寝所にザーラが現れてから、三日が経っていた。
トラヴァスはこの日、デゴラ隊の班長として隊務に追われていた。
ともかく今は実績を上げて、軍のトップへと実力で昇り詰める必要がある。
周りに認められた上でトップに立たなければ、摩擦を生むだけだ。
そうして真面目に仕事をしていると、王宮内がにわかに騒がしくなり始めた。
「どうした、なにがあった?」
別隊のウェイを見つけて、トラヴァスは呼び止める。
青ざめたウェイの顔は、非常事態だということが一目瞭然だ。
「トラヴァス……! ルナリア王女が、お部屋で亡くなったらしい!」
「……っ! どういう、ことだ」
トラヴァスは顔を崩さずに冷静を貫いた。
「わからない。どうしてルナリア王女が……今、アリシア筆頭が見聞されている」
トップが出てきたなら、下っ端は指示待ちしかできない。
この件に関して、関わらせてもらえることはないだろう。調査もすべて、上層部で終わらせるはずだ。
トラヴァスは自分にできることはないと思いながらも、班員に目を向けた。
「皆、ここで待機だ。上から指示があれば、そのように動け。私は少し、行かなければいけないところがある」
「っは!」
部下たちの返事を聞いたトラヴァスは、ルナリアの部屋とは逆方向の、フリッツのいる部屋へと急いだ。
(ルナリア様は病気持ちではないし、突然死する可能性はほぼゼロ。つまり事故か自死か暗殺か……フリッツ様は大丈夫か)
急いでフリッツの部屋に向かうと、扉の前に警備騎士が一人立っているだけだった。その騎士も状況が把握できていないようで、「なにがあったんだ?」と顔を顰めている。
トラヴァスは詳しい事情は話さずに、緊急事態だからと許可を得て部屋の中へと入った。
「どうしたんだい、トラヴァス。この騒ぎは」
「落ち着いて聞いてください、フリッツ様」
「君の顔は、ちっとも焦ってないように見えるけどね。……なにがあった?」
顔を引き締めたフリッツを前に、トラヴァスは息を吸い込んだ。
二人が恋仲であったことを考えると、伝えるのは胸が痛い。
「フリッツ様……たった今しがた、ルナリア様が亡くなったようです」
「……なん……だって?」
予想だにしていなかった内容に、フリッツは顔を歪めた。
「なんの冗談だい、トラヴァス」
「私の冗談は冗談になっていないと、仲間からはよく言われましたが。残念ながら、これは冗談ではありません」
「ルナリアが……殺されたのか……!?」
「まだ詳しいことはなにも。現在はアリシア筆頭が調査中のようです。落ち着けばこちらへも通達があるでしょう」
トラヴァスの冷静な発言に、フリッツは絶望を巡らす。
ふらりとフリッツの体が傾くのを見て、トラヴァスはその肩を抱き止めた。
「大丈夫ですか、フリッツ様。ここへは誰も来ていませんか」
「ああ……大丈夫だ。ずっと一人だったし、誰も入れていない」
まだ状況はわかっていないが、わからないからこそ王族の安全を確保する必要がある。
とりあえずは誰も入っていないということを知り、トラヴァスはほっとした。
「ルナリアのところへ行きたい……ついてきてくれ」
「……申し訳ございませんが、それはできません。今行けば、おそらく事態を聞いたシウリス様と鉢合わせしてしまうでしょう」
「別にそれくらい、構わないよ!」
「落ち着いてください、フリッツ様。なにがあるかわからない、危険だと申しているのです!」
「……っく! ルナリア……ッ」
がっくりと落ち込み、涙を流すフリッツをトラヴァスは支えた。
トラヴァスはルナリアの亡くなった状況が気になり、情報を集めたかったが、こんな状態のフリッツを放ってはおけない。
しばらくなにも言わずに付き添っていると、廊下の向こう側から女の大きな笑い声が聞こえて来た。
「……お母様だ」
ルナリアが亡くなった直後だというのに、不謹慎この上ない。
フリッツは泣き顔を怒りに変えて、廊下へと飛び出した。
「おほほ……おーほほほっ!」
「お母様!」
「あら、フリッツ」
満面の笑みのまま、フリッツに目を向けるヒルデ。
トラヴァスは扉の前にいた騎士を、ここは自分が警護をするから必要ないと言って遠ざけた。
どんな会話になるかわからない以上、余計な目撃者はいない方がいい。
しばらくの間トラヴァスがフリッツの目付け役だったので信用もあり、警備騎士の男はすぐに去っていった。
「なにを笑っているのですか、お母様は……!」
「うふふ……これが笑わずにいられる? ああ、あなたたちはまだ知らないのねぇ」
ヒルデはそう言いながらフリッツの近くにまでやってくると、腰を曲げてフリッツに耳打ちした。
「あの小娘……ルナリアが死んだのよ! っぷ! あは、あははははは!!」
すぐに腰を大きく逸らし、ヒルデは涙を溜めながら大口で笑った後、自分のはしたなさに気づいて「おほほ」と笑い直す。
「お母様……! どうしてそんなにも笑えるのですか……!!」
「どうして、ですって? あなたを誘惑した悪女が死んだのだから当然よ。バチが当たったんだわ! おーほほほほほ!!」
「ルナリアに誘惑されてなどいない! 僕は本当にルナリアのことが」
「フリッツッ!!!!!!」
今まで涙が出るほど笑っていた顔が、悪魔の形相へと変貌する。
「お黙りなさいっ!! あなたはわたくしの言うことだけ聞いていればいいの!! 結婚相手もわたくしが決めてあげるわ! そうすれば、一生この王宮で自由に暮らせるのよ!!」
「……自由……っ?」
フリッツが苛立ちを露わにする。
ここで言い争ってもなんの解決にもならないと悟ったトラヴァスは、そっと手でフリッツを制した。
「トラヴァス……っ」
悔しそうに見上げたフリッツに、トラヴァスはほんの少し左右に首を振る。
今はまだだめだ、という意味を汲んだフリッツは、ぐっと喉まで出かかった言葉をごくりと飲み込んだ。
「わかったわね、わたくしのかわいいフリッツ。いい子だこと」
反論しないフリッツを見て、満足そうにヒルデは笑う。
そんなヒルデに、トラヴァスはいつもの無表情で口を開いた。
「ヒルデ様。ルナリア様はご病気かなにかで亡くなったのでしょうか」
「護衛騎士も一緒に死んでいたから、心中に違いないわ。可哀想に、わたくしのフリッツ。他に男がいるような性悪女に騙されて」
せいせいしたと言わんばかりにヒルデは自室へと入っていった。
怒りで拳を振るわせ、奥歯を噛みしめるフリッツをトラヴァスは見下ろす。
(母親への怒りと、愛する人を亡くした悲しみでぐちゃぐちゃになっているな。どうお慰めしたものか……)
トラヴァスはすぐさまフリッツを部屋へと戻した。
またしばらくは付き添わなければいけないと思っていたトラヴァスだが、フリッツは溢れ出していた涙をぐいぐいと拭い去り、キッと強い表情へと戻す。
その顔を見て、トラヴァスはフリッツを甘く見積もっていたことを反省した。
彼は王になるための自覚を持ちつつある、強い男なのだと。
「泣いてる場合じゃない。まずは現状の把握だ」
しっかりした言葉に、トラヴァスは首肯した。
そしていつものように向かい合って座ると、お互いに真剣な顔を突き合わせる。
「まず、ルナリア様が亡くなったのは間違いないようです。そして護衛騎士も一緒に亡くなっているので、病気という線はない。ヒルデ様の心中という言葉からして、護衛騎士は男で一人だけでしょう。あとで確認して参ります」
「ルナリアが護衛騎士と心中なんてするわけがないよ。ルナリアの愛する相手は、この僕しかいなかった!」
熱く語るフリッツに、トラヴァスは否定せず聞き入れる。
「存じています。しかし護衛騎士の方が異常な性愛を持っていて、ルナリア様を殺害後に自決した可能性も否定はできません。この辺りは見聞しているアリシア筆頭の発表待ちとなるでしょう」
「ちゃんと事実が明るみになるといいんだけど……」
「筆頭大将は優秀な方です。きっと事件の真相を解き明かしてくれるはずです」
「隠蔽は……しないだろうか」
「王宮内での死亡で、これだけ噂になっているのです。王家も軍上層部も、変に隠すことはしないでしょう」
「うん……ならいい」
ラファエラの時もマーディアの時も隠蔽されているので、フリッツは疑心暗鬼になっているのだ。
しかし今回はすでに騒ぎになっていて、隠蔽すれば王家への信用が一気に失墜するのは目に見えている。ある程度は信用のできる発表がなされるはずだと、トラヴァスは踏んでいた。
「けど、護衛騎士がそんな行動にでる可能性は低いと僕は思う」
「もちろん、外部からの犯行の可能性も十分あり得ます。外部と言っても、王宮内を自由に出入りできる者に絞られると思いますが」
「……王宮が、不信の渦に巻き込まれてしまうね」
「犯人が特定されるまでは仕方ないでしょう。他殺だとすれば、狙いはルナリア様に間違いはないでしょうし……ルナリア様を狙った理由を考えれば、犯人は……」
トラヴァスはそこで言葉を止め、一度フリッツと視線を合わせると、同時に隣の部屋へと顔を向けた。
「……やっぱり、そう思うよね」
「そう決まったわけではありませんが……」
トラヴァスは顎に手を置き、数日前のヒルデとのやりとりを思い出す。
── 手はずは整えております。いつでも実行可能ですが、私一人では……
── わたくしの忠実な
── 話に加わっていたので、計画を知っているのかと
「……確定的、か……」
ふと漏れた言葉を聞いて、フリッツは覚悟を決めた目をトラヴァスへと向ける。
「……お母様なんだね?」
「かなりの確率で、そう思われます」
「根拠を話して」
促されたトラヴァスは、先日のヒルデとザーラのやりとりを話した。
フリッツは端正な顔を歪めて、嫌悪の表情を見せている。
「お母様が……ルナリアを……っ」
ヒルデであれば、理由は十二分にある。
元々ヒルデはリーン系を嫌っていたし、さらにルナリアにはフリッツを誑かされたと思い込んでいるのだから。
再び沸いてくる怒りを必死に落ち着かせ、光を失った目でフリッツは呼吸を整えた。
「じゃあ、ルナリアが死んだのは……僕のせいか……」
「いいえ、あくまでヒルデ様がなさったこと。フリッツ様のせいではありません。お気になさらぬように」
トラヴァスがそう言ってもフリッツは目の光を取り戻さず、しばらく考えてからゆっくり口を開いた。
「お母様が首謀者だとアリシアに伝えれば、すぐに実行犯も捕まえられるよね?」
「そうなります。私も共犯者に仕立て上げられて、一緒に罰せられるでしょうが」
「な……っ」
一瞬驚いた顔を見せたフリッツだったが、すぐに「そうか」と理解する。
「だからお母様はわざと、トラヴァスのいる時にザーラを呼びつけてその話をしたのか」
「そう思われます。それにザーラに関係を見られたことで、私の命は握られたも同然です」
フリッツは実際に情事の現場を見たことないが、ザーラは見ているのだ。
トラヴァスがヒルデの不貞の相手だと、ザーラは証言ができる。そのザーラを言いなりにさせているのがヒルデなのだから、結局トラヴァスはヒルデに命を握られているも同然だ。
さらには、ルナリア殺しの計画をしていた場に居合わせてしまっている。関与していないと言っても無駄だろう。言いなり人形のザーラが証言すれば、トラヴァスに勝ち目はない。
(いよいよまずいことになってきたな……俺の首は、風前の灯火か……)
「トラヴァス……」
「ご心配ありがとうございます。まだ首は繋がっておりますのでお気になさらず」
「僕は、どうすればいい?」
キッと見上げた目には光が戻っていて、トラヴァスはほんの少し微笑みを見せた。
「今まで通り、なにも致しません」
しかしトラヴァスの出した答えに、フリッツは眉を寄せる。
「なに、も?」
「はい。下手に動けば、私の首は一発で飛ぶ」
フリッツはごくりと息を呑み、悔しい思いを胸にしながらも頷くしかなかった。
自分を思ってくれるのがわかったトラヴァスは、その気持ちを嬉しく思い、話を進める。
「ヒルデ様は、私が裏切らないかどうかを試しているのです。おかしなそぶりを見せれば、私はヒルデ様を襲った強姦魔に仕立て上げられてしまうでしょう。ラウ派ではないとされている女医ザーラの証言がある限り、私に勝ち目はない」
「じゃあ、黒幕が誰かをわかっていながら、僕らは口を閉ざすしかないのか……くそ……っ」
「大丈夫です、フリッツ様」
本気で悔しがるフリッツを見て、トラヴァスは心が緩む。
いつでもまっすぐで、人らしい心を持った王子を、トラヴァスは好ましく思う。
「我々が黙っていても、アリシア筆頭は真実に辿り着く。そうでなくば、筆頭大将とは言えないでしょう。その時が来るのを、じっと待つ。それが今、私たちにできることです」
「……うん。わかった」
素直なフリッツに、トラヴァスは思わずにっこりと笑みを漏らした。
トラヴァスのそんな顔を見たフリッツは驚き、しかし直後に彼もふっと笑みを見せたのだった。