トラヴァスのために、怒りと涙を見せるカール。
その姿にトラヴァスはふっと笑い、珍しい表情を見たカールの方が少し動揺した。
「……大丈夫か? いつもあんなになるのかよ」
「思い出さなければ平気だ。気にしてくれるな」
「おい。お前のダメなとこは、そういうとこだぜ! 気になるに決まってんだろ! もっと頼れよ!」
ストレートに駄目なところは駄目だというカールの言葉を、トラヴァスは素直に受け入れる。
「そうだな。これからは気をつけよう」
「おう!」
カールはそれでいいと、鼻息をふんっと吹き出した。トラヴァスも平常運転に戻り、無表情で口を開く。
「さて、話はここからだ」
ようやく本題を切り出すトラヴァスに、カールは席に戻って頷いた。
カールが疑問に思っているのは、トラヴァスがなぜ現王のシウリスを差し置いてフリッツを推しているのか、である。
「まずは俺とフリッツ様との関わりなのだが……俺とヒルデ様の関係を察したフリッツ様が、助けようとしてくださったのが発端だった」
「フリッツ様が? なるほど、そこでトラヴァスとフリッツ様に接点が生まれてたんだな」
「ああ。フリッツ様は味方を欲しておられてな。好戦的すぎるシウリス様のやり方をよく思っておられず、考えが俺と近かったのが一番大きい」
「……まぁシウリス様は自隊を作って率いてっしな。外交も強気な姿勢ばっかでヒヤヒヤはすっけどよ。けどそれが上手く回ってんだろ? 王座から引き摺り下ろさなきゃいけねぇほどか?」
カールの疑問に、トラヴァスはしばし黙した。
大した理由もなしに、トラヴァスは国王を王座から引き摺り下ろす男ではない。それをわかっているカールは、赤眼をアイスブルーの瞳へと向けた。
「……まだ隠してることがあんだな?」
「ああ。個人的な理由もある」
「言えよ。くだらねぇ理由じゃねぇだろ」
「いいや、くだらないな。俺は……シウリス様に会うたび〝穢らわしい〟と言われ蔑まれ続けている。ヒルデ様とのことを知られているからな」
あれからトラヴァスは、シウリスの軽蔑の視線を浴び続けてきた。
忘れたいと思っているというのに、穢らわしいという言葉一つですべてが蘇ってきてしまう。
「まぁ、大したことはない理由だ」
「いや、大したことあるっつの! 言われるたび思い出して、あんな思いをしてんだろ!? んだよ、シウリス様、トラヴァスに恨みでもあんのかよ!」
怒りを露わにするカールに、トラヴァスの心は少し救われる。
シウリスに蔑視を向けられるたび、自分の身に降りかかったことを思い出して、気が狂いそうになるのだ。
いつまで経っても忘れられない理由はシウリスのせいでもあり、トラヴァスはどんどん恨みを募らせていた。
しかしもちろん、シウリスを王座から下ろしたい理由はそれだけではない。
「確かに俺は、そう言われることも含めてシウリス様のことを良くは思っていないが……決定的な理由が、もう一つある」
「んだよ、もったいぶらずに言えって」
「いや。これは機密で、さすがに簡単には漏らせないのだ」
「そうか。やべぇんだな」
「ああ、かなりまずい」
カールは無理に聞き出すこともなく、トラヴァスのアイスブルーの瞳をじっと見つめた。
機密とはもちろん、シウリスが前王レイナルドとヒルデ、ルトガーという王族三名の他に、ルナリア殺害の実行犯である二名を勝手に処刑したことである。
(あの時のシウリス様を見れば、王に相応しい人物とは思うまい……)
感情のままに人の命をいとも簡単に刈り取ったシウリスを。
己の父親ですら、手にかけたシウリスを。
トラヴァスは王に相応しいとは思わない。
普段は確かに立派な王だ。国民の目にもそう映っている。
しかしいくら政務ができても、誰も敵わないほどの強さを誇っていても、人格に難ありとしか言いようがない。またいつ、あのような惨劇が起こるかわからないのだ。
今は落ち着いているが、シウリスはなにがきっかけで爆発するかわからない。
過去の出来事のせいで歪んでしまっている性格と、脈々と受け継がれている王族の好戦的な血筋。
これらが混じり合ったときには、次こそフリッツの命は絶たれるかもしれないと考えると、心底ゾッとした。
そうなればトラヴァスの目指す真の平和は、実現不可能となる。
だからこそシウリスに押しつぶされないようにフリッツ派を増やし、フリッツを国王に据えるという夢を実現させたいのだ。
しかし今のトラヴァスの立場では、シウリスの王族殺しの機密を話すわけにはいかない。カールが人に話すことはないとわかっていても。
機密は守らねばならず、破った時には制裁を受ける。相手があのシウリスであれば、なおさらだ。
しかし機密というのは、情報を共有できる術もあった。トラヴァスは自分をじっと見ているカールへと、その方法を告げる。
「今は話せん。しかし俺とカールが将となった暁には、俺の判断で機密を伝えることができる」
軍のトップクラスでなら、機密の共有は認められているのだ。
必ずしも共有する必要はないが、必要だと判断された時のみ、許可されている。
それでも上の人間……つまり筆頭大将の許可を得なければいけないのだが。
(カールが将になる頃には、アリシア筆頭大将も引退してトップは入れ替わっているだろう。あの事件の真相を知る将は、俺一人になるはず。そうなれば、機密の共有は俺個人の判断で可能となる)
その時には自分が筆頭大将となっておきたいトラヴァスである。
最低でも、将になっておかなければいけない話だ。
「俺は三年以内に将になるつもりだ。カールも駆け上がってこい。その時に改めて、この話をしよう」
「おう、わかった。さくっと将になってやっからな!」
カールのやる気と頼もしい言葉に、トラヴァスはふっと息を出した。
そんなトラヴァスの言いたいことを、カールは頭の中でまとめ上げる。と同時に、今日のアンナの、シウリスに対する態度を思い浮かべた。
「そうか……アンナのいるところじゃ言えなかった理由がわかったぜ」
察しのいいカールに、トラヴァスは無表情で頷く。
「ああ……アンナは以前、シウリス様と幼馴染みだと漏らしたことがあるからな」
「あん時はどういうことか、詳しくは聞けなかったけどな」
まだグレイがオルト軍学校に入る前の話だ。
なんの話の流れだったか、アンナがぽろりと『シウリス様とは幼馴染みなのよ』と漏らしたことがあった。アリシアから一緒に剣を習っていたのだと。
誇らしく言うわけではなく、むしろどこか悲しそうに語るアンナを見て、トラヴァスもカールも、それ以上シウリスとの間になにがあったのかは聞かなかった。
「カール。今日のアンナとシウリス様を、どう思った?」
人の機微に聡いカールの意見を、トラヴァスは欲した。おそらくは自分と同じ印象を持っているだろうと思いながら、確信を得たくて。
「まぁ……アンナはシウリス様を気にしてるよな。シウリス様の言葉が自分にだけねぇことにショックを受けてたしよ」
「そうだな」
「逆にシウリス様は、アンナを不自然なほど無視してんだろ。あれぁアンナを気にしすぎてる結果だよな」
前半の話は同じ考えだったトラヴァスだが、後半のカールの言葉に目を向けた。
「シウリス様は、アンナへの興味がないということではないのか?」
「逆だろ。興味がなけりゃ、アンナを助けに来たりはしねぇよ。その上で無視してんだ。なんか理由があんじゃねぇのか?」
「なんにせよ、二人は互いを気にしているということだな」
「幼馴染みだっつーしな。俺たちにはわかんねぇもんもあんだろ」
カールの話に、アンナとシウリスにはまだ幼馴染みという感情が残っていると、トラヴァスは結論づけた。つまり、それは。
「アンナは……シウリス様派、だろうな」
「そうなるはずだ」
その可能性があったから、トラヴァスはアンナの前で自分がフリッツ派だという話を出さなかったのだ。
グレイはどうかわからないが、現王を引き摺り落としてまでフリッツを即位させる理由はない。ならば、恋人であるアンナとの対立は避ける選択をするはずである。
「言わねぇよ。アンナにも、グレイにも」
「すまん……助かる」
眉根に力を入れていた親友にカールは軽く言って、トラヴァスはこくりと頭を下げる。
しかし直後、カールは答えを告げるために顔を引き締めた。
「悪ぃが、俺はまだどっち派かなんてことは決められねぇ。騎士となって自分の目で見極める。将になってトラヴァスの話を聞いた上で、どうするかを判断するぜ」
「ああ。それでいい」
トラヴァスの目的はとりあえず達成した。
カールに自分の目指す方向を知ってもらえたのだ。
もちろん、カールならフリッツ側に来てくれるだろうという、目算があったからなのだが。
「遅くまで悪かったな、カール」
「気にすんなよ。騎士にもなりゃあ、色々あんだろ。話、聞けてよかったぜ」
そう言ってカールは立ち上がり、扉の前まで来ると振り返った。
「あんま、無茶すんなよ」
その一番の友人の言葉に、トラヴァスはふっと笑う。
「ああ、大丈夫だ」
「っへ、本当かよ」
カールは軽く笑って扉を閉めると、客間を離れて寮の部屋へ向かって歩き始めた。
廊下は暗く、光は外の月明かり程度のものだ。
そんな孤独な道を歩きながら、カールは先ほどのトラヴァスとの会話を反芻する。
(トラヴァスはなんか決定的な理由を持ってんだな。だから、シウリス様をこのまま国王でいさせるつもりがねぇ……)
実際にトラヴァスは、まだなにかをしている状態ではない。この国ではどちらかの派閥につくのはよくあることだ。会話だけであれば、まだ謀反とは言えない。
ただトラヴァスの決意表明が真剣だということくらいはわかっている。
(現状、フリッツ様を王にさせる方法は三つか)
ひとつはシウリスに後継ぎを作らせないこと。
そうすれば、いつかは自動的にフリッツが王となる。ただしシウリスとフリッツは四つしか年が変わらないので、天寿をまっとうするまで生きるとなると相当の時間を要することになる。
一生結婚させない、もしくは後継ぎを作らせないというのも、至難の業だろう。
ふたつめは退位を説得させることだ。
失脚工作をし、王の信用を失わせれば、力を持つ貴族たちによって退位を迫ることもできる。
トラヴァスが考えているのはおそらくこっちだろうと、カールは当たりをつけた。
そしてみっつめは、暗殺である。
隊を率いて行軍に出るシウリスであれば、トラヴァスたちが無理に手を下さずとも、敵と引き合わせて亡き者にさせることもできる。
そこまで強い敵がいれば、であるが。
(あんだけの強さを誇るシウリス様を討ち取れるやつなんか、そうそういねぇぜ……)
シウリスの強さを間近で見たカールは、暗殺がいかに難しいことかを感じ取っていた。
(まぁ俺はまだ、シウリス様派でもフリッツ様派でもねぇけどよ……)
カールは現在のシウリスを、国王として功績をあげていると思っている。
政務にしろ、外交関係にしろ、強気過ぎる姿勢に心配することはあっても、今のところフィデル国以外の国との間に摩擦は起こっていない。
今持っているカールの情報では、シウリスを国王から転落させる意味は見当たらなかった。
それらを総合しても、フリッツを王にさせるつもりのトラヴァスには、大きな理由があるのだろうと察してはいる。
(トラヴァスはフリッツ様派、アンナはシウリス様派……になるだろうな……)
── カール。今日の仲間が、明日も仲間だとは限らないよ。
ふと浮かぶ、ミカヴェルの言葉。ひゅっとカールの喉が渇く。
(違ぇ……俺は……俺たちはどっちを選んだとしても、同じストレイア王国の仲間に変わりはねぇんだ!)
── 人は時に、裏切りったり裏切られたりするものだよ。
(くそ、ミカのやつあんなこと言いやがって! うるせぇんだよ!!)
── 裏切ることが、正義ということも──
「やめろッッ!!!!」
振り切るように出した声は大きく、静まった廊下に広がった。
寮の扉からはどうしたどうしたと隊員たちが起き出して扉を開く。
「カールじゃないか」
「夢遊病かー!?」
「早く寝ろよ!」
「なんかあったのか?」
「わ、わり……大丈夫だ。気にしねーでくれ」
なんでもないと手でひらひらして見せると、みんなは「早く寝ろよ」と言いながら、部屋の扉を閉めていく。
また静かになった一人だけの廊下で、カールは自分の手をじっと見つめた。
──君は君の思う正義を貫き通せばいい。たくさんある正義のうち、最善と思うものを選び取れ。
そしてまたもミカヴェルの言葉を思い出し。彼の言葉に救われている自分に息を吐く。
(今はまだ選ぶ時じゃねぇ。俺はその時が来るまで、自分の信念を確立していく)
時が来た時、迷わぬように。
その手に選ぶ正義が、最善であると確信を持てるように。
カールはギュッと自身の手を握り、窓から降り注ぐ満月の光を浴びながら誓っていた。