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25.俺のやることは決まってる

「本を借りたらすぐ戻ると言ってたのに、どういう状況だ?」


 グレイが図書室の扉を開けると、アンナとカールがラブシーンを演じているように見えた。

 アンナは「あらグレイ、来たのね」と平然としているので、まったく浮気など疑わなかったが。

 カールも慌てることなく、少し憔悴している顔を上げて、「よぉ」と手を上げている。なにか事情があってそうしていたということは、容易にわかった。

 それでも、喜んで受け入れられるような状況ではなかったが。


「まったくお前らは。誰にも見られてないだろうな」

「ええ、大丈夫だと思うけれど」

「カール」

「あー、悪ぃ。わかってるって! ホントいい女だよな、アンナは!」

「殴るぞ」

「いででで!! 締めてんじゃねぇか!!」


 ギリギリと頭をロックされて、カールは痛がりながらも笑った。

 ちょっとウサが晴れたグレイは、息を吐きながらカールを解放する。


「次やったら本当に落とすぞ」

「くそ、首が……彼女を褒められたら、普通嬉しいだろ!? 嫉妬男はこれだから困るぜ」

「うるさい」

「けけっ、悪ぃ悪ぃ。まぁ嫌だよな、彼女が他の男を抱きしめてたらよ。でも誓ってなんもねーからな! 心配すんなよ!」


 無愛想面へさらに無愛想を載せたグレイを見たカールは、つい笑ってしまうも、すぐに本人なりの弁明をした。

 そんなカールの適当な言い分に、グレイは仕方ないなと息を漏らす。


「本当に浮気してたなら、お前ら狼狽えるだろ。だからまぁ、そこは心配してない。けどカール、なにかあったのか?」

「なんにもないわ。カールはちょっと思春期で不安定なのよ」

「ははっ、なるほど」

「おい、納得すんじゃねーよ!」


 もちろん、納得はしていないグレイである。

 しかしカールが自分から言わないのは相当だと察した。右の拳から血が流れていることにもグレイは言及せず、なにがあったか詳しく聞くことはしなかった。


「じゃあ、アンナも悪かったな。忘れてくれ。あとは俺の問題だ」

「わかったわ。でも、つらい時はいつでも頼って。次はグレイも一緒にね」

「ああ、そうだな。わかった。ありがとな」


 カールはそう言った後、グレイに顔を向けて。


「グレイ。俺は絶対にお前を裏切らねぇから。安心してくれ」


 それだけを言って、カールは図書室を出ていった。

 残された二人はお互いを見つめる。


「大丈夫なのか、カールは」

「自分の中でケリをつけるしかないと思うわ。カールなら大丈夫よ。あんな取り乱した姿を見たのは初めてだから、びっくりしちゃったけど」

「そうか、ならいい。もうスッキリした顔してたしな」

「なにがあったか聞かないの?」


 小首を傾げるアンナに、グレイは頷いた。


「聞いても言わないだろ? カールの許可なくは」

「ええ」

「俺はアンナを信用してる。カールもな。言いたくなったり言う必要が出てきた時には、話してくれるだろ。無理して聞き出すつもりはない」

「ありがとう、グレイ。本当にいい男だわ」

「これでも割と、嫉妬はしてるんだぞ。カールを抱きしめる必要あったか? ああ、あったんだろうな……くそっ」


 一人で問いかけ、一人で答えを出すグレイ。申し訳なく思わないわけではない。

 しかしあの時のアンナには、ああすることしかできなかったのだ。


「ごめんなさい。カールがあまりに苦しそうだったから、つい……。でもカールにしたのは、仲間としてのハグと変わらないから」

「ああ、わかってる。悪い。くだらない嫉妬であんたに嫌な思いをさせたな」

「ううん……嬉しかった」


 アンナは甘えるように、グレイの胸の中へと寄りかかる。

 グレイはそんなアンナを抱きしめ、互いに視線を交わすとそのまま口づけた。

 そしてここはオルト軍学校の中だったと気づいて慌てて離れ、誰もいないこと確認するとほっと息を吐く。

 それが同時だったものだから、グレイとアンナは目を見合わせてぷっと笑い合ったのだった。




 一方、カールは図書室を出ると、いくらか気持ちも落ち着いていた。

 もうどう足掻いても、ミカヴェルはいなくなってしまったのだ。

 疑問は当然あるが、真相は断定できない。今後どうなっていくのかわからない以上やれることはないのだと、自分を納得させる。


 が、カールは別の意味で落ち着かなくなっていた。


(くそ……人前で初めて泣いちまったな)


 よくよく考えると恥ずかしくなってきたカールは、むむぅっと口を尖らせた。

 カールにとって、アンナは初恋の人だ。今はお互いに恋人がいる身だから、どうこうなることもないしするつもりもない。

 しかし初恋の相手というのは、特別なものであるのも確かだった。

 そんな相手に抱きしめられたことを思い出し、今さらながら一人で照れてしまう。


(あー、だめだだめだ! アンナにはグレイがいるし、俺にだって可愛い彼女がいんだからな! あれはただのハグだ! 友情の印だ!)


 カールはそう思うことで気持ちを切り替えた。

 実際にカールは、アンナとグレイが一番お似合いだと思っている。

 グレイが仏頂面で『アンナの指輪のサイズはわかるか』と聞いてきた時も、かわいいやつだなと協力していた。

 今日つけていたアンナの指輪はピッタリだったし、上手く渡せたのだと思うと自分のことのように嬉しく思ったのだ。

 それにカールも自分の恋人を、ちゃんと大切に思っている。

 かわいいと思っているし、大事にしているつもりだ。彼女に不満もない。

 特に一緒に過ごす夜は、相手の気分や体調を尊重しているし、絶対に無理はさせないようにしている。

 だから、順調だとカールは思っていた。


 しかし、図書室での出来事から二週間が経った頃、カールは彼女に別れを切り出された。

 理由は、カールがたくさんの人に囲まれて愛されている人物だから、である。


『カールは、私を特別だと思ってくれてないでしょう?』


 カールは否定した。『んなことねーよ』と。本心だった。

 けれど、彼女には伝わらなかったのだ。いつも誰かがそばにいて、全員に等しく楽しそうに接するカール。

 〝特別感〟が欲しかった彼女には、不満だったのだ。

 だがカールは他の仲間と距離を置いて、彼女だけを常に優先することはできそうにないと判断し、別れ話に同意した。

 恋人と別れた瞬間、思った以上に心が痛みを発して、しばらく動けなかったほどであった。



 そんな別れ話を食堂で聞いたアンナは、憐れみの目をカールに向ける。


「そう、別れちゃったのね……」


 最近彼女とどうなのという話題から、カールは事実を話していた。

 一緒にいるグレイはアンナと違って目が笑っている。


「日頃の行いだな。信用がないんだろ」

「浮気なんかしてねーっつの! 仲間とわいわいやってただけだってのに」

「まぁその女とは合わなかったってことだ。のんびりと合う相手を探すんだな」

「ちぇっ、お前らはいいよな、ホント。その年で婚約するほどの相手に出会えたんだからよ」

「まぁな」

「っけ、かわいくねー!」


 男二人のやりとりに苦笑いしながら、アンナはカールを慰めるように言葉をかける。


「カールなら、またすぐ彼女ができるわよ」

「いや、しばらくはいっかな……」

「そうなの?」

「別れてすぐに付き合うのもな。今は強くなりてぇから特訓に時間を費やしてぇ。彼女は、余裕ができてからだな」

「……そう」


 アンナが目を細めて笑うので、カールもニッと笑ってみせる。


「勝つかんな、今年の剣術大会は!」

「ふふ、私も負けないわよ」

「まぁ今年も俺が優勝するが」

「っへ。その鼻っ柱、へし折ってやるぜ」


 そう言うと、食べ終えたカールはガタッと椅子から立ち上がった。


「カールは今日も図書室に行ってから帰るの?」

「ああ。じゃあな、アンナ、グレイ」


 トレーを片付けて食堂を出ていくカール。今までは男子寮と女子寮の分かれ道まで一緒に帰っていたが、最近は別々だ。

 カールはあの日から毎日、図書室で新聞を読むのが日課となっている。

 端から端まで、隈なく。ミカヴェル・グランディオルの名前がどこかに載っていないかを確かめるために。


 しかしどれだけ探しても、彼の名前を新聞で読むことはなかった。


(どうなったんだ、ミカのやつ……)


 ひっそりと処刑されたのか。

 ストレイア王国に協力しているのか。

 逃げ出してまたどこかで誰かと暮らしているのか。

 それとも……カールという種が芽吹くのを、待っているのか。


(……ミカがどうであれ、俺のやることは決まってる。この国に殉ずることだ)


 ストレイア王国のためならなんでもする、死すら辞さないというカールの異様なまでの愛国心。

 それがミカヴェルに植え付けられていたものだとは、カールは考えもしていない。


「そういや、もうずっとトラヴァスに会ってねぇな……なにしてっかな、あいつ」


 カールは新聞を開きながら、無意識に独り言を呟いた。

 あのトラヴァスに相談できたなら、明確な答えがもらえるような気がして。


 そのトラヴァスが、王宮で第二王妃マーディアに虐げられ続けていることを、もちろんカールは知らない。

 フリッツ派となったトラヴァスは、さらなる事態へと巻き込まれていくのだった。

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