翌朝。
胸にあった勲章が無くなっているのを見たリオネルとフィンは、星が空へ昇っていったのだと喜び、きゃっきゃと騒いでいた。
カールはそんな二人に「よくやった!」と褒めて頭を撫でると、トラヴァスの家族に礼を言って家を出た。
トラヴァスはいつも通り王宮へ、そしてアンナとグレイとカールは馬車でオルト軍学校へと戻る。
軍学校の教官や仲間たちから賛辞を浴びて、アンナたちはその日を過ごしたのだった。
それから二ヶ月と少しが過ぎ、十二月に入ったすぐのこと。
かなり寒くなり、風邪を引く隊員が目立ってきたと思っていると、その日はグレイの姿が見当たらなかった。
アンナは心配しながら、昼食を待ってカールに聞く。
「ねぇ、今日グレイは風邪でも引いたの?」
相変わらず風邪も引かず、元気にもりもり肉を食べているカールである。
「いや、風邪じゃねぇ。聞いた話じゃ、どうやら王都に呼び出されたらしいぜ」
「王都に?」
アンナはパチパチと目を瞬かせた。
グレイを王都に呼び出す相手が、思い浮かばない。
あり得るとすれば孤児院、アリシア、トラヴァスくらいだが、呼び出すほどの用事があるとは思えなかった。
「一体、誰に呼び出されたの?」
「さぁな、そこまではわかんねぇ。多分、今日は帰って来ねぇよ。早くても明日の昼だろ」
「まぁ、用事があるなら明日になるわよね……」
「浮気じゃねーから心配すんな」
「そんな心配はしてないわ」
アンナの答えに、カールは少し目を細めて笑った。そんなカールの反応に少しの違和感を抱きながら、それでもアンナはグレイのことを考える。
(昨日の帰りはなにも言ってなかったし……緊急かしら。王都からグレイを呼び出すなんて、誰のしわざ?)
なにかあったのだろうかと考えると不安になり、アンナは持っているフォークをぎゅっと握った。
「食えよ、アンナ。心配することねぇって」
「ええ……」
「夜はグレイの代わりに寮まで送ってやろうか?」
そんな提案をする優しいカールに、甘えるわけにはいかないとアンナは首を横に振る。
「大丈夫よ。変な噂を立てられたら困るし」
「ああ。あいつ、割と嫉く方だしな」
「それに、カールはいつものように新聞を読んでから帰るんでしょう」
「まぁな。でも一日くらい平気だからよ。俺のことは気にせずに、使えるもんは使やぁいいんだからな」
「ええ、ありがとう」
なにがあったのかは気にはなるが、知る術もない。
当然、グレイは夕食の時間になっても帰ってこなかった。カールと二人で食事をとると、図書室に行くというカールと別れ、アンナは一人で寮へと向かう。
冬の道はすでに真っ暗だ。吹き荒ぶ風は冷たく、周りは足早に寮へと向かっている。
アンナは空を見上げて、吸い込まれそうな暗さにゾクリと背筋を凍らせた。
久々の感覚だった。恐ろしいほどの孤独を感じるのは。
(今日は……新月だったわね……)
星は美しく瞬いているというのに、月の光がないだけで……グレイが隣にいないだけで、不安がアンナに押し寄せる。
(グレイがどこかにいなくなってしまいそうで……怖い……)
カタカタと体が震えた。寒さのせいだけではない。
父がそうしたように、ある日いきなりグレイが消えたらと考えるだけで。
シウリスのように、唐突に切り離されたらと考えるだけで。
(いや……! グレイ、早く帰ってきて……!!)
ほんの少しでも離れていられない自分に愕然とした。
今、隣にいない事実に。アンナは孤独だけではなく絶望を感じるほど、グレイを愛している。
二度と会えなくなったらと考えるだけで、頭がおかしくなりそうなほどに。
(怖い……怖いわ、グレイ……! 大丈夫だって、俺がいるって、早く抱きしめて……!)
身体中が不安と孤独で闇に呑まれそうになった、その時。
「おい、大丈夫か?」
掛けられた声にハッとして、アンナは振り返る。
そこには白い息を吐きながらどこか寂しそうに笑う、赤髪の男の姿があった。
「さびーよな。これ、着とけよ」
「カール……」
カールは手に持っていたコートを、アンナの肩へとひょいと掛ける。
「これじゃあ、カールが風邪引いちゃうわ」
「元々着てねぇし。持ってただけだ、気にすんな」
「でも……」
「やっぱ送らせてくれ。アンナを一人で帰らせたのかって、後でグレイに怒られそうだかんな」
そう言ってカールが隣に立ったことで、アンナの孤独は少し緩和された。
ほっと息を吐き、「ありがとう……」と小さな声で呟く。
「わざわざ追いかけて来てくれたの? 新聞は?」
「言ったろ、一日くらい構やしねぇんだよ。明日二日分読めばいい話だ」
「私……だめね……」
「んあ? なにがだ?」
落ち込むアンナにカールは眉を寄せ、隣で俯いている初恋の人を少し見下ろす。
「グレイがいないと思うだけで、だめなの。グレイやみんなに会うまでは私、一人でも平気だって思い続けてた。そう思わなきゃ……立っていられなかったから……」
「アンナ……」
「もしもグレイが帰ってこなかったらどうしようって……」
言葉に出すと、さらに恐怖が襲いかかった。
グレイの背中に、まるで死神の手が伸びているようにさえ感じて。
アンナの心は、真っ黒な感情で押しつぶされる。
「いきなりグレイが父さんみたいに消えちゃったら、怖くて孤独で死んじゃうわ!」
「死なせねーよ!!」
カールの大きな声に、アンナはびくりと体を動かした。
赤眼の真剣な表情は、年下のカールをいくつも年上に感じさせる。
「カール……」
しかしカールは、すぐさまいつもの人懐こい笑みに表情を変えた。
「それ、グレイに言ってやれよ。あいつ、喜ぶと思うぜ。こんなにアンナに想われてよ」
「喜ぶかしら……鬱陶しい女だと思われない?」
「思うわけねぇって。だってグレイだぜ」
その言い草に、アンナは笑みを溢した。グレイだからという理由に、なによりの説得力を感じて。
「ふふ……そうね」
「お、ようやく笑ったな」
そう言って、カールは片方の口角を上げながら目を細めた。
「え? 私、笑っていなかった?」
「おお、今日は全然。にこりともしてなかったぜ。さすがに心配したっつかよ」
「気づいてなかったわ……ごめんなさい」
「いいって。それだけグレイのことが好きなんだろ。敵わねぇよな」
カールの言葉をアンナは、
『グレイのことが好きすぎるアンナを、どう扱っていいか対処に困る』
という意味に捉えた。申し訳なく思いつつも恥ずかしくなり、顔を赤らめる。
「いつもありがとう、カール」
「おう。もう大丈夫か?」
「まだ少し寂しいけど……明日帰ってくるんだものね」
「多分な」
確定ではない言葉に、アンナはまたシュンと肩を落とした。
そんなアンナの姿を見ていると、カールの胸はぎゅっと掴まれたように痛くなる。
「グレイがいねぇ間は、俺が一緒にいてやっからよ」
「え……?」
聞き返して首を傾げるアンナに、今度はカールが一瞬カッと耳を熱くした。
しかしカールは臆することもなく、自分の思いをアンナに告げる。
「……グレイの代わりにはなれねぇけどよ。こんな風にアンナが寂しい思いしてる時には、必ず傍にいる。俺だけじゃねぇ。王都にはトラヴァスや筆頭大将もいるじゃねぇか。アンナは一人じゃねぇぞ!」
アンナは真剣な面持ちのカールに面食らった。
カールの気持ちが嬉しくて、でもまさかそんな風に考えていたとは思いもしていなくて。
アンナの心は、カールの優しさでじんわりと心は温まる。
「ありがとう、カール。仲間って、素敵ね」
「……おう」
そう言いながら、カールは
アンナの中で、グレイの占める割合が大きすぎるのだ。
カールが傍にいて埋め合わせたところで、全体の一割にも満たないと、感覚で理解した。
(俺じゃあ無理なんだよな。わかってっけど……)
寮へと歩き始めるアンナを見て、カールは。
(つらい時にはぜってぇ、傍にいっから)
暗い夜道を、一定の距離をとりながら。カールは、アンナを寮へと送り届けるのだった。