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37.今は我慢の時だ

 幽閉所は、ある程度地位のある者を監禁する場所だ。

 滅多に使われることはないが、暮らすのに十分な設備が整っている。

 逃げられないように最上階にあるのだが、そのため眺めは良かった。飛び降りや脱走を防ぐために、窓に格子はあるが。

 三人はそんな幽閉所に辿り着き、ほっとする間もなくマックスが真剣な目で口を開く。


「フリッツ殿下。事態が収束するまで、ここでしばらくお待ちください。トラヴァス、俺は鍵をかけて扉の前にいるから、殿下と一緒にここに」

「わかりました」


 幽閉所は内側から鍵が掛けられないため、このままでは自由に入り放題なのだ。

 マックスが部屋から出ると、外から鍵を掛ける音がした。

 顔色の悪いフリッツを、トラヴァスは椅子まで誘導して座らせる。


「大丈夫ですか、フリッツ様」

「……ごめん……ちょっと気分が……まさか、あんなことに……」


 目の前で四人も惨殺され、そのうちの二人が彼の母親と兄だったのだ。アリシアが助けに入らなければ、フリッツも今を生きてはいなかった。

 さらにフリッツは、あのシウリスの狂気と殺気を直に受けている。ショックを受けても当然のことだった。


「ご無理なさらず。鍵はマックス殿が持っていますし、ここは安全です」

「これから、どうなる……?」

「まだわかりません。とにかくアリシア筆頭が事態を収束させてくれるのを待ちます。今後のことはそれから考えましょう」

「……うん……わかった……」


 かたかたと震える小さな体。トラヴァスはそんなフリッツの背中に優しく手を当て、温かさを伝える。


(ここからのフォローが重要になる。シウリス様も幼き頃にラファエラ様とマーディア様を異常な状態で亡くし、そこから少しずつおかしくなってしまったのだろうからな。フリッツ様を、あんな怪物にはさせない)


「……トラヴァス……」


 フリッツの口から紡がれる、か細く不安げな声。


「大丈夫です。私が必ずフリッツ様をお守りします」


 トラヴァスは幼子にするように、フリッツをそっと抱きしめた。少しでもその不安を取り除くことができればと。


 しばらくするとノックされた後、鍵の外される音がした。

 扉からはマックスと、髪の長いルーシエが入ってくる。


「失礼致します、フリッツ王子殿下。事態の報告にあがりました」


 穏やかな雰囲気を持つルーシエが、空気を重くさせながらも、フリッツへと優雅な敬礼をする。


「ルーシエ殿、私が同席していても?」


トラヴァスの問いに、ルーシエは目を向けた。


「構いません。シウリス様からよく言い含めろ・・・・・との指示が出ておりますので」


 つまりは口止めと脅しであるとトラヴァスは理解する。そしてフリッツは首肯するしかなかった。


「わかった……どうなったのか、嘘をつかれるよりマシだ。なにがあったのか、教えてくれるかい」


 覚悟を決めたフリッツは、もう震えてはいない。そんな若き王子を頼もしく思いながら、トラヴァスもルーシエの言葉を待つ。まだ事態を把握していないマックスも、同僚の発言に耳を澄ました。


「フリッツ様が退出なさった後、シウリス様はレイナルド陛下と口論となり……レイナルド陛下は、シウリス様の凶刃に倒れました」


 フリッツの顔がサッと青ざめ、トラヴァスも一瞬息をするのを忘れた。

 まさかストレイア王であるレイナルドにまで手を掛けるとは、思ってもいなかったのだ。


「お父様が……し、死んだのかい……」

「はい、残念ながら……シウリス様をお止めすることができず、申し訳ございません」


 あのアリシアがいても止められるものではなかったのだ。それまでに四人もの命が奪われていることで、トラヴァスはわかっていたが。


(フリッツ様を救い出せたのは、奇跡に近いな。これで王族は、シウリス様とフリッツ様の二人だけになった)


 トラヴァスの思い描いていた未来と違ってはいるが、フリッツの王位継承という目的に進んでいることは間違いない。


(フリッツ様はまだ幼い。先に王位を継ぐのはシウリス様になるだろうが……それでも、フリッツ様にバルフォアの血が入っていないと知っている、ヒルデ様がいなくなったことは大きい)


 ヒルデが殺害されたあの瞬間、トラヴァスは安堵していた。フリッツの血統のこともあるが、自分を虐げていた女がこの世から消えたことに。

 決して、顔に出したりはしないが。

 そんなトラヴァスの思いをよそに、ルーシエは続けて事態を連絡する。


「この件に関して、ラウ派の騎士の二人はルナリア様殺害で処刑。ヒルデ様はルナリア様の殺害を指示した間接正犯と、こちらは非公式となるでしょうが不貞の罪も重なり処刑」


 不貞の罪が非公式となると聞いて、トラヴァスもフリッツも胸を撫で下ろした。被害者であるトラヴァスたちへの配慮だ。

 しかしそれよりも二人は、フリッツの出自を問われないことの方に安堵していたのだが。

 次にルーシエは、残りの死亡者へと言及する。


「そしてルトガー様は、ラファエラ様が死亡した件に関与していたことが発覚し、そのために処刑ということになります」

「ラファエラ様の?」


 トラヴァスが眉を寄せるも、ルーシエは変わらぬ表情で眉ひとつ動かさない。


「ご存知の通りラファエラ様は病死となっておりますが、実はルトガー様が毒殺したことが発覚したのです」


 これで押し通すとばかりにルーシエは告げ、当然トラヴァスは訝しむ。


(嘘だな。ラファエラ様の死は不審な点がありすぎる。ラウ派が関与していたことも否定はできんが、ルトガー様は関与していないだろう。第一、ルトガー様はなにも供述することなく殺されている。ただのでっち上げだ)


 ルーシエがそういう設定を作り上げ、無理やりルトガーの死に正当な理由をつけたに過ぎない。

 その話はおかしいからと、過去の話を掘って問い詰めても無駄だと。ルーシエという男はアリシアの指示なしにはなにも言わないと、トラヴァスはわかっていた。

 変な正義感を出しては、また立場が危ぶまれると理解している。


「よって、ヒルデ様とルトガー様は処刑となりました。真実を知ったレイナルド陛下は大変な衝撃を受け、ショック死なさったのです。わかりましたね?」


 ルーシエの問いかけは、有無を言わせないものであった。

 公式発表は、今ルーシエが言った通りのものとなるに違いなく、覆すようなことは口が避けても言ってはならない。

 先ほどルーシエは〝口論の末、レイナルドがシウリスに凶刃に倒れた〟と言っていたというのに、死因が矛盾する。

 真実を伝えつつもショック死を押し通す姿勢に、トラヴァスは黙るしかなかった。それを指摘すれば、待っているのは死に違いないのだから。


「これからフリッツ様はどういう扱いとなりますか」


 一番気になっているトラヴァスの問いに、ルーシエは少し難しい顔を見せる。


「フリッツ様はなんの罪も犯しておりませんので、そのまま王位継承者として過ごしていただけるでしょう。ご年齢のこともあり、王位はシウリス様が継ぐことになると思いますが。ただ……」

「ただ?」

「シウリス様の気が昂っておられるうちは、この幽閉所にて過ごしていただく方が安全かと思われます。フリッツ様にはご不便をおかけしますが」

「フリッツ様に罪人のような扱いを受けろと?」

「トラヴァス、いい」


 トラヴァスの怒りの言葉を、フリッツが止めた。


「構わないよ。シウリス兄様の僕への興味が失せるまで、僕はここにいよう。僕は……生きなければならない。この国のためにも」

「フリッツ様……御意」


 常に扉に鍵が掛けられた状態で過ごすと、フリッツは自ら決めた。自由に外に出ることのできない生活を。

 心苦しさがありつつも、トラヴァスはその覚悟を尊重して頭を垂れた。しかし己の主君のためにと、トラヴァスは銀髪の男へと目を向ける。


「ルーシエ殿、ひとつだけお願いがある」

「なんでしょう」

「どうかここの鍵は、私に管理させていただきたいのです」

「私にその権限はありません。あとでアリシア様に報告いたしますので、その指示に従ってください」

「……わかりました」


 トラヴァスは納得して頷いて見せた。ルーシエはまだ重い空気を纏わせたままで、トラヴァスと隣にいるマックスへと交互に目を向ける。


「私からは以上です。マックスは私と一緒に執務室へ。トラヴァスさんは評議の間へと戻り、アリシア様の指示に従ってください」


 ルーシエの言葉に「わかった」と頷きを見せるマックス。しかしトラヴァスは冷たい目に反抗心を載せて、ルーシエを見る。


「フリッツ様をお一人にすると?」

「少しの間、私が鍵を管理します。シウリス様であっても開けられる錠ではありませんので、心配無用です」


 穏やかな口調でありながら、やはり有無を言わせないルーシエは、次にフリッツへと目を向けた。


「食事は毒味を終えたものをこちらの小窓から差し入れます。しばらくお一人になりますが、ご容赦ください」


 ルーシエの手が、握り拳ほどの高さの小窓に向かう。鍵を持たぬ者とのやり取りは、そこでしかできない。もちろん、小窓から部屋を出ることなど不可能だ。


「わかった、大丈夫だよ。君たちは君たちの仕事をしてほしい」


 白い顔で無理やり見せる笑みに胸を痛くしながら、三人は幽閉所を出て錠前に鍵を掛けた。

 ルーシエとマックスは執務室へと向かい、トラヴァスは評議の間へと戻る。

 中ではジャンとアリシアが、罪人含め全員の遺体を綺麗にしていた。


「ああ、来たのね、トラヴァス。机も椅子も血だらけなのよ。綺麗にしてもらえる?」

「……取れるのでしょうか、血の跡など」

「そこは頑張りなさいな。絨毯はさすがに替えなきゃいけないけど、他の予算は出せないわよ。全部入れ替えるのは、大掛かりになってあやしまれちゃうわ」


 あっさりと言われ、トラヴァスは仕方なく惨劇の跡を片付ける準備をする。

 誰にも言えないため、自分たちで処理するしかないのだ。

 王族の方を見ると、レイナルドも剣の傷を負っていて、やはりショック死などではないことがわかった。


「アリシア筆頭。シウリス様とレイナルド陛下は口論をしていたと聞きましたが、一体どのようなことを言っておられたのです?」

「……そうね。マーディア様がおられたのに、ヒルデ様まで王妃に迎え入れたことを、シウリス様は批判しておられたわ」


 確かに、王妃を二人娶らなければ起こらなかった争いではあった。しかし二人娶ることも、王としての仕事であったということはトラヴァスにもわかる。


「他には」

「ないわよ?」


 にっこりと笑みを見せながら、血みどろの布を桶で洗うアリシア。


(このお方は……演技などまるでできそうにないというのに、あっさりと嘘をつくな)


 これ以上は聞き出せないと判断したトラヴァスは、もうなにも聞かずに部屋掃除に集中した。

 夜になり、人気ひとけがなくなると絨毯を処分し、ルーシエやマックスが用意した棺桶に遺体を入れて運び出す。

 全員で急いで床を綺麗にして新しい絨毯を敷き、すべてを終わらせた時にはもう朝であった。


「ご苦労様、トラヴァス。あとはこっちで処理するわ」

「は。なにかありましたら、いつでもお呼びください」

「ありがとう。そうそう、この鍵、あなたに任せるわね」


 そう言ってアリシアはひとつの鍵をトラヴァスへと渡した。

 あの幽閉所の鍵である。


「ひとつしかないから、無くさないようにしてちょうだい。これは私から、あなたへの信頼の証よ。わかるわね」


 つまり、ここで起こったことは決して他言するなとアリシアは伝えているのだ。

 もちろん、トラヴァスは誰かに伝えるつもりはない。


「わかっております。ひとつ確認させていただきたいのですが、シウリス様が外出等でいない時は、フリッツ様を外に出して差し上げても?」

「トラヴァスが大丈夫だと判断できた時には構わないわ。けど、外泊はせずに戻ってくること」

「は。そのように」

「私がいいと判断するまでは、幽閉所で暮らしていただくわ。ご不便を掛けるけれど……なるべく、気を紛らわせて差し上げて」

「かしこまりました」


 トラヴァスとしては願ったり叶ったりである。

 幽閉所の鍵を手に入れ、自由にできるのは自分だけなのだ。


(まだ、今は我慢の時だ。いつか、フリッツ様とこの状況をひっくり返す)


 トラヴァスの心は、その冷たい瞳とは裏腹に燃えたぎっていた。

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