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69.贅沢をした覚えもないわよ?

 アンナとグレイが入軍してから、一週間が経った。

 アンナは班長から、グレイは小隊長からの出発で、毎日が勉強と目の回るような忙しさだ。


 夜勤のない日の終業時刻は夕方の五時だが、この日は二人とも七時まで仕事をしていた。

 仕事を終えた廊下でばったり会った二人は、一緒に王宮を出る。


「すまん、アンナ……今日はちょっと、飯の支度をする元気がないぞ……」

「あら、奇遇ね……私もよ……なにか買って帰る?」


 こういう時は、寮住まいが羨ましいと思う二人である。

 食事は早く帰った方が作ることになっているが、毎日のことだと負担だ。

 外で食べようにも、まだ給金ももらっていない状態では、毎日外食というわけにもいかない。


「今日はもう、外で食べないか? 買って帰った後、片付けする元気がな……」

「外で食べるのが習慣になっちゃいそうで嫌だけど……」

「では私が奢るぞ、グレイ、アンナ」


 後ろから声がして振り向くと、そこには群青の騎士服をピシリと着こなすトラヴァスの姿があった。


「トラヴァス!」

「いいのか? アンナは結構食うぞ」

「もう、私よりグレイの方が食べるでしょ!」

「知っているさ。一応、お前たちより二年先に働いているからな、蓄えもある。それより、話を聞いてほしいという顔をしているぞ、二人とも」


 トラヴァスの言葉にアンナとグレイは顔を見合わせて頷いた。


「じゃあ、お言葉に甘えましょうか」

「トラヴァスもすっかり先輩だな。こうして部下を誘ったりするのか?」

「ごく稀にな。行こう」


 奢るというトラヴァスに店を任せると、〝銀の羽根亭〟という、街の中でも格式高いと評判のレストランに着いた。

 看板には、精巧に細工された銀色の羽根飾りがつけられ、店の品格が窺える。

 店内は暖かみのある柔らかな光が広がり、磨き上げられた木製の床に分厚い赤い絨毯が敷かれていた。


「おいおい、シャンデリアがあるぞ……」


 天井から吊るされた真鍮のシャンデリアが穏やかに揺れるのを見て、グレイは口元を引き攣らせる。

 そんなグレイをよそに、トラヴァスとアンナは慣れた足取りで中へと入った。

 グレイも最初こそ驚いたものの、物怖じしない度胸のある男なので、スタスタと足を進める。

 店員に案内されて席に着くと、メニューを渡された。


「好きに選んでくれ。呑めるなら、呑んでも構わないぞ」

「いや、明日も仕事だしな……」

「私、一杯だけいいかしら。栄養補給よ」

「アンナ、さらりと怖いこと言うなよ」


 酒を栄養補給と言い切ってしまうアンナに恐怖を覚えながら、呑みたい気持ちもわかるグレイは止めなかった。


「やっぱり高いな……いいのか? どんどん頼んじまうぞ」

「気にするな。二人の入軍と、班長と小隊長に就任した祝いをしたいと思っていたのでな」

「なら遠慮なくいただくか」


 グレイは狩人のローストプレートが気になると頼み、子羊のハーブ焼き、ラストア風ビーフパイ等、がっつり食べられる物ばかりをオーダーした。

 アンナは赤ワインと、銀の晩餐というコース料理を頼む。トラヴァスは森の恵みコースを選び、白ワインを頼んだ。


「アンナ、グレイ、入軍と同時に役職付き、おめでとう」


 二人はワインで、グレイは水で乾杯をする。


「ありがとう。私も予想外のことで驚いているのよ。一般騎士から始まると思ってたし」

「俺なんて小隊長だぞ……筆頭は突拍子もないことをすると知ってたが、さすがに面食らった」


 そう言いながら、グレイは山鳥のローストにナイフとフォークをぐっさり入れて口へと運ぶ。


「まぁいきなり上に立つのは大変だろう。なにもわかっていない状態なのだからな。アリシア筆頭もスウェル様も、無茶をなさる」

「私は班員が四人の班長だからまだマシだけれど……グレイなんて、いきなり百二十人以上の部下の上に立ったんだものね。ほんと母さんは頭がおかしいのよ」

「おいアンナ……自分の母親だぞ」

「けど、グレイだってそう思うでしょう?」

「まぁ……ちょっとな」

「それだけ期待されているということだ。私も頑張らねばならないな」


 ここは王都で人目もあるため、トラヴァスは一人称の〝私〟を崩さずそう言った。


「トラヴァスも第三軍団の小隊長だよな。やっぱり、きついか?」

「まぁまぁだ。第三軍団は隊長が一人で、小隊長が二人だからな。やはり分担できると負担が違う」

「そうなんだよな、上がってくる報告書のチェックも、地味に時間が掛かる。二人いれば……一人増やしてくれ……!」


 切実な願いを口にするグレイである。


「フラッシュがいるじゃない。半分お願いできない?」

「いや、フラッシュは上からの通達も自分をすっ飛ばして『任せたぜ!』って渡していくんだ。むしろ、なんでか仕事が増えるんだが……」


 グレイは遠い目をしながら、それでも手と口は動かし、もしゃもしゃと肉を食べた。


「フラッシュは書類仕事は苦手そうだものね……」

「いや、できるんだよ、あの人。筆頭に怒られた時は集中して終わらせてた。ただ……普段やろうとしないんだ、あの男は……!」

「ああ、いるな。やってくれる人がいたらやらない、要領のいいタイプが」

「くそ、俺はもうやらないからなっ」


 やけ食いするグレイに、そう上手くは行かないだろうなと同情の目を向けるトラヴァスとアンナである。


「実質隊長の仕事まで請け負っている状態か。小隊長の給金では、割りに合いそうにないな」

「実際、給金ってどうなんだ? 役職で変わってくるとは聞いたが、小隊長だとどれくらいになる?」

「一般騎士の一・五倍が班長の給金で、小隊長は二倍になる。隊長は二・五倍、将は三倍だな」

「おお……割とすごいな」

「筆頭大将はさらに貰っているのだろう?」


 トラヴァスに目を向けられたアンナは首を横に振った。


「知らないわ。母さんってそういうこと言わないし。多分、孤児院とか教会にほとんど寄付してるんじゃないかしら。部下の人たちにも奢ってたみたいだし。必要なものは言えば買ってくれたから、お金に困ってないのは確かだけど、大して贅沢をした覚えもないわよ?」


 そう言いながら、アンナは美しい手つきで食事を進める。

 この店に怯むことなく入るアンナは、これを〝普通〟と思っているからだ。孤児院出身のグレイからすると、こんな店で食事を取るのは相当な贅沢である。


(けどそうか、一般騎士の倍の給金をもらえるなら、二年もあればどうにかなるかもしれないな。贅沢が染み付いて、無駄遣いしないようにしなきゃいけないが)


 そんなことを考えながら、グレイは美しい振る舞いでワインを飲むアンナに視線を送る。


(できれば、二十歳の誕生日までにどうにかしたいな)


 アシニアースには指輪を贈ったりもしたが、誕生日にはちゃんとしたものをプレゼントできていないのが気に掛かっていた。

 最初から小隊長という役職付きは大変だが、給金が一般騎士の倍と知ってモチベーションは上がる。


「なぁに、グレイ。嬉しそう」

「ん? そうか? 別に、なんでもないぞ」


 アンナに悟られないよう、笑顔を送る。逆に怪しくなっていたが、ほろ酔いのアンナは気づかなかった。

 トラヴァスはそんなグレイを見て、無表情の中に密かに笑みを漏らし。ゆっくりと食事を味わいながらグレイとアンナを見る。


「私も自分の仕事があるから手伝いはできないが。困ったことがあったら言ってくれ。なにか助けられることもあるかもしれん」

「ああ」

「ありがとう、トラヴァス。先輩がいるって、心強いわ」


 アンナの笑顔に、トラヴァスは目を細め。

 三人は久しぶりにゆっくり語り合いながら、食事を堪能した。


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