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52.今のままを願ってるのは、おそらく

 トラヴァスは第三軍団のデゴラのところへ戻り、三人は隊服へと着替えた。

 まだトラヴァスの退勤までは時間があるので、その間カールはアンナの家で待つことになり、三人だけで王宮を出る。

 夕食の買い物を先に済ませている間も、カールはあちこちに目をやって「すげぇな」「さすが王都だな」「なんでもあんだなぁ!」を繰り返している。

 そしていざアンナの家の前に来ると、カールはポカンと家を見上げた。


「げ……アンナ、お嬢様じゃねぇか!」

「違うわよ、やめて。もう、みんなして揶揄うんだから」

「いや、まぁ……この家を見れば誰でもそう思うよな」


 お嬢様の自覚のないアンナである。

 アンナはリーン家で幼少期を過ごしたため、品性を叩き込まれて育ってはいるが、貴族というわけでない。

 代々が武将の家系で武功を上げてきたので、家は大きくはあるが、アンナ本人はお嬢様からかけ離れていると思っている。

 しかし山奥で生まれて孤児院で育ったグレイや、魔物の出る森の奥で生きてきたカールにとって、王都の貴族が集う中心地に住んでいるアンナは、十分過ぎるほどにお嬢様であった。


 家の中に入ったカールが、室内用の慣れないシューズに履き替えてもぞもぞとしているのを見て、グレイは笑った。

 アンナとグレイは慣れた手つきで家の窓を開けていき、カールはお客様扱いでソファーへと座る。


「なんだよ、グレイはすっかりこの家の住人じゃねぇか」

「まぁ、何度も来てるしな」

「卒隊したら、二人でこの家に暮らすんだろ?」

「まぁな」

「ちぇ、いいよなぁお前らは。ずっと一緒にいられてよ」


 カールはそう言った瞬間ハッとして、慌てて言いわけた。


「あー、悪ぃ! ちげーんだ。なんか俺だけ置いてかれる気がしてよ」


 嫉妬しているわけじゃないと伝えるために、カールは自分の気持ちを明確に告げる。

 カールは三日早く生まれていれば、アンナたちと同級だったのだ。

 たった三日だからこそ、余計に悔しい。どうしようもないことだと、わかっているのだが。


「ばかね、一年だけじゃない。またすぐ一緒にいられるわ。同じ騎士を目指してるんだもの」

「……あ、ああ。そうだよな」


 忙しく動くアンナが遠くから微笑み、カールは力無く笑った。

 そんなカールの姿を見たアンナが、グレイにちょいちょいと指で指示を送る。


「仕方ないな」


 そう呟くとグレイは家のことをアンナに任せ、カールの隣にズドンと座った。


「どうした、カール。思春期か? なにかあるなら聞いてやるぞ」

「……おめーもたまに、兄貴風吹かすやつだよなぁ」


 じろりと睨むカールに、ニヤリとした笑みを向けるグレイである。

 カールはふっと息を吐くと、ソファーへと背をつけて天井を見上げながら呟くように言った。


「俺たちも、ずっと一緒ってわけにはいかねぇよな……」


 トラヴァスがフリッツ派となったことを、カールは考えていた。

 アンナとグレイはシウリス派となる可能性が高い。

 騎士になれば、オルト軍学校で仲良くやっていた頃のようにはなれないと感じての、カールの言葉だった。


「そうだな。俺たちは成長していくし環境も変わっていく。今までと同じようにってわけにはいかないだろう」

「ああ。わかってんだけどな」

「寂しいのか?」

「っい゛!?」


 ズバリと問われて、カールは思わず声を上げた。

 そんな姿を見て、グレイは笑う。


「ははっ、お子様だな」

「うっせ!! しょーがねーだろ! 今が……楽しいんだからよ」


 真剣な顔立ちのカールを見て、グレイは笑いごとではなさそうだと腕を組んだ。


「まぁ、そう思ってるのはお前だけじゃない」

「お前もか? グレイ」

「そうだな。けど一番今のままを願ってるのは、おそらく……」


 グレイの視線が、忙しく動き回るアンナへと向けられた。

 それを見て、カールは確かにと頷いてみせる。


「アリシア筆頭も気にしてたもんな」

「カールも気づいたか」

「ああ。あの部下の信頼の話な」


 アンナの交友関係は狭い。人見知りというわけではないが、深く人に立ち入ることを極端に怖がる節があった。

 それは昔、親しくしていたシウリスから唐突に切り離されてしまった過去を持つからなのだが、二人はもちろんそのことを知らない。

 しかし理由はわからなくとも、アンナは信頼関係を簡単に築けるような人間ではないと、グレイとカールは見抜いていた。

 だからこそ、深い信頼関係を築けた四人とは変わらぬ関係でいたいのだと。アンナがそう願っていることを、二人は見抜いていたのだ。


「ずっと変わらない関係など無理かもしれないがな。俺たちはそうあることを願ってる。今はそれで良くないか?」


 グレイは後ろに撫でつけられた金色の髪を揺らし、目だけをカールへと向けた。

 その悟ったグレイの顔にゾッとするカールである。


「うへぇ……似合わねぇ髪型で兄貴面かよ」

「おま、俺が今いい話をしてやっただろうが!」

「いででで、ギブギブ!!」


 ヘッドロックを決められているカールを見て、「仲がいいわねぇ」と微笑みながらパタパタと通り過ぎるアンナであった。


 そうこうしていると、日が暮れる前にトラヴァスがカールを迎えに来た。

 カールが「ありがとな!」と礼を言って出ていき、ようやくアンナとグレイ、二人っきりの時間である。


「カールと楽しそうにしてたわね。なにを話してたの?」

「これと言ってなにもないぞ。お子様のお守りみたいなもんだ」

「もう、カールが聞いたら怒るわよ」


 アンナはクスクスと笑いながら言い、下ごしらえの済んだ野菜を鍋に放り込んでいく。


「もう作り始めてたのか。一緒にやれるんだから、俺たちの会話に加わってくれてよかったんだぞ」

「ふふっ。あんまり仲良くしてるから、邪魔しちゃ悪いと思って」

「そんな風に見えるか?」

「ええ。グレイはカールと絡む時、とっても楽しそうよ?」

「……まいったな」


 グレイは照れ隠しに髪を掻いた。

 確かにカールをいじるのは、めちゃくちゃ楽しいグレイである。


(アンナやカールのことを言えないな。俺もずっと、このままがいいと思ってる。いや、ずっと結婚せずこのままはいやだが)


 しかし、もうすでになにかが変わってきているとグレイは感じていた。

 以前、図書室でアンナがカールを抱きしめていたことを含め、最近のカールはたまに思考の渦に入っていることがある。

 そしてそれを、グレイに言おうとはしていない。


(頼られないってのは寂しいもんだな。変わりたくないと言っているあいつが一番、俺たちの関係を変える引き金になるのかもしれん)


 そんな未来を想像し、自分も寂寥を感じていることに気づいて、グレイは苦笑いした。

 将来のことをあれこれ講じていても仕方ないと、今は割り切るしかない。

 それよりも今は、目の前にいる恋人を見つめた。

 今日のアンナは美しく化粧がされていて、ちゃんと見ないともったいない。

 じっと顔を見るグレイに、アンナは首を傾げる。


「なぁに、グレイ」

「いや、あんたは本当に綺麗だなと思ってな」

「本当? 王宮では仏頂面だったから、化粧が気に入らないんだと思ってたわ」

「いや。みんなの前では言いにくかっただけだ。俺の嫁はなにをしてもかわいいぞ」

「私もみんなの前では言えなかったけど、そのグレイの髪が素敵でドキドキしちゃったわ」


 アンナが頬を赤らめながら告げると、グレイは自分の髪もセットしていたことを思い出し、少し照れた。


「カールには大笑いされたけどな」

「ふふ、見慣れないものね。今日はお風呂に入るまで、そのままでいてね?」

「普段からこっちの方がいいか?」

「ううん、たまにするからいいのよ」


 アンナは手を伸ばし、グレイの金色の髪に触れる。

 グレイもまた、綺麗に化粧されたアンナの頬へと手を置いた。


「アンナもたまにでいいな。こんな姿を軍学校のやつらになんて見せられるか。もったいない」

「もったいないって」


 ぷっと笑ったアンナに、グレイは目を細めて恋人の瞼へと唇を落とす。

 そしてそのまま鼻筋、口元へと滑らせていった。


「ん、グレイ……」

「あー、ダメだな。満月・・から幾日も経ってないっていうのに」


 綺麗に化粧をしすぎるルーシエが悪いと、心の中で責任転嫁するグレイである。


「今日は貴族年鑑でお勉強よ?」

「それ、今度にしないか?」


 そう言いながら、グレイはアンナに手を回す。

 体と体は密着し、もう一度唇を重ね合わせると、アンナは落ちた。


「もう……ばか」


 それが承諾の意味だと理解しているグレイはニヤッと笑い。

 夜が更けると、二人の息づかいは重なり合うのだった。


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