久々のメンバーが集って話していると、あっという間に時間が流れていく。
気がついた時にはもう十時になっていて、これ以上校内にいるのはさすがに迷惑をかけると、寮へと戻ることになった。
すでに誰もいなくなった夜道を四人、トラヴァスがオルト軍学校にいた頃のように並んで歩いていく。
「こうして四人で歩くのも、なんだか懐かしくすら感じるわね」
「今は三人で帰っているのか?」
トラヴァスが右隣を歩くアンナに目をやると、アンナは軽く首を横に振った。
「いいえ、最近カールは帰る前に新聞を読んでいるから、別々なのよ」
「新聞を?」
今度は左隣を見たトラヴァスだが、カールはまっすぐ前を向いたまま、なんの反応もしなかった。
アンナはふと、闘技場でトラヴァスが言っていた言葉を思い出し、トラヴァスを見上げる。
「そう言えば、トラヴァスは話があるって言ってなかった? なんだったの?」
「……いや、皆でたわいもない話をしたかっただけだ。気にしてくれるな」
「ふふ、わかるわ。こうしてみんなと話すのって、一番楽しいものね」
アンナが笑うと、トラヴァスの頬は和らいだ。
一番右端を歩くグレイも、恋人が幸せ顔をしているので、気分良く足取りは軽快だ。
「トラヴァスは明日帰るの?」
「ああ、報告もせねばならんし、朝一で王宮に戻る。明日はアンナには会えずに戻ることになるだろう」
「そう。残念だけど仕方ないわね」
「また来るさ」
「そう言って、トラヴァスは来なさそうだわ」
アンナがふふっと笑うと、トラヴァスもほんの少しだけ微笑んだ。
「今日、皆の顔が見られて良かった。そのうちに会える機会もあるだろう」
「そうね。また四人でゆっくり話しましょう。明日、気をつけて帰ってね、トラヴァス」
「ああ。三人の活躍をしっかり報告しておこう。アンナとグレイの結婚のためにもな」
「ふふ、ありがとう」
オルト軍学校での功績は、騎士になってからでもしっかりと反映される。
キャリアの積み重ねはもうすでに始まっていて、バキア討伐の件はかなり有利に働くに違いないのだ。
将という地位を確立し、一刻も早く結婚したいグレイとアンナにとって、トラヴァスの報告はありがたいものだった。
女子寮と男子寮への分かれ道に差し掛かると、トラヴァスは「ではな」とカールと二人であっさりと去っていく。
名残惜しさなどまったく見せないトラヴァスを彼らしいと思いながら、アンナはいつものようにグレイと一緒に女子寮の方へと向かった。
「今日は本当に充実した一日だったわね」
「そうだな。さすがに疲れただろう」
「そうね。でもみんなと戦えて、こうして話す機会もあって……気力はみなぎってる感じがするの」
「はは、俺も同じだ」
「ねぇ見てグレイ。月が綺麗よ。今夜は満月ね」
アンナが淡く優しい月の光を受けながら空を見上げる。
グレイはそんなアンナを見下ろして、目を細めた。
「本当だな……月が綺麗だ」
「もう、見てないじゃないの」
アンナが頬を膨らますも、グレイは口の端を上げただけだ。
月の照らす夜道を、二人はしっとりと歩いていく。
「満月の夜は気をつけろよ」
「ええ。活性化する魔物がいるものね」
「人間だって狼になるかもしれないぞ」
グレイの言い草に、アンナはふっと笑った。
「やだ、グレイって狼男だったの?」
「残念ながら獣人でもないし、変身は無理だ」
「ふふ、グレイが狼になるのもかわいいけれど。私、小さい頃は犬を飼ってみたいと思ってたのよ」
狼と犬を混同されて、グレイは苦笑した。
アンナの脳内では、狼に変身したグレイは子犬のように可愛らしく走り回っている。
そんなアンナの想像を消すように、グレイは少し低い声を出した。
「犬じゃない、〝飢えた狼〟だぞ。アンナはそんな俺でも受け入れられるって言っていたが」
「ええ。そりゃあちょっとは怖かったけど……でも、全部含めてグレイだもの。好きな気持ちに変わりはないわ」
「……怖かったか?」
アンナの言葉にショックを受けるグレイである。
確かに、飢えたように求めてしまったこともあったが、グレイなりにアンナを大事にしてきたつもりだった。怖いと言われて、心臓がひゅっと縮む。
「そりゃ……ちょっと怖かったわ。逃げられるなら、逃げたかったもの」
「本当かよ……。悪い、そんなに無茶させてたとは思ってなかった」
「戦うと決めたのは私よ。闘争心が剝き出しのグレイもかっこよかったもの。私なら受け入れられるわ」
「……闘争心?」
「え?」
「ん?」
顔を見合わせるアンナとグレイ。
なにかが噛み合っていないと気付き、グレイはアンナの〝戦う〟という言葉から、答えを導き出す。
「あ……あー。もしかして、剣術大会の決勝の時のことか?」
「そうよ。なんの話をしてたの?」
「いや……夜のお楽しみの話だったんだが」
「夜のって……あ!」
ようやく気づいたアンナは、顔を熱らせた。
「そういう意味で言ってたの? 飢えた狼って!」
「いや、まぁな」
「もしかして、カール達がいた時も!?」
「そうだな」
「もう、男子ってどうしてそんな風に受け取るのかしら……っ! シウリス様は、そういう意味で〝飢えた金狼〟なんて言ってないでしょう!?」
「そりゃそうだ」
アンナに言われると、グレイはそっちの方向に脳が変換してしまった自分たちに非があるように思えて、苦笑いした。
「まぁカールも健全な男子だからな、許してやってくれ」
「もう、全部カールのせいにして」
アンナが息を吐くと、二人はぷっと顔を合わせて笑う。
しかしグレイはすぐに真顔になった。アンナを怖がらせてしまったことは、事実なのだと。
「あの時はカールの闘争心に当てられて、俺もスイッチが入ったからな。怖がられても仕方ないが……」
「大丈夫、そんなあなたも素敵だって思えるもの。ただ、戦わなければいけなかったのが怖かっただけ」
「悪い。あの時は、あの状態を途切れさせたくなくてな」
「わかってる。中々なれる状態じゃないものね」
理解を示すアンナにほっとするグレイだが、もうひとつの方の疑念は残っていて、恐る恐る言葉にする。
「まぁ決勝の時の俺を怖がられても、納得はしてるんだが」
「なぁに?」
「……夜の俺は、怖くないか?」
その意味を正しく理解したアンナは、目を細めてこくんと頷いてみせた。
「ええ、大丈夫よ。気にしてたの?」
「あれだけ周りに飢えた狼と言われればな。欲に負けて、本能のままにあんたを抱いてしまったことも……あるしな」
グレイはその時のことを思い出して「ああクソッ」と後悔の念を吐き、己の頭に爪を刺すようにして髪をぐしゃっと握った。
それだけ大事にしてくれていることを感じ取ったアンナは、グレイの胸へと顔を寄せて愛する人を見上げる。
「気にしないで。グレイなら飢えた狼でも、受け入れられるわ」
「だけどな、無茶をさせた時もあっただろ」
「ううん。グレイが激しく私を求めてくれた時……嬉しかったのよ」
「……アンナ」
花の香りに誘われるように、グレイは愛しいアンナの黒い瞳に吸い込まれる。
「だから、また……ね?」
「いいのか?」
「ふふ……気持ちが
ふわりと広がるアンナの妖艶な香りがグレイに纏わりついていく。
アンナの色気ある表情にグレイの血は熱く燃え始めてしまい、ぐっと顔を顰めた。
「ああ、くそ……そんなこと言われたら、冬季休暇まで持たなくなるぞ……」
「そうね……私も……」
いつもと違い、帰り道には誰の姿もなく。
点呼も終わり、こんな夜の遅い時間に誰かが出てくることもない。
煽られたグレイは、理由を探すようにアンナを見つめる。
「今は寒い冬でも、虫の多い夏でもないな……」
そしてアンナも、言い訳を探して微笑んだ。
「今夜は満月だもの……狼が出ても、おかしくないわよね……?」
「それは確かに、おかしくはないな」
そう言うと、月の光を浴びて飢えた金狼に変身したグレイは。
アンナの唇を奪うようにして、何度も重ね合わせた。
そして道を別れて男子寮へと進んでいた、カールとトラヴァスは。
「今晩、お前の部屋に行っていいか、トラヴァス」
「ああ、構わんが」
そんな、約束をしていた。