巨大な
バキアが息を吸い込んだ瞬間、グレイは飛び下がった。
「ブレスが来るぞ!!」
「俺が引きつける。グレイは下がっていろ!」
下がったグレイの代わりにトラヴァスが飛び出し、同時に氷魔法を詠唱する。
グァァアアアアアオオオオオオオン!!
バキアの口が大きく開くと、赤い炎がトラヴァスへ向けて吐き出された。
炎が届く寸前に、
「っく、炎のブレスか……氷とは相性が悪い……!!」
トラヴァスのアイスウォールにバリンとひびが入る。
炎を飛散させて仲間の方へといかないよう、トラヴァスはそこから動かずに次々とアイスウォールを重ねがけした。
その間にアンナがバキアの後ろ足を斬りつける。
バキアの尾がアンナ目掛けて打ち下ろされて、寸でのところで躱す。
先ほどから何度も斬りつけているアンナとカールが作った傷へと、グレイは渾身の力を込めて突き刺した。
ギュィイアアアアッ
剣は足の関節へと吸い込まれ、グレイが抜くと同時にブシュウッと血が吹き出す。
痛みでブレスをやめたバキアは、二秒間だけ硬直した。その背を、赤い獣が駆け上がっていく。
「目なら潰れんだろ!! オラァアアッ!!」
カールがバキアの目玉へと上から攻撃しようとした瞬間、目は閉じられた。
剣は瞼の皮膚を少し切り裂いただけで、眼球には到達しない。
「い゛っ!? クッソ!!」
カールがもう一度剣を突き立てようとした瞬間、バキアは大きく首を振る。
足を取られたカールは、ブンッと空中へ投げ飛ばされた。
「っげ、やべ……!!」
浮遊感で満たされたカールは、重力に逆らえない。
「うぁああ!!」
地上八メートルから急降下し、ぐんぐんと地面が迫る。
「カール!!」
トラヴァスが駆け込み、素早く落下地点へと潜り込んだ。
「う、っぐう!!」
カールの体をがっしりと受け止めたトラヴァスはしかし、その重力を伴った体重に負けるように体に痛みが走る。
「トラヴァス!」
「あの高さは危険すぎるぞ! 気をつけろ!」
「悪ぃ、助かったぜ!」
叱責も礼もそこそこに、二人はすぐに剣を構えて散開する。
後方ではグレイとアンナが尾を避けながら、先ほど傷の入った足を切断しようと剣を振りかざす。
「アンナ、来るぞ!!」
「っは!」
振り上げられた尾が、闘技場の舞台を叩きつけた。
ギリギリで二人は躱し、砕けて飛び散る石を二人で盾に入って防ぐ。
「く、ぅううっ!!」
「大丈夫か、アンナ!」
「ええ、問題ないわ……!」
「下がるぞ!!」
一度距離を取ると、バキアはその大きな翼をぶわりと広げた。
「飛ばれて火を吐かれたら、どれだけ被害が広がるかわからないわ!」
「止めるぞ!! ここには王族がいる!! 飛び立たせるな!!」
一度取った距離を、グレイとアンナは右翼側へと再び詰める。
またも尾がアンナたちに向かってブンッと振り抜いてきた。
「行って、グレイ!! 私が止める!!」
「な……! クソ!!」
グレイが止める間もなく、アンナの構えた盾へとバキアの尾が打ち込まれた。
手の骨が砕けたかと思うほどの衝撃。
それでも倒れるまいと盾を前に足を踏ん張るも、そのままズザザァァっとアンナの体が後退させられる。
「ぐ、くうううっ!!」
その隙にグレイが竜の胴体へと走り込む。飛び込むようにして胴を蹴り上げるさらに跳躍して、広げた翼へ勢いのまま剣を突き立てた。
そのまま落ちるようにして翼膜を切り裂いていく。
グレイの渾身の力を持ってして、バキアの翼膜は風に流されるカーテンのように意味をなさなくなった。
逆翼は、トラヴァスが氷魔法を展開し、翼膜を凍らせる。
カールが炎の魔法で追撃し、氷が割れると同時に翼膜も砕け散った。
ギュイァァアアアアアアアアアアッッ
バキアの叫び声が木霊し、カールはニッと歯を見せる。
「よし、いけるぜ!!」
「翼膜なら、だがな」
薄い翼膜は斬ることも魔法で砕くこともできたが、他の部分はそう簡単にいかない。
しかし両翼の膜を削いだことで、暴風も起こせず、飛び立つことはなくなったのだ。
「上空からの攻撃の脅威は消えたが……」
「飛んで逃げていくこともなくなったってことよね」
グレイとアンナは再度剣を構え直した。
逆側ではトラヴァスとカールがバキアを睨む。
「これで確実にバキアを仕留めなければならなくなったな」
「時間稼ぎや追い返すより、わかりやすいじゃねーか!!」
バキアは翼を動かすも飛び立てない。
空を奪われたバキアは怒りを剥き出しにし、ぐるんとアンナたちの方へと巨体を回転させた。
グルォオオオオアアアアアッ
アンナとグレイを頭から食い殺そうと、口を大きく開くバキア。
二人は一瞬にして左右に散って逃げる。
背後では鞭のようにしなる尾から、カールとトラヴァスが飛び退いて距離を取った。
ドシンドシンと地響きを立てて、アンナたちを追い回すバキア。
尾は振り回されて、背後からも中々近づけない。
「グレイ、アンナ!! 観客席の方には行かせるな!!」
「わかってる!」
「わかってるわ!」
トラヴァスの言葉に二人は同時に返事をし、バキアの視界に入りながら位置を誘導しようと試みる。
それでもバキアは観客席に突っ込もうとしていて、アンナとグレイは合流し、同時に前足を傷つけた。
グルルルル……と標的が変わる。
すぐさま離れようとした二人だが、その前にバキアの爪の攻撃が振り下ろされた。
アンナは一瞬前に出て、盾でそれを受ける。
「っくぅ!」
あまりの強さに吹っ飛ばされ、後ろでグレイがアンナを抱き止めた。
それでも勢いは止まらず、ズザザァァアッと二人は後退させられる。
「ナイスだアンナ、助かった! 平気か!?」
「ええ……!」
後方ではトラヴァスとカールが翼膜にやったように二人で魔法を展開したが、足には効果を発揮しなかった。
バキアは怒りに狂い、手がつけられない状態になっている。
「中々まずい状態だな、これは」
「んーなの、ハナからわかってんだ! ちょっとずつでも弱らせていくしかねーだろ!」
カールが尾を避けながら、左後ろ足を狙う。
グレイとアンナは右後ろ足の傷から切断を試みる。
後ろの両足が使えなくなれば、素早い動きはできなくなるという判断を、全員が同時に下した。
正面ではトラヴァスがバキアのブレスを魔法で防ぎながら、闘技場の中央へと誘導する。
アンナたちは傷の入った箇所を何度も斬りつけるも、振り回される尾を避けながらの攻撃だ。中々致命傷を負わせられない。
「ふん……四人ではやはりこんなものか」
特別席で仁王立ちしたまま見ていたシウリスが、息を吐きながら声にした。
隣ではフリッツが、まだ逃げずにトラヴァスたちの奮闘を見守っている。
「このままでは足の切断より先に、体力と魔力を削られてやられるぞ。特に氷徹はあれだけの魔法を重ねがけしているのだ。魔力は残りわずか……次にブレスが来れば、消し炭だな。はははっ!!」
「なにがおかしいのですか、兄上!」
隣で怒り声を上げるフリッツに、王は愚かな弟と蔑み、見下しながら笑う。
「あいつらが命を賭して守ろうとしている王族が、いつまでも逃げずにここでのんびりと観戦していると思うとな」
フリッツは、ギリッとそんな兄王を睨んだ。
「彼らは王族だけを守っているわけではありません。そして僕は、民より先に逃げたりなどしないっ」
「さっきの氷徹の言葉がわかっていないようだな。まぁ俺は貴様の命などに興味はない。好きにするがよい」
逃げることは恥ではないと諭されたフリッツが、戦闘の行方を見守っていることにシウリスは呆れる。
フリッツなどすでに眼中にないシウリスは、彼がどんな行動を取ろうとどうでも良かったが。
「トラヴァス!! 私が代わるわ!!」
トラヴァスの魔力が残り少ないのを察知したアンナが、バキアの正面へと移動する。
「行けるか!? アンナ!!」
「ええ、大丈夫よ! トラヴァスは足の方を!」
「わかったっ!!」
アンナとトラヴァスがスイッチし、トラヴァスが後方へ、アンナがバキアの正面へと立つ。
その様子を見て、シウリスは少し顔を歪めた。
アンナは繰り出される爪の攻撃を避け、ブレスが来ると十分な距離を取り、観客席へ被害のないように上手く誘導している。
観客席はまだパニックが続いていて、まだ半分以上も人が残っている状態だ。
「ハァッ、ハァッ!!」
しかし魔法の使えないアンナは、常に全速力で移動し続けなければならない。
それまでもずっと戦い通しで、さすがに息が切れる。
(きついわ……っ! 足の無力化も、尾に邪魔されて捗っていない……このままじゃ……!!)
ハッと気づくと、目の前のバキアが大きく息を吸い込んでいた。
ブレスが来ると察知し、下がろうとしたが間に合わない。
「「アンナ!!」」
二人分の声が闘技場に響いた。
一人はグレイ、そしてもう一人は──。
ゴオォオオオオオオッッとバキアの口から業火が吹き出される。
「きゃあぁぁあああっ」
炎のブレスがアンナに届く直前。
アンナは目の前に、紺鉄の服を見た。
ブワァッという熱気と炎がアンナを取り囲む。
しかし、体に痛みも熱さも走らない。
「……え……?」
アンナは懐かしい香りを感じ取った。
幼き頃、いつも、いつでも一緒にいた、強くも優しい男の子の香りを。
「シウリス……様……?」
炎が消え去る。
アンナはシウリスに頭を抱えられるようにして、その胸の中にいた。
「ふん……マントが少し焦げたか。さすがバキアのブレスと言ったところだな」
シウリスはそう言いながらアンナを解放する。
アンナを囲むキラキラと光るようなレジストの残滓が、シウリスから離れると一瞬で消えていった。
(これがシウリス様のレジスト……! 魔法が効かないことは知っていたけど、バキアのブレスまで……!!)
「ぼうっとするな、アンナ。戦闘中だろう」
「は、はいっ!」
久しぶりに名前を呼ばれたアンナは心臓をドキンと大きく鳴らせた後、シウリスの隣で剣を構えた。
「ここはいい。俺が引き受けてやる」
「シウリス様が? ですが……」
「俺が信用できぬのか?」
「……! いいえ!」
アンナの答えに満足したシウリスはニヤリと笑う。
そしてこの国の王は後方の三人へと声を張り上げた。
「氷徹!」
「は」
「貴様の氷魔法はこいつに効く。頭を使って残り少ない魔力を使え。ブレスを耐えるために使うなど、ただの無駄遣いでしかないぞ?」
「……っ!」
シウリスはバキアの上げた腕を軽々と躱しながら、今度はカールへと視線を向けた。
「おい、赤獣!」
「せき……? 俺のことか? っは!!」
疑問に思いながらも赤い獣は攻撃の手を止めて王の言葉に耳を傾ける。
「貴様はそれだけの速度と反射神経があるのだ。足より狙うところがあるであろう。頭を使え!!」
「っは!! えーと……どこだ……っ!?」
返事をしておきながら悩むカールを尻目に、今度はグレイへと声を届かせる。
もちろん、バキアの攻撃を避けながら。
「そこの飢えた金狼」
「……っは」
グレイは金色の髪を揺らしながらバキアから少し離れ、シウリスへと目を向ける。
「貴様は勝ちを急き過ぎている。正面には俺が入ってやるから自由にやってみるんだな」
「!! っは!!」
正面に絶対的な存在がいれば、他に作戦を立てられる。
ブレスが効かないシウリスは、抜剣することもなく悠々とバキアの攻撃を躱した。
「シウリス様、私は……!」
「貴様はもう俺の傍へと近寄るな。さっき助けたのは気まぐれだ。次はない」
「……っは……」
シウリスはもう〝アンナ〟とは呼ばなかった。
アンナは内側から締め付けられるような痛みを抱えながら、恋人であるグレイの元へと戻っていった。