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58. 剣を振り回すかもしれないわよ

 オルト軍学校が冬季休暇に入ると、アンナとグレイは王都の家へと帰ってきた。

 グレイもすっかり慣れて、アンナと一緒に家を掃除する。

 一通り終えると、アシニアース用に料理を買いに街へ出た。


「今年も筆頭は年始だけか?」

「多分ね。顔くらいは見られると思うわ」

「アシニアースも仕事なんて、大変だな」

「あの人、イベント事は好きなのよね。いきなり突拍子もないことを始めて、部下の人たちを困らせてなければいいんだけれど」


 アンナは母……というより、母の部下の方の心配をしながら、グレイと一緒にアシニアースの料理を選んでいく。

 遅くなったので作らずに、出来合いのものを買った。そして、料理だけでなく、ワインも。


 ストレイア王国では、二十歳が成人である。家督を継ぐのは成人してからという決まりのためだ。後見人がいれば、未成年でも継ぐことは可能だが。

 成人でなくとも近親者や後見人が承諾すれば十八歳で結婚できるし、お酒も十八歳から飲むことができる。

 グレイは八月に、アンナは九月に誕生日を迎えていて、十八歳になってからは初めてのアシニアースだ。せっかくなのでワインを飲んでみようという話になり、購入した。

 帰ってきた二人は、テーブルに料理を並べてワインもグラスに注いでいく。


「グレイとアシニアースを過ごすのも、これで三度目ね」

「これからもずっと一緒に過ごすぞ。こうして乾杯してな」


 二人はグラスを持つと、リンと重ね合わせた。

 深みのあるルビー色の液体が揺れて、アンナはどきどきと胸を鳴らしながら唇にグラスを近づけ、一口含む。

 その瞬間、アンナの表情はふっと柔らかくほどけた。

 口の中に広がったのは、ベリーのような甘酸っぱさと、ほんのりとした渋み。初めての経験なのに、どこか懐かしいような、安心感のある味わいだった。舌の上に残る心地よい余韻が、アンナに幸福感をもたらしている。


「……こんなに優しい味だなんて、思わなかったわ」


 そう呟きながらまた一口含むと、今度はほのかな苦味や、バニラを思わせる甘い香りにも気づく。

 半分ほど飲んだグレイが、一度グラスを唇から離した。


「結構複雑な味がするな。だが、うん、いける」


 ニッと笑ったグレイを見て、アンナも微笑んだ。


「ワインって飲みにくそうなイメージがあったんだけど、そうでもないわね。ステーキやビーフシチューを作る時に使うからかしら。違和感なく飲めるわ」

「アルコールは飛んでないから、飲み過ぎるなよ。まぁ、酔ったアンナも見てみたいが」

「グレイも酔うとどうなるのか、気になるわ。笑い上戸や泣き上戸になったグレイを、ちょっと見てみたい気がするもの」

「そんな姿を見られるのはいやだな……多分俺は泣きも笑いもせず、本能剥き出しになる気がするんだが」

「それって……」


 顔を赤くするアンナを見て、意味がわかっているなと笑うグレイである。


「まぁ、ほどほどにしておくさ」

「私も、もうやめておこうかしら。怒り上戸になったら、グレイに嫌われちゃうわ」

「アンナなら、怒ったところでかわいいもんだけどな」

「剣を振り回すかもしれないわよ」

「ははっ、あり得るかもな。でもまぁ、俺なら止められるから大丈夫だ。まだ飲みたいんだろ? 飲めばいい」


 グレイがグラスに注ぎ、アンナは嬉々としてワインを飲みほす。

 二杯飲むと、頭がふんわりとしていい気分になってきた。


「ちょっとふわふわするわ……酔うってこんな感じなのね」

「大丈夫か?」

「ふふ、大丈夫」


 そう言いながらアンナは、左手の薬指にある指輪を見つめた。


「これをくれたのは、去年のアシニアースだったわね……」

「もう一年経ったんだな。今年はなにも用意してなくて、悪い」

「もしかして、またお金を貯めてなにかしようとしてくれてない? 私、結婚指輪はいいわよ。これをずっと着けていたいから。覚えておいてね?」

「そうか、わかった」


 助かる、という言葉を飲み込んで、グレイは頷きを見せた。

 指輪の分を他の物に注ぎ込むということを、アンナには知られたくない。


(さて、いくら掛かるか……本格的に騎士として勤め始めてからだな)


 今から贈るのが楽しみだと、グレイは一人密かに笑みを噛み殺す。

 逆にアンナは、あまり贈り物をしていないので眉を下げた。


「グレイは私にくれるばかりだもの。私もなにかしたいんだけど……なにがいいかしら」

「俺は、あんたがそばにいてくれればそれでいい」

「もう、そればっかり。物欲がないのよね、グレイって」

「性欲ならあるぞ」

「ばか」


 酔いが回ってふわりとした赤い顔で、アンナは笑った。

 その姿があまりに色っぽくて、グレイはごくりと喉を鳴らす。


「そういえば、グレイは〝セントスカーレットデイ〟って知ってる?」

「あー、聞いたことはあるな。異国の文化だろ?」

「元々は、恋人間で本を送り合う文化らしいんだけど、ストレイア王国では女子が男子にチョコレートをプレゼントして、愛を告白するイベントになりつつあるらしいわ」

「それ、製菓会社の陰謀じゃないか?」


 グレイが顔を顰めて言うので、アンナは笑った。


「ふふ、そうかもしれないわね。でもこんな日があるのもいいわ。一大決心して告白できる日なんて、楽しそうじゃない」

「アンナは誰かに告白したことがあるのか?」


 仏頂面のグレイに聞かれたアンナは、慌てて首を振った。


「ない、ないわよ! 私が好きだって言ったことあるのは、あなたくらいよ?」

「けど、告白されたことはあるんだろ。以前、『軍学校では・・告白されたことなんて一度もない』って言ってたもんな」


 その言葉に、アンナはパチクリと目を瞬かせた。まさかアンナでさえも忘れていたことをグレイが覚えているとは、思ってもいなかった。


(確かに言ったわ。この指輪をくれた時に、男避けにつけてほしいって言われて……ずっと気にしてたのかしら?)


 相変わらず仏頂面をしているグレイに、アンナはふんわりと優しい笑みを向ける。


「告白されたって言っても、幼年学校の時のことよ。別に、付き合うとかそういうこともなかったし」

「……シウリス様、か?」

「まさか、違うわよ! シウリス様が、私なんかを好きになるはず……ないじゃないの」


 自分で言いながら、心臓がぎゅうっと収縮するような痛みが走る。ふわふわとする頭では、次の言葉を止められなかった。


「どうしてそんなことを言うの……私が好きなのは、あなたなのに……っ」


 アンナの顔が僅かに歪み始めて、今度はグレイの方が慌てた。


「悪い、つい……ああ、またくだらない嫉妬をしちまったな……」

「本当よ、もう……スカーレットデイにはあなたにチョコレートをプレゼントしようかと思って、チョコは好きかどうか聞きたかっただけなのに……」


 アンナは口を尖らせながらドバドバとワインを注ぎ、勢いのままガバッとグラスを空けた。グレイが止める間もない。


「おい、大丈夫か、アンナ」

「で!? グレイは、チョコはしゅきなの!?」

「いや、まぁ、普通に食えるが」

「私がチョコレートをプレゼントしたら、うれしい……?」


 小首を傾げながら上目遣いをするアンナを見て、グレイは耳を熱くする。


(なんだこのかわいい生き物……反則だろ……)


「うれしくないの……? 私はこんなに、グレイがしゅきにゃのに?」

「嬉しいに決まってるだろ。というか、そろそろ呂律がやばいぞ、アンナ。相当酔ったんじゃないか?」

「しちゅれいねー。全然問題もんらいないわよ? ほら、普通に歩け──」

「危ないっ」


 唐突に立ち上がったアンナは案の定、足を引っ掛けて倒れそうになる。

 そこをグレイは素早い反射神経で対応し、アンナを抱き止めた。


「ほら、言わんこっちゃないだろ」


 アンナはふにゃっと顔を上げて微笑むと、ぎゅうっとグレイを抱きしめた。


「ふふ。ありがとう、グレイ……だいしゅきよ」


 ふわりと立ち上がる、アンナの百合のような甘い香りがワインの香りと合わさり、グレイに襲いかかった。


(こんなの、我慢できるわけないだろ……!!)


 グレイはぐいっとアンナの頭を抱きかかえると。


「グレ……んん……」

「はぁ……アンナ……」


 かわいすぎる恋人の唇を奪い続けたのだった。

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