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39.いい夢だと思うわ

 レイナルド王が逝去し、シウリスが新しい国王として君臨したことは、ストレイア中に知れ渡っている。

 当然アンナの耳にも入っていたが、心境は複雑だった。


(シウリス様……ますます遠い存在になっちゃったわね……)


 もちろんシウリスが王座に就いたことは喜ばしく思っている。けれど、さらに手の届かない人になったのだと寂しく感じた。


(……ううん。私はいつか、軍のトップに立つんだから。またいつか、シウリス様とお話しできる時が来るわ)


 アンナの夢は、今も変わっていない。

 まだリーン家でお世話になっていた頃、シウリスの傍いるために強くなると決めたのだ。騎士として、シウリスを護る立場になれたら、近くにいられるようになるのだからと。

 今は純粋に、王となったシウリスの補佐をして助けたいという気持ちもあった。

 共に時を過ごし笑い合った、幼き頃のように。あんな無邪気な笑顔を、また見られるように。


(十七歳で王になるなんて、どれ程の重圧かしら……少しでも早くお傍で仕えられるように、今から頑張らなくちゃ)


 アンナは騎士となる決意、そして上を目指す決意を新たにして、仲間たちと切磋琢磨するのだった。


 シウリスが国王となった年の四月、ある騎士隊が発足した。

 〝紺鉄の騎士隊〟である。

 ストレイア王国の軍は、筆頭大将アリシアの軍を第一軍隊とし、第十二軍隊まである。

 アリシアは第一軍の将兼、十二軍隊の筆頭の大将ということだ。

 将の下には隊長、小隊長、班長がいて、それぞれ部下を指揮する立場にある。

 さらにその下には一般兵がいて、こちらは騎士とは称されない。

 騎士は一定レベル以上の者しかなれず、王宮の敷地内で勤務できるのは、騎士だけである。

 群青色の騎士服は、騎士を目指す者なら誰もが憧れる象徴なのだ。


 しかし、この十二軍隊とは別に、〝紺鉄の騎士隊〟が生まれたのである。

 十二軍隊は、すべて筆頭大将であるアリシアの指揮下にあるが、紺鉄色の騎士服を着た騎士隊は国王シウリスが作り上げ、シウリスの指揮下にあった。


 今まではシウリスが出撃しようとすると、アリシアの指定した十二軍隊のうちのいずれかがシウリスの指揮下に入る形だった。そこにはもちろん将もいるので、シウリスは隊のすべてを自分の思い通りには動かせなかったのだ。


 歴代の王子は軍功を上げて王になるため、一軍を指揮するのは通例となっている。戦い慣れた、将と共に。

 実際に王となった暁には、戦場に出る必要がなくなるのが通常だ。王が戦場で命を落とされては困るので、当然の話である。


 しかし、シウリスはその血の気の多さから、王となっても戦場へと行軍したがった。

 アリシアは渋り、シウリスが戦場に行く場合は何隊も同時に出動させ、国王に危害が及ばないようにしていた。


 当然、シウリスは面白くなかった。自分を守ろうとする騎士たちに邪魔されて、思い通りに動けないからだ。

 そんな状況を受け入れられなかったシウリスは、独断で親衛隊と称し、〝紺鉄の騎士隊〟を作ってしまったのである。

 筆頭大将の指揮下に属さない、自分だけの少数精鋭の部隊を。

 その結果、いつでも自由に出動できることとなり、シウリスは王になってからも軍功を上げ始めた。新聞は最強の部隊が誕生したと大きく報じ、ストレイア国民は湧き立つ。

 隣国のフィデル国からは〝紺鉄の牙〟と呼ばれ恐れられるほどに、名を馳せ始めた。

 親衛隊発足からたったの半年で、群青色の騎士服よりも紺鉄色の騎士服に憧れを抱く者が、多く現れるほどに。


 アリシアがいくら勝手な行動はやめてもらいたいと訴えても、「勝っているのだからよいだろう」とシウリスが取り合うことはなかった。

 シウリスの目が完全に外へと向いたので、フリッツが幽閉所から出ても、殺意を向けられずにそれまで通りになったのは良かったと言えるが。



 夏が過ぎて、オルト軍学校の秋季剣術大会が翌日に迫っていた。

 アンナが読み終えた本を図書室へ返しに行くと、カールが新聞を読んでいるところに出くわす。

 毎日隅から隅まで、小さな記事も見逃さず読んでいるカールは、かなり情勢に詳しい。

 アンナが本を返し、次の本を選んで借りると同時に、カールは新聞から目を離した。


「ああ、アンナだったのか」

「ええ。読み終わったの?」

「まぁな」


 カールは新聞を畳むと、元のところへと戻す。


「久々に一緒に帰らない?」

「おう、そうだな。グレイはどこにいんだ?」

「メンテナンス室で剣を砥いでるのよ。あっちもきっとそろそろ終わるわ。行きましょう」


 アンナは本を持つと、カールと図書室を出た。

 隣を歩くカールの身長は、もうアンナを超えている。

 現在、カールは十七歳。グレイは十八歳で、アンナも剣術大会の後に十八歳になる。

 つまりアンナとグレイは、次の三月が来れば卒隊となるのだ。


(こうしてカールと一緒に軍学校で過ごすのも、あと少しなのよね)


 そう思うと少し寂しいが、王宮で騎士としてまた会えると信じている。

 トラヴァスを含めた四人で、以前のように過ごせる時間もできるはずだと。


 メンテナンス室に着くと、ちょうどグレイも終わったところだった。カールを見て、グレイは「おっ」と眉を上げる。


「今日はカールも一緒か、久々だな」

「まぁ、帰るだけだけどな」


 グレイは研ぎ上げた剣をカシャンと鞘に戻し、部屋を出た。

 三人は久々に並んで寮までの道を歩く。


「今日はなにか面白い記事でもあったか?」

「そうだな。ラストア地方の上空で、竜が観測されたらしいぜ。しかもバキアだってよ」

「バキア? カーティス竜騎士団領の竜か?」

「いや、ちげぇっぽい。野良のバキアみてぇだ」


 バキアとは巨大な翼竜で、成竜なら翼を広げると三〇メートルを超える大きさになると言われている。

 カーティス竜騎士団領は常に五匹のバキアを手懐けていて、ごく稀にストレイア王国の上空を飛んでいくことがあった。


「野良のバキアだなんて……町に降り立ったら大惨事になるわ」

「そうだな。バキアは気性の荒い種だ。暴れ出したら町なんか一瞬で廃墟になるぞ」

「カーティス竜騎士団は、よくそんな竜を手懐けられるわね……」

「手懐けるのに、竜騎士が何十人も犠牲になるって話だぜ。ま、あんなの相手にしてたら当然だよなぁ」


 新聞を読んで知っているカールがそう言い、三人は三〇メートルもある竜を想像した。ゾッと背筋を凍らせて、アンナは顔を顰める。


「町に降りてこなければいいけど……」

「元々バキアの個体数は少ねぇし、遭遇率なんて万に一つもねぇよ」

「本当?」

「多分な」

「もう」


 カールの適当な発言にアンナは頬を膨らませる。グレイは実際にバキアが降りてきた時の状況を想定して、思考を巡らせた。


「もしストレイア王国にバキアが降りてきたら、総力戦になるな。俺たちオルト軍学校の隊員も駆り出されることになるぞ」

「天災より怖いわね」

「実際、天災みたいなもんだろ」


 グレイの言葉に、「確かに」とアンナとカールは頷いた。真剣な目のグレイが、剣の鞘をぐっと握る。


「俺たちはなにを相手にしても、怯まずに戦う力が必要ってことだ」

「戦争にしたって、対人というだけじゃないものね。隣のフィデル国には色んな種族がいるし、中型の竜を手懐けた竜騎士たちもいるもの」

「フィデル国には、ロック鳥を飼育している白翼はくよくの騎士団もいるしな」


 ストレイア王国には基本的に人間しか住んでいないが、隣のフィデル国にはエルフやドワーフ、獣人族も住んでいる。

 それだけでなく、竜騎士はユノーアという種類の中型竜を。白翼はくよくの騎士と呼ばれる騎士団は、一匹だけだがロック鳥を飼育している環境がある。

 戦争となれば、ストレイア王国では出会うことのない人種や獣を相手に戦わなければならなくなるのだ。


「まぁフィデル国に他種族が住んでるっつっても、人口のほとんどは人間みてぇだし、そう怖がる必要もねぇよ」

「そうだな。それに他種族が人間の戦争に加担することは稀だと聞く。油断は禁物だが。偉大な指導者や参謀がいれば、一丸となって攻めてくるかもしれん」


 参謀という言葉に、カールは眉を険しくした。

 いなくなったミカヴェル・グランディオルという参謀軍師のことを考えているのだとわかったアンナは、話を逸らそうと口を開く。


「竜騎士といえば、世界に竜騎士団は三つあるのよね。大型竜バキアを従えるカーティス団領のカーティス竜騎士団。中型竜ユノーアを飼育するフィデル国のレイノル竜騎士団……あと一つはなんだったかしら?」

「ナビス皇国のナビス竜騎戦団だな。セーロという人の肩に乗るほどの小型竜で、よく懐くらしい」

「そんなに小さな竜が、戦闘で役に立つの?」

「育て方次第で、火や氷や毒のブレスなんかを吐くらしいぞ。まぁどっちかっていうと、戦闘補佐みたいな感じだ」

「ちょっと飼ってみたいわね」


 肩に乗る小型竜セーロを想像したアンナを見て、グレイはわずかに口の端を上げる。けれどカールの方はなにも反応がないままで、アンナはその赤眼を覗き込んだ。


「ねぇ、カール。あなたもセーロを飼ってみたいと思わない?」

「んあ? 俺? んー、そうだな。竜もいいけどよ、俺は犬の方がいっかなぁ」

「犬……意外に普通だな、お前」

「うっせ! 俺のこと、なんだと思ってんだよ!」


 怒るカールを見てグレイはニッと笑い、アンナもクスクスと目を細める。

 しかしいつもの調子が出てきたと思ったのも束の間で、カールはふっと遠くを見た。


「まぁ、夢だよな。でかくなくてもいいから一軒家買ってよ。そこで嫁さんと一緒に犬を飼うんだ。そのうちガキなんかできたりしてよ……」


 唐突に語り出したカールを見て、アンナとグレイは顔を見合わせる。

 カールがそんな先のことを夢に見ていたとは、思いもしていなかった。


「カール。お前、彼女もいないうちからそんなこと考えてるのか?」

「うえ!? 俺今、声に出してたか!?」

「結構おじいさんみたいなこと考えるのね、カール」

「っい゛ッ」

「抉りすぎだ、アンナ……」


 カァっと音まで出そうなほど赤面したカールは、ちょうど女子寮との別れ道に来たのをいいことに、プイッと背を向けた。


「くそ……じゃーな!」


 カールは照れているだけで怒ってなどいない。しかし気を悪くさせてしまったと思ったアンナは、その後ろ姿に声を掛けた。


「ごめんなさい。いい夢だと思うわ。素敵よ」


 カールがその言葉に振り向くと、アンナはにっこりと微笑んだ。

 アンナの笑顔を見た瞬間、カールの胸は驚くほどの痛みを発する。しかしすぐにそれを隠すようにニッと笑った。


「ああ、そうだろ。いつか叶えてやっからな。覚えとけよ!」

「ふふ、わかったわ。その時にはグレイと一緒にお祝いに行くわね」

「……おう、そうしてくれ!」


 それだけ言うと、カールは急いで前を向いて男子寮へと歩いていく。

 カールが唇を噛んでいたことなど、アンナとグレイは気付けるわけもなかった。


「からかったつもりはなかったんだけど……」

「それくらい、カールだってわかってるさ。気にしなくていい」


 女子寮に向かって歩き出すと、アンナはカールがいる時よりもグレイへと寄り添う。


「グレイは飼ってみたくない? 小型竜セーロ

「セーロはナビス皇国にしか生息してないからな。実質不可能だろ」

「夢がないわね、グレイ」

「そうか? どうせなら俺は、カーティス騎士団領に行ってバキアに乗ってみたい」

「乗れるの?」

「カーティスの目玉観光だぞ。人生に一度くらいは、竜の背中に乗って空を飛んでみるのも楽しそうじゃないか?」


 言われて想像してみると、サァァッと風を感じた気がして、アンナはこっくりと頷いた。


「いいわね。いつか乗ってみたいわ!」

「カーティスは遠すぎるからな。休暇にちょっと行ってくるってわけにもいかないし……老後だな」

「老後に、いいわね! 子どもを育て上げて、二人になって余裕ができた時に、カーティスに行きましょう」

「ああ。というか俺たち、カールよりも未来のことを話してるぞ」


 カールが語った夢はせいぜい十年先の話だったというのに、自分たちは何十年も未来の話をしていることに気づいて、グレイは苦笑いした。


「ふふ、ほんと。カールのこと言えないわね」

「俺には約束できる相手がいるけどな」


 グレイが勝ち誇った顔をしているのでアンナは笑い、二人は手を繋いで女子寮への道を歩いた。

 その遥か上空で一匹のバキアが旋回していたことなど、アンナとグレイは知る由もない。

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