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75.何にも変えられない価値があるんですよ

 それから数日が過ぎて、アンナとグレイは受勲することになった。

 ホワイトタイガーを倒し、事前に被害を食い止めた功績である。

 前回のバキアのときと同じように授与式は進行し、シウリスに二つ目の勲章をもらう。

 同じ王宮にいても、班長と国王では、会う機会はそうない。

 実際にこうして対面したのは、初めて勲章を貰って以来だった。


「ストレイア王国第六軍団、班長アンナ」

「っは」


 シウリスの威厳に満ちた顔を見ると、アンナの心にはやはり懐かしさと共に物寂しさが胸を駆け巡る。

 シウリスはそんなアンナの心に気づくこともなく、貫禄のある声を発した。


「魔物が町に降り立つ前にその存在を察知し、決死の覚悟をもってこれを討ち果たした。その迅速かつ果敢なる行動は、我がストレイア王国の未来に希望を灯すものだ。その知恵深き選択と勇気ある判断を讃える」


 手渡される勲章。受け取る際、アンナとシウリスの手が、ほんの少し触れた。

 思いがけない接触に、アンナは自分でもびっくりするほどドクッと胸が鳴る。

 しかしシウリスはなんの顔色も変わっておらず、寂しさを募らせた。


(どうしてまだ、期待しちゃうの……幼馴染みだからって、もう関わりなんかないのに……)


 昔のように笑い合って話せることなど、ないとわかっていても。

 アンナはどこかで期待しているのだ。そして期待する分、傷ついてしまう。

 だからと言って、幼き日の思い出をなかったことになどできなかった。

 もう一度、あの日のように過ごすには、軍のトップに立つしかないとアンナは思っている。切り捨てられた時に思い描いた夢だ。

 いつかまた、シウリスの傍で仕えるには、それしかないと。


(諦めちゃだめだわ。今、ようやくこうしてシウリス様からお言葉をいただけるようになったのよ。いつか、当たり前のように会話ができる立場にまでなってみせるわ!)


 アンナは改めて夢を思い出し、きりっと顔を引き締めて拝謝の辞を述べた。


「この誉れに恥じぬよう、今後も騎士としての務めを果たしてまいります」


 アンナの言葉を聞いたシウリスは、次にグレイの方へと言葉を掛ける。


「強大な魔物を相手にし、揺るがぬ強さを持つお前の剣は、隊員と民の命を救った。守るべきものを守る強さと、その意思ある心を讃える」

「王国の民と仲間を守るため、これからも変わらぬ剣を振るうことを誓います」


 グレイも勲章を受け取る。そして胸に新しい勲章が光ると。


「今日の栄光を胸に、明日の責務を果たせ。我がストレイア王国の星となるべく、誇り高く進むのだ」


 シウリスの言葉で締め括られ、アンナたちの二度目の勲章授与式は終わったのだった。


 勲章を授与した騎士は、後日祝宴が行われる。

 前回はまだ軍学生だったため、トラヴァスだけが出席した形だ。

 今回はアンナとグレイも正式な騎士となっているため、祝宴に参加することになった。

 祝宴は王族や貴族、一部の将が参加し、親睦を深める場としての意味合いが強い。

 そのため、立食形式で自由な交流が可能となっている。

 平日の勤務後に行われたので、アンナとグレイは勲章をつけた騎士服で出席した。 他の将も騎士服で、貴族はドレスやタキシードを着用している。

 シウリスは黒地に金の刺繍が鮮やかなフロックコートだ。なんでも着こなすシウリスに、出席した貴族からは溜め息が上がる。

 王弟のフリッツも参加していて、トラヴァスは彼の護衛として控えていた。


 そうしてアンナとグレイの功績を讃えての祝宴が始まった。

 出席している将は、アンナとグレイの上司であるスウェルとアリシア、それに第三軍団のデゴラと、第十軍団のテイド、第十二軍団のゾルダンだ。

 アンナとグレイは食事をとる間もなく話しかけられ、それぞれ別の場所で人だかりを作る。シウリスの周りにも、この時とばかりに貴族たちが群がっていた。

 スウェルは部下が受勲したから仕方なく来たようで、誰に話しかけるでもなく一人で黙々と食べている。

 アリシアはシウリスや他の貴族と交流しながら、暇を見つけてうまく食事をとり、他の将はアンナやグレイに話しかけたり、貴族たちと交流を図っていた。

 そんな中、最初は取り繕っていたグレイは、時間が経つにつれて面倒になっていく。段々と無愛想に無口に、本来の彼へと戻っていった。

 一方アンナは一人ひとり丁寧に笑顔で答え、何度も聞かれるホワイトタイガーとの戦いを語り続ける。祝宴の時間は決められているので、『もう十分なので帰ります』とも言えない。


「さすがだ、貴殿の功績は本当に素晴らしい!」

「これほどの功労者がいるとは、我が国も安泰ですなぁ!」


 そんな言葉にグレイが心底うんざりしていると、シウリスがカツンと音を立ててやってきた。

 周りにいた貴族たちは気を利かし、ピーチクパーチクとよく喋る口を閉じて一歩下がる。

 シウリスはグレイを目の前にして、手に持っているワインを軽く回した。


「今宵は貴様の祝宴だ。楽しんでいるか?」

「……っは」

「っふ」


 明らかに楽しんでいないグレイに、シウリスは笑った。もちろん、そんなことを言葉にはしなかったが。

 シウリスはグレイの胸に光る、二つ目の勲章に目を向ける。


「まだ騎士となって間もないというのに、二つ目とは大したやつだ」

「この勲章を頂けたのは、俺の力ではありません。アンナがいてこそです」


 アンナが調査をしたからこその、アンナありきの勲章であると、グレイは主張した。貴族や将、そしてシウリスに、アンナがいかに有能か、将に相応しい人材であるかを知らしめるために。

 しかしシウリスは、グレイの言葉を聞いて不機嫌顔となる。


「謙遜する必要はない。勲章は勲章だ。貴様の功績で間違いはない。それとも、叙勲した俺を愚弄するか?」


 ギロリと上から見下ろされ、冷たい物言いにグレイの背筋に悪寒が走った。

 アリシアが即座に貴族との話を切り上げて、シウリスの方を遠目に注視する。

 グレイはシウリスをばかにしたつもりなどもちろんなく、否定のために口を開いた。


「……いえ。決してそのようなことは」

「ふん。まぁよい」


 アンナも不穏な空気を察知して、貴族の話を途中に、急いでシウリスの元へと移動した。

 そして自分から言葉を放てる場であることに感謝し、国王へと頭を下げ口を開く。


「シウリス様、この度は私たちのために素晴らしい席を設けてくださり、感謝いたします」

「……当然だ。初めての祝宴であろう。前回出席したのは、そこの氷徹だけであったからな」


 シウリスが背後の方にいるトラヴァスに向かって、目を向けずにそう言った。

 無視されずに言葉を返してもらえたアンナは、ほっとして顔を上げる。

 先ほどの底冷えするような恐ろしさは消えていた。


「……楽しんでいるか、アンナ」


 シウリスに名前を呼ばれたアンナの顔に、思わず笑みがこぼれる。嬉しさが溢れ、胸の中にぽっと温かい光が灯る。


「はい、とても」

「ふん、嘘を言うな。貴様の作り笑いを見抜けぬ俺ではない」


 傲慢に笑われたアンナは、困ってしまい眉を下げた。

 しかし、こんなやりとりをするなど久しぶりだ。十歳以降は会うことすらなかったのだから、それこそ八年ぶりである。


「グレイと婚約したと聞いたが」


 唐突の質問に、アンナは頷いてみせた。


「はい。一年半前に婚約いたしました」

「そのおもちゃのような物が婚約指輪か? 俺なら大事な婚約者には、もっと良い物を贈るがな」


 見下すようにふんっと笑われ、隣にいたグレイはカチンとくる。


(そりゃあ、あんたに金はあるだろうよ。けどそれは国民の血税だろうが。まぁ俺も、税金から給金を貰ってるんだが……)


 言いたくても言えない立場のグレイは、ぐっと耐えるしかなかった。

 アンナはそう言われても、穏やかな顔でシウリスを見据えたまま、左手の薬指に触れる。


「シウリス様。金額は問題ではないのです。これは私の一番の宝物……私がそう思っている限り、この指輪は何にも変えられない価値があるんですよ」


 幼き頃、何度もシウリスを宥めた口調で、アンナは真摯に伝える。


「……そうか。幸せならば、それでよい」


 シウリスはそれだけ言うと、踵を返した。

 もう少し話したいと思ったアンナだったが、すぐに近くの貴族に進路を塞がれてしまい、それは叶わない。


「なんと、君たちは婚約していたのか!」

「結婚はいつだね!?」

「宿舎住まいなら、私が家を用意してあげるぞ!」

「ありがとうございます。けれど私たちはもう一緒に暮らしておりますので……」


 アンナが貴族に断りを入れた瞬間、パァンと割れる音がした。

 シウリスの足元にはグラスの破片が飛び散り、赤いワインが床を濡らしている。


「兄様……?」


 目の前にいたフリッツが、何事かと眉を顰めた。隣にいたトラヴァスがすぐに飛び散る破片からフリッツを下がらせる。


「お怪我はありませんか、フリッツ様」

「あ、ああ、大丈夫だよ、トラヴァス」


 主君の無事を確認したトラヴァスは、すぐさまシウリスにも顔を向ける。


「シウリス様は──」

「寄るな」


 周りが凍りつくほどの鋭い刺すような言葉。

 アンナはその声に驚きつつも、貴族を掻き分けてシウリスの元へと距離を詰めた。


「シウリス様、お怪我は!?」


 慌ててやってきたアンナを無視し、シウリスは前を向いて一歩踏み出す。


「……穢らわしい……ッ」


 トラヴァスとすれ違った瞬間に放たれる、いつもの言葉。

 しかし、他の誰にも聞こえていないであろうその言葉が、なぜかトラヴァスには別の誰かに伝えているような気がした。

 蔑みの圧を受けるたびに襲われるいつもの吐き気が、今は起こっていない。


(今、シウリス様は誰に言った……?)


 トラヴァスが振り向くと、シウリスはもう祝宴には興味ないとばかりに、部屋を出ていく。


「平気かい、トラヴァス。兄様が、また……?」

「いえ……今日は、なにもありません」


 吐き気はないということを迂遠に伝えると、フリッツは安堵の息を吐いた。

 同じようにシウリスの後ろ姿を見送ったアンナは、胸になにかが詰まったような気まずさを抱える。


「私、なにかお気に触ることをしてしまったかしら……」


 アンナの呟きに、トラヴァスは首を振って答えた。


「いいや、アンナのせいではないから、気にするな」


 シウリスの言動に違和感を持ったトラヴァスは、恐らくとしか言えんが、と心の中で付け加えたが。

 そんな一連のやり取りを見守っていたアリシアが前に出ると、皆ににっこりと微笑みを見せた。


「どうやらシウリス様は、慣れないお酒に酔われたご様子だわ。そうよね、トラヴァス」

「は。祝宴はそのまま続けるようにとのお言葉がございました」


 話を振られたトラヴァスは、即座にアリシアの意図を汲み取り、そんな発言で誤魔化す。

 国王の意思を聞けた貴族たちは、ほっと息を吐き出した。


「シウリス様は、まだ十八であられますからなぁ!」

「しかし、ついつい十代だということを忘れてしまいますな!」

「威風堂々とした貫禄がありますからねぇ」


 貴族たちはそう言って納得して笑い合い、アリシアは続ける。


「それでは皆様、時間までどうぞお楽しみになってくださいな」


 最後にアリシアがそう取り繕い、また室内はガヤガヤと騒がしくなる。

 アンナはシウリスが出て行った扉を見つめ、彼になにがあったのかと気持ちを沈ませていた。

 そしてそんな姿を見たグレイもまた、なんとも言えぬ苦さが胸の内から滲み出てくるのだった。

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