翌日の山狩りは予定通り、グレイが陣頭指揮を取った。
結局ホワイトタイガーも他の魔物も出なかったが、グレイの指揮は的確で、参加した隊長や将にも軒並み高評価を得ていた。
また差をつけられてしまったと思うアンナだが、いつか重要な仕事を任せられるくらいにコツコツと積み重ねることが今は大切だと考え、日々の己の仕事をこなすのだった。
「やっと休みか。一週間、長かったな」
騎士は一応、日曜日が休みである。
けれど王宮を空にするわけにはいかないので、各軍の二割の人員は持ち回りで出勤しなければいけないのだが。
この日はアンナもグレイも、ちゃんと休みの日曜だった。
「母さんが王宮で暮らしている意味がわかったわ。帰るのも、ご飯の用意も家事も大変だもの。王宮なら使用人がたくさんいるし、一声掛ければやってくれるものね」
「筆頭は、家事に割く時間なんて本当にないしな。遠征も自ら出るし、日曜の休み関係なくずっと仕事してるぞ、あの人。大丈夫なのか?」
「母さんは仕事が好きだから平気よ。あなたっていう遊び道具もできて、楽しんでるんじゃないかしら」
「……俺はおもちゃか……」
ゾッとしているグレイを見て、アンナはクスクス笑う。
二人はせっかく揃っている休みなのだからと街へ繰り出し、ショッピングや食事を楽しんで時間を過ごした。
そして帰りに本屋に寄って重い武器辞典を買って戻ってくる。
「俺はコーヒーを飲むが、アンナも淹れるか?」
「いいえ、私は本を読みたいからいいわ」
「わかった」
グレイがいそいそと豆を取り出して挽き始める。
それを横目に、アンナは思った以上に分厚くて値段の張った本をテーブル上に置くと、ほくほくとしながら開いた。
表紙を捲るとまずは目次がある。そこには、
短剣とナイフの章
ショートソードの章
ロングソードの章
大剣・両手剣の章
刺突剣の章
斧の章
槍と長柄武器の章
棍棒と打撃武器の章
弓と投擲武器の章
特殊武器の章
という十からなる章が並んでいる。
その中のロングソードの章、コムリコッツ遺産の項まで、アンナは紙を早めた。
「本当にたくさん武器があるのね……あるかしら、グレイの武器」
「そりゃ、あるだろう。ジャンが嘘をついてなきゃな」
「ジャンはこんなことで嘘なんかつかないわよ」
コーヒーを準備したグレイは、アルコールランプに火をつけてサイフォンに掛ける。
出来上がるまでの時間、一緒に本を見ようとアンナの隣に座った。
「どれ。うわ、けっこう細かいな。有名じゃない剣は、小さくしか載ってないのか」
「古代人の遺産の中でも、ランクに結構幅があるのよね。どの辺に載ってるかしら。多分、割と良い方だと思うんだけど」
「そういうのも、勘でわかるのか?」
「ええ、なんとなくだけれど」
グレイは使った感触で、かなり良いものだと思っている。少なくとも、今まで支給されて丁寧にメンテナンスしてきたロングソードと比べると、使い心地も切れ味も雲泥の差だ。
グレイがそんなことを考えている合間にも、アンナはペラペラと本を捲って探していく。
「あ、これ、少し似てるわ。この辺りかしら」
「ノヴァ系ソードの項……確かに、似てるな」
グレイは立ち上がって剣を持ってくると、抜き身をテーブルの上にごとりと置いた。
刀身の鍔元には流れるような線が刻まれていて、柄の先端には真珠のようなオーブが埋め込まれている。それがノヴァ系と呼ばれる剣の特徴と書かれていた。
「流線もオーブもあるわね」
「違いがわかりづらいな。どれだ?」
アンナはひとつずつ、人差し指で絵をなぞりながら、剣の名前を読み上げる。
「インフェルノノヴァ」
「違うな」
「セレスノヴァ」
「違う」
「ディスパーズノヴァ」
「それも違う」
「フェイタルノヴァ」
「……これか?」
「流線が少し違うわ。こっちかしら。ヴァルノヴァ」
「それも違うな」
「ゼファノヴァ、レガシーノヴァ、ドミニオンノヴァ……どれも違うわね」
「次、これじゃないか?」
そう言ってグレイが指差した名前を、アンナは読み上げる。
「フェルナイトノヴァ……」
二人は本物と絵を見比べる。本は白黒なので色はわからないが、流線の形はそのまま現物と同じだった。
「これだ。フェルナイト……ノヴァ」
「AからEのランク分けでは、Dランクになってるわ」
「それっていいのか?」
「ランクがついているのは、Eでも良品のようだわ。ランクが書かれていない無印も、たくさん載ってあるもの」
「そうか、Dランクか。もっと上でもおかしくないと思うけどな」
納得のいっていない様子のグレイに、アンナは小さな字で書かれた説明を読み上げる。
「〝フェルナイトノヴァ〟
この剣は古代コムリコッツの伝説において、破壊と再生の象徴として、運命を切り開く力を持つ武器とされている。
いかなる障害も打ち砕き、運命に挑む者に力を与えるのだ。
ただしこの剣は、獣のような凶暴性と破壊も同時に有している。
その力はただの破壊にとどまらず、新星のように新たな道を切り開く力を持つ。
そのため、戦う者の心に〝守護者としての使命感〟が宿ると言われている。
また、この剣は世界を変えるような力を秘めているため、持ち主の使い方次第では世界を再構築するほどの破壊力と、希望の象徴として機能するだろう。
フェルナイトノヴァの使い手は、単なる戦士ではなく、運命を切り開く英雄としての役割を担うことになる。
この剣は、剣そのものが〝力強さ〟と〝変革〟の二面性を持ち、持ち主がどのように使うかによって、世界を滅ぼすほどの破壊を引き起こすか、それとも新たな光をもたらすのかが決まるのだ」
読み終えたアンナは、隣に座るグレイを見上げた。
「ですって」
「Dランクの割に、えらくご大層な伝説の剣だな」
「ふふ。この武器辞典は新装改訂版で、コムリコッツの項は全部こんな風に細かな伝説が書かれてあるのよ。だから図書館で借りるより欲しかったのよね。読み物としても面白いわ」
嬉しそうなアンナを横目にグレイは立ち上がると、フェルナイトノヴァを手に取った。
銀色に光る、美しい刀身。独特な流水模様。
(守護者としての使命感、か……)
それならすでに持っている。
アンナを必ず護り抜くと。
なにが、あっても。
グレイは自分とフェルナイトノヴァとの共通点を見た気がして、親近感を覚える。
「改めてよろしくな、フェルナイト」
新しい相棒に挨拶をして、グレイはニッと笑った。
「ふふ、良かったわね。いい香りがしてきたわよ、グレイ。コーヒーが入ったんじゃない?」
「ああ、本当だな」
グレイは剣を鞘に戻して、アルコールランプに蓋をして消す。
コポコポと沸き上がっていたコーヒーは、ロートから降りてすうっとフラスコに溜まる。それをカップに移し替えて、グレイはブラックのまま口をつけた。
美味しそうに飲むグレイを見て、アンナは微笑みながら手は短剣の章へと戻る。
「グレイの剣がDなら、ジャンの短剣はどれくらいなのかしら」
「アンナの父親に『それなりのもんだ』と言われて貰ったものだって言ってたよな。確かにどの程度のランクなのか、興味ある」
グレイはコーヒーカップを持って、もう一度アンナの隣に座り直すと、一緒にジャンの短剣を探す。するとすぐにそれは見つかった。
「エクリプス・シャード、Aランク……マジかよ」
「『売るとえげつない値段する』とは言ってたけど……これを子どもにあげるとか、私の父さんちょっと頭おかしいわよね……」
そうだなという言葉をぐっと飲み込むグレイである。
「ちょっと待って。これがAなら、父さんが発掘したっていうクレイヴ・ソリッシュやデュランダルはどうなの!?」
またしてもアンナはロングソードの章へと戻り、二つの剣を探し出した。
「デュランダルはSSSランクだわ……」
「クレイヴ・ソリッシュの方は、SSランクだな」
売るといくらになるか、想像もつかない高ランク武器である。二人は想像しただけで少し眩暈がした。
「……いや、なんていうか……異次元だよな、アンナの父親は……」
「私もいつか、コムリコッツの遺跡でお宝を探してみようかしら」
「あんまり深部には行くなよ。お宝を手に入れられても、戻って来られなかったから困るからな」
「ふふ、冗談よ。ちょっと探検してみたい気持ちはあるけど、お宝目的で行くのとは、ちょっと違うのよね」
どちらかと言うと、アンナは古代遺跡に眠る武器の伝説の方に興味を持っていた。
それはやはり、父親の血なのかもしれないとアンナ自身も思う。
「クレイヴ・ソリッシュ……こんな剣なのね。本物を見てみたかったわ……」
以前話に出た光の剣、クレイヴ・ソリッシュ。
どうしてだかアンナは、この剣に強く惹かれる。
SSランクのこの剣を、アンナが手に入れられることはないだろう。雷神が売り飛ばしているからどこにあるかもわからず、わかったとしても大金持ちしか買えないような剣を手に入れられるはずもない。
アンナはそこに書かれてある光の剣の伝説を読み上げる。
「〝クレイヴ・ソリッシュ〟
刀身は青白い光に包まれた美しい剣である。
この剣は、古代人コムリコッツ族が闇を打ち払うために鍛えられたものだ。
初めてこの剣を振るった英雄が、闇に閉ざされた戦場を一閃し、夜明けの光を取り戻したという伝説がある。
〝闇を裂く希望の光〟と信じられ、〝光の剣〟とも呼ばれるようになった。
クレイヴ・ソリッシュは、持つ者の〝純粋な意志〟に応じて力を発揮する剣で、正義や善を象徴するものとされている。
過去にこの剣を扱った英雄たちは、いずれも民衆を救うために戦い、〝希望の灯火〟として崇められた」
読み終えると、アンナはほうっと溜め息をついた。
知れば知るほど、この剣を実際に見てみたかったと思わせる。
「闇を裂く希望の光、か……アンナが持つに相応しい剣なんだがな」
「ありがとう。残念だけど、本物に出会える機会はないでしょうね……」
グレイはしょんぼりと肩を落とすアンナを見ながら、コーヒーに手を伸ばす。
手に入れてプレゼントしたくとも、不可能だということはグレイにもわかっていた。
コムリコッツのSSランクの遺産である、
「私も、グレイとフェルナイトノヴァのように、相性のいい剣に出会えるかしら……」
ごくりとコーヒーを喉の奥に流してカップを置くと、グレイはそっとアンナの髪を撫でる。
「いつかいい剣に出会える。焦らず、ゆっくり待てばいい。そのうち相手の方からやってくる」
「……ええ、そうね」
顔を上げたアンナは、まだ気持ちを振り切れずに寂しく眉を下げて。
グレイはそんなアンナに顔を近づけると、慰めるように優しく唇を重ね合わせる。
息づかいが何度も重なり、ゆっくりと離れると、アンナは小さく笑った。
「ふふっ。コーヒーの味だった」
「はは、そうだろうな」
そう言って、二人はもう一度コーヒー味を確かめ合う。
忙しすぎてしばらくなにもなかった二人は、久しぶりにその感触を楽しんだ。
気持ちのいい初夏の風が家の中を駆け抜けて、開きっぱなしの武器辞典をパラパラといたずらに捲る。
風はもう背表紙を動かせず、最後の協力者一覧のページで動きを止めた。
そのページには。
〝コムリコッツ遺産の伝説に関する情報提供:トレジャーハンター雷神〟
と書かれていて。
アンナたちがそれに気づくのは、まだ先の話であった。