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48.お前は冷静過ぎんだよ!

 カールがオルト軍学校の隊員となった時、入寮して同室となったのが、トラヴァスだった。

 年齢差もあり、一緒に過ごした期間というのは二年だけだったが、その二年で互いのことを一番知り尽くしていると思っている。

 尤も、トラヴァスは聞かれもしないことをペラペラ話したりはしないし、カールもまたズケズケと聞いたりはしない。

 友人として接しながらも、互いに節度を守っている付き合いだと言える。

 しかし、ここぞという時には踏み込める関係性であり、それを不快に思うことは互いにない。

 相手が困った時には助け合えるという、絶対的な信頼があった。


 トラヴァスは用意された寮の客間に入ると、カールもまた同じ部屋へと入る。

 机とベッドがあるだけの寮の部屋とは違い、こちらは格式の高い部屋で暖炉まであった。まだ寒くはないので、使うことはないが。

 二人はテーブルに設置されている椅子に腰掛けると、改めて向かい合った。


「こうして部屋に二人っつーのも、久しぶりだなっ」


 イシシッとカールが嬉しくて笑うと、トラヴァスも顔を綻ばせる。


「本当だな。大丈夫か、もう十時を回っているが。眠くはないか」

「おい、トラヴァス。そんな子ども扱いすんなよ! 今は十二時くらいまで起きてられるっつの!」

「成長したものだな。昔は九時を過ぎるとコテンと寝ていたものだが」

「んーなの、最初の頃だけだろ?」


 笑いながら突っ込むカール。

 入隊した十三歳の時からカールを知っているトラヴァスだが、この天性の明るさは昔から変わらないなと嬉しく思った。


「しかし、わざわざ部屋に来るとはどうした、カール。一時間半程度では、話し足りなかったか?」

「話し足りなかったのは、お前の方じゃねぇのか? トラヴァス」


 その言葉に、トラヴァスは顔色を変えずにまっすぐ年下のカールを見た。

 カールは昔から、人の心の機微に聡い。ちょっとした心の変化を見抜く才能があるのだ。

 いつもと違う動作や表情、服装であったり、たわいない会話の言葉尻であったり、少しでも馴染みのないことをしていると違和感を覚える。


「何故そう思った? カール」

「応接間に入った時、わざわざ誰も入らないように言って、内側から鍵を掛けたじゃねぇか。チャンスがあったら、話すつもりでそうしたんだろ? なにかは知らねぇけどよ」


 すべてを的確に言い当てられたトラヴァスは、以前より鋭い観察眼になっているカールを素直に尊敬した。

 トラヴァスも自分で鋭い方だとは思っているが、それ以上だ。カールは感覚的でじっくり考察しない分、行動が早い。


「言えよ、トラヴァス。あいつらには言いづらくても、俺には言えんだろ」

「ふ……そうだな。カールにだけは知らせておきたいと思ってはいた」


 真剣な赤い眼差しを向けられたトラヴァスは、それでもどこまで告げるかを悩む。

 いずれはアンナとグレイ、そしてカールは騎士となり、オルト軍学校で現在トップスリーのこのメンバーは、必ず栄達するだろう。

 となれば、フリッツを王に即位させたいトラヴァスと、現王シウリスとの間で摩擦が起きる。

 現在フリッツは、王位継承権第一位ではあるが、楽観はできないのだ。

 国王であるシウリスが結婚し、男児が出来た時点でフリッツは傍系となり、王位継承権は抹消される。ストレイア王国では例外を除いて、国王は直系で構成されるためだ。

 なのでトラヴァスとしては、シウリスが結婚する前にフリッツを王の座に据えたい。

 現在十八歳のシウリスには、いくつもの縁談があった。貴族たちが自分の娘を王妃にさせようと躍起になっているのだ。しかしシウリスにまったく興味はなく、美しい令嬢たちに見向きもしていない。

 この状況はトラヴァスにとっては好都合ではあるが、これから年齢を重ねるにつれ、無視できない問題になっていくだろう。

 ずっと未婚であればいずれフリッツは王になれるだろうが、それでは遅いのだ。フリッツとトラヴァスの目指す、平和な国を実現するには。


「なんか、やべぇ話か?」

「そうだな、大きな声では言えん話だ。そして俺は、お前を引き込みたいと思っている。それが嫌なら、この話はここでやめよう」

「んーなの、聞いてみねぇとわかんねーよ。話してみろって、俺に知らせておきたかったんだろ? 後のことは後で考えるぜ」

「ふ……そうだな」


 悩むことをせず、あっけらかんとしたカールの物言いに、トラヴァスの肩の力はふっと抜けた。


(決めるのはカールだ。どうこう悩んでも仕方ないな。俺は、カールに伝えたいと思っているのだから)


 心が決まると、トラヴァスは結論から先に告げた。


「カール。俺は今、フリッツ様の派閥の筆頭となっている」

「フリッツ様の? 派閥って、つまり……」

「ああ。フリッツ様を次の王に即位させるつもりだ」


 無表情のトラヴァスから飛び出た思いもよらぬ言葉に、カールはぎゅっと眉を寄せる。


「次の王に即位って……シウリス様がいるじゃねぇかよ」

「そうだな」

「まさか、暗殺でもしようってのか? あのシウリス様を? 無茶だぜ」

「そこまでは考えていない。フリッツ様を王に即位させる方法は、まだ模索中だ。フリッツ様に王位継承権があるうちにとは考えているが」

「ふぅん……まぁいいけどよ。けどトラヴァスは、リーン派だラウ派だって考えはなかったよな。なんでいきなりラウ派になったんだ?」

「ラウ派というよりは、フリッツ様派なのだがな」


 ラウ派ではなくフリッツ派にこだわるトラヴァスに、カールは顔を顰める。


「じゃあ、なんで急にフリッツ様の派閥になったんだ? こう言っちゃ悪ぃが、フリッツ様の影は薄いぜ。シウリス様があれだからな」


 政務にしても進軍にしても、シウリスは全うするだけでなく、大活躍をしているのだ。

 少なくとも、カールが新聞で得た情報ではそうだった。今回のバキアの件にしても、シウリスの活躍が大きく報じられることは予測できる。

 好戦的ではあるものの、ストレイア王として相応しい人物であると、国民の多くが思っているのだ。


「確かにそうだな。フリッツ様には今のところ、活躍の場がないのは確かだ」

「わざわざそんなフリッツ様を王に据えたい理由はなんなんだよ。シウリス様はよくやってるだろ? 勝ち目のない方につくなんてよ、らしくねぇんじゃねーのか、トラヴァス」

「シウリス様のやり方は、好戦的過ぎる。俺の考える平和とはそういうものではない」

「フリッツ様の考えの方に同調したってことか?」

「そうだ。あの方は、真の平和がなにかをわかっておられる」

「……」


 トラヴァスの言葉にカールは腕組みし、むうっと唸った。


 ──真の平和など、理想で虚構だよ。カール。


 ハッと気づくと、カールの頭にそんなミカヴェルの言葉が浮かんでいた。

 彼がカールの家庭教師をしていた時代に、刷り込まれていた言葉だ。


(今の国王であるシウリス様の活躍は、トラヴァスが引き摺り落としたいと思うほど酷い状態じゃねぇだろ。むしろあの年齢で、立派に政務をこなしてると思うぜ)


 トラヴァスもそれはわかっているはずだと、カールは考えを巡らせた。普通であれば・・・・・・、いくら思想が同じだからと言って、わざわざ劣勢であるフリッツの側につくはずはないと。


「なんかあったな、トラヴァス」


 通常では起こり得ない、なにかがあったのだと察知したカールは、トラヴァスを睨むようにして断定した。

 トラヴァスは無表情を崩していない。だからこそ、カールは違和感を覚えて確信する。


「言えよ、トラヴァス。それじゃあ俺は説得させらんねぇぜ」

「……そうだな」


 トラヴァスがフリッツの考えに同調しているのは確かだ。しかしそうなるに至った経緯、そしてシウリスを王でいさせたくない理由を語らずに、カールを引き込むことは難しい。

 それこそがまさにトラヴァスの話したかったことであり、そして知られたくないことでもあった。


「機密もあるからすべては言えん。そしてこれを言えば、お前は俺を蔑むかもしれんな」


 トラヴァスはむっとした香水の匂いを思い出して、吐き気を抑える。

 あれから九ヶ月以上も経っているというのに、思い出すと怖気が走った。


「……顔色悪ぃぜ、トラヴァス。心配すんなよ。俺がお前を蔑むなんて、あるわけねぇだろ?」

「……」


 カールの言葉に、トラヴァスは答えられなかった。

 実際にカールがトラヴァスを蔑むことはなくても、嫌悪感というものは本能レベルで避けがたいものだ。


(多少は顔を歪ませるだろうが、仕方あるまい……カールならば、軽蔑はしないでいてくれるだろう)


 そう自分を納得させるも、言葉に出すには勇気が要る。

 トラヴァスは吐き気と闘いながら、表情は崩さずになるべくなんでもないことのように口を開いた。


「実は俺は、フリッツ様と親交を深めるきっかけがあったのだ」

「きっかけ?」

「ああ。俺は……亡き第二王妃ヒルデ様に言われるがまま……」


 ぐっ、と込み上げるものを耐えて言葉を詰まらせる。

 さらりと言うつもりだったというのに、その事実を口にしようとした途端、脳がフラッシュバックする。


「……うぐ」

「どうした、トラヴァス……おい、大丈夫か!?」


 カールがガタリと立ち上がってトラヴァスの傍へと移動する。


(っく……心を殺せ……あの時のように……)


 しばらく息を止めて耐えると、トラヴァスは無表情の顔を前へと向けた。


「すまん、大丈夫だ」

「本当かよ……なにがあったんだ」

「俺はヒルデ様の犬となり、言われるがままに彼女を抱かなければならなかったのだ」

「……っ」


 気を遣われぬように淡々と告げたトラヴァスだが、カールは思ってもいなかった事態に言葉を失う。

 トラヴァスは心を殺したまま、事実を無表情で続けた。


「最初は薬を盛られた。一度関係を持ってしまうと、バレた時には俺の首が飛ぶ。俺は命令されるがまま、ヒルデ様の体……を……っぐ」

「わかった、もういい!」


 襲いかかるフラッシュバックに耐えられず、トラヴァスは再度言葉を詰まらせた。

 ハァハァと息を吐き出して、必死にヒルデの影を振り切る。

 もうヒルデはこの世の人ではないというのに、虐げられた行為を思い出して吐きそうになるのは変わらない。

 悪魔のような黒い手が、呪いのようにトラヴァスに絡みついて離れずにいるのだ。

 ぶるぶると震える手をどうにか落ち着かせて、トラヴァスはようやく顔を上げることができた。

 そしてそこにいたカールを見て、トラヴァスは目を丸める。


「……どうしてカールが泣いているのだ……」


 目の前でカールがぼろぼろと涙を流していて、トラヴァスの無表情仮面は外れた。

 泣いている理由が理解できないトラヴァスに、カールはぽたぽたと床を濡らしながら声を絞り出す。


「ったり前だろ……! 大事な仲間が虐げられて、苦しめられて!! お前がこんなになるなんて、よっぽどじゃねぇか……っ!!」

「カール……」

「クソッ!! トラヴァスの尊厳を踏み躙りやがって、許せねぇ!!」

「落ち着け。もうヒルデ様は処刑されている。過去の話だ」


 予想外のカールの怒りに、トラヴァスは苦しみを忘れて諌める側に回った。

 カールは悔しさで唇を噛み締めながら、ぐいっと袖で涙を拭き上げる。


「くそ!! お前は冷静過ぎんだよ!」

「そうか……そう怒っても、良かったのだな……」

「……あ?」


 感情を爆発させるカールを見て、ずっと心を殺し、飲み込んで耐えてきたものが、ほんの少しだけ楽になった気がした。


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