いつもの三人で食べていると、カールがふと違うテーブルを見てひらっと手を振った。
アンナとグレイがそれに気づいて、その方向へと視線を移動させる。長いコーヒー色の髪をした女の子が、少し顔を赤くして嬉しそうに笑っていた。
「ん? どういう関係だ?」
「見たことない子ね。支援統括班?」
「そ、フローラってんだ。俺の彼女」
「あら、そうなの?」
「ほう。剣術大会で俺に負けたのに彼女とは、えらく余裕だな」
「うっせーよ、グレイ!」
カールは前の彼女と別れてから、剣の特訓に時間を使いたいから彼女はしばらくいらないと言っていたことがあったのだ。
ニヤニヤと揶揄うグレイにカールは口を尖らせ、アンナはそんな二人を見て苦笑いした。
「まぁいいじゃない。カールはスカーレットデイにチョコを貰っていたから、誰かと付き合うんじゃないかとは思ってたわ」
「本当は誰とも付き合う気はなかったんだけどな」
「ふふ、それだけいい子だったってこと?」
「おう。ちょっと引っ込み思案なとこがあっけどよ。めちゃくちゃいいやつなんだ」
ふっと目を細めて笑うカールを見て、アンナはほっとした。次こそ長く続けばいいと、心から思う。
「今度は浮気するなよ、カール」
「だからしたことねーっての!!」
「もう、グレイったら。またカールを揶揄って」
ぷりぷり怒るカールを見て楽しんでいるグレイに、アンナは困った人だと息を漏らした。
カールはあっさりと機嫌を戻すことができるので、グレイは安心してカールをいじれるのだが。
「カールが選んだなら、いい人に決まってるわ。やっぱり、スカーレットデイに告白されたの?」
「まぁな。だから来月のアルバの日には、なんかしてぇと思ってんだよなぁ」
「アルバの日は、最近じゃスカーレットデイのお返しの日になっているものね。でも本来は、恋人や夫婦がデートする日なのよ。今年のアルバの日はちょうど日曜だし、どこかに連れていってあげたら?」
「おう、いいな。そうすっか。どこがいいか、聞いてくるぜ!」
カールはそう言って掻き込むように食事を終わらせると、「じゃあな!」と言ってフローラの元へ意気揚々と歩いていった。
カールに話しかけられたフローラは、嬉し恥ずかしといった様子で、顔を赤らめている。
「まさか、カールがああいうタイプと付き合うとは思わなかったな。もっと強い女が好みかと思ってた」
「おとなしそうな子よね。カールは長子だし、ああいう放って置けないタイプの女子も、合ってると思うわ。カールって面倒見がいいもの」
「面倒見な……それで恋人関係が成立するかは別の話だと思うがな」
グレイの言い方に、アンナは首を傾げる。
「成立、しないの?」
「する場合もあるさ。ただあいつは、面倒見が良すぎるからな」
「なにが言いたいのか、よくわからないわ」
「あいつには対等な相手の方が合うんじゃないかと思っただけだ。まぁ、どんな相手でもカールが幸せならそれでいい」
「ふふ。グレイったら、本当にカールが好きよね」
グレイがカールのことを気にしていて、アンナは思わずくすくすと笑う。するとグレイはむうっと仏頂面を見せた。
「まぁ……仲間だしな。嫌いじゃないぞ」
その言い分に、アンナはやはりぷっと吹き出す。
(私の父さんも『嫌いじゃない』と表現したって聞いたけど……本当にグレイも、愛情表現が苦手なのよね)
「なんだ?」
「いいえ。そんなグレイが好きだなぁって、思ってただけよ」
明確な言葉にしなくても伝わる、グレイの愛情が。
無愛想で不器用なところも、アンナには愛おしい。
「仲間の幸せくらい、願えるさ。あいつらが俺たちのことを見守ってくれているのは、わかるからな」
「本当ね。カールもトラヴァスも、私たちのように幸せになってほしいと思うわ」
「まぁ、一番幸せになるのは俺たちだけどな」
「ふふ、本当ね!」
アンナとグレイは目を見合わせて笑った。
幸せそうな笑顔を見せるアンナに、グレイは喜んでくれそうな来月の話を持ち出す。
「アンナ、アルバの日は俺たちもどこかに出かけるか」
「いいの? 私、スカーレットデイになにもしてないのに」
「元々、夫婦や恋人がデートする日なんだろ。今までアルバの日なんて気にしたことなかったからな。オルト軍学校、最後の思い出作りだ」
アルバの日は三月十四日で、卒隊は十七日である。それが終わればアンナたちは王都の家に引っ越すので、そうそうここに来ることはなくなるのだ。
「もう卒隊だものね。ええ、どこか行きましょう。楽しみだわ」
「と言っても、一日じゃ町に行ったところでとんぼ返りだしな。どうするか」
「一緒にいられるだけで幸せだもの。軍学校の施設を見て回るだけでも構わないのよ」
「それじゃあ色気がなさすぎだ。まぁ、当日気の向くままに決めるか」
「ええ、そうしましょう」
アンナは頷き、オルト軍学校での最後の日曜を、一緒に過ごすことに決めた。
視線をカールに向けると、彼は彼女と楽しそうに笑っていて、アンナもグレイもほっと顔を綻ばせるのだった。
そうして迎えた三月十四日、アルバの日。
風は吹くが、春の訪れを徐々に感じられる陽気だった。
アンナが風の香りを感じながら寮から出ると、馬を連れたカールが女子寮の前にまで来ていた。
「お、アンナ!」
「おはよう、カール。早いわね、今からデート?」
「ああ。ま、湖畔でメシ食って帰ってくるだけだけどよ」
「あまり遠くには行けないものね」
「アンナも今からグレイとデートか?」
「ええ。校内でね」
「うへぇ、休みの日にまで隊舎に行くのかよ。ま、楽しんでこいよ」
「ふふ、そうするわ。カールも楽しんできてね」
「おう」
女子寮前でカールと別れ、アンナは待ち合わせ場所へと歩き始めた。
カールの嬉しそうな声が後ろから聞こえて振り返ると、フローラがランチバスケットを持って微笑んでいる。
そんな付き合い始めたばかりの初々しい二人を見て、アンナは顔を綻ばせた。
(グレイはあんな風に言ってたけど、お似合いだと思うわ。カールって、なんだかんだと一番早く結婚しそうな気がするもの)
カールとフローラの結婚式を勝手に想像して、口角を上げながら歩いていると、女子寮と男子寮の分かれ道のところでグレイを発見する。
「おはよう、グレイ。待たせちゃった?」
「いや、問題ないぞ。さて、どこに行くか」
「私は隊舎を回る気満々だったわよ」
「本当にデートが隊舎でいいのか?」
「ええ、あと三日で卒隊だもの。思い出に浸るのもいいわ」
「まぁ、そうだな」
そう言いながら、アンナとグレイはまず、一番近い厩舎から訪れた。
ここではたくさんの馬が飼育されていて、隊員全員が当番制で世話をしている。
そのうちの一頭の体に、アンナはポンと手をおいた。
「おはよう、ヴェロシティ。ふふ、あなたにはお世話になったわね」
馬には人との相性がある。オルト軍学校では馬に慣れるためにいろんな馬に乗らなければいけなかったが、私用で出る時はいつもヴェロシティを選んでいた。
「アンナはそいつが好きだったよな」
「ええ、この子は気前よく走ってくれるから楽しいのよ。グレイはやっぱりアイアンウィル?」
「ああ。こいつの安心感と安定感は、他の馬にはないからな」
「ふふ。その子は、グレイが初めて乗った馬でもあるものね」
そう言いながら、アンナは二年前のことを思い出した。
実はグレイは、馬に乗れなかったのだ。馬に乗らなかった、が正しいのだが。
それでは活躍の場が減ってしまうと、アンナが休みの日にグレイを連れ出して猛特訓したのである。
最初にアンナが選んであげた馬が、この安定感抜群のアイアンウィルだった。
『馬なんて乗れなくてもいい』と言っていたグレイが、このアイアンウィルに乗った瞬間、顔が輝き出したのをアンナは思い出す。
三日間みっちりとグレイを指導すると、『悪魔の教官の夢を見た』と言いながらも嬉しそうにアイアンウィルに乗っていた。
今ではどの馬もしっかりと乗りこなすグレイだが、やはり相性はこの馬が一番良いと、傍目に見ていても感じる。
「そういえば、どうしてグレイは最初、馬に乗れなくてもいいだなんて言ったの? グレイは馬も好きよね?」
「ああ、それな……」
グレイは厩舎の馬を見渡して、少し眉を下げた。
「俺たちが馬に乗るのは、戦場に向かう時もあるからな。人間の都合でこいつらの命を奪いたくなかったんだ。俺が一人乗らなかったところで、別の誰かが乗るんだから変わらないんだけどな」
「グレイ……」
幼い頃に飼い犬を目の前で殺されたグレイである。
そこにまで気が回っていなかったアンナは、視線を沈ませた。
「ごめんなさい。ちゃんと事情があったのに、無理強いさせちゃってたのね……」
「いや、いいんだ。騎士を目指す限り、どこかで区切りをつけなきゃいけないとは思ってた。乗馬の楽しさを教えてくれたのはアンナだからな。おかげで助かったんだ」
グレイの言葉に、アンナはほっと息を吐く。
そして二人は二頭の馬にありがとうと告げ、厩舎を後にした。