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57.私はそのために騎士になりたいわ

 図書室を出たアンナは、メンテナンス室に向かう前に、カールの言わんとしていたことを脳内で整理する。


(グレイの嫉妬の相手は、シウリス様だったということよね……)


 シウリスは、強さを指標とすると思われている恋人アンナの幼馴染みだ。

 グレイは強い男で、これからもどんどん成長していくのは間違いない。

 しかし、アンナがシウリスのレベルに追いつける気がしないのと同じように。グレイも〝未来に渡ってシウリスに追いつけるかどうかはわからない〟と思っている可能性が高いと、アンナは考えた。


(私がグレイじゃなく、シウリス様を選ぶかもしれないって不安に思ってるのかしら……それとも、私に相応しいのは自分じゃなく、シウリス様だと思ってる?)


 確かにアンナは、カールに指摘されたように、強い男が好きだと言うことを自覚した。

 しかしそれは、シウリスレベルでなくとも構わないのだ。

 グレイはアンナよりも強い。仮にアンナより弱かったとしても、共に戦える相手であれば十分である。バキア相手に立ち向かえるような男であれば。

 そんな人は、ごく一握りではあるのだが。


(そうだわ。私は一緒に戦うことのできる、対等な相手を求めてるのね。だから、強さが指標に入るんだわ)


 ならば、グレイは十分に条件を満たしている。それを彼に伝えて、安心させるべきかと思ったが、アンナはカールの『放っておいてやれ』という言葉が頭に浮かんだ。


 ── 言わねぇで正解だと思うぜ。多分、男のプライドとか沽券に関わる話だからよ。あいつ、割と嫉く方だしな。


 そのセリフを思い出して、アンナはようやく納得がいった。


 シウリスはグレイよりも強く。

 しかも王族で、お金も身分も地位も兼ね備えている。

 身長は高く、体躯も良く、男女関係なくかっこいいと言わしめる彫刻のような顔立ち。容姿も振る舞いも完璧なのだ。

 そんな秀でたシウリスとアンナが幼馴染みだという事実を、グレイは突きつけられたのである。

 勝てるものが強さしかないと思っているグレイにとって、それさえも負けているという現実が、彼を悩ませる要因になっていると言えた。


 アンナに釣り合うのは、シウリスの方ではないのか。


 グレイはそう考えているのだと思い至り、アンナは心を沈ませる。


(ばかね、グレイ……そんなこと、心配しなくて構わないのに)


 アンナの愛する人は、間違いなくグレイである。

 シウリスは確かに幼馴染みで初恋の人ではあるが、身分差もあるし、そもそも切り捨てられた十歳以降の交流がない。

 しかしシウリスよりグレイの方が好きだと言ったところで、安心させるどころかアンナを気遣わせたとプライドを傷つけるだけだ。

 グレイ本人が、シウリスより劣っていると思うことが原因であるなら。アンナがなにを言っても慰めになりはしない。むしろ、余計に惨めな思いをさせてしまうだけである。


(だからカールは、言わなくて正解って、放っておいてやれって言ったのね……)


 人の心の機微に聡いカールのおかげで、ようやく解を得られたアンナは、そっと息を吐き出した。

 これでは確かにアンナにできることはない。グレイが自分の中で折り合いをつけるしかないのだから。

 アンナとシウリスが知り合いだと思っていない時でさえ、グレイはシウリスの強さを知って渋い顔をしていたのだ。シウリスと幼馴染みだと知った今のグレイの胸中が穏やかでないのは、想像に難くなかった。

 さらに紺鉄の騎士隊に入ってしまえば、シウリスの命令通りにしか動けなくなる。いわば、引き立て役にしかなれないのだ。グレイが紺鉄の騎士隊に入りたくないという理由も、それで繋がった。

 グレイの気持ちを知ったアンナは、心がざわざわして落ち着かず、その場から足を動かせない。


 ──グレイなら大丈夫だからよ。信じてやれ。


 最後のカール言葉を思い出して、アンナは深呼吸する。そしてようやく波立っていた心を鎮めることができた。

 カールがそう言うのならば大丈夫だろうという、無条件の信用に安心感が広がる。


(思えばカールは、グレイの気持ちをすぐに見抜いたのよね。本当にカールはすごいわ)


 アンナが相談した時、すぐに男のプライドや沽券に関わる話だと見抜いたことも。

 嫉妬の相手がシウリスだということも。

 アンナはまったく考えもしていなかったことだ。


(赤獣って呼ばれ始めてから、すごくモテてるようなのに、誰とも付き合う様子もないし。意外にストイックよね、カールって。恋人がいるって本当に素敵なことなのに、もったいないわ)


 カールにも、自分たちが味わっているような幸せを感じてほしいアンナである。

 彼が結婚する時には、ありったけの感謝を送ろうと決めて、アンナは一人微笑むのだった。


 心を整えてからメンテナンス室に入ると、グレイが一心に剣を研いでいた。

 少し離れたところで見守っていると、満足したようで剣を拭き上げてカシャンと鞘に戻す。

 そして振り向いてアンナに気づいた時には、少しスッキリとした顔をしていた。


「悪い、気づかなかった。待ったか?」

「いいえ、今来たところよ。帰りましょう」


 そうして二人は、いつものように寮までの道を歩き始めた。

 お互いにどこか晴れやかな顔を見て、目を合わせると微笑み合う。

 そうできることに喜びを感じながら、アンナはどういう心境の変化だろうかという疑問が浮かんだ。


「悪かった、この数日」


 アンナが聞くのを我慢していると、グレイの方が謝罪の言葉を口にする。


「ううん。もう、いいの?」

「ああ。剣を研ぎながら考えてたんだ」

「なにを?」

「今は無理でも、最終的に超えられれば……守れたなら、それでいい話だった」


 月を見上げながら光を浴びて、グレイは自分に言い聞かせるように言った。

 それがグレイの出した答えなのだとわかったアンナは、隣でなにも言わずに微笑んでみせる。


「悪い、なんの話かわからないよな」

「いいの。グレイのスッキリした顔を見たら、安心したわ」


 やはり、グレイは自分で答えを出した。カールの言った通りだ。

 グレイはアンナの肩をそっと抱き寄せて、暗い夜道を歩く。


「明日、王都に行こうと思ってる」

「……決めたのね」

「ああ。朝早く出るから、明日中に帰れる。結果を報告するから、カールと図書室で待っててくれるか」

「わかったわ。あなたがどんな選択をしても、私はちゃんと受け入れるから。自分の思うようにしてね」


 その言葉に、グレイは愛おしい恋人を感じるようにして、腕に力を入れた。

 グレイと一緒なら、月が雲に隠れた暗い夜道でも、アンナは孤独や恐怖を感じることはなかった。



 翌日、アンナは言われた通り、カールと図書室でグレイを待つ。

 カールの予想通り、グレイは自分で答えを出したようだと伝えると「だろ?」と嬉しそうに笑っていた。

 それぞれに新聞を読んだり本を読んだりして過ごしていると、しばらくしてグレイがやってきた。手にはフードコンテナをたくさん抱えて。


「悪い、遅くなった」

「ちょっとグレイ、ここは飲食禁止よ」

「わかってる。先に食堂に行って詰め込んでたんだ。寮に戻ってから食べる」

「食べてないの? 大丈夫?」

「ああ、問題ない。とりあえず、アンナとカールには報告しておきたくてな」

「聞かせてくれ」


 ちょうど新聞を読み終えたカールが、畳みながらグレイを見上げた。

 グレイはアンナの隣に座り、二人に視線を送る。


「結論から言うと、紺鉄の騎士隊入りは辞退してきた」

「まぁ、そうなるよな」

「無事に辞退できたの? 揉めなかった?」


 不安を口にするアンナに、グレイは目線を下げる。


「ああ、実はシウリス様に直接は会ってないんだ。俺が行ってすぐに会える方じゃないしな。悪いとは思ったんだが、筆頭大将にお願いしてきた」

「母さんに?」


 頷いたグレイは、先を続けた。


「ちょっと無理言って会ってもらってな。紺鉄の騎士隊には入らないことを告げたんだ。それをシウリス様にどう伝えるべきか相談した」

「母さんは、なんて?」

「『あらそう、言っておくわ』ってあっさりだったぞ」

「母さんったら、大丈夫かしら……」

「俺も気になったんだが、『将来有望な人材は、軍内で育てると言えばなんとかなるわよ』って言っててな……任せてというから、任せてきたんだ。今頃、胃を痛めてなきゃいいんだがな」

「母さんはどちらかというと、頭痛がするタイプだから平気よ」

「や、そーゆー話じゃねーだろ……」


 ずっと聞いていたカールがたまらずに突っ込んで、グレイは苦笑いを向ける。


「まぁそういうわけで、紺鉄には入らないことになったんだ。二人にも気を揉ませて、悪かったな」

「っへ! まぁお前は紺鉄と言えど、隊長程度で収まる器じゃねーのはわかってたしな! 心配してねーぜ!」

「ふふっ。一緒に将を目指せるのは、やっぱり嬉しいわ」


 カールとアンナの笑みを見て、グレイもようやく口角を上げることができた。


「みんなと同じ条件下で助け合いながら競える方が、俺もいいからな」

「それだと、俺だけ出遅れんだよなぁ、年齢的に」

「まぁそれも運命だ。受け入れろ」

「ちぇっ」


 口を尖らせて拗ねるカールを見て、グレイとアンナは顔を見合わせて苦笑いした。

 一緒に卒隊したいのは山々だが、これだけは本当にどうしようもない。


「カール、もう新聞は読み終わったんでしょう? 一緒に帰りましょう」

「いいのかよ、二人のラブラブの時間を邪魔しちまって」

「まぁいつでもイチャイチャできるしな」

「っけ! ま、二人と一緒に帰れんのも、もう少しだしな。邪魔させてもらうぜ」


 カールがそう言って立ち上がり、三人は図書室を出る。

 一段と寒くなった夜道は、雲が月の光を遮ってさらに暗く寒かった。


「ちょっと聞きてぇんだけどよ。お前らの考える平和って、なんだ?」


 唐突に放たれたカールの言葉に、アンナとグレイは顔を見合わせる。


「急だな。どうした?」

「いや……昔、家庭教師の男に言われたことがあんだ。〝真の平和なんて、理想で虚構だ〟ってな……じゃあ、俺たちが騎士を目指してやりたいことって、なんだって思ってよ」

「なるほど」


 グレイは少し空中を見つめてから、カールへと視線を戻す。


「多分な、平和のイメージは、誰もそう変わらないと思うぞ」

「うぇ?」

「アンナは平和と言われると、どういう状態を思い浮かべる?」

「え? そうね……」


 話を振られたアンナは、あまり深く考えずに平和のイメージを言葉にする。


「青い空に、鳥が飛んでるイメージかしら。どこの国にも諍いや戦争なんかないの。お腹は満たされていて、人々は穏やかで笑顔が絶えない……そういう世界を平和と言っていいと思うわ」


 アンナの言う平和な世界に、グレイは首肯する。


「ああ、俺も大体そんなイメージだ。カールもそうだろ?」

「そう言われりゃ、そうだな」

「人によっちゃ、身分制度のない公平な世界とか、年功序列や男女差のない世界とか、色々あるだろうけどな。ざっくりとは、大体みんな似たようなもんだ」


 グレイの言い分を聞いて、カールは少しホッとした。

 皆の目指す場所は同じなのだと。最終地点が同じであれば、同じストレイアの仲間なのだから、分かり合えるはずだと。


「けど、真の平和が実現すれば、騎士なんて必要なくなっちゃうわね」

「人が二人いるだけで、諍いは生まれるからな。これだけ人間のいる世界では、騎士職は廃れないぞ」

「そういう意味で、真の平和は理想で虚構……か……」


 カールの呟きに、グレイはぐわしっと赤い髪ごと頭を掴む。


「うぉ! なんだよ、グレイ!!」

「カール。別に俺たちは、世界平和を目指してるわけじゃない。そんなものは、土台無理だからな」

「……わぁってら」


 赤髪をぐしゃぐしゃにされたカールは、グレイの手を払いのけて少し整える。

 そんな二人を見てアンナは微笑み、そして自身の考えを声に出した。


「でもせめて、ストレイア王国に住まう人々が幸せに笑って暮らせるように。私はそのために騎士になりたいわ」


 アンナの言葉にグレイは目を細め。

 カールもまた、大きく頷く。


「俺はこの国のために命を懸けて戦うぜ。それが俺にできる、平和のための一歩だと信じてる」


 カールは腰の剣をじっと見つめた。

 真の平和は確かに虚構かもしれない。しかし、そのための一歩を踏み出さなければ意味はないのだと。

 そんなカールの決意の姿を見て、グレイは片方の口角を上げた。


「ちゃんとわかったじゃないか。それがカールの〝騎士を目指してやりたいこと〟だろ?」

「すべては一歩ずつよ。みんなで少しずつ進んでいきましょう」


 二人の言葉にカール顔を明るくし、「おう!」と笑うと。

 「よしっ」と気合いを入れて、分かれ道を男子寮の方へ駆けていった。

 そんな彼の背中を見送ると、アンナとグレイは目を合わせ、微笑みを寄せ合うのだった。

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