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34.つらい選択をさせることを

 ルナリアの死から、二週間が過ぎようとしていた。


 アリシアの部下たちは忙しなく動いていて、もうすぐ真実に辿りつくだろうとトラヴァスは考えている。

 ヒルデの方は相変わらずだった。ルナリアと護衛騎士は無理心中だと吹聴し、そうさせることを狙っているようだ。

 注射痕があり、その注射器が近くにない時点で、無理心中の線など消えているのだが。


 実行犯であろうザーラは、変わらず淡々と過ごしている。しかしよく観察していると、時折り悲しそうな瞳をしているのを、トラヴァスとフリッツは確認していた。


「どうしてザーラはお母様の言いなり人形になって、ルナリアを殺害するまでになったんだろう……」


 フリッツの心にあるのは、ルナリアを殺された憤りと、純粋な疑問である。

 部屋に訪れていたトラヴァスは、フリッツの独り言のような問いに目を流して答えた。


「私と似たような状況とも考えられます。弱味を握られ、逆らえない状況なのかもしれません」

「そうなると、彼女も被害者ということになるのか」

「だとしても、王族殺しは看過できる問題ではありませんが」

「もちろん、どんな理由があったとしても許すつもりはないよ」


 そんな話をしていると、フリッツの部屋に控えめのノックの音が鳴った。

 もう外は暗く、誰の面会予定もないはずだ。トラヴァスは警戒しながら扉を少し開けて確認する。

 そこには女医のザーラが立っていた。


「何用ですか、ザーラ殿。このような時間に」

「フリッツ王子殿下にお話が」


 トラヴァスは心の中でだけ、顔を顰めた。

 ザーラはルナリア殺しの実行犯に違いなく、フリッツの部屋に入れるのは危険すぎる。


(ザーラはヒルデ様の命令でルナリア様を殺害したのかもしれんが、もし元々王家に恨みがあったならフリッツ様の御身も危ない。警戒するに越したことはない)


 トラヴァスはそう考え、冷たいアイスブルーの目をザーラに向けた。


「もう夜も遅い。話なら明日、護衛騎士が揃っている時間帯にしてもらいたい」

「そんなに警戒せずとも、私は一人です。女の力でなにができると?」


 確かに、周りを確認するも他には誰もいない。

 女性でもアリシアのような人物は例外だが、一般的な女性が相手ならば、なにをされてもトラヴァスは対処できる力を持っている。


「少しお待ちを」


 一度扉を閉めて鍵を掛けてから、トラヴァスはフリッツに報告した。


「フリッツ様、ザーラです。フリッツ様とお話ししたいと申していますが、いかがされますか」

「……ザーラが」


 一瞬考える仕草をしたフリッツだが、結論を出すのは早かった。


「トラヴァスが護ってくれるなら、僕は話してみたい」

「わかりました、必ずお護りします。では、ザーラを部屋に入れますが……一定の距離は保ってください」

「うん、わかってる」


 許可を得て、トラヴァスはザーラを中へと入れた。

 茶色の髪を揺らしながら、白衣の女医が頭を垂れる。


「フリッツ王子殿下、御目通りを感謝いたします」

「うん。こんな時間に来るなんて、訳ありだろう。まずはザーラの話を聞く。その後は僕たちの問いに答えるんだ。いいね」

「はい。できる限り誠実にお答えしたく存じます」


 トラヴァスはそう言うザーラを、椅子に座らせた。テーブルを挟んで、少し離れた向かい側にフリッツが座る。


「ザーラ殿。私が許可するまで、そこから動かないでいてもらおう。少しでも立つ素振りをすれば、私が斬る」


 フリッツの隣に立ち、いつでも抜剣できるようにトラヴァスは鞘を握った。


「わかりました。動きはしません。お話をしたいだけなのですから」

「一体なんだい。その話っていうのは」


 フリッツはルナリアを殺した相手を前に、必死で怒りを抑えて冷静にザーラを見つめている。

 こういうところにも好感を持てると思いながら、トラヴァスは二人のやりとりを見守った。


「殿下は、そこにいるトラヴァスがヒルデ様と不貞していらっしゃることは、ご存じでしょう」


 やや断定的に問われたフリッツは、少し間を置いてから頷いた。


「ああ……知っているよ」

「ヒルデ様は過去に、他に二人もの男と関係を持っております」

「……そう」


 フリッツの銀灰色の瞳は、一瞬ザーラからから逸れる。しかしすぐにぐっと奥歯を噛んで、強く意思のある目に戻した。

 そんなフリッツにザーラは続ける。


「二人の男の名は、ロメオとルードン。殿下はご存じないと思いますが」

「うん……初めて聞いたよ」

「フリッツ様の銀灰色の瞳は、ロメオにそっくりでございます」


 フリッツは微動だにしなかった。しかし息は一瞬止まり、奥歯は噛み締めたままだ。


「……お二人とも反論されないところを見るに、その可能性は考えていたのでしょう? フリッツ様は王家バルフォアの血を引いていらっしゃらないと」

「ザーラ殿、不敬だ。そんなことを言って、ただで済むと思いますまい」


 トラヴァスがアイスブルーの瞳を冷たく光らせるも、ザーラは意にも介さずフッと笑った。


「私はもう死ぬ覚悟です。それでヒルデ様への復讐がようやく終わる」

「……なに?」


 トラヴァスは眉を寄せ、フリッツは結ばれていた口を開いた。


「どういうことだい。ザーラは一体なぜ、お母様に協力していながら、お母様に復讐しようとする?」

「はい。すべてをお話しに参りました。どうか、最後までお聞きください」


 そう言って、ザーラはすべてを語り始めた。

 第二王妃ヒルデの言いなり人形となり、犯罪に加担するようになった経緯を。


 それは今より十五年も前の話。

 当時、ザーラは医療班へと配属されたばかりの新人医師であった。

 同じく軍学校を卒隊したばかりの魔術騎士のロメオとは上級学校が同じで、王宮で再会した二人は付き合い始めたという。

 付き合って一年経ち、結婚の話も上がり始めた頃、ロメオはいつしかザーラを避けるようになっていた。

 体調も思わしくないようで、心配していたある日、ザーラは突然の別れを告げられたのだ。

 別れたくなかったザーラは理由を聞き出そうとしたがなにも教えてくれず、その半年後、ロメオは突然騎士を辞めてしまったのだった。

 その後、家に行っても会ってくれず、ロメオとザーラは実質の別れとなっていた。

 ちょうどヒルデ懐妊のニュースで、国中が沸き立っていた頃のことだった。


 ザーラはロメオになにがあったのかを、徹底的に調べ始めた。

 ヒルデとの間になにかあったのでは……と勘付いた時、逆にヒルデから呼び出される。

 そうして告げられた。お腹の子はロメオとの子で、彼は自分と不貞していたのだと。

 これが知られれば、王妃と不義密通をしたロメオは斬首となる。だから知られないように協力しろと脅されたのだ。

 こうしてザーラは、ヒルデの言いなり人形となった。仕事を辞めようとすると、ロメオのことを公表すると言って脅され、辞めることもできずに協力するしかなかった。

 ヒルデからすれば、女医という最も利用価値のあるザーラを手放したくなかったのだろう。

 ロメオと別れても彼を死なせることだけはしたくなかったザーラは、ヒルデに言われるがまま、悪事に加担するしかなかった。


 悪事という言葉を聞いたフリッツは、ギュッと拳を握りしめる。


「ルナリアも、ザーラが手を下したのか」

「はい」

「……ッ!!」


 怒りに震える手を、フリッツはなんとか奥歯を噛み締めて落ち着かせた。

 トラヴァスはそんなフリッツを確認し、ザーラへと視線を送る。


「なぜそれを今、フリッツ様に?」

「アリシア様と部下たちが、私を含めた関係者を次々に疑っています。私も捕縛されるのは時間の問題でしょう」

「だから今のうちにフリッツ様に真実を告げに来たと? それとヒルデ様への復讐と、どう繋がるのだ」


 捕まる前にフリッツにだけは真実を伝えておきたかった気持ちも、それがどう復讐に繋がるのかがわからずに、トラヴァスはまだまだ信用ならないザーラを睨んだ。


「私の罪は、ルナリア様殺害だけではありません。第一王妃マーディア様の死にも関与しています」


 ザーラの告白に、トラヴァスとフリッツはますますわからなくなる。

 女医として、ザーラは心神喪失状態のマーディアを治療していたはずなのだから。


「マーディア様の死は、シウリス兄様の犯した罪だろう。ザーラがどう関与しているんだ?」

「真実を、ご存じだったのですね」


 公式にはマーディアの心身虚弱の死として扱われていて、当時まだ幼かったフリッツにはシウリスがマーディアを殺害したことは知らされてはいなかった。

 しかしルナリアから聞いて真実を知っていたフリッツは首肯し、ザーラは自分の犯した罪を話し始める。


「マーディア様は、本当は少しずつ回復していたのです。それを、私は呪いの異能を習得し、阻止していました」

「呪いの……異能だと……」

「はい。精神破壊もある異能です。回復に向かっていたマーディア様の心を少しずつ蝕み……そして、あの時一気に破壊したのです」


 精神破壊のある異能と聞き、フリッツは眉を吊り上げる。


「マーディア様がルナリアの首を絞めたのは、そういうことだったのか……!」


 フリッツは隣の部屋の王妃に聞こえぬよう、最小限に声を絞りつつも怒りを発した。

 トラヴァスは無表情のまま、引き結んでいた口をわずかに開く。


「それもヒルデ様の指示だったのですか」

「ええ。ルナリア様とシウリス様の心を破壊するか、ヒルデ様に疑いが向けられないように上手く殺せと命じられました。王家の加護を受け引き継がれているルナリア様とシウリス様に、私の呪いは効きませんでしたが」


 だからザーラはマーディアの精神を破壊し、マーディアにルナリアとシウリスを殺させようとしたのだ。

 結局死んだのはマーディア一人だけあったが、ルナリアとシウリスの心に傷を負わせたという意味では成功だったかもしれない。


「今回のルナリア様殺害の意図も、同じですか」


 トラヴァスの問いに、ザーラは曖昧な表情を見せた。


「私がルナリア様に王族の特権を使わせようとしていたのが、ヒルデ様にバレてしまったのです。だからヒルデ様は私の忠誠心を試すために、ルナリア様殺害を命じられました。ヒルデ様は好都合と思ったかもしれません」


 相変わらず淡々と語るザーラである。フリッツはルナリアの名前を出されて顔を顰めた。


「ルナリアに特権を使わせようとしただと?」

「ロメオの保護ですね。彼の命さえ保障できれば、あなたはヒルデ様を告発できる」


トラヴァスの言葉は当たり、ザーラはこくりと頷く。


「しかし、ルナリア様への接触を知られてしまい、私の思惑はヒルデ様に露呈してしまったのです。それと時を同じくして、ルナリア様とフリッツ様の禁断の恋が明らかとなりまして」

「……」


 ザーラの視線にもフリッツは臆さず、続きを促すように銀灰色の瞳を向けた。ザーラもまた、その瞳から逃げることなく言葉を続ける。


「ヒルデ様は、ルナリア様がフリッツ様をたぶらかしたと信じておりました。元々リーンの者を消し去りたいと思っていたヒルデ様は、私の忠誠心を試すために、私にルナリア様殺害を命じたのです。シウリス王子にも精神的なダメージを負わせられると、喜んでおりましたが」

「やっぱり、お母様がすべての計画を……っ」


 銀灰色のフリッツの瞳が、燃えるような怒りの炎に包まれる。そんなフリッツの顔を見ても、ザーラは淡々と語った。


「しかしそれも終焉を迎えます。アリシア様は有能なお方。死んだ私の身から呪いの書が取り出されることで、すべてが白日の元にさらされるでしょう」


 習得した異能や魔法の〝書〟は、死ぬと体の中から浮き出てくる。

 呪いの異能をザーラが習得していた意味を、筆頭大将アリシアは徹底的に調べ上げるだろう。


「死ぬ気かい、ザーラ。ルナリアを殺した罪を、償いもせず……っ」

「お許しください、フリッツ殿下。私は生きている限り、ヒルデ様の言いなり人形になるしかできず……しかしずっとこの時を待っていたのです。ヒルデ様を裁ける時を」


 ザーラは死ぬことでしかヒルデに逆らえないのだ。だから、習得師が体から〝書〟を取り出し証明することもできるというのに、死を選ぶつもりでいる。

 ヒルデが捕まり、王妃という地位でなくなったとしても、その前に犯していた不義密通の罪は有効だ。ヒルデが牢獄で暴露すれば、やはりロメオの命はなくなる。

 生きていれば、またどう利用されるかわからない。それをザーラは恐れ、自分が死ぬことで断ち切ろうとしている。


「それがザーラの……お母様への復讐ということなんだね……」

「はい。私は、ロメオを地獄に追いやったヒルデ様が許せなかった……いつでもロメオを死なせられる立場のヒルデ様を憎み……そして今ようやく、ヒルデ様の悪事が露呈しようとしているのです。私の死はロメオを護り、ヒルデ様を死罪へと導く契機となるでしょう」


 淡々と話している中にも、覚悟の意思が感じられる。それを、フリッツもトラヴァスも止めることはできなかった。


「……どうしてそれを、僕に?」

「ルナリア様をこの手に掛けた、贖罪でしょうか。そしてあなたのお母上をこの手で地獄に落とす、懺悔をしに」

「お母様のことはいい。それだけのことをしているんだ、僕も覚悟はできている」

「はい……ルナリア様のこと、本当に申し訳ございませんでした……」


 ザーラに頭を下げられてしまったフリッツは、複雑な表情で唇を食いしばった。


「ザーラ殿の話は終わりか?」

「はい。もう言い残すことはありません。殿下にお会いするのも、これが最後となりましょう。なにか聞きたいことがあるなら、今のうちにどうぞ」


 トラヴァスがフリッツに顔を向けると、フリッツは首を横に振って答えた。

 代わりにトラヴァスがザーラへと疑問を送る。


「ザーラ殿。今ロメオはどうしているのです」

「王都のヴィオランタというレストランでシェフとして働いています。結婚して、子どももいて……幸せに、暮らしているようです」


 その答えを聞いて、トラヴァスもフリッツも、一瞬言葉を詰まらせた。


「ザーラ……あなたは、自分とは別の人と結婚したロメオの幸せを、ずっと護り続けていたのかい」

「そんな美談ではございません。私が変に嗅ぎ回ったせいで、ロメオの命が危険に晒されたのですから……このくらいは当然です」

「だがザーラは、今でもロメオのことを……」

「フリッツ様」


 フリッツの言葉をトラヴァスが止めた。

 ザーラの行ったことはもちろん許せるものではないが、彼女も彼女なりに大切な人の今ある幸せを護ろうと、必死だったのだと。

 ザーラの少しほっとしている表情を見た二人は、それを理解できた。


「わがままなお願いではありますが、私の死後、どうかロメオの命が脅かされないよう、取り計らっていただけますと幸いです」

「ロメオは……僕の本当の父親、なんだよね」


 フリッツの質問に、今まで淡々として表情を変えなかったザーラは、初めて優しく微笑んだ。


「……どんな人?」

「そうですね……魔術騎士だったロメオは、優秀な雷魔法の使い手です。殿下と同じ銀灰色の瞳で、とても真面目で優しい人……」


 ザーラは最後に言葉を震わせ、口を閉じた。

 瞳が潤んでいるの見て、トラヴァスもフリッツも察した。

 フリッツはザーラにとって、憎いヒルデの子であると同時に、愛おしいロメオの子でもあったのだ。だからこそザーラは、時折り悲しげな瞳でフリッツを見ていたのだと。


「フリッツ王子殿下……私はロメオと、あなた様の幸せを心より願っております。最後にお姿を拝することが叶い……本当に嬉しく思います」

「ザーラ……正直、ルナリアのことは許せないが、あなたも被害者だとわかった。つらい選択をさせることを、すまなく思うよ」

「もったいないお言葉です。そろそろ、御前を失礼してよろしいでしょうか」

「……うん」


 許可を得たザーラは、腰を上げた。

 一応警戒していたトラヴァスだが、彼女はなにもせずに扉へと向かうと、深く一礼して出ていった。

 フリッツとトラヴァスはしばらくなにも言えずに、ザーラが出て行った扉を見つめていた。

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