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73.欲しいのは私なんだもの

 グレイに続き、用を終えた第六軍団のメンバーも筆頭大将の執務室を出る。

 第六専用の軍務室へと入ると、そこにいた隊員が一斉にアンナを見て声を上げた。


「アンナ班長!」

「三メートル級のホワイトタイガーを一人で倒したって!?」

「二体同時に相手してたんだろ!」

「そうよ、すごいのよアンナ様は!」


 ユーミーがなぜか胸を張っていて、アンナは困りながらもクスリと笑う。


「うるさいぞ、お前ら」


 小柄でうるさい声が嫌いなスウェルが言い放ち、室内は一瞬で静かになる。そして隊員たちを睨むように静かな声を上げた。


「もう広まっているようだから、僕から改めて言う必要もなさそうだが。アンナは二頭いたホワイトタイガーのうちの一頭を倒した」


 第六軍団の面々は、スウェルの言葉を誇らしそうに胸を張って聞いている。

 勲章持ちが入ってきた時にはあまり良い顔をされなかったが、自軍から英雄が出るのは彼らも嬉しいのだと思うと、アンナはほっとした。


「素晴らしい功績だ。よくやった」

「ありがとうございます」


 予想外のスウェルの褒め言葉に、アンナは少し驚きつつも謝辞を伝えた。

 スウェルの表情が柔らかくなったのはほんの一瞬で、すぐに冷たい表情へと戻る。


「来月に、また少し編成を変える。もたついているやつは容赦なく降格させるからな。気を引き締めろよ」

「「「っは」」」


 うるさくならない程度の声で返事をした隊員たちは、スウェルに敬礼を見せた。


「仕事に戻れ」


 そしてその一言で、隊員はそれぞれ動き始める。

 アンナも班員を集めて話し合い、今日の振り返りや反省点を洗い出しながら任務記録をつけていく。

 それが終わると、明日の予定確認だ。ちょうど筆頭大将から山狩りの予定の通達があり、各軍から三十名の派遣を要請されていた。隊長のガッドともう一人の隊長エリルバインが相談して山狩りの班を選出する。

 第六軍団は人数が少ないので、ほぼ半分が山狩りを行うことになったが、アンナの班は選ばれていなかった。

 代わりに山狩りを行う班の、明日やるべきことを引き継ぎ、自分の仕事と並行して行わなければならない。

 引き継ぎや確認をしていると退勤の時間になり、多くの騎士は帰っていった。

 アンナは明日の仕事がスムーズに進むように優先順位をつけてタイムスケジュールを組むと、必要な準備に取り掛かる。

 そうして区切りのいいところまで準備を終わらせた時には、夕方の六時を回っていた。


(今日はこれくらいにしておきましょう……さすがに疲れたわ)


 ふうっと息を吐いて辺りを片付ける。

 そして帰る用意をして王宮から出ようとしたところで、山から帰ってきたグレイに出くわした。

 目が合うと、疲れた体が癒されるように互いの強張りは解かれる。


「グレイ、ようやく終わったの? 大変だったわね」

「ああ、アンナは今帰りか?」

「そうだけど、なにか手伝えることがあればするわ」

「いや、いい。あとは報告書を書いて、筆頭に提出すれば終われる。それより、晩飯をお願いしたいんだが……」

「ええ、もちろんよ。作っておくわね」


 アンナの言葉に、グレイはほっとしたように少し笑みを見せた。


「任務記録もあるが、速攻で終わらせる。七時くらいには帰れるはずだ」

「わかったわ、家で待ってる。がんばってね」


 婚約者に応援されたグレイは、「よし」と小さく気合を入れて王宮の中へと入っていった。

 アンナは買い物に行くも、あまり作っている時間がないと判断して、出来合いのものを中心に買っていく。

 そうして両手に荷物を持って帰ると、家の前に誰かがいた。


「あ、アンナ様!」

「ロディック?」


 そこにいたのは、ホワイトタイガーを目の前にして腰を抜かしていたロディックだ。


「どうしたの? うちにまで来て」

「いや、あの……ちゃんとお礼を……いや、謝罪か……」

「わざわざ? もう聞いたから、構わないわよ」

「いえ、そうじゃなくて……これ」


 差し出された袋を手に取り、中を覗いてみると、茶色い乾燥した豆が入っていた。


「これ……コーヒーじゃないの」

「俺の実家は、コーヒーを南の国から仕入れる商売やってるんです。たまに送ってもらうんですけど、もしよければと思って」

「いいの? コーヒーは結構希少でしょう」

「いいんです! うちの自慢のコーヒーを、アンナ様とグレイ様にも飲んで欲しくて!」


 ロディックはすっかり、まだ将にもなっていないアンナとグレイに敬称をつけて呼んでいる。普通は〝アンナ班長〟〝グレイ小隊長〟と呼ぶところだ。敬称をつけなければならないのは、将と王族だけである。

 それでなくともロディックは今朝まで、〝アンナ〟としか呼んでいなかったのだ。その変わりように、アンナの方が驚いていた。


「ありがとう。グレイは紅茶よりコーヒーの方が好きだから、喜ぶわ」

「じゃあ無くなったらいつでも持ってきます!」

「それは悪いわよ。今度は買わせてもらうわね。私たちの分を確保してもらえるだけで嬉しいわ」

「はい、任せてください!!」


 スウェルが聞いていたら、うるさいと言われそうな声で返事をし、ロディックは嬉しそうに宿舎へと帰っていった。

 基本的にこのストレイア王国で出回っているのは紅茶で、あまりコーヒーを飲む習慣はない。

 グレイもアンナと恋人になる前は、飲んだことがなかったのだ。家にあったコーヒーを淹れると、紅茶よりも気に入って飲んでいたが、一ヶ月も前に切れてしまっていた。

 コネもない個人がコーヒーを手に入れるのは大変なので、確保できるのはかなり有り難い。


 アンナはコーヒーを手に入れて、浮かれ気分で家に入った。

 すると血の匂いがむっとして、水桶に服を入れっぱなしだったと気づく。急いで窓を開け放ち、桶を持って庭へと出た。じゃぶじゃぶと暗い中二人分の騎士服を洗っていると、グレイが帰ってくる。


「ごめんなさい、グレイ。食事は買ってきたんだけど、まだ並べてないのよ」

「俺の分も洗ってくれてるのか。置いといてくれてよかったんだぞ」

「匂いがすごくて。中々血も落ちないし」

「自分のは自分でやるよ。ここまで落としてくれて、ありがとうな」


 そうしていると二人並んで洗濯をして、なんとか洗い上げてからようやく食事にありつくことができた。


「やれやれ……今日もバタバタしたな。もう八時かよ……」


 食事をしながら時計を見て、グレイは半笑いを浮かべる。


「本当にお疲れ様。明日も忙しくなりそうよね」

「まぁ上を目指す限り、暇になることなんてないんだろうけどな。さすがに休みが待ち遠しくなる」

「本当ね……グレイは明日、山狩りに出るの?」

「ああ、ありがたいことに、アリシア筆頭から陣頭指揮を取れと仰せつかってな」


 半ばヤケクソ気味に笑いながら言うグレイに、アンナは眉を寄せた。

 今日ホワイトタイガーが出たこともあり、明日の山狩りは隊長と小隊長はできる限り出るようになっている。ホワイトタイガーがまたいた時のための対策だ。

 スウェルも参加すると言っていたし、他の軍団の将もいる可能性があった。

 そんな中での、陣頭指揮。

 小隊長のグレイがやりにくいのは、目に見えてわかる。


「大変ね……お手伝いしたいけれど、私は明日の山狩りには参加しないのよ」

「大丈夫だ、なんとかなるだろ。逆に俺を認めさせる、良いチャンスでもあるからな」

「相変わらず、すごい自信ね」

「このくらいの心持ちでいないと、あの筆頭の元じゃ耐えられないぞ」


 アンナには、『あなたが陣頭指揮を取るのよ!』とビシッと言いながらもニマァッと笑うアリシアの顔が、ありありと浮かんだ。

 己の母ながら、アンナはグレイに申し訳なくなる。


「ごめんなさい、母さんが無茶ばかり言って」

「できると信じてくれているから、言うんだろう。俺はそれに応えるだけだ。アンナが気にするようなことじゃない」

「大丈夫なの?」

「まぁ、余裕だな」

「ふふ、さすがグレイね」


 本当はかなりいっぱいいっぱいのグレイだが、そんな姿は絶対に見せるものかと虚勢を張った。

 実際、アンナには余裕のある男に見えているので、大成功である。

 しかし虚勢なので、やる気のもとが欲しいグレイだ。グレイは食事を続けながら、ニヤリとアンナを見た。


「アンナからのご褒美があれば、嬉しいんだが」

「ご褒美? なにがいいかしら」


 グレイの思惑に、まったく気が付かないアンナである。


「あ、そうだわ。コーヒーをもらったのよ。これで毎朝コーヒーを淹れてあげるわ。それでどう?」


 名案だと言わんばかりににっこりと笑みを見せるアンナ。そういう意味じゃないんだがと言おうとしたグレイは、コーヒーという言葉を聞いて目を瞬かせた。


「コーヒー? 手に入ったのか!」

「ええ、今日一緒だったロディックがいるでしょう? あの人、家がコーヒーを仕入れる仕事をしているらしいのよ。これから、私たちの分を確保しておいてって頼んじゃった」

「本当か? 毎日コーヒーが飲めるのか?」

「ええ、毎日でも飲めるわよ」


 アンナの言葉に、グレイは冷静を装おうと無愛想な顔になり、しかし隠し切れずに少しにやけている。


(グレイったら、かわいいんだから)


 こんなことで喜びを全面に出すまいとするグレイに、アンナはふふっと笑みが溢れた。


 食事を終えると、グレイとアンナはようやく剣の手入れをやり直し始めた。

 アンナはロングソードを、グレイはジャンに貰った剣を磨き、オイルを塗っていく。


「コムリコッツの遺産の武器って、切れ味が変わらないし、錆びたりもしないのよね? 手入れなんて必要あるのかしら」

「コムリコッツの武器にも等級があるみたいだからな。これはジャンの持ってる短剣より数段劣るって言ってたから、ちゃんと手入れはした方がよさそうだ」

「武器辞典で調べようと思ったけど、図書館に行く暇なんてなかったわね。武器辞典、買おうかしら」


 ロングソードに丁寧に磨くアンナを見て、グレイは首を横に振った。


「そこまでする必要ないだろ。休みの日に行って調べれば済む話だ」

「違うの、私が欲しいのよ。武器を買う時の参考にもなるし、なんて言うのかしら……武器って、見てるだけでわくわくするでしょう?」


 そう言って目を煌めかせるアンナを見て、グレイはぷっと吹き出した。


「まぁ、気持ちはわかるけどな。武器はいくら見てても飽きない」

「それに最新版は、伝説の解説付きらしいのよ。特に古代の武器の謂れなんかを知るのは楽しいわ。とてもロマンがあるじゃない」

「……ああ、そうだな」


 ふふっと楽しそうに笑うアンナに、グレイはそれ以上なにも言わなかった。

 やっぱり父親の血を引いているんだなと言えば、アンナは嫌がるに違いないと思ったからだ。


「じゃあ、買うか。武器辞典」

「私が買うわよ。欲しいのは私なんだもの」

「俺にも見せてくれるか?」

「もちろん。一緒にその剣の名前を調べましょ」


 武器辞典を買うと決めたら楽しみで、にこにこと笑いながら言うと、グレイは優しく目を細めてアンナを見るのだった。


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