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56.どうして嫉くなんて言葉が出てくるの?

 翌日の夕食時に、ようやくグレイが姿を現した。

 食堂前にいたグレイを見つけたアンナが、ほっと息を吐いて笑う。カールもそんなアンナを見てへへッと口角を上げた。


「グレイ! 今戻ったの?」

「ああ、少し前にな」

「んだよ、心配かけさせやがって!」

「カールに心配されても嬉しくないぞ」

「俺じゃねーっつの!」


 カールのツッコミに、グレイはアンナの方へと目を向ける。アンナは少し眉を下げて微笑んだ。グレイは心配させたのに不謹慎だと思いつつも、俺の彼女は可愛いなと少し満足してしまう。


「悪い。急な呼び出しだったから、説明する暇もなかったんだ」

「ええ、それは仕方ないけれど……一体、誰から?」

「食べながら話そう」


 そう言って食堂に入ったグレイは、トレーに食事を盛ると、角のテーブルへと席を陣取った。

 あまり人に聞かれたくない話なのだろうと理解したアンナとカールは、それぞれトレーを置いて席につく。


「それで、なにがあったの?」

「そうだな……一言で言うと、進路、だな」


 グレイの言葉に、アンナとカールは顔を見合わせた。

 アンナとグレイは、四ヶ月後の三月に卒隊である。

 オルト軍学校に三年以上在籍して十八歳を迎えている者は、基本的に全員が卒隊だ。そのため、卒隊を控えた者は進路を決める時期に入っている。

 オルト軍学生の多くは軍職で、兵士や騎士、筆記官や医療従事者になったり、魔術関係に進む者が大半を占める。

 もちろん、以前アンナの同室だったリディアのように、まったく関係のない職に就く者もいるが。

 しかしグレイは当然騎士になると思っていたので、進路と言われてもアンナたちはピンとこなかった。


「なんだよグレイ。お前、俳優にでもなるつもりか?」

「グレイに俳優は似合わないわよ」


 アンナの物言いに、少し心を抉られるグレイである。


「まぁ、さすがに俳優はないけどな……」

「冗談だっつの」


 カールの言葉にグレイは息を吐きながら、フォークでぐさりと肉を突き刺す。


「実はな……王宮に行ってたんだ。呼ばれてな」

「王宮に呼ばれたって、母さんに?」

「いや、シウリス様だ」

「シ……!?」


 声を上げようとしてグレイが睨んだので、カールはバッと自分の口を押さえた。

 少し浮き上がった腰をそっと下ろして、前屈みにグレイを見る。


「マジかよ……もしかしてお前……」

「ああ。紺鉄の騎士隊に誘われた。それも、最初から隊長を任せたいと言われてな」

「…………」


 カールは声なく『マジかよ』と口を動かす。口をぎゅっと閉じたアンナは、複雑な思いでグレイを見上げた。

 グレイの凄さはアンナもわかっている。叙勲の際、シウリスに『右腕になることを期待している』と言われていたのは、このことだったのだと理解した。

 しかし紺鉄の騎士は精鋭揃いだが、将には一歩届かない者の集まりでもある。 

 それでも粒揃いの紺鉄の部隊で、しかも隊長職を任せるとは並大抵の話ではない。

 しかも、シウリス直々の指名である。アンナには断れる話とは思えなかった。


「んで、どうしたんだよ……受けたのか?」

「いや……保留にしてもらった」

「保留って、シウリス様はお怒りにならなかった?」

「不機嫌顔ではあったが…… どうだろうな」


 そう言うグレイの顔も、複雑に沈んでいる。

 紺鉄の騎士隊へシウリス直々の誘いなど、これ以上ない栄誉なことではある。

 しかし、グレイは将を目指しているのだ。紺鉄の騎士隊の将はシウリスであり、隊員がなれる最高の地位は隊長である。しかも軍隊とは切り離された部隊だ。つまり、隊長以上の昇進は望めない。

 それは、筆頭大将には絶対になれない、ということでもある。


「どうするの、グレイ……」

「まぁ、少し考えるさ」

「……」


 そう言うと、グレイはモグッと肉を口に頬張った。

 しかしいつものような気力はなく、沈んだ空気が漂っている。

 アンナとカールはまた顔を見合わせてから、それぞれ自分の食事に手をつけた。

 グレイの人生なのだ。意見を求められてもいない状態で、口は出せない。


「アンナ……」


 しばらくなにも言わなかったグレイだが、シウリスとの会話を反芻しているうちに、ふと気づいてアンナに視線を送る。


「なぁに、グレイ」

「もしかしてアンナは、シウリス様と知り合いなのか?」


 フォークをぐっと握るグレイに、アンナは頷いてみせた。


「ええ、言ってなかったかしら。実は私、シウリス様とは幼馴染みなのよ」

「…………は??」


 たっぷり時間を掛けたグレイは、ぽかんと口を開ける。それから眉を中央へと寄せた。


「待ってくれ……幼馴染み? 相手は王族だぞ」


 グレイはフォークをテーブルの上に置くと、金の髪をぐしゃりと掴む。


「王妃様の生家とは、家が近いの。でも関わりがあったのは、十歳までの話よ。今ではそう会うこともないし」


 グレイにとっては寝耳に水の話である。しかし信じられなかったのは一瞬で、すぐに納得もした。


「ああ……今さらながら、あの家はそういう地区なんだよな……だからシウリス様は闘技場で……そうか……」

「もしかして、シウリス様と私のことをなにか話したの?」

「婚約者だと伝えたんだが……まずかったか?」


 窺うような不安混じりの声のグレイに、アンナは首を左右に振ってみせた。


「大丈夫よ。なにも問題ないわ」

「……ならいいんだが」


 カールはその様子を黙って聞いているだけで、食事を進めている。

 それからはもう、グレイはなにも言わなかった。

 アンナもグレイが自分で進路を決めるまで見守ろうと思い、なにも言わずのその時は終わったのだった。


 それから数日、グレイは難しい顔をしたまま過ごしていた。

 アンナはそんなグレイと、目が合うことが少なくなったことにふと気付く。なぜ目が合わないのかの理由が思い浮かばず、一緒に帰る時もあまり話が弾まない。

 最初は紺鉄の騎士隊入りのことで悩んでいるのだろうと思っていたのだが、グレイはアンナ以外の人とは普通に接しているのだ。

 目が合った瞬間にふっと逸らされた時、アンナは思わずその場に立ち尽くしていた。

 帰り道で、アンナはなにか自分が悪いことをしたのかと問いかけてみたが、グレイは『悪い、そうじゃない』と言うだけだった。そしてまた難しい顔をしてなにかを思い悩んでいる。


(悩みがあるなら、相談してほしいのに……)


 婚約者とはいえ、そこまでズケズケと踏み込んでいいのかと悩み、アンナは『なんでも話してほしい』と言葉にすることはできなかった。


 その翌日のこと。

 隊務が終わって図書室で本を返していると、カールが入室してきた。目が合ったアンナは、少しホッとして彼の名前を呼ぶ。


「カール」

「おう!」


 夕食後のこの時間、カールは必ず図書室に来るとわかっていた。

 カールに少し相談できればと思い、アンナはグレイに本を返してくると言って、急いでやってきたのだ。結果、友人と話していたカールより早く着いたわけだが。

 アンナが図書室に行く時、グレイはいつもメンテナンス室で過ごしている。少しの間の別行動である。

 入室したカールは、毎日するように新聞を手に取った。そのまま座ったカールを、アンナは借りる本を選びながらチラリと見る。

 カールはそんなアンナに気が付き、少し元気がないことも察知した。


(なんか言いたそうだな。ちょっと待つか)


 読み始めるとアンナは話しかけるのを遠慮するとわかっていたカールは、新聞を目の前に置き、窓の外を眺めながら待った。

 案の定、本を借り終えたアンナはカールの方へと振り返る。


「……読まないの?」

「あとでな」

「時間があるなら、ちょっと相談したいことがあるんだけど」

「ああ、いいぜ」


 アンナはほっと息を吐いて、カールの正面の椅子に座る。


「ごめんね、急に」

「別にいいって。ミカの時は、俺が聞いてもらったしな。なんかあったか?」

「グレイのことなんだけど」

「お、どうすっか決まったって?」

「そうじゃないのよ。なんだか私、グレイに避けられてる気がして……」


 人の機微に聡いカールならばなにかわかるだろうかと、わずかな希望を抱いてアンナは尋ねた。


「あー、それな……確かに、アンナに対してだけおかしいとは思ったんだよな」

「やっぱりそうよね?」

「王都から帰ってきてからだよな。あの後、グレイとなんか話し合ったのか? 進路・・のことでよ」


 カールの問いに、アンナは首を横に振る。


「いいえ、それに関してはグレイから相談されるまで、なにも言わないでおこうと思って、一言も触れてないのよ。話した方が良かったのかしら……」

「いや、言わねぇで正解だと思うぜ。多分、男のプライドとか沽券に関わる話だからよ。あいつ、割とく方だしな」

「え?」


 カールの言葉の意味がわからず、アンナは首を傾げた。


「どうして嫉くなんて言葉が出てくるの? 私は今、グレイの進路について話し合った方がいいのかしらって相談をしてたんだけど」

「あ? うーん……わっかんねぇかな」

「わからないわ」


 正直に答えると、カールはグレイの複雑な感情をアンナに伝えられる言葉を探す。


「あいつ、紺鉄の騎士隊には入りたくねぇんだよ。なんでかわかるか?」


 カールの問いかけにアンナは思考を巡らせ、一つの答えに辿り着く。


「……隊長より上の出世ができなくなるから? 私が将になった時には追い抜かされるから、嫉妬しちゃうってこと?」

「ま、半分正解だな。けど嫉妬の対象はアンナじゃねぇんだ」

「じゃあ、一体誰に……」


 答えを導き出せないアンナに、カールは少し考えながら答えに誘導していく。


「オルト軍学校の戦闘班の奴らなら、大抵強さにこだわってっけどよ。グレイはその中でもさらに、強さにこだわってるフシがあんだろ」

「ええ、そうね」

「それは、アンナのためにっていうのがあると思うんだよな。いや、ちげーな。アンナを手中にするために、が正しいか」


 カールの分析にアンナは否定も肯定もできず、一瞬言葉を詰まらせた。

 その言い分はわかる。グレイはアンナより強くなければいけないと思い、『そこは結構頑張った』と本人が口にしていたことがあった。

 けれど後半部分は納得がいかない。すでにグレイはアンナを手に入れているし、アンナはグレイの強さだけに惚れたわけではないと思っている。


「私を手中にするためって……私は別に、グレイが強くなかったとしても──」

「好きになってたって言えっか? 例えばグレイが吹けば飛ぶような男だったとして、それでもアンナはグレイに惚れてたって思えっか?」

「……っ」


 アンナはカールにそう言われて初めて、グレイの強さにも惹かれていたことに気づく。精神的な強さだけではない、物理的な強さに。

 それは、初恋だったシウリスの影響を受けた結果であると、うっすらとだが思い至った。


「俺は断言できるぜ。もしグレイが戦わねぇ奴だったら、アンナの恋愛対象に入ってなかったってな」

「確かにそうかもしれないわ。戦わない人が嫌いというわけではないけれど、強い人だからこそ好きになっているという可能性は否定できない」

「まぁ動物の世界じゃ、強い奴がモテるのは自然なことだかんな。人間はちょっと複雑なだけで、アンナが特殊ってわけじゃねぇよ。アンナがグレイに惚れたのは、当然の結果だと俺は思ってんだ」


 カールの本心である。

 しかしアンナはそれを聞いても、一体グレイがどこに嫉妬しているのか、さっぱりわからなかった。


「もちろん、アンナがグレイの強さだけに惹かれたとは思ってねぇけどな。指標のひとつには違いねぇだろ。少なくとも、俺やグレイはそう感じてる。そこが重要なんだ」

「私の恋愛対象には強さの指標が入っていて……どうしてそれが重要で、グレイが嫉妬するの? さっぱりわからないんだけど」


 カールの説明ではどんどん迷宮入りしてしまいそうで、アンナはたまらず明確な答えを求めた。

 それでもカールはすぐには答えをくれず、また少し考えてから言葉にする。


「あいつ、アンナとシウリス様が幼馴染みって知らなかっただろ」

「ええ……言い忘れてたのよ。わざわざ伝えることでもないし。ダメだったかしら」

「別に責めてるわけじゃねぇよ。アンナ、覚えてっか? グレイが闘技場前でシウリス様に会った時のことをよ」


 闘技場前というと、剣術大会の日にシウリスがやってきてすぐの時のことだ。


「試合前の話? あの時はすれ違っただけじゃなかったかしら」

「まぁな。でもあん時、グレイはなんか渋い顔してただろ」


 そう言われて、アンナは当時のことを思い返した。確かにグレイは一瞬だけ眉を寄せていて、なぜそんな顔をするのかアンナは不思議に思っていた。


 ── 必要ないのよ、護衛なんか……シウリス様はとんでもなく強い……って、母さんが言ってたもの。


 護衛騎士が一人しかいないことに対してアンナがそう言い、グレイが渋い顔をしたのはその直後だ。


「でも、特にグレイに変わりはなかったわよ?」

「そん時のグレイは、アンナとシウリス様に関わりがあるって知らなかったんだ。それでもあの顔だぜ」


 アンナはやはり、カールの言う〝それでもあの顔〟の意味がわかりかねた。

 少し眉を寄せて、小首を傾げながらカールを見上げる。


「つまり?」


 カールは言うべきかどうか少し悩みつつも、アンナの疑問に答える。


「アンナは、グレイとシウリス様、どっちが強いと思う。多分、それが答えだ」


 赤い髪を揺らして真剣な瞳のカールに、アンナはハッとさせられた。

 それなら答えは決まっている。間違いなく、シウリスだと。


(なんとなく、カールの言いたいことがわかったわ)


 カールは明確に〝こうだ〟とは言っていない。

 もうこれ以上のヒントは出すべきではないと、カールは新聞を手にして終了を暗に告げた。


「ありがとう、カール……」

「おう。アンナは気にせず放っといてやれよ。あいつの問題だ」

「そう、ね……わかったわ、そうする」

「グレイなら大丈夫だからよ。信じてやれ」


 カールはそう言って顔を上げてニッと笑うと、すぐに新聞に目を落とす。そんなカールを邪魔しないように、アンナは心でもう一度礼を言うと、そっと図書室を出た。

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