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27.今の段階では、なんとも

 ようやくヒルデから解放されて部屋を出ると、フリッツが隣の扉から顔を出して手招きしている。トラヴァスは招かれるままに末王子の部屋へと入った。


「大丈夫、トラヴァス」


 椅子に座るように指示され、トラヴァスは疲れた体を沈ませる。


「問題ありません、フリッツ様。お気遣いなきよう」

「僕にまで取り繕う必要はない。気を使い過ぎるとハゲるよ、トラヴァス」


 フリッツの言葉にトラヴァスはほんの少し目を見開いた後、ゆっくりと細めた。頬が若干緩む。

 トラヴァスにとってフリッツは唯一の味方であり、すべてを知る秘密の共有者であり、唯一の光となっていた。

 一瞬だけ表情を取り戻したトラヴァスを見て安堵し、フリッツは肩口まである亜麻色の髪を揺らして微笑む。


「水なら飲めそうかい?」

「はい、自分でやります」

「水くらい、僕でも入れられる。座っておいで」


 フリッツはそう言って、ピッチャーからコップに水を注いだ。

 実はトラヴァスは、あの日以降、人の淹れる紅茶が飲めなくなっていた。

 他の飲み物なら問題なく、自分で紅茶を淹れる分には平気なのだが。

 それを知っているフリッツは、水を勧めたのだ。

 温かいものが飲みたかったトラヴァスだが、せっかく王子が入れてくれたので、ゆっくりと口の中に含んでいく。


「ありがとうございます、フリッツ様」

「僕にできることは、今はこれだけだ。不甲斐ないよ」

「いいえ。あなたの存在だけが、私の光です」


 トラヴァスが本心を伝えると、フリッツの顔は笑顔で満たされた。

 今は、お互いに堪え忍ぶしかない段階である。いつか機が来た時のために、少しずつ環境を整える画策をしながら。


「ところで、女医のザーラはラウ派だったのですか?」


 先ほど部屋に入ってきた茶髪の女医を、トラヴァスは思い返す。

 ザーラがラウ派だという話を、トラヴァスは聞いたことがなかった。


「ザーラが? いや、確かにお母様の診察をしているのはザーラだけど……ラウ派というわけじゃないはずだよ。亡くなった第一王妃マーディア様の診察も、彼女の役目だったから」

「マーディア王妃の診察も?」

「うん」


 マーディアが亡くなったのは、六年も前の話だ。その時フリッツは七歳である。


「フリッツ王子はよく覚えておられる」

「ルナリアが覚えているんだ。マーディア様に殺されかけた恐怖が、まだ残ってるから」

「……は?」


 トラヴァスは思わず顔をほんの少し顰めた。


 トラヴァスの持っている知識では、第一王女ラファエラが病死した後、第二王子シウリスは諸外国へ留学。第一王妃マーディアも付き添い、その後ルナリアも合流したということだ。

 その留学先で、マーディアは心身虚弱による死を迎えている。ラファエラが亡くなってから、十ヶ月後のことだった。

 溺愛していたラファエラの死を乗り越えられなかったのだろうと、トラヴァス含め多くの国民は思っている。

 もちろん、ルナリアがマーディアに殺されかけたなんて話は、聞いたこともない。


「知らないのも当然か。おそらく、王家でもごく一部しか知らないことだ。僕も、ルナリアに聞くまでは知らなかった」

「詳しくお教えいただけますか」

「もちろん。でも当時六歳だったルナリアが体験した話だから、事件の背景は詳しくわからないよ」

「構いません。お願いします」


 そうしてフリッツは、当時のことを話し始めた。


 ルナリアがシウリスの留学先に合流したという話は真っ赤な嘘で、ストレイア領の森別荘である、ハナイというところに行ったのである。

 そこでマーディア、シウリス、ルナリアの、リーン系バルフォアと呼ばれる三人は住んでいたのだ。

 他には侍女が数名、護衛の騎士が数名、そして女医のザーラが住んでいた。

 外部から来るのは、筆頭大将アリシアとその部下。そしてアリシアの娘であり、シウリスの幼馴染みでもあるアンナだけが訪れていたという。

 第一王女のラファエラが亡くなり、マーディアは精神的に参ってしまっていた。そのために、ハナイの森別荘で療養していたのだと。


「けど、この話も少しおかしいんだ」

「どこがです」

「ラファエラ姉様は、病死とされている。でも亡くなったその日、姉様はマーディア様とシウリス兄様の三人で公務に出ていた。元々病気がちだった姉様だけど、そんなに体調が悪かったなら、公務はお休みされたはずなんだよ」

「出先で亡くなられていたのですか。公式発表では、戻って来られてから体調が急変されたと」

「いや、それは嘘だ。帰ってきた時にはもう亡くなっていた。それは確かだよ。僕もルナリアもすごくショックを受けたから、よく覚えているんだ」


 フリッツの言葉に嘘はない。嘘をつく理由もなく、トラヴァスはフリッツを信じて頷いた。


「ラファエラ様の死は、王家にとって都合の悪い部分があったんでしょう。だから出先で亡くなったとは言わず、帰還後に病状が急変して病死ということにした……つまり、それは」

「病死ではない可能性がある?」


 険しい顔をしながら答えを導き出したフリッツに、トラヴァスはもう一度頷く。

 フリッツは奥歯を噛み締めながら、トラヴァスの肯定に確信を強めた。


「やっぱり……おかしいと思ったんだ。亡くなった姉様には、棺桶に入れられてからしか会わせてもらえなかった。体には花が敷き詰められていて、顔しか見られなかったんだよ」

「なるほど。体に触れられたり、見られては困る事情があったのか……」

「たとえば?」

「傷や変色、それに欠損が考えられます」

「姉様に、一体なにがあったんだ?」

「今の段階では、なんとも」


 ラファエラの死に二人は疑問を抱きつつも、答えを導き出すには情報がなさすぎる。

 フリッツは銀灰色の目を伏せたが、一度息を吐いて「話を進めよう」とラファエラのことは一旦横へと置いた。


 ハナイの森別荘で、マーディアとシウリス、そしてルナリアは十ヶ月という長い時を過ごしていた。

 ルナリアの話では、マーディアはずっと心神喪失状態で、あまり回復しているようには見えなかったという。

 しかしルナリアはシウリスと毎日一緒にいられて幸せであったとのことだ。

 週末になるとアンナもやってきて、三人で楽しく遊んでいた。


 そんな日々を過ごしていたある日、まともに話もできなかったマーディアが、子どもたちと話したいと言い出し、部屋に集まったのである。

 室内で親子三人きりになり、部屋には鍵が掛けられた。マーディアは最初は穏やかに語っていたが、内容はよく覚えていないという。

 しかし徐々にマーディアの顔が険しくなり、呪詛のようなものを吐き始めた。ルナリアが恐ろしくなって震え始めた直後に、マーディアは愛娘であるはずのルナリアに襲いかかったのだ。


「ルナリアは、いきなりマーディア様に首を絞められたと言っていた。そこから記憶が飛び、気がつくとそこは血の海で、シウリス兄様が狂ったように泣き叫んでいたと」


 予想外すぎる展開だった。トラヴァスは思わず言葉を詰まらせたが、即座にその状況を脳内に展開させる。


「その時、マーディア様は」

「すでに部屋にはいなかったと言っていた。ルナリアはしばらく気を失っていたんだろう。その翌日に、僕はマーディア様が亡くなったと聞かされている。もちろん、心身虚弱のためにね」


 公式発表である、マーディアの心身虚弱での死。

 今の話から得られた状況証拠では、明らかに嘘だと言える死因であった。

 トラヴァスはむうっと顎に手を当てる。


「ルナリア様を救うため、シウリス様がマーディア様を殺害した線が濃厚ですね」

「ああ、僕もそう思う。マーディア様は生前の本人の希望で密葬にしたとお父様は言って、僕らはその死を見ていない」


過去に王族が密葬した例がないわけではないが、状況から、明らかに遺体を人に見せられるような状態ではなかったのだとわかる。


「しかしまさか、マーディア王妃がそんな行動に出られていたとは。ラファエラ王女のことが関係しているのか……」

「わからない。ラファエラ姉様のことは、僕もルナリアも知らないからね。一緒にいたシウリス兄様なら知っているだろうけど……」


フリッツはシウリスがハナイから帰って来た時の、絶望と蔑みと怒りの目を思い出して首を横に振った。


「シウリス兄様はハナイの森別荘から帰って来てから、人が変わったように恐ろしくなっていて……心からの笑顔を見せるのは、ルナリアの前でくらいだよ」


シウリスは、ルナリアを溺愛している。それはトラヴァスから見てもわかっていた。

しかしルナリア以外の者へは本当に当たりがきつい。あの筆頭大将アリシアに対してまでもだ。


「ラファエラ様になにがあったか、ルナリア様はシウリス様に聞いていないのですか」

「ああ。ルナリアが聞いても、シウリス兄様は病死としか言わないようだ。マーディア様のことも、頑なに心身虚弱による死だという姿勢は崩していない」

「ふむ……」


 トラヴァスは今まで、王家の発表をまったく疑わず受け入れているわけではなかった。王家に都合の悪いことを隠蔽することもあるだろう。それは当然のことでもある。

 しかしこうして内部のことを知ると、予想以上のものが出てきて、トラヴァスはどこか気持ち悪さを感じながらもそれを受け入れた。


(ヒルデ様のことといい……王家は思った以上に真っ黒だと思った方がよさそうだな)


 元々、清廉潔白だなどとは思っていなかったが。それでも国民は王家を神聖視し、崇拝している者がいくらでもいる。

 そして綺麗事ではあったとしても、トラヴァスもそうあってほしいという理想を持っている。


 穢れのない、国民が真に望む神聖な王。

 犠牲を最小限に、国民を思い、国に安寧をもたらす尊き王。

 そんな王になれるのは、フリッツだけだと。


「どうしたんだい、トラヴァス」


 アイスブルーの瞳に熱が宿っているように見えたフリッツは、少し首を傾げながらトラヴァスを見る。


「王にはフリッツ様が誰よりも相応しいと、改めて思っていたのです」


 その言葉にフリッツは目を見張り、そして大きく頷いた。


「わかってる。僕はこの王家そのものも変えていきたい。いや、変えていかなければいけないんだ。だから僕は、必ず王になってみせる。力を貸してくれるかい、トラヴァス」

「もちろんです。フリッツ様」


 互いの目的が一致していることを再度確認し、二人は信頼を深めるのだった。


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