オルト軍学校の冬季休暇は一月三日までで、四日からは通常に戻る。
カールは三日の昼過ぎに軍学校へと戻ってくると、すぐさま誰もいない図書室へと入った。
そして、図書室に置かれている新聞を、年明けのものから順に読み始める。
「くそ、やっぱなんも載ってねぇか……」
ミカヴェルのその後がどうなったのか知りたかったのだが、当然のことながら彼のことなど書いてはいなかった。
(極秘任務っつってたからな。期待は薄いと思ってたが……やべぇ、誰かに相談してぇ)
しかし、誰かに言えば家族の首が飛ぶという、アスの言葉が頭から離れない。
ただの脅しならいいが、あの男なら実際にカールの両親や弟妹たちの首を刎ねるのは容易だろう。
「……くそっ!」
カールが悪態をついた瞬間、図書室の扉が開いてハッとした。
「カール? どうしたの、怖い顔して」
「……アンナ」
仲間の顔を見ると、カールは少し安心する。アンナは一瞬だけ眉を寄せたが、すぐに笑みに入れ替えた。当然、休暇が明けてから会うのは初めてだ。
「新年おめでとう。珍しいわね、カールが図書室にいるなんて」
アンナは借りていた本を返却すると、次に借りる本を探しながらチラリとカールを見た。
「カールが新聞を読んでる姿なんて、初めて見たわ。なにかあったの?」
「…………」
色々あったが、それは言えないカールである。
アンナは黙ったままのカールを見て、また眉を寄せた。
いつもうるさいくらいに喋るカールが黙っているのは、明らかにおかしい。
「なにかあったのね。話してごらんなさい」
アンナは本を探すのをやめてカールの目の前に座り、まっすぐに視線を向ける。
急にお姉さん風を吹かすアンナである。いつもはこんな態度を取られるとムッとしてしまうカールだが、この時ばかりは頼もしく思えた。
(アンナにだけなら、いいか……?)
そう思うも決心がつかず、カールは少し考えた後、差し支えのない部分から話し始めた。
「実はよ……今年に入ってすぐ、ミカが……家庭教師が、いなくなっちまったんだ」
「いなくなった? 行方不明ってこと?」
「ああ……そうなっかな……」
「そう、それは心配ね……書き置きもなにもなかったの?」
「いや、目の前で連れ去られちまって」
「ええ!? それって誘拐じゃない!」
つい口を滑らせてしまい、しまったと思うも後の祭りである。
「いや、ちげーんだ。誘拐っつーか、その……ミカは、フィデル国の人間、だったらしい……」
「フィデル国の……」
「知らなかったんだ! 俺も家族も、ミカが敵国のやつだったなんてよ……!」
必死の訴えに、アンナはこくりと頷いている。
非難せずに聞く姿勢を保つアンナに、カールは安心して話し始めた。
「ミカは十一年前に、森の中で魔物に襲われて倒れてたんだ。それを親父が助けて、うちに居着いて、俺の家庭教師として雇った。それだけだ、ミカはなんも悪ぃことなんてしてねぇんだよ!」
「落ち着いてカール、それなら大丈夫。彼は強制送還させられただけだわ。今ごろフィデル国の故郷へ向かってるわよ」
「……そう……だと、いいんだけどよ……」
元参謀軍師だということは言えずに、カールは沈んだまま唇を噛み締めた。ミカヴェルが自分の足で去ったことが、どうしても納得できずに。
「それで新聞を読んでたのね。でも一般人の強制送還なんて、新聞記事にはならないわよ」
「……なぁ、ちょっと聞きてぇんだけどよ」
「なに?」
「アンナは、グランディオルって知ってっか?」
「グランディオル?」
ミカヴェルの性である。フィデル国では有名だと言っていたが、ストレイア王国では、少なくともカールは聞いたことがなかった。
「なんだったかしら。人の名前よね?」
「ああ、フィデル国にある、由緒正しい家系……みてぇだった」
「待って、どこかで聞いたことがあるのよね……あ!」
アンナは声を上げると立ち上がり、一冊の本を探し出すとページを捲り始める。
「どこだったかしら……えーっと、確か……あ、あったわ!」
辞書のように分厚い本から、グランディオルの文字が書かれている部分を見つけ出した。アンナはカールが読みやすいように、同じ方向へと座って本を大きく開いて見せる。
「どこかで聞いたことあると思ったら、トラヴァスに貰ったストレイア歴史書大全の、伝記集の中にあったのよ」
アンナに指で示された箇所を、カールは目で追う。
時代は今より百年以上も前の、ストレイアの英雄ロイドの章だった。
その本文を、カールは見逃すまいと食い入るように読み始めた。
前半はロイドの生い立ちだと言うので読み飛ばす。
第三十五章 ストレイア王国の英雄ロイド譚
ストレイア王国の南西に位置するヤウト村は、金鉱の取れる鉱山地帯で、ストレイア王国所有の地であった。
しかしフィデル国が自領だと主張し始め、ヤウト村に軍隊を送り始めたのである。
フィデル国の軍師であるエスクーバ・グランディオルは狡猾な男で、鉱山区で働く男たちを長期間に渡って少しずつ洗脳していた。
鉱山区の男たちは愚かにもフィデル軍に寝返り、我が軍は撤退せざるを得ない状況であった。
しかし二年後に立ち上がったのが、ストレイアの将ロイドである。
ロイドは二年かけて、フィデル軍が支配するヤウト村の現状を徹底的に調査したのだ。
正面からの武力行使が得策ではないと考えたロイドは、策謀と心理戦を駆使して村を取り戻す方法を計画する。
まず、ロイドは『ストレイア王国が復興のために鉱山区の待遇を改善する計画がある』との噂を秘密裏に流し、かつてストレイア側だった鉱夫たちの心を再びストレイアに引き寄せた。この噂はフィデル国側の兵士にも届き、内部に不安を生じさせるのに成功した。
次にロイドは、一部の兵をヤウト村の外周でゲリラ戦術を用い、フィデル軍の供給路を狙って奇襲を繰り返した。物資の不足に悩むフィデル軍の士気は低下し、統制も乱れ始める。
そして最終段階で、ロイドは村の鉱山区で働く男たちに密かに連絡を送った。
『ストレイアに戻れば元の生活を保障し、家族の安全も確保する』と説得し、一部の鉱夫たちが再びストレイア側に寝返るよう仕向ける。結果、鉱山区の一部で反乱が起こり、村内は混乱状態に陥った。
フィデル軍の混乱に乗じて、ロイドは精鋭部隊を送り込み、速やかに指揮系統を断ち切り、エスクーバ・グランディオルを捕らえたのだ。
こうして、ロイドは兵士と鉱夫の信頼を勝ち取りながら、ヤウト村を奪還することに成功したのである。
これがストレイア王国の英雄ロイドの誕生の瞬間であった。
カールがそこまで読み、次のページを捲ると英雄アイリスの章に変わっていた。
「……これだけか?」
顔を上げると、アンナは真顔のままカールを見て口を開いた。
「グランディオル家は代々参謀軍師らしくて、この本でも何人か出てきてるわ。でもどれも記述は似たようなものよ。これはストレイアの伝記だから、フィデル国ならもっとグランディオルを詳しく書いた本があるのかもしれないけれど……おそらく、ここではこれ以上のものは出てこないわ」
「そうか……ありがとな」
「カール」
アンナの呼びかけに、カールはなにを言われるのかと少し億劫になりながら、視線を向ける。
「あなたの家庭教師……まさか、グランディオルだったの?」
当然湧く疑問だった。グランディオルという、ストレイア王国ではあまり知られていないフィデル国の参謀軍師の名前を、カールはいきなり出したのだから。
「誰にも言わねぇでくれ。言えば……俺の家族がやばい。誰にも漏らすなって言われてんだ」
「そうよね。知らなかったと言っても、相手は敵国の参謀軍師……
「あ……ああ、そうか。そうだよな……」
「……カール?」
アンナはカールの反応がおかしいことに首を傾げる。
そんなアンナを視界に入れつつも、カールは別のことを考えていた。
(確かにそうだ。なのに俺も家族も連行されてねぇし、聞き取りされることもなかったんだよな。脅されはしたが……極秘任務だったからか? なんだ、この違和感)
湧き上がる矛盾。しかしそういうものだと言い切れず、カールには判断ができかねた。
「なぁ。普通は俺たち家族から、聞き取りがあるよな?」
「ええ、そうだと思うわ。なかったの?」
「ああ。なんだかよくわからねぇうちに、ミカを連れていかれちまった」
「……おかしいわね。聞き取りをした上で目を瞑っててくれたのかと思ったわ。カールの家族のために、周りに知られないよう口止めしたのかと思ってたけど」
アンナの言う通り、このことを他人に知られたなら、正義を振り翳した一般人が強くカールの家を非難しただろう。カールの近所に家はないので、その点はあまり心配ないのだが。
しかしアスという男がしたのは注意ではなく、完全な脅しであった。
「いや、そんなじゃなかったんだ。ミカを連れていくのは極秘任務で、どっちかっつーと……」
その言葉を続けようとした瞬間、カールははっと気づく。
(ミカを連れていくことを、誰にも知られないための口止めだった……っつーことか!)
「カール?」
なんとなく答えに近づいた気がしたカールは、必死にあの日の記憶の欠片を拾い集める。
三日月ピアスの男、アスの言葉。
──家庭教師なんかじゃないさ。古くから続くグランディオル家は、ストレイア王国を滅ぼすためにありとあらゆる知識を詰められた
(兵器……最初はグランディオルに生まれたミカが、兵器として育てられたのかと思ったが……違ぇのか?)
その言葉を受けて言った、ミカヴェルの言葉。
──はは、私など失敗作ですねぇ〜。十一年前の抗争でも、見事敗走させちゃいましたから。
(敗走させた……させられた、じゃない。敗走、したのか? わざと? なんでだ?)
目は見えなかったが、寂しそうに語ったミカヴェルの台詞。
──私も、このままこの家で一生過ごせるかと……ほんの少しだけ、夢を見ていました。
(この言葉に嘘はねぇはずだ。夢を見ていた……ということは、終わりが来るってわかってたっつーことだよな)
体格のいい、ダークワインレッド色の髪をした男の台詞。
──言う必要はねぇなぁ。これぁ極秘任務だからよ。誰に聞いても知らねぇと言うぜ?
(一般兵が極秘任務に携わることも、なくはねぇかもしれないが……ジェイとか言ったか、あいつが一番うさんくせぇ)
そして、アスの脅し。
──お前もこの件は黙っていることだ。誰かに話せば、お前だけじゃない。家族の首も飛ぶぞ。
(いや、アスとかいう男の言葉も、冷静に考えるとおかしいぜ。俺たち家族は、本当にミカがフィデル国の参謀軍師だなんて知らなかったんだ。公の場で証言しても、首が飛ぶなんて事態になるわけがねぇ。極秘任務だからか? どうしてこの件をそんなに隠そうとすんだ?)
剣を握って対峙した時の、ジェイの言葉。
──おいアス、殺すんじゃねぇぞ。面倒んなるぜ。
(人に話した時には
ジェイの言葉に対して、アスが放った言葉。
──撒いていくさ。
(なんで俺を撒く必要があった。行き先なんて、上官に報告するなら
ミカヴェルの不可解な台詞。
──彼は私の最高傑作だ。傷ひとつつけてくれるな。でなければ私は、貴様らに協力しない。
(……最高傑作。俺が? どういう意味だよ。俺に怪我はねぇから、ミカは奴らに協力するってことだよな。やつらはストレイアの兵士……つまり、この国にミカは協力するってことか? なんでミカは、協力させられることを前提にしたんだよ。処刑されるとは思わなかったのか?)
ミカヴェルの言葉を受けての、アスの台詞。
──グランディオル様の本領発揮といったところか。
(本領発揮……なんのことかわからなかったが……なにかもう、策が成ってるってことか? もしくはそのための種蒔きが完了してんのか。だとすると……)
「……俺、か?」
「カール?」
思わず声に出していて、ハッとカールは口を閉ざした。
眉を下げて心配するアンナに、恐る恐るカールは質問をぶつける。
「グランディオルは……どんな策が得意だった?」
「え? そうね、確か……心理戦は長けていたと思うわ。あまり記述がないから断定はできないけど、さっきのロイドの章でも鉱山区で働く人たちを洗脳していたし。人の心を掌握するのが上手い一族なんじゃないかしら」
「……ッッ!」
カールは息を詰まらせる。
真実はどうかわからずとも、考えていたことがあるひとつの答えにたどり着いて。
(兵器は……ミカのことじゃねぇ、俺のことか……!!)
グランディオル家はストレイア王国を滅ぼすために、ありとあらゆる知識を詰められた
幼き頃からミカヴェルに知識を植え付けられていたカールは、兵器に仕立て上げられていたのだと。
(そういや、俺に軍学校って道を示したのもミカだ……! 俺は自分で決めたつもりだったが……全部、ミカの思い通りに動いてたってことかよ!?)
「クソッッ!!」
「ちょっと、カール!?」
苛立ちを抑えきれず、カールは立ち上がると壁をドンッと殴るように叩いた。
(最高傑作だ!? 俺はストレイア王国を滅ぼすための兵器だっつーのか!? 冗談じゃねぇ!! 俺はこのストレイア王国を護るために、騎士を目指してんだ!!)
「落ち着きなさい! 血が出てるわよ!」
フーッ、フーッと獣のように赤い眼をギラつかせて息を吐き出すカールに、アンナは駆け寄った。
「どうしたのよ、カール」
「アンナ……アンナはなんのために騎士になるんだ?」
「え?」
唐突の質問に、それでもアンナは即座に顔を引き締めて答える。
「もちろん、この国を護るためだわ。他国からの侵略に対抗する手段がなければ、護れないもの」
「俺もだ。俺もこの国を護るために騎士を目指してる! 俺はこの国が好きだ! この国のために生き、この国ために死ぬ!! 絶対に俺は裏切ったりしねぇかんな!!」
「カール!? 本当にどうしたの!」
「……っくそ!」
くしゃりと端正な顔が歪んだカールに、アンナは深い眼差しを送った。
「カールの気持ちを、誰も疑ったりなんてしないわ」
その言葉に、カールの胸は苦しいほどに悲鳴を上げ始める。
カールはミカヴェルに、一般的な教養を身につけられたと思ってはいる。
宗教のようなものや、特別な思想を押し付けられた覚えはない。
ただただ、膨大な知識を植え付けられただけだ。
しかしそう信じていても、ミカヴェルがフィデル国の参謀軍師で、しかも心理戦に長けた者だと知ってしまうと、自分ですら自分を信じられなくなる。
「俺は……ミカに、洗脳されてなんかねぇ……っ」
自分に言い聞かせるように絞り出した言葉に、アンナは大きく頷いた。
「わかってるわよ、カール。あなた、誰より家族思いじゃない。そんな大切な人たちを裏切るなんてこと、絶対にしないわ」
「アンナ……」
「カールはストレイア王国のために命を懸けられる人だって、私わかってる」
「……っ、俺……」
アンナのすべてを肯定する言葉にほっとした瞬間、カールの目から涙が滑り落ちた。
「俺は、アンナを、グレイを、トラヴァスを、みんなを……裏切らねぇ……」
「ええ、知ってる」
「誰にも……っ言わないでくれ……! ミカのこと……俺が裏切る可能性のこと──っ」
「ばかね」
アンナは悲しみで満ちているカールを、ふわりと両手で包んだ。
苦しくて苦しくて張り裂けんばかりの心が、少しずつ和らいでいく。
「……アンナ」
「大丈夫よ。誰にも言わないし、そんなことにはならないわ。私、カールを信じてるもの」
「う……っくぅ……」
アンナは涙を流し続けるカールを優しく抱きしめる。
兵器に仕立て上げられているかもしれないという屈辱。
いつかストレイア王国を滅ぼす一端を担うことになるかもしれないという恐怖。
兄のような男に利用されていたのかもしれないという、苦悩と悲しみ。
裏切られた、絶望。
言いようのない感情がカールを襲い続ける。
そんなカールが落ち着くまで、アンナは優しく抱きしめ続けるのだった。