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55.鬱陶しい女だと思われない?

 翌朝。

 胸にあった勲章が無くなっているのを見たリオネルとフィンは、星が空へ昇っていったのだと喜び、きゃっきゃと騒いでいた。

 カールはそんな二人に「よくやった!」と褒めて頭を撫でると、トラヴァスの家族に礼を言って家を出た。


 トラヴァスはいつも通り王宮へ、そしてアンナとグレイとカールは馬車でオルト軍学校へと戻る。

 軍学校の教官や仲間たちから賛辞を浴びて、アンナたちはその日を過ごしたのだった。


 それから二ヶ月と少しが過ぎ、十二月に入ったすぐのこと。

 かなり寒くなり、風邪を引く隊員が目立ってきたと思っていると、その日はグレイの姿が見当たらなかった。

 アンナは心配しながら、昼食を待ってカールに聞く。


「ねぇ、今日グレイは風邪でも引いたの?」


 相変わらず風邪も引かず、元気にもりもり肉を食べているカールである。


「いや、風邪じゃねぇ。聞いた話じゃ、どうやら王都に呼び出されたらしいぜ」

「王都に?」


 アンナはパチパチと目を瞬かせた。

 グレイを王都に呼び出す相手が、思い浮かばない。

 あり得るとすれば孤児院、アリシア、トラヴァスくらいだが、呼び出すほどの用事があるとは思えなかった。


「一体、誰に呼び出されたの?」

「さぁな、そこまではわかんねぇ。多分、今日は帰って来ねぇよ。早くても明日の昼だろ」

「まぁ、用事があるなら明日になるわよね……」

「浮気じゃねーから心配すんな」

「そんな心配はしてないわ」


 アンナの答えに、カールは少し目を細めて笑った。そんなカールの反応に少しの違和感を抱きながら、それでもアンナはグレイのことを考える。


(昨日の帰りはなにも言ってなかったし……緊急かしら。王都からグレイを呼び出すなんて、誰のしわざ?)


 なにかあったのだろうかと考えると不安になり、アンナは持っているフォークをぎゅっと握った。


「食えよ、アンナ。心配することねぇって」

「ええ……」

「夜はグレイの代わりに寮まで送ってやろうか?」


 そんな提案をする優しいカールに、甘えるわけにはいかないとアンナは首を横に振る。


「大丈夫よ。変な噂を立てられたら困るし」

「ああ。あいつ、割と嫉く方だしな」

「それに、カールはいつものように新聞を読んでから帰るんでしょう」

「まぁな。でも一日くらい平気だからよ。俺のことは気にせずに、使えるもんは使やぁいいんだからな」

「ええ、ありがとう」


 なにがあったのかは気にはなるが、知る術もない。

 当然、グレイは夕食の時間になっても帰ってこなかった。カールと二人で食事をとると、図書室に行くというカールと別れ、アンナは一人で寮へと向かう。

 冬の道はすでに真っ暗だ。吹き荒ぶ風は冷たく、周りは足早に寮へと向かっている。

 アンナは空を見上げて、吸い込まれそうな暗さにゾクリと背筋を凍らせた。

 久々の感覚だった。恐ろしいほどの孤独を感じるのは。


(今日は……新月だったわね……)


 星は美しく瞬いているというのに、月の光がないだけで……グレイが隣にいないだけで、不安がアンナに押し寄せる。


(グレイがどこかにいなくなってしまいそうで……怖い……)


 カタカタと体が震えた。寒さのせいだけではない。


 父がそうしたように、ある日いきなりグレイが消えたらと考えるだけで。

 シウリスのように、唐突に切り離されたらと考えるだけで。


(いや……! グレイ、早く帰ってきて……!!)


 ほんの少しでも離れていられない自分に愕然とした。

 今、隣にいない事実に。アンナは孤独だけではなく絶望を感じるほど、グレイを愛している。

 二度と会えなくなったらと考えるだけで、頭がおかしくなりそうなほどに。


(怖い……怖いわ、グレイ……! 大丈夫だって、俺がいるって、早く抱きしめて……!)


 身体中が不安と孤独で闇に呑まれそうになった、その時。


「おい、大丈夫か?」


 掛けられた声にハッとして、アンナは振り返る。

 そこには白い息を吐きながらどこか寂しそうに笑う、赤髪の男の姿があった。


「さびーよな。これ、着とけよ」

「カール……」


 カールは手に持っていたコートを、アンナの肩へとひょいと掛ける。


「これじゃあ、カールが風邪引いちゃうわ」

「元々着てねぇし。持ってただけだ、気にすんな」

「でも……」

「やっぱ送らせてくれ。アンナを一人で帰らせたのかって、後でグレイに怒られそうだかんな」


 そう言ってカールが隣に立ったことで、アンナの孤独は少し緩和された。

 ほっと息を吐き、「ありがとう……」と小さな声で呟く。


「わざわざ追いかけて来てくれたの? 新聞は?」

「言ったろ、一日くらい構やしねぇんだよ。明日二日分読めばいい話だ」

「私……だめね……」

「んあ? なにがだ?」


 落ち込むアンナにカールは眉を寄せ、隣で俯いている初恋の人を少し見下ろす。


「グレイがいないと思うだけで、だめなの。グレイやみんなに会うまでは私、一人でも平気だって思い続けてた。そう思わなきゃ……立っていられなかったから……」

「アンナ……」

「もしもグレイが帰ってこなかったらどうしようって……」


 言葉に出すと、さらに恐怖が襲いかかった。

 グレイの背中に、まるで死神の手が伸びているようにさえ感じて。

 アンナの心は、真っ黒な感情で押しつぶされる。


「いきなりグレイが父さんみたいに消えちゃったら、怖くて孤独で死んじゃうわ!」

「死なせねーよ!!」


 カールの大きな声に、アンナはびくりと体を動かした。

 赤眼の真剣な表情は、年下のカールをいくつも年上に感じさせる。


「カール……」


 しかしカールは、すぐさまいつもの人懐こい笑みに表情を変えた。


「それ、グレイに言ってやれよ。あいつ、喜ぶと思うぜ。こんなにアンナに想われてよ」

「喜ぶかしら……鬱陶しい女だと思われない?」

「思うわけねぇって。だってグレイだぜ」


 その言い草に、アンナは笑みを溢した。グレイだからという理由に、なによりの説得力を感じて。


「ふふ……そうね」

「お、ようやく笑ったな」


 そう言って、カールは片方の口角を上げながら目を細めた。


「え? 私、笑っていなかった?」

「おお、今日は全然。にこりともしてなかったぜ。さすがに心配したっつかよ」

「気づいてなかったわ……ごめんなさい」

「いいって。それだけグレイのことが好きなんだろ。敵わねぇよな」


 カールの言葉をアンナは、


『グレイのことが好きすぎるアンナを、どう扱っていいか対処に困る』


 という意味に捉えた。申し訳なく思いつつも恥ずかしくなり、顔を赤らめる。


「いつもありがとう、カール」

「おう。もう大丈夫か?」

「まだ少し寂しいけど……明日帰ってくるんだものね」

「多分な」


 確定ではない言葉に、アンナはまたシュンと肩を落とした。

 そんなアンナの姿を見ていると、カールの胸はぎゅっと掴まれたように痛くなる。


「グレイがいねぇ間は、俺が一緒にいてやっからよ」

「え……?」


 聞き返して首を傾げるアンナに、今度はカールが一瞬カッと耳を熱くした。

 しかしカールは臆することもなく、自分の思いをアンナに告げる。


「……グレイの代わりにはなれねぇけどよ。こんな風にアンナが寂しい思いしてる時には、必ず傍にいる。俺だけじゃねぇ。王都にはトラヴァスや筆頭大将もいるじゃねぇか。アンナは一人じゃねぇぞ!」


 アンナは真剣な面持ちのカールに面食らった。

 カールの気持ちが嬉しくて、でもまさかそんな風に考えていたとは思いもしていなくて。

 アンナの心は、カールの優しさでじんわりと心は温まる。


「ありがとう、カール。仲間って、素敵ね」

「……おう」


 そう言いながら、カールは届いていない・・・・・・ことを感じ取った。

 アンナの中で、グレイの占める割合が大きすぎるのだ。

 カールが傍にいて埋め合わせたところで、全体の一割にも満たないと、感覚で理解した。


(俺じゃあ無理なんだよな。わかってっけど……)


 寮へと歩き始めるアンナを見て、カールは。


(つらい時にはぜってぇ、傍にいっから)


 暗い夜道を、一定の距離をとりながら。カールは、アンナを寮へと送り届けるのだった。

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