アンナが舞台に上がり、正面からグレイと対峙する。
舞台下ではわからなかった、隠そうともしない闘争心が恐ろしいほど形相に現れていた。
威圧感で押し潰されそうなほどの相手と、カールはやり合っていたのだ。アンナはごくりと息を呑んだ。
(……呑まれちゃだめだわ。どんな相手だって怯まず戦うと、そう決めたばかりじゃないっ)
中央に立ち、剣を握り盾を構えるアンナ。
教官は戦闘の意思ありとみなし、声を張り上げた。
「ただいまより、オルト軍学校剣術大会、決勝戦を執り行う!」
グレイも右足を引き、右手で剣を持って低く構える。
あれは最初から全力で来ると、アンナは身震いする体を叱咤した。
お互いに何度も練習相手となってきたのだ。手の内はわかっている。
「決勝カードは、グレイ対アンナ! 制限時間は五分! それでは……」
フーッと狼のように息を吐くグレイ。
逆に息を止めるアンナ。
「始め!!」
開始コールの直後、アンナの思った通りグレイが詰めてきた。
振り下ろされる剣を、アンナは咄嗟に盾でガードする。
「っく!!」
革の盾ということもあるが、想像以上に振動が腕にくる。
ガッ、ガッ、と途切れることなく攻め立てられ、アンナは盾の位置を調節しながらラップショットを狙う。
(うっ、ダメだわ……盾を半分でも開けば、そこからやられる!)
何匹もの狼に襲われているかのような衝撃。
次々と繰り出される攻撃を受けるだけで精一杯だ。
盾の防御を半分と言えど、解くのは危険すぎた。
(シールドパリィで……ダメ、そんな一瞬のチャンスもない。ここは、シールドディフレクトで受け流す!!)
グレイの渾身の剣が振り下ろされた瞬間、アンナは刃に沿って盾に角度をつけた。
それによりグレイの剣は盾を滑り、空を切る。
(よし、今ッ!!)
生まれた一瞬のチャンスをものにするため、アンナは剣を鞭のようにしならせようとした、その時。
ドカッッ!!
ものすごい音がしたかと思うと、盾が弾かれていた。
アンナの盾を引き剥がすような、強すぎる回し蹴り。
剣が滑った瞬間、グレイは即座に対処していたのだ。
その蹴りによって、盾を持つ左手が大きく開いた。
無防備になったアンナへと、グレイは逃さず打ち込む。
右腕がバシンと音を立て、そのまま流れるように太腿まで剣は打ち下ろされる。
「う、っくう!!」
痛みが走り、距離を取ろうとバックステップを取る。
しかしグレイは同時にぐんっとアンナに詰め寄った。
「っ!!」
避けることも盾も間に合わない。
狼のように犬歯を見せたグレイは、アンナの胴を斬り上げた。
「っぐうっ!!」
衝撃に耐えきれず、どっと尻餅をつくアンナ。
「フーー……ッ」
目の前の狼を見上げると、そこには大きく吐かれるグレイの息と、ギラついた瞳。
あまりに早い攻撃に、審判は一瞬呆気に取られてコールを忘れていた。
だがアンナはわかっていた。今の攻撃だけで、十ポイント取られてしまっていることを。
(……負けちゃったわね。でもどうしてかしら……あんまり悔しくないわ)
「フー……ふぅ」
グレイは自分を落ち着かせるように息を吐き、次に目を向けたときにはいつものグレイに戻っていた。
「立てるか、アンナ」
「ええ……平気よ」
「両者、中央へ!」
グレイが出した手を、アンナは握って立ち上がる。
その瞬間、会場から大きなどよめきが上がった。
「なんだ今の! なにした!?」
「盾を蹴ってたよな!?」
「それから、胴だろ?」
「その前に腕と足をやってんだよ! すげぇ!!」
(本当にすごいわ。グレイは……)
負けてしまったが、こんなにすごい人が自分の恋人であることを、アンナは誇らしく思う。
中央まで戻ると、教官がようやくポイントをコールした。
「時間、二分五秒! 四肢、四ポイント! 胴、六ポイント! 計十ポイント!」
そして一度大きく息を吸い。
「オルト軍学校、今期の優勝者はグレイ!! 三連覇達成ッ!!」
高らかに優勝者の名前が宣言される。
盛り上がっていた会場が、さらに割れんばかりの拍手と歓声でいっぱいになった。
グレイが拳を突き上げると、ますます音量は上がる。
特別席ではシウリスが「ふん……」と鼻で息を吹きながら口の端を上げ、その隣ではフリッツが拍手をした。
「決勝は終わりましたが、いかがされますか、フリッツ様」
トラヴァスの問いに、フリッツは隣を見上げる。
「三位決定戦はないのかい?」
いつもは決勝の前に三位決定戦をするのだが、カールが剣を折って舞台を降り、逆にグレイはこのまま続けるとの意思を示したので、順番が逆になってしまっている。
が、決着をつけないということはないだろうと予測をつけて、トラヴァスはフリッツに告げた。
「おそらく、この騒ぎが済んでもう少しカールに休憩が与えられた後、三位決定戦が始まると思います」
「カールってさっきの赤い髪の、トラヴァスの友人だよね」
「はい」
「じゃあ最後まで見ていこう」
フリッツがそう言ってにっこり笑うので、トラヴァスもその気遣いに頬を緩めた。フリッツにしかわからないくらいの、ほぼ無表情であったが。
「ほう? あの赤い獣は、貴様の友か」
隣で聞いていたシウリスが、不適な笑みを浮かべながらフリッツの横に立つトラヴァスに目を流す。
「は。オルト軍学校で切磋琢磨した相手です」
「うかうかしていると呑まれるぞ、氷徹。あれはまぁまぁの素材だ」
「……肝に銘じておきます」
「ふん」
シウリスはニヤリと笑い、今度は自分の護衛騎士であるファルコという男に話しかけた。
「気づいたか、ファルコ。あの飢えた金髪の狼と、
「……は。なにがでしょうか」
「
笑い声を上げるシウリスに、ファルコは意味がわからず顔を顰める。
トラヴァスはファルコと逆の意味で、顔を一瞬だけ顰めた。フリッツは首を傾げながら、そんなトラヴァスを見上げる。
「わかったのかい、トラヴァスは」
「フリッツ。そいつは
ククッと喉を鳴らすシウリスには顔を向けず、トラヴァスはフリッツに向かって首肯する。
「は。シウリス様のおっしゃりたいことはわかりました」
「教えて」
フリッツに促されたトラヴァスは、素直に答えを紡ぐ。
「グレイはカールに右腕をやられて以降、右手は使わずに勝っているのです。剣を左手に持ち替えて」
「本当かい? 気づかなかったな」
フリッツの驚きの顔を見て、ファルコがそれくらいは気づいていたというように声を上げる。
「しかしトラヴァス殿。それは、カール殿の二刀目の対処のためにそうしただけでは?」
その疑問に、トラヴァスは否定も肯定もせぬまま、言葉を続けた。
「確かにそう見えなくもないし、実際にその意味もあったでしょう。だがそれなら、投げの時には利き手である右、もしくは両手を使っていたはずだ。わざわざ剣を捨てて、左手だけで投げる意味はない」
「……あ!」
ようやく気づいたファルコに、シウリスは笑う。
「はは! そうだ、あの狼はわざと利き手じゃない方を使って勝った。手加減しても勝てるのだと、赤獣の心を折るためにな。いい性格をしている。気に入った」
ニィッと片方の口角だけを上げるシウリス。
しかしトラヴァスは無表情で別の考えを頭に展開する。
(グレイはわざわざ人の心を折るためにそんなことをするような男ではない。奴は常に実践形式でやっているんだ。だから腕がやられた後、使えなくなったと想定して戦っていただけに過ぎん)
トラヴァスが闘技場に目を向けると、一度会場から出て行っていたカールが戻ってきている。悔しそうな表情は変わらず、壇上のグレイとアンナを見ていた。
(しかしそれがグレイのこだわりだったとしても、シウリス様の言う通り、カールのプライドがズタズタにされたのは確かだ)
グレイが途中から左手だけで戦っていたことは、対戦したカールが一番よくわかっている。
グレイはどちらの手でも剣を扱えるが、基本は右で、左より力も技量もあるのだ。
手加減したわけではなく、実践形式でやっていたということもカールは理解していた。だからこそ、余計に悔しさが溢れての最後の行動であった。
(カールは腕をやられても、そのままやっていたからな。試合ではそれが普通なんだが。拮抗していたように見えて、実力差を突きつけられたのだ。相当、きついな)
トラヴァスはそんな一番の友の心を思い、しかし乗り越えられると信じて視線を送った。
隣ではファルコがシウリスに話し掛ける。
「シウリス様は、三位決定戦も観ていかれますか?」
その問いに、シウリスは半眼で舞台へと目をやった。
「ふん、興味ないな。どうせ赤獣が勝つ」
「では、お帰りに?」
「いいや。面白くなるのはこれからだぞ」
「は……?」
「貴様らは気づかんか?」
シウリスはフリッツの護衛騎士たちに目を向ける。トラヴァス含め、なにを言っているのかわからないという顔を見ると、満足して笑った。
「ッハ、面白い。最初に気づいたのは、あの赤獣のようだぞ」
なんのことかと、トラヴァスはもう一度カールへと目を向ける。
先ほどグレイと戦った時と変わらぬ獣のような表情で、カールは。
「みんな、逃げろ!! ここはヤベェッ!!」
そう言って、舞台袖に置いていた真剣を手に取って構え。
シウリスは笑いながら立ち上がった。