平和な新年を迎えたアンナたちだったが、一方でカールの方は不穏な幕開けとなっていた。
「なんなんだ、てめぇらはよ……」
目の前に現れたストレイアの兵を見て、カールは訳がわからず声を上げていた。
カールの住んでいる森への訪問者は、基本的に皆無だ。
だと言うのに、王国兵三人の姿があっては、訝しむのも当然である。
一人は魔物など一捻りしそうな大柄で、ダークワインレッドの短髪を逆立てた男。
逆にもう一人は背は高いがスマート。甘い顔立ちで三日月のピアスをした、金髪の男。
最後にダークブラウンの髪を持った、小柄な女だった。
(ストレイア王国の一般兵だってか? 男の方は、騎士でも通用するレベルに見えっけどな……)
少しの疑念が湧くも、ストレイアの兵服を着ているのだから、無下には扱えない。
カールの後ろから父親もやってきて、三人の兵士に声をあげる。
「我が家に何用でしょう。魔物退治のことならば、毎月二十日に報告している通りですが」
父親もこんなことは初めてだと言わんばかりに眉を顰めた。するとダークワインの髪をした男が、横柄に腕を組んで口を開く。
「その案件とは別んことだ。お前ら、隠してることがあるだろ」
「ちょっと、言い方……!」
仲間の言い草を止めるように、女が男の腕を取る。
「いいじゃねぇか。どうせ力づくでも連れてくんだ」
「それは最終手段だって言ったでしょ、もうっ」
「ったくお前は小うるせぇんだからよ。だから連れてきたくなかったんだ」
「なによぉ。ブ……じゃない、そっちがいっつも無茶ばっかりするからでしょ!」
「やめろ、二人とも」
三日月のピアスをした男が二人を止める。
「すまないな。こちらも少し気が立っている。大人しく
「……彼?」
父親が首を傾げながら眉を寄せる。その隣でカールが三日月ピアスの男を睨みつけた。
「誰だよ。俺か?」
カールの言葉に金髪男はふっと笑って、目線を家の中へと飛ばした。
その先を追うように振り向いたカールの赤い瞳に映るのは、悠々と紅茶を嗜む家庭教師の姿である。
「……ミカ……?」
「あはは、見つかっちゃいましたかねぇ……十一年、隠れおおせたんですけど」
カールの場所からは、彼の眼鏡が光って表情は見えない。
「やーっと見つけたぜ。あんたがミカヴェルだな」
「ミカ……ヴェル?」
体格のいい男が放つ、聞き慣れない名前。
カールが眉を寄せると、続いて三日月ピアスの男が涼しい目で淡々と言う。
「フィデル国の参謀軍師ミカヴェル・グランディオル。十一年前の抗争で捕縛したが逃走。行方知れずとなっていたが、こんなところに身を隠していたとはな」
「は? フィデル国の……参謀軍師?? なに言ってんだよ、こいつはただの嫌味な家庭教師だぜ!?」
「家庭教師なんかじゃあないさ。古くから続くグランディオル家は、ストレイア王国を滅ぼすために、ありとあらゆる知識を詰められた
三日月男は、ミカヴェルのことを兵器と言っているのだと。カールはそう理解した。
(ミカは、頭がいいだけの惚けた男だぜ。それが……この国を滅ぼすために作られた兵器!? 有り得ねぇ!!)
ずっと一緒にくらいしていたミカが……いや、ミカヴェルが、敵国の参謀軍師だと知って、カールは激しく動揺した。
頼むから否定してくれと祈りながら、カールはミカヴェルを見つめる。しかしミカヴェルはへらりと笑っただけだった。
「はは、私など失敗作ですねぇ〜。十一年前の抗争でも、見事敗走させちゃいましたから」
「こうして自ら潜伏してんじゃねぇか。大成功だろうが、ミカヴェルさんよぉ」
ニヤリと笑う大柄な男。
ミカヴェルは笑顔を一転させ、その眼鏡を光らせる。
「私を連れて行くのでしょう。覚悟はできています、抵抗はしませんよ。ですから、彼らには手を出さないでください。誰も私の正体など知らず、ただの親切心で行き倒れしていた私を助けてくれただけですから」
「ああ、最初からそのつもりだ。逃げるなよ」
三日月男の言葉にミカヴェルは首肯し、紅茶のカップを置くと立ち上がる。
「やだ! ミカ、行っちゃうの!? どうして!?」
カールの妹のシェリルが、泣きそうな顔でミカヴェルにしがみつく。
「シェリル……すみません。唐突の別れになっちゃいましたね」
「行っちゃヤダ! ミカ!!」
「やだよ、行くなよミカ……! 俺、ちゃんと勉強するから!」
カールの弟のキースの言葉には、あははと眉を下げながら笑った。
「勉強、自分でがんばってくださいね、キース。大丈夫、あなたならやれますから」
そしてミカヴェルは二人を抱きしめた後、カールの両親へと顔を向けた。
「今まで大変お世話になりました。ずっと騙していたこと、大変申し訳なく思っています」
「ミカ……」
「ミカちゃん……」
「あなた方と過ごしたこの十一年、本当に楽しかった。ありがとうございました」
言葉が出てこない二人へ丁寧に頭を下げたミカは、兵士三人組に向かって歩き始める。
「ミカ」
「なんだいカール」
なにも言わず過ぎ去ろうとしていたミカヴェルに、カールは苛立ちの表情を見せた。
ミカヴェルの瞳は、やはり眼鏡でよく見えない。
「俺は信じねぇぞ。俺たちを、騙してたなんて」
「言ったろう、カール。今日の仲間が、明日も仲間だとは限らないと」
「だけど!! 俺はミカと暮らしたこの十一年を!! 無かったことにはできねぇよ!!」
熱くなるカールに、ミカヴェルは「嬉しいですねぇ」とケラケラ笑う。
いつものミカヴェルの笑みが、カールには泣いているように見えた。
「私も、このままこの家で一生過ごせるかと……ほんの少しだけ、夢を見ていました。カール。君と過ごした日々は、本当に楽しかった。本心だよ」
「……ミカ……」
カールの胸から、熱いものが込み上げてくる。
山ほど勉強させられたのは確かだが、それだけではなかった。
起きる時も寝る時も、食事の時も森を探索する時も、時に笑い、歌い、時に喧嘩して。
兄貴風を吹かすミカヴェルを鬱陶しいと思うこともありながら、それでも家にいるのが当然の人だったのだ。
カールがオルト軍学校に行っても、帰ればすぐに会えると思っていたし、実際にそうだった。
それが今、敵国の参謀軍師として捕縛されようとしている。捕まってしまえばもう、会えるかどうかはわからない。
(これが今生の別れ……? 冗談じゃねぇ!!!!)
「じゃあね、カール。たまには私を思い出しておくれ」
「んだよ、それ……死ぬみたいに言うんじゃねーよ!!」
怒りの言葉は、弾け飛ぶような涙と共に紡がれた。
ミカヴェルはそれを見て嬉しそうに笑い、家を出ていく。
三人の兵士が彼を囲み、連行する。
「ミカ……マジかよ……ミカはなんにもしてねぇじゃねぇかよ!! 連れてくな!!」
ミカヴェルは十一年間、ほとんどこの森から出ていない。ふらりと出て行って一週間帰らない時もあったが、その程度のものだ。一緒に町に買い物に行っても、不審な点などなかった。
過去の抗争がどんなものであったのか、カールは知らない。しかし十一年もの間、善良な市民として暮らしていたミカヴェルが連れて行かれるのは、どうしても納得のいかないものだった。
例え敵国である、フィデルの者であったとしても……だ。
「ミカ!!」
「カール。私たちは敵だよ。情けはいらない」
最後にミカヴェルはそう言うと、もう振り返らずに前を向き、促されるまま森を歩いていく。
「敵……敵って、なんだよ……っくそぉ!!」
家族同然に暮らしていた男が、突然に敵となった。
理解が追いつかないまま、去っていく四人の後ろ姿を茫然と見送る。
しかしその時、カールはある違和感に気づいた。
(あいつらの兵服……微妙にサイズが合ってなくねぇか……?)
それは、カールにしか気付けないくらいの小さな違和感だった。
服が、体に馴染んでいないのだ。
女の服は少し丈が長い。大柄の男は少しきつそうで。三日月ピアスのスマートな男は、出ている膝の位置がズレている。
なにかがおかしいと思う前に、カールは本能のまま剣を手に取ると、四人を追いかけた。
「待て!!」
カールの呼びかけに振り返る、三人の兵士。
先ほどは持っていなかった剣の鞘を握るカールを見て、大柄の男はニヤリと笑う。
「なんだぁ? そんなもん持って。やるってのか?」
「お前ら、本当にストレイア兵なのかよ!? 名前を聞かせてもらいてぇな!!」
「名前? 私はティナだよ!」
「あ、ティナ!」
「バカ野郎っ」
小柄な女性がティナと名乗り、一人は慌て、一人は怒りを露わにする。
ティナが「やば」と苦笑いする中、二人の男は改めてカールに体を向けると名乗りを上げた。
「俺の名は、アス」
「俺ぁジェイだ」
三日月ピアスの男がアス、大柄な男がジェイ。
その名は、彼らに
偽名だったとしても、大きく外れてはいないと。
「所属はどこだよ!」
「言う必要はねぇなぁ。これぁ極秘任務だからよ。誰に聞いても知らねぇと言うぜ?」
「お前もこの件は黙っていることだ。誰かに話せば、お前だけじゃない。家族の首も飛ぶぞ」
「……ッぐ!」
明らかな脅しに、カールは言葉を詰まらせながらも頭をフル回転させる。
(なんだ、こいつらは……本当にストレイアの兵士か!? ミカがフィデル国の参謀軍師ってのは本当みてぇだが……なんで極秘扱いする必要があんだ。フィデル国に知られると、摩擦が起きるからか? 極秘でミカを始末する気か!)
限りある情報では答えを導き出せない。しかしカールは、このままミカを行かせてはだめだという、己の判断を信じた。
「ミカを離せ!! そいつは行かせねぇ!!」
カールが剣の柄を握った瞬間、ドンッという威圧がアスという三日月のピアスをした男から放たれる。
思わずカールは出足を一歩下げた。
「おいおい。熱くなんなよ、アス」
「熱くなんかなってないさ。このお子様に、身の程を教えてやろうと思ってね」
「えー、アスだって青二歳じゃん」
「お前は黙ってろ、ティナ」
「あたっ」
体格のいいジェイに小突かれたティナは、テヘッと言いながらぺろりと舌を出す。
アスはちらりともそちらを見ずに、カールを睨みつけたままだ。
「剣を抜けば、叛逆の意思有りとみなすぞ。そうなれば俺も抜かざるを得ない。その意味が、わかるな?」
「……っ」
先ほどの威圧だけで、どれだけ実力のある人物かはわかる。
しかしカールは。
このままなにもせずにミカヴェルを行かせては後悔すると、剣を引き抜いた。
「……バカが」
「おいアス、殺すんじゃねぇぞ。面倒んなるぜ」
「わかってる。ミカヴェルを連れて先に行ってろ、ジェイ。適当に時間を稼いでから追いつく」
「つけられんなよ」
「撒いていくさ」
アスはスラリと剣を抜き、カールに切先を定めた。
ゾクリとするほど美しい立ち姿に、カールは冷たい手で心臓を掴まれたような感覚に陥る。
「アスと言ったか」
唐突に放たれる、低い男の声。
それがミカヴェルから放たれた声だということに、カールはすぐには気付けなかった。
「彼は私の最高傑作だ。傷ひとつつけてくれるな。でなければ私は、貴様らに協力しない」
「……っは。グランディオル様の本領発揮といったところか。任せとけ。怪我なんかさせずに終わらせるさ」
ミカヴェルとアスの会話が、カールにはひとつも理解できなかった。
ただ何かがおかしい、なにか不穏なことが起こり始めているのだということだけを感じ取り、カールは剣を振りかざす。
「ミカは行かせねぇッ!!!!!!」
「ふん、ヒヨッコが」
カールが打ち下ろした上段の剣を、アスはあっさりと受け流す。
それと同時に、ミカヴェルとジェイ、そしてティナがカールに背を向けて歩き始めた。
「待て!! ミカーーッ!!」
「行かせないっ」
ミカヴェルを追おうとしたカールに、アスの剣が降りてくる。
ガキンと受けてなんとか鍔迫り合うも、その力の強さに身動きが取れない。
「うっ、ぐ……ッ!」
「なるほど、動きは悪くない。力の方はこれからだな」
「クソッッ!!」
なんとか弾き返した……ように見えるが、実際はアスが剣を引いただけだ。
しかしカールは距離を取ることなく、続けざまに剣を横薙ぎに払う。
止められる前に二度三度と、カールの剣はヒュッと風を切る音を奏で続ける。
「まぁまぁだ。繋ぎは悪くないぞ」
「てめぇ、上官気取りかよッ」
アスは余裕の笑みを見せながらカールの剣を躱し、いなし、弾き返す。
そして彼は、カールが
(くそ!! 完全に遊んでやがる……ちくしょう!!!!)
どれだけ本気で振るっても、決して相手に到達しない刃。
アスは余裕綽々で、むしろ楽しそうにしているのが余計に気に入らない。
(なんだ、この強さ……! アンナやグレイよりも強ぇじゃねぇか! こんなやつらがストレイアの一般兵に眠ってるとか、考えられねぇ!)
普通なら正騎士、それも将レベルの強さである。
カールの疑念は深まりながらも、次々に技を繰り出し続ける。
そしてようやくアスを一歩後退させることに成功した。
「……なんだ、お前の成長速度は。将来が怖すぎるやつだな。っく!!」
ギィイイインと剣戟の音が響いた。
初めてアスの顔を歪ませることができて、カールはニヤリと笑う。
続けて右へ左へと繰り出す剣に、アスはとうとうカールから距離をとる。
「お前、名はなんて言ったか」
問われたカールは、剣を構え直しながら大きく口を開いた。
「俺はカールだ!!」
「覚えておこう。お前はいつか名を轟かす将になるかもな」
「かもじゃねぇ。なるんだよ、一番の将によ!」
「楽しみだ。またやり合える日を楽しみにしている」
アスがニッと笑うと、三日月のピアスがきらりと光った。
「おい、てめぇ! 逃げんのかよっ!!」
「お前を傷つけると、交渉が決裂するんでな」
「待て!!」
カールがもう一度斬りかかろうとした瞬間。
ものすごい風が辺りの木の葉を巻き上げた。
「っく、風の魔法も使えんのかよ……っ」
あまりの強風に目を瞑り、そして開けた時には──
「……ちくしょう……どこ行った!! ちくしょーーーーーーッッッ!!!!」
誰の姿もない、ただの冬の森だった。
「どういうことだよ、ミカ!! なんなんだよ、一体!! 誰なんだよあいつら!!!!」
すべてに納得できないカールは。
「ミカーーーーーーッッ!!!!!!」
家族同然だった男の名を、叫んでいた。
しかし誰からの返事もなく、声は森に木霊するばかりで。
どこか寂しげに星空を見上げていた、去年のミカヴェルを思い出す。
── 人の正義は星の数ほどある。裏切ることが、正義ということもあるんだ──
「……わかんねぇよ……ミカ……」
ミカヴェルになにがあったのかはわからない。
しかしもう、二度とこの家に帰ってくることはないのだということだけはわかって、カールは膝から崩れ落ちた。
全身の力が抜け、地面に手をついて唇を噛みしめる。
兄のように慕った男の笑顔が脳裏に浮かび、しかし先ほどの冷たい言葉が胸を締めつけて痛んだ。
悔しさと喪失感に押しつぶされ、カールの涙は止めどなくこぼれ落ちていった。