アンナとグレイが入軍して二ヶ月も経つと、二人の生活もかなり慣れてきた。
相変わらずグレイはアリシアにしごかれていて、毎日大変な思いをしてはいたが。
アンナの所属する第六軍団は、よく巡回に出ていた。
王都には兵士がいて、基本的に街中は兵士の担当になるのだが、その兵士たちに異常がないか聞き取りを行ったり、実際に事件や事故のあった現場を見て回るのも必要な仕事だ。王都にはいくつかの騎士の詰め所があり、巡回の際はそこを中心に動いていく。
兵士たちと連携をとり、巡回ルートを決定するのも騎士の権限でできるのだ。
巡回地区は軍団ごとに決められていているため、全域を網羅する必要はなく、特定の地域だけチェックすればよかった。
王都を出て街道に異常がないか調べしたり、魔物が出れば退治したりもする。
犯罪者を捕まえたり、領内許可証を持たない他国民を取り締まったり強制送還させたりするのも重要な役目だ。
王都以外の村や町に行くこともあるし、各エリアの兵士長が王都に報告に来ることもある。それらの対応もすべて騎士の仕事だ。
この日も、アンナの班は巡回に出ていた。
詰め所にある兵士の報告書を確認していくと、裏山の動物が少なくなっていると民間人からの情報提供が上がっている。
「これ、誰か現地に行って確認した?」
その場にいた兵士に聞くと、彼は首を振って答えた。
「いいえ、昨日の夕方に提供された情報でしたので。特に緊急性もなさそうですし」
「そう。じゃあこれから私の班で見てくるわ」
「なにか気になることでも?」
「そうね。ホワイトタイガーが出た状況と似ているから、確認だけよ」
そう言ってアンナは「行きましょう」と連れ立っていた班の仲間四人と共に、裏山へと歩き始める。
アンナのすぐ後ろでは、年上の騎士のうちの二人が、不満顔を隠そうともしていない。
「ちょっと慎重すぎだろ、裏山なんてめんどくせぇ」
「真面目すぎるのよね、この班長」
動物が少なくなる理由は様々で、魔物が関係していないことも多くある。
巡回の地域とは逆方向である裏山に向かうのは、大幅な時間のロスで、文句が出るのも当然と言えた。
こそこそと話していた二人の声が聞こえてしまったので、アンナは振り返るとにっこり微笑む。
「なにもなければそれでいいのよ。本当に動物が減っているのか、確認だけして戻りましょう」
「は、はーい」
「わかりましたー」
「返事はしっかりしてね。二度はないわよ」
「っは」
「はいっ」
ギラッと睨むと、二人はさっと敬礼する。
アンナは年上相手にも容赦をするつもりは一切ない。舐められないようにと過度にきつい対応をするわけではないが、
上に立つものとして、相応しい行動と対応を取るだけだ。
アンナは彼らの言葉には特段気にすることもなく、山の入り口にまでやってきた。
裏山は、王宮の後方に位置する小さな山だ。緑が豊かで、たくさんの生き物が住んでいる。基本的に小動物か草食の動物しかいないので、さほど危険はない。
ただし、時折魔物が現れたりするので、半年に一度は山狩りが行われるのだ。
直近では、アンナが入軍した四月に山狩りが行われている。その時は魔物に出会うことはなかった。魔物は自然発生するか、別の場所から移動してくるかのどちらかが一般的だ。コムリコッツの秘術には召喚という秘術もあるが、それを使える者は現代にはいないとされている。
(魔物はいつどうやって入ってくるかわからないわ。警戒するに越したことはないもの)
そんな思いで、アンナは隊員四名に目を向けた。
「二手に分かれて調査しましょう。誰か指笛を吹ける人はいる?」
「はい、俺ができます」
ノーマンという隊員が名乗りを上げて、アンナは頷いた。
「じゃあ、ノーマンとハリスが組んで調査を。魔物の痕跡を見つけたらすぐに退避して、山を降りたら指笛を鳴らして知らせて。もし遭遇した場合、勝ち目のある魔物ならその場で倒して構わないけど、自信がないならすぐ逃げるのよ。危険がある場合は、二度鳴らしなさい。すぐ駆けつけるわ」
「わかりました」
「私の指笛が聞こえた時には、調査は終了してすぐに山から降りること。何事もなければ指笛は鳴らさずに、一時間後にここで落ち合いましょう」
「「はい」」
ノーマンとハリスは返事をすると、山に入っていく。アンナは残った二人を振り返った。先ほど文句を言っていた二人組だ。
「ユーミーとロディックは、私と一緒に調査よ。なにか気づいたことがあれば、なんでも言って」
「はい」
「わかりました」
二人とも返事はするが、目は逸らされた。アンナのことをよく思っていないのがありありとわかる。
(二ヶ月経っても変わらないわね、この二人は)
アンナにしても、別に仲良しこよしになりたいわけでもないのだが。仕事に支障をきたしたくはないので、もう少し態度が軟化してくれればとは思っている。
しかしアンナは息を吐くでもなく、山の中へと入った。
緑が生い茂っているので、陽の光が届かないところもあり、昼間だが薄暗い印象だ。山菜やきのこや実が成っていて、豊かな山であることは間違いない。
アンナたちはしばらく探索したが、魔物らしい痕跡は見当たらなかった。
しかし、確かに四月に山狩りをした時よりも、動物が少なくなっているような気がする。
(たった一ヶ月と少しで、気付けるほど動物が減るもの?)
これだけ食料はあるのに、動物をほとんど見かけないというのは、やはりおかしい。
「ユーミー、ロディック、あなたたちはこの状況をどう思う?」
アンナの問いに、嫌そうに口を開いたのは、ロディックだ。
「別に……動物が少ないかな、くらいですけど」
「ユーミー、あなたは?」
「ロディックと同じですね。特におかしいとも思わないです」
つまらなそうに言ってはいるものの、ユーミーもちゃんと調査はしている。
見落としがあるのだろうかと顔を顰めた瞬間、アンナの鼻にふと獣臭が届いた。
(この、匂い……!!)
瞬間、アンナは剣を引き抜いて盾を構える。
ユーミーとロディックは、いきなりのことに目を丸めた。
「どうしたんですか?」
「近づいて来ているわ。下がって!」
「なにがです?」
「おそらく……ホワイトタイガー!」
獣臭がどんどん近づいて来る。ドクンドクンとアンナの心臓が鳴る。
「まさか、こんなところにそんな魔物が来るわけ……っ!?」
その瞬間、木々の合間から白い虎が襲いかかった。
「きゃあああああ!!」
「うわぁぁあああああ!?」
二人の悲鳴と同時にアンナは飛び出し、巨体に向かってドンッと盾をぶつける。
「っぐ!」
衝撃は走るが、バキアの尾に比べれば大したことはない。
(大きい! また三メートル級だわ!)
アンナは危険を知らせる指笛を鳴らす。
ノーマンとハリス組が出会えばひとたまりもないだろう。とにかく全員を山から無事に降ろすのが先決だ。
「ユーミー! ロディック! 戦える!?」
しかし、このまま走って逃げ切れる相手ではない。
アンナが囮となって引きつけるにしても、三メートル級はきつい。一人は陽動に動いて欲しい気持ちは捨てきれない。
しかしロディックは腰を抜かしてへたり込み、ユーミーの足はガクガクと震えていた。
「……っ! 二人とも、私が引き付けている間に山を降りて! 隊長以上の人を呼んできなさい!!」
「は、はいっ!」
ユーミーが返事をして、足をもつれさせながら山を降りていく。
しかしロディックは足を情けなく地面にパタパタさせて、ほとんど動けていない。
ホワイトタイガーはそんなロディックに向かって走り始めた。
「うわぁああああああ!!」
「危ない!!」
ロディックに噛みつこうとした瞬間、アンナは横から盾で叩きつける。
大きな体に似合わぬ俊敏さで下がったホワイトタイガーは、グルルルッと狙いをアンナに向けた。
(ロディックを守りながらの戦いは厳しいわ……! でも、仲間は必ず守る!!)
「あ、あ、アンナ……」
「大丈夫よロディック、安心しなさい。私が守るわ」
そう言ってニッと笑みを見せると、ロディックは涙目でこくこくと頷いている。
アンナはホワイトタイガーと対峙し、ギリッと睨んだ。
(母さんは一刀に伏していたとグレイから聞いたけれど。あれは母さんの強さと大剣があってできることだわ。私のロングソードじゃ、一撃では仕留められない。長期戦覚悟よ!)
ここは王都の裏山だ。時間さえ稼げば、誰かが来てくれる状況にある。
それにアンナも成長して強くなり、今は盾もあるのだ。一人でも持ち堪えてみせると、アンナは剣を繰り出した。
(ホワイトタイガーの弱点は聞いたわ。鼻先と尾! 狙っていく!!)
ヒュンッと剣を横薙ぎに鼻を狙うと、ホワイトタイガーは素早く後方に飛び退く。
アンナはそのまま突進し、鼻先へ盾をドンッと殴り入れた。
ギュイイイインッ
のけぞるようにして怯んだ相手に、アンナは剣を振り下ろす。
切先がホワイトタイガーの腕の付け根切り裂く。が、深くはない。
(もう一度!!)
手数で勝負だと、アンナは素早く剣を振る。続けざまに二度、三度。
しかしホワイトタイガーは怯みながらも体を立て直し、再びアンナと対峙した。
傷口からは血が流れていて、ホワイトタイガーは痛みで怒りを膨らませている。
グァァアオオオオオオオオオオオオン!!
ビリビリと咆哮が響く。
ロディックは「ひぃっ」と体を縮こまらせ、アンナはますます敵に集中していく。
(来る!!)
ホワイトタイガーは風のように駆け、鼻先を避けるようにアンナに体当たりした。
アンナは盾でガードしながらも、その勢いに押されてズザザァアアッと後退する。
すぐに幅を寄せてくるホワイトタイガー。前足がアンナの盾を邪魔だと言わんばかりに剥ぎ取ろうとし、力任せに引っ張られてガードは開いた。
しかしその瞬間、先に攻撃したのはアンナの方で。
ホワイトタイガーの首元を狙って、剣を振り切る。
ザシュウッと音がして血は飛び散るが、これも致命傷ではない。
一瞬だけ弛んで盾を放した前足から、アンナは飛び下がって距離を保つ。
「はぁ、はぁ……っ!」
グルルルルルッ
少しずつではあるが、傷は負わせられる。
あとは体力勝負だと、アンナが気合を入れた、その時。
「ひ、ひぃいいいいいいっっっっ!!」
ロディックの悲鳴にハッとして見ると、彼の後ろからガサリと音がして白い魔物が現れた。
まさかの、二頭目のホワイトタイガー。
しかもアンナが今対峙しているものより、もう一回り大きい。
「っく!! ロディック!!」
アンナは素早くロディックへと向かい、もう一頭の鼻先へと剣を振り下ろした。
しかし躱されると、ガァァァアッと大きな口がアンナを襲う。
すぐさま盾でガードするも、さっきまで相手をしていたホワイトタイガーが突っ込んできた。
「はっ!!」
アンナは突進を躱すと同時に盾を下げる。
勢いのついた二頭の頭がガツンとぶつかり合った。
その隙にロディックの首根っこを掴むと、アンナは引きずるようにしてその場から放り投げる。
「隠れていなさい!! 邪魔よ!!」
「ひゃ、ひゃいっ!!」
ロディックはまだ立てず、這うようにして木の裏へと移動する。
アンナは三メートル級と、それより少し大きなホワイトタイガーを目の前にし、さすがに冷や汗が流れた。
(さっきの咆哮は仲間を呼んでいたのね……一頭でもきつかったのに、二頭も相手にしなきゃいけないなんて!!)
緊張と恐怖で、はぁはぁと大きな息が上がって体を疲弊させる。
アンナは絶望にも似た気持ちで、二頭のホワイトタイガーと対峙し、剣と盾を構え直した。