シウリスが一人で帰ろうとし、慌ててファルコが合流している。その姿を見て、トラヴァスも自分の主君へと目を向けた。
「お逃げにならなかったか……」
「フリッツ様も見ていらしたのね。戻るんでしょう?」
アンナの言葉に、トラヴァスは絶命しているバキアに目を向ける。
「ああ、そうなんだが。バキアの処理もあるし、俺が陣頭指揮を取る方がよかろう」
「トラヴァスがいなくても、俺たちでやれるけどな」
「そう言ってくれるな、グレイ。少し話したいこともある」
「ちょうどいい機会ってわけね」
「ああ。フリッツ様に伝えてくるから待っていてくれ」
トラヴァスがフリッツのいる特別席へと向かうと、教官や隊員たちがわらわらと戻ってきて、三人は周りを囲まれた。
「よくやった、三人とも!!」
「すげー、さすがトップスリーだな!」
「大丈夫!? 怪我はない!?」
「カール、お前シウリス様に瞬撃とか呼ばれてたな!!」
「違うって、赤獣だろ!?」
「グレイは飢えた金狼とか言われてたぞ!」
「まんまだな!!」
わはははっ、と笑い声が一帯に広がる。
周りから〝瞬撃の赤獣〟〝飢えた金狼〟と口々に言われ、カールはカカカッと笑い、グレイは苦笑まじりに口元を引き攣らせた。
アンナは少し寂しく思いながらその様子を見ていると、〝氷徹〟がフリッツのところから戻ってくる。
「どうだった? トラヴァス」
「ああ、後始末の責任者として残ることになった」
「じゃあ、まだしばらく一緒にいられるわね」
「仕事だがな。さて、まずはバキアの解体処理からだ。アンナたちは無理せず戻って休んでくれて構わないぞ」
「手伝うわよ。私は大したことしていないし、大丈夫」
無理やり笑ったアンナに、トラヴァスは視線をしっかりと合わせた。
「さっきも言ったが、アンナはよくやった。俺が無事なのは、アンナのおかげだ」
「そんなこと──」
「ある。だから胸を張っていればいい。そんな顔はするな」
「トラヴァス……」
アンナがトラヴァスを見上げると、彼は珍しくニッと笑う。
「大丈夫だと言うなら手伝ってくれ。破壊された会場の片付けもあるしな。忙しいぞ」
「ええ、わかったわ!」
アンナが大きく頷いて笑うと、それでいいというようにトラヴァスも首肯し、いつもの無表情へと戻った。
そしてカールたちを取り囲んで騒いでいる隊員たちに指示を出すと、解体作業や会場の片付け、修繕が行われたのだった。
粗方の片づけが終わって、夕食に辿り着いた時にはもう午後八時を回っていた。
食堂はまだガヤガヤと賑わっている。
作業を終わらせた四人は、それぞれにトレーへと食事を山盛りにして、席へと着いた。
「ようやく飯だー! ハラ減ったぜ!!」
「本当ね。さすがにお腹ぺこぺこよ」
「俺たちは昼飯が早かったしな」
「皆、よく頑張ってくれた」
一人だけ群青色の騎士服で労うトラヴァスに、皆はニヤニヤと顔を向ける。
「偉くなったもんだな、トラヴァスも」
「班長なんだっけか??」
「いや、先日の秋の改変で小隊長となった」
「すごい出世ね」
感嘆の息を吐くアンナの前で、カールはモグモグと肉を頬張りながら隣を見る。
「フリッツ様の護衛騎士ってわけじゃねーのか?」
「護衛騎士も兼ねた、第三軍団の小隊長だ」
「そんなことできるの? 護衛騎士と軍の仕事の両立は難しくない?」
アンナの言葉に、斜め向かいのトラヴァスは頷く。
「護衛の仕事は特殊だからな。俺は特別に許可をいただき、軍内の仕事をメインに両方をさせていただいている状況だ」
「両方だなんて、すごいわ。そもそも護衛騎士に選ばれるなんて栄誉なことよね。強さだけじゃなく、礼儀作法や品位や、見目も含まれるんでしょう?」
「ありがたい話ではあるが、俺は護衛騎士だけで終わるつもりはない」
「地道に上を狙ってくってか? ま、トラヴァスらしーぜ」
護衛騎士は軍とは分断されることが多く、護衛に徹するのが一般的である。
定期的に護衛職は入れ替えられるのだが、一般の軍に戻る際に王族の口利きがされることもあった。
つまり軍に戻る際に、それなりの地位になったりするわけだが、実力はあっても普段軍内で働いていないものを上に据えると、反発が起こることがままある。
だからトラヴァスは護衛騎士の仕事を一割程度に抑え、基本的に軍内での仕事を中心に行っていた。周りの信用を得て、実力を認められてからのし上がるために。
それを知った三人は、相変わらずクソ真面目なトラヴァスを嬉しく思いながら、食事を進める。
「それにしても、こうして四人揃って食事なんて久しぶりね」
「お前、ぜんっぜん来ねぇんだもんなぁ!」
「カールはトラヴァスに会えないからと、寂しくて泣いてたぞ」
「泣いてねっつの!!」
グレイの言葉に、アンナは笑った。トラヴァスもほんのりと表情が柔らかくなっている。
「トラヴァスも今日は男子寮の方へ泊まっていくんでしょう?」
「ああ。客間を用意してもらった」
「良かったな、カール。愛しのトラヴァスと一晩中一緒にいられるぞ」
「てめー、グレイ!! 変な言い方すんじゃねー!!」
「ははっ」
グレイのからかいにカールはぷりぷりと怒り、トラヴァスは止めるほどでもないと判断して、気にせずに淡々と食べている。
そんな三人の姿が懐かしくて、アンナは笑みを漏らしながら見守った。
(やっぱりこうして四人で一緒にいるのが、一番しっくりくるわね)
久々の勢揃いを堪能するも、アンナだけは女子寮に戻らなければならないと思うと、少し寂しい。
だからと言って、まだまだ一緒にいたいとわがままを言えるはずもなく、アンナは食事に目を落とした。
「そういや、今日の点呼は九時になったんだよな。もうちょいしたら戻らねぇと。新聞は明日だな」
いつも点呼は夜八時なのだが、今日は長引いたので九時に変更になったのだ。
もうあと三十分もすれば、アンナだけ別々になってしまう。
「ああ、その点呼だが、お前たちは免除してもらうように伝えておいた」
「え?」
トラヴァスの言葉に、アンナだけでなく、グレイとカールも目を見張る。
「お前たちって……私も? どうして?」
「四人が集うことなどそうないからな。俺たちは寮で話せはするが、アンナも一緒というわけにはいくまい。応接間を借りたから、もう少しは四人でいられるぞ」
「本当に?」
「お、マジか! 良かったな、アンナ!」
喜ぶアンナの顔を見てカールは目を細めて声を上げ、グレイはほうっと笑う。
「さすが騎士様だな。お偉くなったもんだ」
「護衛騎士で小隊長だもんなぁ。そりゃあ教官も〝氷徹〟には逆らえねーよな!」
けけっとカールは笑いながら、一番の友人の出世を心から喜んだ。
そんな嬉しそうなカールを見ると、それぞれの顔も綻びを見せていた。
食事が終わり、四人は応接間へと入った。
紅茶が出された後、トラヴァスは誰も部屋に入らないように告げ、内側から鍵を掛ける。
「初めて入ったな、応接間」
四人だけになった空間で、グレイが改めて室内を見回した。
壁には重厚なタペストリーと古びた肖像画が飾られている。マホガニーのテーブルは磨き上げられていて、アンナはふかふかのベルベット張りのソファへと腰を下ろした。
「隊員は普段、応接間なんて使わないものね」
「騎士様の権限かよ、ずりぃよなぁ〜」
「そのうちカールも使えるようになる」
食堂の時と同じく、アンナの隣にはグレイが、対面にカールとトラヴァスが座る。
迷うことなく当然のように全員が座っただけで、アンナに心地良さが広がった。
「それにしても、今日は一日が長かったよなぁ!」
真っ先に紅茶を手に取り、一瞬で飲み尽くすカール。
すぐに立ち上がり、ティーカートまで行くと自分でおかわりを注いでいる。
「結局、カールの三位決定戦は後日なのよね。もう、カールったら立ったまま飲まないの!」
その場で紅茶を飲んでいるカールに叱るも、気にせずに飲みながら振り向いた。
「それなんだけどよ、シモンは勝てる気がしねぇから不戦敗にしてくれってよ。やりがいねぇよな!」
「そうなのね。あんな獣のような二人を見れば、普通は怯むわ。仕方ないわよ」
アンナにしても、グレイと対戦する時は、避けられるなら避けたかった戦いだった。レベルの違いすぎるシモンなら尚更に違いない。
「結局一位はグレイ、二位にアンナ、三位がカールか」
「くっそ、今年こそはと思ったのによ! お前ら卒隊だし、勝ち逃げかよ!」
「怒らないの。カールはシウリス様に認めてもらってるじゃない。〝瞬撃の赤獣〟だって、みんな大騒ぎよ?」
「ふ。かっこいい二つ名を付けてもらったじゃないか、二人とも」
トラヴァスが優雅に紅茶に手をつけ、カールはその隣になみなみと注いだ紅茶を置いて座る。
「グレイなんか、〝飢えた金狼〟だもんな! そのまんまだぜ!」
カカカッと笑うカールに対して、グレイは「ん?」と目を向けた。
「俺はそんなに飢えているように見えるか?」
「自覚ねぇのか!」
「普段は上手く隠してはいるがな」
二人の答えを聞いて、グレイは隣の恋人の方へと目を向けた。
「アンナにも、そう見えるか?」
「そうね。トラヴァスの言う通り、普段は包容力があって優しいから、飢えた狼とはかけ離れているけれど」
その言葉にトラヴァスは、
「グレイに包容力があって優しいなどと、俺は一言も言っていないのだが」
と溢すも、アンナには聞こえていない。
アンナは紅茶に手を伸ばしながら、どうかしらと考えてみた。
「でも確かに、飢えた狼と感じることは……ある、わね?」
紅茶を飲みながら隣を上目遣いでグレイを見るアンナ。色気ある瞳と含みのあるその言い方に、グレイは
本性を友人たちに知らされてしまった羞恥と、恋人のあまりの可愛らしさにグレイは頭を抱えた。
「わかった、もういいアンナ」
「お前ら、ほんっと仲いいよな……」
「え? 私、なにか変なこと言った?」
カップを持ったまま、きょとんとするアンナである。
まったく気づいていないアンナにカールは苦笑いし、グレイは再度頭を抱えた。
(くっ。アンナの態度を深読みし過ぎた……こういうところがホントお嬢様なんだよな……)
無表情のトラヴァスだけが、平然と声にする。
「まぁ好いた女の前でくらい、飢えた狼になるのもよかろう」
「おま、明け透けに言うのやめろよ。それに女の気持ちのが優先だぜ」
「冗談だ」
「お前の冗談は、いつも冗談になってねぇ!!」
「私はグレイなら飢えた狼でも受け入れられるけれど……」
「わーったっつの! 続きは俺らがいなくなってからにしろ、ったく!」
カールはガパッと紅茶を再度一気飲みする。空になったカップを乱雑にソーサーへと戻す音を聞きながら、アンナはふふっとグレイを見上げた。
まだ意味がわかってないなと思いながら、グレイは少し眉を下げて鈍感な恋人に目を細める。
仲の良い二人の姿とアンナの薬指を見て、トラヴァスは確認するように問いかけた。
「アンナの指にリングがあるということは、婚約したのだな。十八になったらすぐ結婚するのか?」
「いいえ、私が将になるまではお預けなのよ」
「そうか。まぁアンナなら、二十代前半で将になれるだろう」
将になるまでお預けという意味を、すぐに察知したトラヴァスである。
アンナたちは二十歳での将就任を目指しているのだが、それはさすがに言わずに微笑んだ。
「今回のバキア討伐の功績もあるしな。俺たち四人の出世は早くなるぞ」
「そう考えると、闘技場に竜が降り立ったのは不幸中の幸いと言えるかもしれないな」
トラヴァスとグレイが顔を見合わせて、ニヤッと口の端を上げる。
思惑の含まれた二人の悪い顔に、今度はアンナが苦笑いした。
「私も二つ名がつけられるくらい、頑張って活躍しなきゃいけないわね」
どうあっても、アンナは皆より一歩出遅れたと感じている。
その気持ちがわかった氷徹と飢えた金狼が、むむうっと唸ってアンナに目を向けた。
「アンナは十分に活躍したんだぞ。俺もトラヴァスも、アンナに助けられたんだからな。そうだ、クールビューティーアンナなんてどうだ?」
「いや、そこはキューティクルアンナだろう」
真剣な瞳で二つ名を提案するグレイとトラヴァスである。
アンナは愕然として二人を見た。
「二人とも壊滅的なセンスだわ」
「抉るよな、この女王様は……」
「ずっと真剣に考えていたのだが」
残念すぎる二人のセンスに、皆は希望の星である瞬撃の赤獣へと目を向けた。
「悔しいが、こういうのはカールだよな」
「ふむ。なんと付けるのか興味がある」
「カールはセンスがあるものね」
カールは本日何杯目かの紅茶を飲んでいて、「ン!?」と声を上げながらカップを置く。
わくわくという期待を寄せられたカールは、ごく平然として答えた。
「まぁいくつか考えつくけどよ。こういうのは決めたからって呼ばれるもんでもねーだろ。今無理に付けようとしねーでも、アンナなら自然とスゲェ二つ名が付けられて広まっていくっつの」
一番年下のカールに突きつけられたド正論に、三人は顔を見合わせた。その通りだと少し沈黙が流れた後、グレイは苦笑しながら口を開く。
「ああ、そうだな。アンナならいずれ、二つ名がつけられるほどの大物になる」
「ふむ。キューティクルアンナも広めたかったのだが」
「それだけは嫌よ!?」
「冗談だ」
「だからトラヴァスの冗談は笑えねぇっての!」
カールのツッコミに、一同はプッと吹き出して。
応接間には、笑いが広がったのだった。