シウリスが目を覚ましたのは、翌朝だった。
食事はとっていたものの、目はうつろで話をしようともしない。
アリシアはあの後すぐに王都へと報告に行き、そして翌昼前にまたハナイへとやって来た。
シウリスに帰還命令が出されたのだ。ルナリアは体調が戻ってからの帰還となる。
『シウリス様、一緒に戻りましょう』
『寄るな、アンナ』
ようやく声を上げたと思えば、それは拒絶の言葉だった。
一瞬息が止まり、唇を噛み締める。
昨日の拒絶よりも遥かに胸に刺さり、声を出せば震えてしまいそうで、アンナはなにも言わずに受け入れた。
馬車に揺られて帰っている間も、シウリスはアンナと目を合わそうともせず、無言であった。
結局、マーディアがルナリアを殺そうとしたこと、そしてシウリスがマーディアを殺害したことは隠蔽された。
公式発表は、ラファエラが亡くなったことでマーディアは心身虚弱化し、それ故の死であったと報じられた。
マーディアは生前の本人の意向ということにされ、密葬となっている。
第一王妃の悲劇と死の真相を知るものはごく僅かで、アンナにも口止めがされたのだった。
王都に戻った後、シウリスは王宮で過ごし、リーン家に来なくなった。以前は週末をリーン家で一緒に過ごしていたが、それがなくなったのだ。
シウリスは忙しくて会えないのだと、アンナは思おうとしていた。
週末にリーン家を訪ねても、シウリスは来ていないと言われるだけだ。
ずっと一緒にいたシウリスと会えなくなり、アンナは悲しみを堪える日が続いた。
そんなアンナを見かねたアリシアが、王の許可をとり、王宮に連れていってくれたのだが──
アンナは、徹底してシウリスに無視された。
チラリと視線は動いても、まるで興味がないように去ってしまう。
そんなことが数回続き、もうアリシアもアンナを王宮には誘わなくなった。
こうして、アンナとシウリスは疎遠になっていった。
アンナは過去に起こった惨劇を思い出して嘆息した。
(思えば、王宮に行った時にルナリア様と会ったのが、最後になるのね……)
シウリスに無視されたアンナは、ルナリアにも会いにいっていたのだ。
しかし、ルナリアが嬉しそうな顔をしたのは一瞬で、当時のことを思い出したのか息苦しそうに胸を押さえてしまった。
ルナリアよりひとつ年上の第三王子フリッツが、『大丈夫だよ』と優しく抱きしめていたのが印象的だった。
シウリスには無視され、ルナリアはアンナを見ると具合が悪くなってしまうなら、王宮に行く意味はない。
生まれてからずっと一緒にいて、毎週末には必ず会っていた人と会えなくなった。
その時の孤独を思い出して、アンナは振り切るように首を左右に振る。
(今の私には、グレイがいるわ……シウリス様とルナリア様は、あれからも仲が良かったって母さんは言ってたし……)
そこまで思い、アンナは大きく息を吐いた。
(まさか、ルナリア様が逝去なさるだなんて。新聞には注射痕があり、毒を使われたとしか書いていなかったけど……シウリス様は、どれだけ嘆かれていることか……)
これでリーン系が残っているのは、シウリスだけとなる。
母と姉と、妹までも亡くしたシウリスを思うと、どうしたって胸は苦しくなった。
軍事演習が終わり、いつもの寮への帰り道。
アンナはルナリアを思い、思わず息を吐いてしまった。
月の落とす光で、二人分の影を見つめる。
「大丈夫か、アンナ。今日は一日、憂鬱そうだったな」
「グレイ……ええ……」
心配したグレイが二人きりになったタイミングでそう言った。
ちゃんと見てくれていることに喜びを感じると同時に、グレイに心配させていることが申し訳なくなる。
「ルナリア様が亡くなったなんて、まだ信じられなくて」
「まぁ、みんなショックを受けてたよな。しかも王宮っていう一番安全な場所での逝去だしな」
騎士候補が在籍するこの軍学校では、王族を護るという意識の高い者が多くいる。
騎士に守られているはずの王族の死に、誰もが動揺しているのだ。
「すでに亡くなった方はどうしようもないが……俺たちが騎士になった時には、誰も死なさなければいい。そのために力をつけなきゃな」
「……そうね」
「やるよ」
そう言うと、グレイはフードコンテナを取り出した。
中にはもちろん、食堂で出た夕食が入っている。
「これ、グレイの夜食じゃない」
「さっき、全然食べてなかっただろ。力をつけるためには、食べるのが基本だ。いいから持ってけ」
アンナが見上げると、そこにはいつもの無愛想なグレイの顔がある。
決して優しいとは言えない言葉遣いだが、アンナには十分優しさを感じ取れて、ようやく少し笑えた。
「そうね……ありがとう、グレイ」
「しっかり食べろよ。あんたはもう少し太ってもいいくらいだ。特に
そう言って、アンナの胸の部分を指差すグレイ。アンナはちょっとムッとして口を尖らせる。
「これでも最近は、かなり大きくなったわ」
「ああ、俺のおかげだろ?」
「もう、ばか」
「ははっ」
グレイは笑ったが、どうにも引っかかってしまい、アンナはしょぼんと肩を落とす。
「アンナ?」
「グレイは……これじゃあ物足りない?」
アンナの落ち込んだ理由がわかったグレイは、しまったと思いながらも落ち着いていた。
「悪い、そうじゃない。いつもみたいに、言い合いしたかっただけだ。俺は別に、大きかろうが小さかろうが、アンナのものならなんだっていい」
「なんだかいやらしいわよ、言い方が。他の女の子には言ってないでしょうね?」
「さすがに言わないな。一応、良識ある発言しかしてないぞ」
「っぷ! 良識ある発言って……! ふふふっ!」
口を開けばアンナを揶揄い、俺の嫁発言する人のどこが良識なのかとアンナは吹き出した。
「アンナにだけだぞ、色々言ってるのは」
「ふふ……っ、そうね。そうでなければ困るわ」
「俺はこうして、アンナとたわいもない話をするのが楽しいんだ」
「ええ、私もよ。今でこそ話は弾むけど、最初の頃はお互い黙ってたのよね」
「そう言えば、そうだったな」
まだアンナが偽装の付き合いだと思っていた頃のことで、もう一年と四ヶ月近くも前の話になる。
(あの頃は、まさかグレイとこんな関係になるとは思ってなかったわ……なんだか不思議)
当時はグレイのことが気になっていたものの、こんなに好きになるとは思っていなかった。あれからたった数ヶ月で婚約者となり、将来を約束する仲になるとは、考えもしていなかったのだ。
グレイの方は、アンナを嫁にする気満々であったが。
「でも私ね、無言でも全然苦痛じゃなかったのよ。むしろ、女子寮までの道がもっと長ければよかったのにって思ってた」
初めて聞く事実に、グレイは目を瞬かせる。そしていつもは無愛想な顔を綻ばせた。
「そうだったのか。実は、俺もだった。アンナの隣なら、どこまでも歩いていけると思ってた」
「……グレイ」
アンナは足を止めて、グレイの袖を引っ張ると道から外れた。
冬の帰り道はもう真っ暗だ。人もまばらで、木陰に入ると人がいるようには見えない。
木の後ろで、アンナはグレイを見上げた。
「……おい、こんなことされると狼になっちまうぞ」
「それは困るけど……寒いし……」
「夏だったらいいのか」
「虫がいるから嫌だわ」
「じゃあ春か秋だな」
「ばか」
アンナの一言に、二人は同じタイミングで笑う。
以前、グレイからのプロポーズを保留にしていた時、母であるアリシアは言っていた。
グレイも雷神のようにいなくなって、孤独になるのを恐れているのだろうと。だからプロポーズの返事ができないのだろうと。
それは確かに当たっていた。でも、少し違う。
父親のことはもちろんあったが、アンナが本当に恐れていたのは、ずっと一緒にいた人から突然切り離されることなのだ。
そう、生まれた時からずっと一緒にいた、シウリスにされたように。
「グレイ……」
「ん?」
「好きよ」
アンナはそう言いながら、グレイに寄りかかる。
グレイのことを、アンナはどうしようもなく好きになってしまっているのだ。もしも切り離されてしまったらと思うだけで、気が狂いそうになるほどに。
「……どうした、アンナ」
「ごめんなさい……また少し、寂しくなっちゃって……」
「大丈夫だ。俺がいる」
「ええ……」
グレイはギュッとアンナを抱きしめ。
そして一度顔を見合わせると、どちらからともなく唇を重ね合わせた。
苦しかったアンナの心は、火が灯るように緩んでいく。
「ありがとう、もう大丈夫」
「……そうか。寮じゃなければ、一緒にいるんだがな」
「ふふ、気持ちだけで充分よ」
「無理はするなよ。どうしてもつらい時は、女子寮に忍び込んででも会いに行くからな」
「もう、捕まっちゃうようなことさせられないわ。私が男子寮に忍び込むわよ」
「それはそそられ……いや、やめてくれ。あんな飢えた男どもの巣窟に忍び込ませられるわけないだろ。絶対ダメだからな」
「ええ、わかったわ」
素直に頷いたので、アンナは冗談で言ったということがグレイに通じた。少し苦笑いしたグレイは、ぽんとアンナの頭を撫でて道に戻る。
「月が綺麗だな」
グレイの言葉に、アンナも見上げる。
「上弦の月ね。ふふ、グレイって月が好きよね」
「月もだが、どっちかっていうと月光浴だな。心も体も浄化してくれそうな光がいい」
「……この淡い光が」
「ああ。アンナみたいだろ」
「私?」
アンナは驚くと同時に疑問を浮かべた。月の光に例えられたことなど、初めてだ。
髪や瞳の色のせいか、闇夜に例えられたことはあっても、月の光に例えられたことなどない。
「前から思ってたんだ。アリシア筆頭は誰が見ても太陽だろ?」
「そうね、間違いないわ。母さんは輝くような金髪だし、本当に明るくて眩しくて、いつ太陽になってもおかしくないもの」
「ははっ、確かにそのうち発光しそうだよな。逆にアンナは優しい光なんだ。俺にとっては全部を浄化してくれるような……そんな存在だ」
「褒めすぎよ、グレイ……」
アンナは恥ずかしくなって、月から暗い大地へと視線を落とした。
「全部本当の話だ。着いたな。行けるか?」
「ええ……送ってくれてありがとう、グレイ」
「しっかり食って、しっかり寝ろよ。また明日な」
「ええ、おやすみなさい」
グレイの背中を送り、寮に着くとすぐにお腹が空いてきた。
同室の子がお風呂に行っている間に、アンナはグレイにもらったフードコンテナを開いて食べる。
グレイと話せたからか、月光浴を意識したからなのか、もりもりと食べることができた。
(ほんと、優しいのよね、グレイ……でも……)
アンナはあることにふと気がついてしまった。
(そういえば私、グレイに好きとか愛してるとか、言われたことがないわ)
しかし、それに気づいてもまったくショックは受けなかった。
グレイからの愛情は確かに感じていたし、愛されているという実感があったからだ。
あれで愛されてなかったら、逆にあり得ないと思えるくらいに。
(グレイはきっとあれね。〝愛の表現を上手くできる人じゃない〟タイプの人なんだわ)
昔アリシアからチラリと聞いた話では、アンナの父親の雷神もこのタイプの人間だったということだ。
『ロクロウったら私のことを〝まぁ嫌いではない〟ってこう言うのよ! 素直じゃないわよねぇ』
アリシアがそう言ってケラケラと笑っていたことを思い出した。
グレイはそこまで捻くれてはいないが、愛の表現が下手な部類なのは確かだ。
それはわずか四歳で家族を亡くし、ずっと他人と過ごしてきたことに起因しているとアンナは考えた。
だから無理に好きという言葉を引き出さないと、アンナは心に決める。
(グレイが言ってくれるまで待つわ。これからの人生長いんだもの。いつかきっと言ってくれるはずよ)
その時が来るのを想像して、アンナは自然と微笑みながら、食べ終えたフードコンテナを片付けるのだった。