっては、その状況に甘えていること自体が、親を利用していると同意義だったのだ。
アンナは親に庇護されてぬくぬく育っていると思ったリタリーが、悔しい気持ちを抱えるのも仕方ないと思えた。
「色んな環境の人がいるのよね……あの時は思わず怒ってしまって悪かったわ。ちゃんとリタリーの言い分を聞くべきだった」
「あれは嫉妬と嫌味も入っていたから、怒られても仕方なかったと思ってます。今後は気をつけます」
リタリーの気持ちをしっかりと聞けたアンナはホッとし、リタリーもまた胸の内を曝け出すことができてすっきりとしている。
こうして二人は、ようやくわだかまりを消すことができたのだった。