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72.余計に恥ずかしいわよ!

 アンナたちは王宮に戻ろうとしたが、先に家に戻って着替えてこいとガッドに促された。

 アンナとグレイの騎士服は、ホワイトタイガーの返り血でベトベトだ。そのまま王宮に入るわけにはいかない。

 先に報告書を作成しておくから、着替えたらすぐ戻るようにと言われて、アンナたちは一旦家へと戻ってきた。


「新品だった騎士服がどろどろだな……血が落ちればいいんだが」

「水につけておいて、とにかく今は急いで着替えましょう」


 家の中を血で汚したくないので、グレイが先に玄関で騎士服を脱いだ。

 玄関先で下着姿になったグレイを見て、二人は顔を見合わせて思わず苦笑いする。


「アンナはそこにいてくれ。濡れタオルと着替えを持ってくる」

「ありがとう」


 グレイはカーテンを締めてから、着替えとタオルを急いで持ってきて、アンナに手渡す。


「ありがとう、グレイ。後ろを向いていてくれる?」

「なんでだ?」

「なんでって……着替えたり、体を拭いている姿を見られるなんて、間抜けでいやだわ」

「なら俺が着替えさせてやるし、拭いてやってもいいぞ」

「余計に恥ずかしいわよ! いいから、後ろを向いてて」


 働き始めてから頻度は減ったが、今さらそんなことを恥ずかしがる仲でもないだろうに、と思うグレイである。

 それでもここはアンナの気持ちが優先だと、グレイは言われた通りにアンナに背を向けて体を拭き始めた。

 しかし自分は見るなと言ったくせに、背中にはアンナの視線をビシバシと感じる。


「……見てるだろ」

「どうしてわかるの?」

「なんとなくな」

「ごめんなさい、もう見ないわ」

「いや、別に俺は見られてもいい。着替え終えたら、剣も庭でざっと洗い流しておくか。手入れは後だ」


 グレイの言葉に、アンナは玄関に立てかけられている二本の剣を見た。

 一本はアンナのロングソード、もう一本はグレイの剣だ。

 昨日までは、グレイも同じ一般的なロングソードだったはずである。


「ねぇ、この剣って……もしかして、コムリコッツの遺産?」


 なんとなくお宝の匂いを感じ取ったアンナは、疑問を口にした。


「実はその剣、今朝ジャンにもらったばかりなんだ」

「ジャンに?」

「ジャンは休みの日、たまに遺跡に行ってるらしい。そこで手に入れたんだと」


 アンナは剣を使った時の切れ味を思い出す。さらにはコムリコッツの遺産なのだ。安いわけがない。


「……高い、わよね?」

「多分な。アンナの父親が発掘するものに比べれば、数段劣るとは言ってたが。同じ孤児院のよしみでくれたんだ」

「大盤振る舞いね」

「『筆頭に恥ずかしい思いさせないでくれる』って言ってたから、思惑は別にありそうだけどな」


 磨き過ぎて薄刃になっていたグレイのロングソードを、ジャンは問答無用で奪い取り、入れ替えていったのだ。

 〝筆頭大将に目を掛けられているのなら、当然これくらいは持て〟という圧のこもったジャンの半眼を、グレイは思い出す。


「母さんは、部下がロングソードを使ってたからって、恥ずかしいなんて思わないわよ」

「そりゃそうだろうが。けどなんとなく、ジャンの気持ちはわかるな」

「そう? まぁグレイは小隊長だものね」


 わかったような声を上げるアンナに、まったくわかってないなと思うグレイである。

 アンナは体を拭き終えて、きれいな騎士服へと袖を通した。


「これ、なんていう剣なの?」

「さぁな。ジャンは『自分で武器辞典で調べたら』って教えてくれなかった」

「ジャンらしいわね。でも武器辞典は見たいわ。今日この剣を使わせてもらって、感動したもの。私もランクアップしたいの」

「……まぁ、間に合わせになにか買ってもいいかもしれないが……それを使うか?」

「これはジャンに貰ったものでしょう。自分で買うから大丈夫よ。着替えたわ、こっちを向いて大丈夫よ」


 すでに着替え終えていたグレイは、アンナの許可を得て振り返った。

 そこにはまた一段と美しさがレベルアップしたアンナの姿がある。

 血のついた服は桶に入れ、剣を洗って拭き上げると、ちゃんとした手入れは後にして王宮へと急いだ。


 王宮では、ヨシュとガッドがアンナの班員から細かな聞き取りを終えていた。すでに報告書も書き上げて待っていて、アンナとグレイを見つけると声を上げる。


「来たな。アリシア筆頭と会う段取りはつけてある。行こう」


 ガッドを先頭にして、小隊長のグレイとヨシュ、その後ろにアンナが続いた。

 ユーミーたちは連れていかず、この四人だけだ。


「ヨシュ小隊長、ロディックたちは大丈夫でしたか?」


 心配になったアンナが問いかけると、ヨシュは体を少し後ろに向けて首肯した。


「大丈夫だ、ロディックもかなり落ち着いた。ユーミーはアンナの武勇伝を誇らしげに他の隊員に話しているぞ」

「武勇伝だなんて……」

「あれを武勇伝と言わずに、なんというんだ。胸を張ればいい」

「っは、ありがとうございます」


 ヨシュはフッと笑って前を向く。ちらりと見ると、グレイがほんの少しだけ目を後方に向けて微笑んでいた。


 長い廊下を歩いて筆頭大将の部屋の前に着くと、ガッドがノックをする。


「第六軍団所属、隊長のガッドです。同じく第六軍団から小隊長ヨシュ、班長アンナ。そして第一軍団から小隊長のグレイを伴っております」


 ガッドが所属と階級を名乗り、中からアリシアの声で「今開けるわ」と聞こえてきた。

 実際に扉を開けたのはルーシエで、「どうぞ」と優雅に中へといざなわれる。

 筆頭大将アリシアは、奥にある自身の机の前に座り、先に来ていたスウェルと話をしていた。

 アリシアの対面に立っていたスウェルは、振り向いて一歩横に避けるように下がる。


「ざっと筆頭に伝えておいたが、僕にも詳しく話を聞かせてもらうぞ」

「はい、スウェル様。もちろんです」

「むっふふ、ホワイトタイガーが出たんですって?」


 楽しそうに笑っているのは、もちろんアリシアである。

 全員が無事という報告を受けているからこその、笑顔だったが。


「はい。こちらが詳しい報告書となります」


 ガッドから受け取ったアリシアはざっと読み、スウェルにも回した。


「なるほど、先にアンナが異変を調査しようと思い立ったのね」


 アリシアがアンナ目を向けたので、アンナはそれに応える。


「はい。動物の減少は、以前ホワイトタイガーが出た時と同じだったことを思い出しましたので」


 親子ではあるが、軍内では母親の方が圧倒的に階級が上だ。アンナは上司であることを忘れず、アリシアに報告した。


「小さなことも見逃さず、自らの足を使って確認したのは良かったわね。その後の危機管理も的確よ。通常であれば、十分な対処だったわ。ただ今回は、相手が悪かったわね」

「けど俺たちは勝ちましたよ。アリシア筆頭」


 グレイがニヤッと笑って話に滑り込んだので、アリシアもニマッと笑った。


「ふふ、強くなったわねぇ。三年前は、三メートル級が一匹で二人とも死にかけていたのに」

「このレベルになったからこそ、筆頭の強さを改めて思い知りましたよ。あいつを一太刀ではさすがに無理でした」

「大きな怪我もなく倒せたのなら、上出来だわ。あなたたち、また勲章が増えるわよ」


 アリシアの言葉にアンナとグレイは目を合わせ、再び筆頭大将の方へと視線を戻す。


「勲章をもらえるんですか? ホワイトタイガーを倒しただけで?」

「もちろん、冒険者が素材目的で魔物を倒した、なんてことじゃもらえないわよ。でも今回は、アンナがきちんと調査をして、この王都と民、そして仲間を守ったということになるわ。ホワイトタイガー程度でって思うかもしれないけど、一般人には十分な脅威だもの」

「ホワイトタイガー程度でとは思わないが……」


 ぼそりとグレイが呟く。相変わらず感覚の狂っているアリシアに呆れているのは、アンナだけでなく周りも同じだった。ガッドやヨシュだけでなく、スウェルも呆れた顔をしている。


「とにかく、二人ともよくやったわ! 被害が出る前に駆除できたことは大きいもの。明日にでももう一度山狩りを行って、他に魔物がいないか徹底的に調査をしましょう。さすがにもういないとは思うけれど……」


 むうっとアリシアは顎に手を当てて眉を寄せる。

 今までに裏山で魔物が出ることは、何度かあるにはあった。人の毒気に当てられて魔物化する植物系が多いのだ。だからこそ年に二度、山狩りを行っている。

 魔物が成長して脅威になる前に山狩りし、その芽を摘み取っていくので、研鑽を積んだ騎士なら容易に倒せる魔物しかいないはずだった。

 ホワイトタイガー級の魔物が出たことは、アリシアが知る限りない。


「ホワイトタイガーは、もっと北の地域にしか生息していないはずなのよね……以前遭遇した地域でも、ギリギリの範囲なのよ。どうしてここまで南下してきたのかしら」


 アリシアは本棚の片隅でファイルを開いているジャンに目を向ける。


「ジャン、調べられる?」


 筆頭大将の問いに、ジャンはパタンとファイルを閉じた。


「どうかな……例えば、誰かが檻に入れて連れてきたのを裏山で放したっていうなら調査のし甲斐もあるけど。ただ単に生態系が変わっただけなら、俺は生物学者じゃないから調べるのは難しいよ」

「そうよねぇ」

「一応、誰かが運んだ線で調べてみようか」


 ジャンの問いかけにアリシアは少し悩んだ後、首を横に振った。


「いえ、いいわ。あれだけの巨体を二頭も捕まえて、檻に入れて運ぶなんて不可能よ。私でも無理だわ。よしんばできたとしても、必ず目撃されて大騒ぎになるもの」


 殺すより生け捕る方がよほど難易度が高い。

 まして、誰にも見つからず運ぶなんてことはほぼ不可能だ。運ぶ手段も、普通の馬車では間に合わない。

 それらを総合して、アリシアは自分の考えを言葉にする。


「やっぱりホワイトタイガーが餌を求めてやってきた、というのが一番有力だと思うわ。みんなはどう思う?」

「ホワイトタイガーがどういう理由でやってきたかはわからないですが。少なくとも、人が関わっていることはないのではないでしょうか」


 ガッドの答えに、アンナはなにかが引っかかったような気がするも、他の答えを導き出せない。

 結局全員が同じ結論に達したことで、ホワイトタイガーがやってきたことへの調査はなくなった。


「じゃあその件も含めて、シウリス様に報告しておくわ。みんな、ご苦労だったわね。ホワイトタイガーの処理と解体は、第一軍団で請け負うわ。グレイ、行けるわね?」

「行けます!」


 即座に反応するグレイにアリシアはニッと笑い、すぐさま鋭い目つきで命令を下した。


「魔物の死骸に釣られて、他の魔物がやってくる前に処理すること。人員は任せるわ。行きなさい」

「っは!」


 グレイはその場で踵を返すと、扉を出てホワイトタイガーの処理に向かう。

 戦闘を終えたばかりのグレイを使うアリシアに、一言文句を言いたくなるアンナだが、筆頭大将の決定には逆らえない。


(ちょっと母さん、グレイに厳しすぎない? 期待の表れだとはわかるんだけど……)


 あと一時間もすれば退勤の時間だが、そうすぐに解体処理は終わらないだろう。

 さらにその後、グレイは報告書を書かなければならないのだ。

 今日も帰りは遅くなりそうだと、アンナはグレイの体を心配した。


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