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62.そわそわしている人が多かったわね

 冬季休暇が終わり、しばらくするとセントスカーレットデイがやってきた。

 去年もちらほらと告白する女子が周りにいたが、今年はもっと盛り上がっていた。

 カールもいくつかチョコレートを渡されていて、そのうちの誰かと付き合うのではないかとアンナは思っている。

 グレイはアンナと付き合っているのが周りに知られているため、誰からも渡されることはなかった。

 二人はいつもと同じようにしてこの日を過ごし、夕方になると寮への帰り道を一緒に歩いていく。自然、会話は今日の聖スカーレットデイの話になっていた。


「今日の男子は、そわそわしている人が多かったわね」

「それはそうだろ。製菓会社の陰謀で、オルト軍学校にまでチョコレートを売りに来てたからな」

「またそんなこと言って」


 陰謀という言葉にアンナが笑うと、グレイも口角を上げる。

 去年に比べてこれだけ盛大になっているのなら、王都も相当賑わっているだろうとアンナは考えた。


「来年はもっと、大きくて一般的なイベントになってそうよね」

「そのうち好きな人だけじゃなくて、知り合いなら全員配るように仕向けられるぞ。その方が儲かるからな」

「そんなことにはならないわよ。チョコレートなんて高価なもの、そう何人にも渡せないもの。特別感があるからいいんじゃない」

「まぁ、今はな。そのうちの話だ」

「それでもないと思うけれど……」


 考えを否定されたグレイだが、まったく気にすることなくアンナを横目でチラリと見下ろす。グレイの気になるところは、そこではない。


「で……そろそろかなと期待してるんだが」

「え? なにを?」


 純粋な疑問の目を向けられて、グレイの方が面食らう。


「なにをって。そりゃ、チョコに決まってる」

「グレイ、チョコが好きだったの!?」


 アンナが驚きの声を上げて、グレイはおやっと首を傾げた。


「普通に食えるし、くれたら嬉しいと言ったつもりだぞ」

「いつ? 覚えてないわ」


 当然のように言ったアンナを見て、グレイは眉を寄せた。そして思い出す。その会話をしたのは、アンナがワインを呑んでかわいくなっていた時のことだったと。


「っぶ! そうか、アンナは覚えてないんだな」

「私、記憶力はいい方だと思うんだけれど」

「アシニアースだ。ワインを呑んだ後に、チョコレートは好きか聞かれてな。普通に食うと答えたんだが」

「そう言われれば、なんとなく聞いた覚えはあるわ。普通に食う、だったのね。好きって言わなかったから、多分いらないと思っちゃったのよ」

「アンナがくれたら嬉しいとも伝えたんだがな」


 グレイの言葉に、アンナはしょんぼりと肩を落とす。


「ごめんなさい……期待させちゃってたのね。どうしよう、いらないと思ってなにも用意してないのよ」

「ああ、気にしなくていいぞ。くれたら嬉しいってだけで、なくても別に問題ない」

「そう?」

「第一、告白のイベントだろ。俺たちはもう、婚約してる仲だしな」

「そうね。けど来年はちゃんと用意するわ。あなたが喜んでくれるなら、私がしたいの」


 本当になにもなくても問題ないと思っていたグレイだが、アンナが嬉しいことを言ってくれるので、顔は自然と綻んだ。


「もちろん、喜ぶぞ。期待してる」

「ふふ。次こそ忘れないようにするから、心配しないで」


 そう言いながら、せっかくのスカーレットデイになにもしなかったことが残念で、アンナはグレイに寄りかかると腕をぎゅっと組んだ。

 何事かと目を落とすグレイに向かって、アンナは愛する人を見上げる。


「グレイ、好きよ」

「どうした、いきなり」

「だって今日は、女の子が好きな人に告白をする日でしょう?」


 元々は本を送り合う文化の日だ。しかしあまりにかわいい婚約者の笑顔に、グレイは製菓会社の陰謀に感謝した。


「グレイ……大好き」


 再びの告白に、グレイの耳は少し赤味を帯びる。

『俺もだ』という答えはなくとも、嬉しそうなグレイを見るだけでアンナは十分に満足した。


「かわいいな……俺の嫁は」

「毎年この日には告白するわ。来年からは、チョコレートも一緒にね」

「ああ、楽しみだ」


 腕に絡みつくアンナ。そんな彼女の前髪をグイッとあげると、グレイはかわいい額にお返しのキスをそっとするのだった。




 二人がそうして寮への道を帰っていた頃、カールは図書室で四つ目のチョコレートを渡されていた。


「カール。これ、スカーレットデイのチョコなの」


 支援統括班のフローラという、顔見知りの女の子だった。


「ああ、サンキューな!」


 去年はひとつも貰わなかったカールである。

 それでなくともスカーレットデイは新しいイベントで、受け取るのが正解なのか断るのが正解なのかまだよくわかっていない。

 突き返すと傷つけることをわかっていたカールは、受け取るしか選択肢がなかった。誰とも付き合うつもりがないのに貰うのは気が引けたが、


(ただでチョコが食えっし、いいか)


 と思うことにした。

 しかしフローラは、カールが新聞を読み始めた時も目の前に座って自分も本を読んでいる。

 なにか話したそうではあるなと思いながらも、カールは新聞の方に集中した。

 そして新聞をすべて読み終えて、顔を上げるまで邪魔しなかった彼女に、少し好感を持った。

 カールが新聞を畳んで立ち上がると、フローラも顔を上げる。

 外はもう真っ暗だ。ほとんどの隊員がすでに寮へと戻っているので、帰り道はほとんど誰もいない。戦闘班ならまだしも、支援統括班の女子を一人で帰らせるのは不安を覚えた。魔物だけでなく、人間もいろんな者がいるのだから。


「フローラ、まだ帰らねぇのか?」

「えっと、今帰ろうと思ってたとこで……」

「じゃあ一緒に帰ろうぜ。もう暗いしよ」

「う、うん!」


 嬉しそうに長いコーヒー色の髪を揺らして頷く彼女に、カールは思わず笑みが漏れる。

 人の機微に聡いカールは、もちろん彼女の好意を感じ取っていた。スカーレットデイにチョコレートを貰ったので、それは確信である。


(チョコは貰ったけど、告白されたわけじゃねぇしな。返事をくれって言われた時にだけ、断りゃいいか)


 先に貰った三人の女子には、チョコレートを貰った時に告白されていた。

 一人は『付き合う気がないのを知っているから返事はいらないわ』と言われ。

 一人は『付き合いたい』と言われたがカールにその気がないので断り。

 一人は『好きと言っても友達の好きだから』と言って逃げていった。

 どちらにしても、受勲しなければ四つもチョコレートをもらえなかっただろうとカールは思っている。


「あの、カールはチョコレート、大丈夫だった?」


 二人で隊舎を出るとフローラは不安そうに声を上げ、カールは頷く。


「おう、食い物で嫌いなのはねぇんだ。甘すぎるもんと苦すぎるもん以外は、大体食える。チョコも大好物だから、ありがとな! こんな高ぇの、滅多に食えねぇから嬉しいぜ」


 カールがニカッと笑うと、フローラも嬉しそうに頬を染めて微笑んだ。


「よかった、心配だったの。でも受け取ってもらえて、よかった……カールには、いつもお世話になってるから、感謝を伝えたくて」

「お世話にって、俺なんもしてねぇけど」


 カールはフローラと特別ななにかがあっただろうかと思い出そうとしたが、特になにも浮かばなかった。顔と名前は合致するので、顔見知りには違いないのだが。


「あ……覚えてないよね……」

「悪ぃ。なんかあったっけっか」

「えっと、私は支援統括班なんだけど」

「ああ、知ってる。よく書類を持ってきてくれるよな」


 そう言うと、フローラは顔を明るくさせて頷いた。


「私、戦闘班に行くとちょっと怖くて、中々人に話しかけられなくて……そうすると、いつもカールがすぐに気づいて、代わりに配ってくれるの」

「なんだよ、そんなことか」

「カールにとってはそんなことかもしれないけど、私はすごく助かってるの……聞き取りしなきゃいけない時も、カールが代わりにしてくれたり……」

「気にすんなよ。どうってことねぇから」

「でも私、そんなカールを好きになっちゃって──」


 そこまで言って、フローラはハッとして言葉を詰まらせた。

 唐突な告白にカールは目を丸め、フローラもまた、自身の言葉に驚いた表情になっている。

 そんな顔を見たカールは、思わず吹き出してしまった。


「ぶはは!! 自分で言っといて、なんでフローラが驚いてんだよ!」

「きゃ、きゃあ……! 言うつもり、なかったのにぃ……っ」


 真っ赤な顔を隠すようにして、両方の手を頬に当てるフローラの仕草に、カールは素直にかわいいと感じる。

 泣きそうになったフローラは俯いて、気持ちを沈ませた。


「たったこれだけのことで好きになられたら、気持ち悪いよね……わかってるんだけど……」

「気持ち悪ぃなんて思わねぇよ。人を好きになる時なんてそんなもんだろ。けど俺、返事した方がいいか? 言うつもりなかったんなら、返事しねぇ方がいっかな」

「えと、えーっと……」


 慌てふためくフローラは、少し考えた後に立ち止まる。カールも一歩進んで立ち止まると、振り返ってフローラを見た。

 すると彼女は、意思のこもった強い瞳をカールに向ける。


「あの……! まずはちゃんと告白させてほしいの」

「ああ、わかった」


 カールが真剣な赤眼で頷いたので、フローラはほっと頬の緊張を和らげて言葉にする。


「私……いつもたくさんの人に囲まれてるカールに憧れてたの。カールの周りは人も笑いも絶えなくて。私にも当然のように声を掛けてくれるし……嬉しかった」


 どれもカールにとっては普通のことだ。でもその普通に憧れてくれ、嬉しいと思ってくれる人がいるということが、単純にカールも嬉しい。


「声を掛けてくれるたびに好きになったの。付き合いたい気持ちがないわけじゃないけど、と、友達になりたくて……そのきっかけになればって、勇気出してチョコレートを渡したのに告白しちゃって……あぁぁぁああああぁあああっ」

「っぶ!! ぶはははっ!! それ、なんの告白だよ!」


 後悔の嵐が吹き荒れて頭を押さえるフローラを見て、ヒーヒーお腹を抱えて笑うカール。

 しかし目の端に涙を溜める彼女の姿に、カールはピタと笑いを止めた。


「よし、フローラ。ビシッと言え。俺もビシッと答えてやる。それでいいか」

「う、うん!」


 赤獣の獲物を狩るような表情に、フローラも身が引き締まる。

 そして彼女は大きく息を吸い込むと、吐き出すと同時に空気を振動させた。


「カールが好きです。付き合ってください!」

「わかった。付き合おうぜ」

「え!?」


 予想外の答えを受けて、フローラはまた目を丸める。


「い、いいの??」

「おう。断らねぇって決めてた。友達っつわれたらそうしたし、返事はいらないって言われたらそうするつもりだったんだ」

「どうして? カールにとって私は、ただの顔見知りでしょ?」


 元々仲が良かったならばともかく、週に一度、しかも数秒話すか話さないかの相手をカールは選んだのだ。フローラに疑問が湧くのも当然である。


「本当は誰とも付き合う気はなかったんだぜ。けどフローラには、望む通りにしてやりたいって思わせるだけの魅力を感じたからよ」

「ほ、ほ、本当に付き合ってくれるの??」

「おう。まだお互いに知らねぇこともあるしな。ゆっくり付き合っていこうぜ」

「わ……勇気出して告白してよかった……! 嬉しい、ありがとう。よろしくお願いします」

「こっちこそ、よろしくな!」


 カールは単純にフローラのことをかわいいと感じたし、自分と合うような気がした。

 おそらくだが、前の彼女のように特別扱いするために他の人とは距離を置いて欲しいとは言われないだろうと。

 トラヴァスに初恋を引きずっていると思われたくなかったのもある。

 そう思う時点でアンナのことを意識しているのだが、グレイとの仲を引き裂くつもりなど毛頭ないカールだ。

 フローラとのことは、ちょうどいい巡り合わせだったのだと思うことができた。

 こうしてカールは、フローラという人生で二人目の彼女を得たのだった。

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