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32.すぐに伝えて!

 十歳のアンナが冬休みに入ってから十日が経った頃、ハナイの森別荘にうっすらと雪が積もった。

 ルナリアは大喜びで、シウリスもわくわくと心を踊らせている。

 アンナもそんな二人を見ると自然と笑顔になり、皆で雪玉を転がして遊んでいた。


『うわぁ、真っ黒の雪だるまになったな』

『明日になったら綺麗な雪だるまが作れますよ、シウリス様』

『よし、明日は雪だるまを作った後に雪合戦だ! わかったな、アンナ!  ルナリア!』

『はい!』

『シウお兄しゃまとゆきがっせん〜!』


 以前のような明るいシウリスに戻ってきていると、アンナは思っていた。

 心の傷はそう簡単に癒えるものではなくとも、少しずつ元に戻っていけばいいのだと。

 アンナの仕事は、そんなシウリスを支え続けることだと信じて疑わなかった。


 その日、アリシアがハナイの森別荘へとやって来た。

 一泊だけして帰るというので、年始は一緒に過ごせないということだ。

 それを寂しく思いながらも、アンナは心配させないように一生懸命微笑んでいた。


『そろそろ暗くなってきましたので、中に入りましょう』


 アリシアはシウリスたちにそう促しておいて、長い金髪をなびかせながら別荘の中へと入っていく。

 まだ遊びたいというルナリアを宥めていると、シウリスが別荘の方に視線を送っているので、アンナは声を掛けた。


『シウリス様、お母さんに聞きたいことがあるんでしょう? ここは私に任せて、行ってください』

『……わかった。すまない』


 シウリスはすぐにアリシアを追いかけていく。

 アンナはルナリアがもう少し納得するまで遊んでから、暖かい部屋の中へと戻った。

 マーディアのいる部屋から出て廊下を歩いていたシウリスは苦い顔をしていて、願い通りに行かなかったということをアンナは悟る。


『シウリス様……』

『証拠が出ないことには無理だと言われた……証拠を、作ればいいのに』

『……え?』


 すれ違いざまそう言われ、アンナは聞き間違いかと耳を疑った。

 その時の冷たいシウリスの瞳を、アンナは忘れられない。


 決定的にシウリスが変わってしまったのは、ラファエラが亡くなってから十ヶ月後のことだ。

 避暑地のハナイでさえも暑く感じるほどの、日差しのきつい夏の日だった。

 アンナが知る限り、ずっと部屋に引きこもって体調に変化のなかったマーディアが、外へと出てきたのである。

 マーディアが手を振っている姿を見て、シウリスとルナリアは喜んで駆け寄った。


『二人に話があるの……』


 マーディアはそう言って、親子三人だけで部屋に篭ってしまったのである。

 部屋から追い出され、アンナは女医のザーラと扉の外で待っていた。

 断片的に聞こえてくる、マーディアの声。


──ラファエラは天使のような子

──私のかわいい子どもたち

──二度とこのようなことがあっては


 アンナが扉の向こうの声に集中していると、ふと違和感を感じて振り返る。


『ザーラ先生、今なにか言いました?』

『いいえ、なにも』


 ザーラはなんの表情もなく、淡々としている女医である。

 気のせいだったかとまた扉の向こうに集中すると、マーディアの声が先ほどとは違っていた。


──どうしてこんなことが

──無能の護衛騎士ども

──生きていてもどうしようも

──いっそ私がこの手で


 不穏な言葉が届いてきた直後、シウリスの悲痛な声が上がった。


『やめて、お母様……! どうして、ルナリアを……!』

『お、かあ、しゃ、ま……』


 どう聞いても異常事態。

 アンナは即座に扉を開けようとするも、鍵が掛かっていて開けられない。


『ザーラ先生、ここの鍵を! 騎士の人たちは、外の窓から突入して!!』


 後ろで控えていた騎士たちに、十歳のアンナはそう命令して何度もドアノブを回す。


『シウリス様! 大丈夫ですか!?』

『お母様……やめて……やめて……やめろぉおおおっ!!!!』


 その瞬間、バキンッと音がして、ごとりと何かが倒れたような音がした。

 嫌な予感しかせず、アンナのドアノブを持つ手が震える。


『持ってきたわ。避けて』


 ザーラが鍵を持ってきて開けると、ちょうど窓からも騎士が突入してきた。


 部屋には頭から血を流して床に倒れているマーディア。

 ベッドの上でぴくりとも動かないルナリア。

 そして呆然としているシウリスの手には、豪華な重い椅子。


『あ……あああ……っ』


 シウリスはごとんとその椅子を落として、涙を浮かべながら頭を抱えた。


『シウリス様……!!』

『ああ……あああああ…………っ』


 女医ザーラはマーディアに近寄ると、息を吐いた。


『即死ですね』

『うぁああああああ、あああああぁぁぁぁぁああああああッッ!!!!』


 ザーラの言葉に、シウリスは気が狂ったように叫び声を上げ始める。

 アンナはなんとか宥めようと試みながらも、ルナリアに目を向けた。息をしている様子はない。


『ザーラ先生、早くルナリア様を! 今なら蘇生も間に合います!!』

『……そうですね』


 ザーラは緩慢な動きでルナリアに近づくと、呼吸や心音の確認をし始めた。

 どうすべきかとオロオロしている騎士に向かって、アンナは即座に指示を飛ばす。


『王都へ早馬を飛ばしてください! 母さんに……アリシア筆頭大将に、すぐに伝えて!』

『は、はいっ』


 アンナの迫力に負けた騎士は、子ども相手に敬礼をしてすぐさま出ていった。


『うあ、うあああ!! ああああぁぁあ!!』

『シウリス様ッ!!』


 ザーラがルナリアに蘇生術を始めると、シウリスは棚の上に置いている花瓶を叩き落とした。

 バリンと派手な音を立てて砕け散り、花弁が部屋に舞う。


『落ち着いてください、シウリス様! 誰か、マーディア様を別室に運んで!!』


 マーディアの遺体が目に入っては、いつまで経っても落ち着くことはできないと思い、指示を出す。

 しかし騎士や侍女たちがマーディアを運び出しても、シウリスは変わらず叫び続けるだけだ。

 ルナリアが蘇生処置により息を吹き返しても。その悲痛な叫びが終わることはなかった。


『シウリス様、シウリス様……っ』


 誕生日を迎えて十一歳になっていたシウリスの体は、このハナイでいる間に大きく成長している。

 騎士たちも王子であるシウリスに無茶な振る舞いはできない。

 侍女に闇の魔法使いがいたので眠りの魔法を使わせたが、シウリスには効果がなかった。

 元々王族は、神官から加護を受けている一族である。バルフォアの血を引く者の多くは、魔法があまり効かないのだ。

 その中でもシウリスは、王家始まって以来最大のレジストの高さを誇っていた。

 シウリスは荒れ、部屋の中のものを破壊し尽くし、なにもなくなると今度は自分自身を壊すように手や足を壁にぶつけ始めた。


『シウリス様、おやめくださいっ! シウリス様のお体が……!!』

『うううううッッ!! ああああああぁぁぁあああああ!!』


 アンナは自分の体を盾にして、シウリスの体を壁から守る。

 シウリスの拳が何度も体に当たり、悲鳴をあげそうになったが堪えた。

 つらいのは自分ではなく、シウリスなのだからと。

 そうしてアリシアがやってくるまでの数時間、アンナはずっとシウリスのそばにいた。


 事情を知ったアリシアがようやくやってきた時には、アンナは心底ほっとした。

 アリシアは不敬も恐れずシウリスを抱きしめ、それでも落ち着かず拘束も不可能だと悟るや否や、即座にシウリスの鳩尾に拳を入れて意識を落とした。乱暴なやり方だが、それが最善だということはアンナにもわかる。

 ようやく静かになった部屋で、アリシアはシウリスを抱きかかえながらアンナを見た。


『アンナ、あなたも怪我を負ってるわね。大丈夫?』

『ううん、私の傷なんかシウリス様に比べたら……』

『シウリス様は一時的に混乱なさってるだけだから、気にしちゃだめよ』

『うん……』


 当然、アンナはショックを受けた。

 マーディアがルナリアを殺そうとしたことも、マーディアが死んだことも、死なせたのがシウリスだということも。

 そしてなにより、シウリスがアンナを拒絶するようにして暴れたことが。

 アンナの言葉が、まったくシウリスに届かなかったことが。


『大変……だったわね、アンナ……』

『ううん、私なんか……』

『アンナ、悲しい時は泣いていいのよ。泣きなさい、アンナ』

『できないわ。私が泣けば、シウリス様はもっと……』


 アンナが泣けば、余計にシウリスは苦しむと思った。だからアンナは泣かなかった。

 寂しい時に寂しいと言って母を困らせたくなかったように。泣いて、シウリスを困らせたくはなかった。


『我慢する必要はないのよ、アンナ。明日はシウリス様と一緒に、泣いて差し上げなさい』


 アリシアにいくらそう言われても、アンナは頷くことができなかった。

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