「みんな、逃げろ!! ここはヤベェッ!!」
その言葉にアンナとグレイ、そしてトラヴァスがカールの視線を追った。
向かう先は空。
澄んだ青い秋の遥か上空に、
「竜よ!!」
「バキアか!!」
アンナとグレイはすぐさま舞台を降りると、剣と盾を本物に入れ替える。
トラヴァスはすぐさまフリッツを護るように立った。
観客たちも空を見上げ、会場の歓声は一気に恐怖の悲鳴とどよめきに変わる。
シウリスは斜め後ろに控えるファルコに、目だけを向けた。
「おい、ファルコ。教官どもと協力して、この闘技場にいる者たちを避難させろ」
「お、降りてくるのでしょうか……」
「来る。これだけ大騒ぎしていればな」
「しかし私はシウリス様の護衛で」
ファルコの言葉に、シウリスはその先を言わせぬほどの威圧を放つ。
「貴様などに護られる俺ではない。急げ、俺の国民を誰一人死なせてはならんぞ」
「は、っは!!」
ファルコが場を離れると、シウリスはフリッツへと目を向けて笑った。
「逃げた方がよいのではないか? フリッツ」
「シウリス兄様は」
「こんな面白いショーを見逃すなど、愚の骨頂だ。弱い貴様は、国民を犠牲にしている間に逃げるのが関の山だろうがな」
「な……っ」
ククッと笑うシウリス。フリッツは声を上げようとしたが、すぐにトラヴァスが止めに入る。
「王族が身の安全を確保することは、恥ではありません」
「トラヴァス……」
「王族が無事であることは、民にとって希望であり、安定の象徴です。王族が軽々しく命を危険にさらすことは、国家の未来を危うくする行為に他なりません」
シウリスを非難しているとも取れるトラヴァスの言動に、シウリスは「っはは!!」と大きく笑った。
そしてギロリとトラヴァスを睨む。
「この俺を愚弄するか、氷徹。権力に巻かれることしかできん、穢らわしい男が……ッ!!」
ヒルデの権力に負けて
トラヴァスに対してシウリスは、事あるごとに当時の行為を咎めるように口にする。
怒り顔に変わりそうなフリッツに対し、トラヴァスは主君を諌めて無表情を貫いた。
心の底では当時を思い出し、吐き気を抑えているのだが。
「フリッツ様、ここは危険です。闘技場を出た方がよろしいでしょう」
「そうしろ。貴様のような弱者には、それしかできんだろうからな」
「……っ」
自分の弱さを自覚しているフリッツは、真っ先に逃げるしかない悔しさを滲ませた、その時。
「来るぞ」
シウリスがそう言ったかと思うと、頭上が影で覆われた。
「きゃーーーーーーッ!!」
「うわぁあああああああ!!!!」
「逃げろ、竜だー!!!!」
バキアが闘技場へ向かって急降下し、闘技場はさらなるパニックが広がる。
「アンナ、グレイ! 来るぜ!!」
「ああ!! 中央に誘い込むぞ!!」
「みんなが避難する時間を稼ぎましょう!!」
他の隊員が蜘蛛の子を散らすように逃げる中、アンナとグレイとカールはすぐさま連携を取り始める。
バキアの影が大きくなり、ギュウンと風を切って闘技場に降り立った。
バサっと大きく翼を広げ、一度ふわりと羽ばたかせると、強烈な暴風が闘技場に渦巻く。
ズズンという地を震わせる音が辺りに響き渡った。
間近に降り立った、スレートブルーのバキア。アンナたちはその巨竜を大きく見上げた。
観客たちは泣き出すような悲鳴を上げ、さらにパニックで逃げ惑う。
「デケェ……ッ」
八メートルもの高さをカールは見上げた。その翼は、広げると片翼だけで闘技場の舞台を超えている。
さらに首を大きく持ち上げたバキアは、空へと向かって咆哮を上げた。
グォォォォオオオオオオオオンッッ!!!
「!!」
「なんて声だ……っ」
駆け抜ける恐怖の振動。間近にいる三人はビリビリと肌に感じながら、怯まずに戦う闘志を燃やしていく。
「ハハッ! いいぞ、あの三人は。やる気満々だな。こうでなくては面白くない!」
シウリスは口角を上げて笑い、今にも王弟を連れて逃げ出そうとするトラヴァスへと目を向けた。
「貴様の友ではないのか? やつらを見殺しにするか」
ククッと喉を鳴らすシウリスに、トラヴァスは目を流す。
「私の任務は、フリッツ様を無事に王都へ帰還させることですので」
「ならば、貴様の選択は間違っていると言わざるを得んな」
人々が逃げ惑う中、闘技場に残った黒髪のアンナ、金髪のグレイ、赤髪のカールは、スレートブルーのバキアを目の前に剣を構えている。
アンナが盾を剣で叩き、ギィィイインという音を響かせて竜の注意を促した。
バキアの顔が、足元にいる三人に向けられる。
「ブレスがあるぜ!! 喰らったらやべーぞ!!」
「尾にも注意よ!! 前だけに気を取られないで!」
「一箇所に固まるな! 散らばって死角を生み出すぞ!」
「おう!!」
「了解!」
三人は散開し、正面にはグレイが対峙した。
それをトラヴァスは目の端に入れながら、奥歯を噛み締める。
「このままでは、あいつらは捨て駒にすらならんぞ。あいつらがやられれば、俺以外の誰も生き残れん……無論、フリッツもな」
ニヤリと笑うシウリス。
このままではアンナたちも、ここにいる会場のほとんど全員がやられてしまう。
アンナたちがどれだけ時間を稼ぐかによって、生存者数は変わってくるだろう。
しかしそれは、大事な仲間三人を見殺しにするということだ。
戦闘はすでに始まっていた。
グレイが正面で囮となり、アンナとカールが竜を斬りつけるも、刃は竜の表面を傷つけているだけだ。致命傷までは程遠い。
「早馬を飛ばし、アリシアに伝達を!」
そんなフリッツの提案を、シウリスは鼻で笑い飛ばず。
「アリシアが来るまでに、もうここは壊滅している。なぁ、氷徹」
シウリスの瞳は嬉々としていて、トラヴァスは息を詰まらせた。
「シウリス兄様は、トラヴァスにあの竜と戦ってこいと!?」
「ふん、それがお前の生存率を上げることだと教えてやっているのだ。感謝してほしいくらいだな」
「それではトラヴァスは……!」
「王族のために死ぬのなら、貴様ら騎士は本望だろう」
当然のように言うシウリスに、フリッツはキッと噛みついた。
「僕は、騎士の命も無駄に散らせたりはしたくありません!」
「なにを言っている、フリッツ。今こそが騎士の出番であろうが」
シウリスの正論に、言葉を継げないフリッツ。
背の高いシウリスは弟を見下し、なにも発言できない様子を見て、今度はトラヴァスへと目を向けた。
「どうする、氷徹。ああ、死ぬのが怖いのだったな。生きるために穢らわしい行為も辞さぬほどに」
軽蔑の眼差しを受けて、しかしトラヴァスは声を荒げるようなことなどしない。
「死を恐れているわけではありません。理想を貫けぬままには死ねないだけです」
「では貴様の今の理想は、逃げることなのだな? あの三人を置き去りにして」
「……ッ」
トラヴァスの眉尻がグッと上がったのを見て、シウリスは「ハハッ」と声を出す。
「他の奴らがいくら戦闘に加わっても邪魔なだけだが、貴様が行けばやつらも捨て駒程度には昇格できるぞ? あの三人と貴様は、この闘技場での四天王と言ったところだからな」
シウリスが強さを認める発言をして、少なからずトラヴァスは驚いた。
今ここに、筆頭大将はもちろん、他の将もいない。
教官はいるが、すでに彼らの力を超えているとトラヴァス自身も思っている。先ほどの試合を見れば、アンナたちも教官の強さを超えているのは明らかだ。
つまり、確かにここでの四天王は、グレイ、アンナ、カール、そしてトラヴァスということになる。シウリスを、除けば。
「早く行け、氷徹。あの三人だけでは長く持たん」
まるでトラヴァスを追い払うようにシウリスは口にした。
闘技場で必死に応戦していている大事な仲間を見て、トラヴァスはフリッツへと振り向く。
「フリッツ様、私は彼らに加勢したく存じます」
一瞬顔を苦くしたフリッツだが、仕方なしに首を縦に振った。
「わかった。だけど死ぬのは許さない。ちゃんと戻ってくるんだよ」
「は。必ず」
そう言うや否やトラヴァスは駆け出し、舞台へと飛ぶように降りていく。
その先には、懐かしい仲間たちが必死にバキアに応戦していた。
「すまん、遅くなった!」
トラヴァスが声を上げると、三人は口角を上げて。
「トラヴァス、来てくれたのね!」
「おっせーよ! トラヴァス!」
「さっさと援護に入れ!!」
三者三様の言い分に、トラヴァスもニッと口の端を上げて剣を引き抜く。
「遅れた分の埋め合わせはしよう。皆、行くぞ!!」
気合いたっぷりのトラヴァスに「遅れたくせに仕切ってんじゃねー!」とカールは笑い。
闘技場の四天王は、バキアへと牙を向けた。