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61.誰のことだ?

 長いアリシアの話を聞き終えると、寝る準備をしてそれぞれの部屋へと入った。

 もちろん、アンナはグレイと同じ部屋にいる。


「母さんったら、本当に幸せの神様の奇跡が好きなんだから……昔から、話し出すと止まらないのよ」

「はは。でもいいな。ああいう話を聞いて育ったっていうのは」


 グレイの言葉に、彼には寝物語を聞かせてくれる人がいなかったのだと改めて思う。そう考えると、贅沢なことだったのだとアンナは自分に言い聞かせた。

 しかしグレイは気にするでも自分を憐れむでもなく、うっすらと笑う。


「それに、面白い話も聞けたしな」

「え? どれのこと?」

「俺の生まれ故郷のやつだ。あんな話があったとは、初めて知った」

「生まれ故郷って……あ、ラストア?」

「ああ、俺は西部の方だけどな」


 アリシアが最初に話した物語だ。

 村人が男を助けて、男は礼に狩りへと向かうも、狼に囲まれる。

 しかしその時奇跡が起こり、狼は男に従い始めて、無事に食料を得た話である。

 改めて考えて、アンナはハッと声を上げた。


「グレイってもしかして、その人の子孫なんじゃない!? あなたも動物を使役してるもの」

「使役というわけじゃないが。けど、自分のルーツを垣間見た気にはなったんだ」

「きっとそうだわ。あなた、歩けばいつもワンニャンを引き連れてるんだから」

「ははっ。自分でも不思議だったんだが、ちょっと納得したな」

「ふふ」


 アンナも気になっていた謎がひとつ解けたような気分になり、すっきりと胸が軽くなった。

 犬や猫に好かれる特性持ちで、本人も動物好きなグレイだ。さらには幼い頃に犬を飼っていたというのを、アンナは思い出した。

 ブランやノワールは餌もあげていないから野良犬だとグレイは言い張っている。ディックは餌をあげたので面倒を見るとは言っているが、ほぼ放し飼いで野良猫と変わらない状態だ。

 そうすると、グレイが動物を飼わないという選択をするのは、不自然な気がした。


「ねぇ、グレイ。犬や猫を飼いたいとは思わないの?」


 アンナの疑問に、グレイは少し視線を落とす。


「そうだな……できれば、ディックは卒隊したら連れてきたいとは思ってるんだが……ここはアンナたちの家だしな」

「別に構わないわよ」

「え、いいのか?」

「母さんも気にする方じゃないし、問題ないわよ」


 アンナが軽く言って見せると、グレイの顔はパッと明るくなる。嬉しそうなその表情に、アンナはふふっと声を上げた。


「遠慮しないでね。ブランとノワールはいいの?」

「ああ、あいつらはちゃんと群れも作っているし、野良として優秀だからな。犬は飼うとなるとリードをつけなきゃならないし、窮屈だろ。働き始めると、帰らない日も出てくるかもしれんからな。犬を飼うのは難しそうだ」


 グレイは自分に言い聞かせるように言っていて、本当は犬も飼いたいのだとアンナは悟る。

 しかしグレイの言う通り、働いている間に犬を飼うのは、不可能ではないにしてもかなり難しい。


「じゃあ、犬を飼うのは引退後にしましょ」

「働いてもないうちから、気が早いな」

「私も犬は飼いたいと思ってたのよ。いつか、飼えると嬉しいわ」

「そうだな……いつか、一緒に犬を飼おう」

「ええ!」


 心が弾むような嬉しさで心が満たされたアンナは、グレイの胸の中に飛び込んだ。ぎゅうっとグレイを抱きしめると彼もまたアンナに手を回し、微笑み合うとそのままベッドの中へと沈んでいく。

 将来のあれこれを夢想し、優しく語り合いながらゆっくり夜を過ごすと、アンナはうつらうつらと微睡まどろみ始めた。


「寒くないか、アンナ」

「ええ……グレイが温かいから……平気よ……」


 密着したままグレイの胸の中で顔を上げると、アンナは火照った体でふにゃりと笑った。

 もう一回、と言いそうになるのを、グレイは必死に堪える。アンナは今にも寝てしまいそうだ。

 しかし、グレイはアンナが眠ってしまう前に、気になっていたことを口にした。


「なぁ。アンナは、幸せの神様を信じているのか?」


 グレイはこれだけ一緒にいるにも関わらず、アンナの口から幸せの神様の話を聞いたことは一度もなかった。代々この家の人やアリシアは神様や天使様の話が好きだと聞いていたが、アンナ自身の口から奇跡の話を聞いたことはない。

 そこがどうにも、グレイは気に掛かっていた。

 アンナは腕の中でふにゃふにゃ言いながら、ほんの少し眉を落とす。


「私も……子どもの頃は、母さんの話す天使様が……大好きだったわ……」

「子どもの頃……今は」

「嫌いなわけじゃないの……でも……」

「でも?」

「……私に……奇跡は起こらない……切り離されて……寂しくて……アシニアースも、ずっと一人で……」

「アンナ……」

「天使様なんていないって……幸せの神様は意地悪だって……私からすべてを奪っていく……そんな気がして……」


 グレイは胸を痛めながらそっと黒い髪に手櫛を通すと、アンナは安心してほわりと微笑む。


「だけど……グレイと会えて……また……少し信じることができたの……あなたと出会えたことは……奇跡、だから……」


 そう言ってふわぁと笑った瞬間、アンナはそのまま目を閉じてスースーと寝息を立て始めた。

 グレイと出会えたことを奇跡と呼び、幸せそうな顔で眠るアンナ。

 自分の存在意義をはっきりと見い出せた気がしたグレイは、喜びが溢れる。

 と同時に、アンナの孤独に改めて触れて、その根深さに顔を顰めた。


(『切り離された』……誰のことだ? 筆頭……じゃないよな。父親か? だが、父親はアンナの存在を知らずに出て行っているし、それはアンナももうわかってるはずだ)


 それ以外にも悲しい経験をしていたのだと、グレイは寝入ったアンナを抱きしめる。

 アンナの優しい香りが鼻腔に触れ、グレイの胸を締め付けた。


(アンナ。俺が、傍にいる)


 誰よりも愛おしい恋人を守る。

 その決意を新たにして、グレイはアンナにぬくもりを与え続けた。

 心が癒えるようにと。

 未だ涙を流さぬアンナに、安心して泣ける環境を作ってあげたいと。

 そして笑顔で満たされる家庭を作り、いつか心から幸せの神様を信じることができるように。


 グレイはアンナを優しく抱きしめたまま、眠りに落ちていった。

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