ジャンの話を聞き終えたアンナは、ほうっと息を出した。
アリシアとは違う視点のロクロウ。
急に出てったことは変わりなく、憤りはもちろんあったのだが、それでも少し印象は変わった。
「父さんは本当に、コムリコッツの遺跡や秘術、その歴史に夢中になっていたのね……」
「それは間違いないよ」
アンナにしても、もっと遺跡の話を聞いてみたいと思わせる内容だった。ジャンも同じだ。だからこれほどまでに雷神の話を聞き、遺跡のことが普通の人よりも詳しくなっている。
「少しは伝わった、ロクロウの人物像」
「ええ、とっても。ありがとう、ジャン」
「うん」
薄い笑みを見せるジャンに、しかしアンナは憐みの目線を向けた。
「ジャンがどうして母さんのことを気にかけてくれてたのかが、ようやくわかったわ。そんな父さんに、『アリシアを頼む』って言われたからなのね……」
アンナは雷神の言葉のせいで、ジャンを縛り付けてしまったのだと思った。
いつも振り回されているのに、ずっと我慢して。それどころか、雷神の言葉を真に受けて、アリシアの部下となってまで見守っているのだと。
「真面目すぎるわ、ジャン。父さんの言葉なんてもう時効よ。好きに生きていいのよ?」
「まぁきっかけはロクロウの言葉ではあったよね。でも今は、自分の意思で決めてる。大丈夫だ、アンナが心配する必要はないから」
「……ジャンがいいなら、いいんだけど……」
それでも気にするアンナに、グレイは背中を叩いた。
「こういう時は、『任せる』と言ってもらった方が男は嬉しいもんだ。実際、ジャンがアリシア筆頭のそばにいてくれた方が、アンナも安心だろ?」
「ええ、もちろん。だって母さんったらめちゃくちゃするんだもの」
「なら、それを伝えた方がいい」
グレイの言葉で、アンナは霧が晴れたようにスッキリとした。
ジャンが自分の意思でアリシアのそばにいて、そのおかげでアンナも安心できるのだ。思えば、なにも問題はない。
「そうね。ありがとう、ジャン。これからも母さんをお願い」
「うん……筆頭は俺が守るよ。約束する」
頼もしい言葉に、アンナはアリシア譲りの笑顔を見せ。
グレイはやっぱりこの人は……と思いつつも、言葉に出さずに見守った。
「ばばーん!! 母がお風呂から出たわよ! なんの話をしてたのかしら!?」
突如バタンッと豪快に扉を開けて入ってきたのは、もちろんアリシアである。
「もうちょっと静かに開けられないの? びっくりするじゃない」
「あら、びっくりしちゃうくらい、なにを話していたの?」
「……母さんには秘密よ」
「やぁねぇ、今ごろ反抗期?」
笑いながら目の前に現れたアリシアに、アンナは絶句した。
ばばんっと突き出された、アリシアの大きな胸。それは誰が見ても、明らかに……
「か、母さん!! 下着をつけ忘れてるわよ!?」
ぎょっとしながらも視線を送ってしまうのは、男性陣である。アリシアの服の下には、明らかに下着が着けられていなかった。
アンナは慌てて腰を上げると、アリシアがこれ以上進まないようにと立ちはだかった。
「着けてないのよ。だってもう寝るだけじゃない」
「も、もうっ!! ここにいるのは私たちだけじゃないのよ! 男の人がいるんだから、下着をつけるのは当然でしょう!!」
(いや、その当然がアンナもできてなかったんだが)
グレイは心の中で思うだけにとどまり、アンナに文句を言われる前にアリシアから視線を逸らした。
ふと見ると、ジャンも視線を逸らし、座っていた肘掛けからソファへと腰を落としている。
ちゃんと座り直した意味を察したグレイは、密かに笑いを噛み殺した。
「二人とも、見て……ないわね! もう、母さんは自分の部屋に行って! 出てきちゃダメよ、もう寝なさい!」
「えええ? まだ九時よ。子どもじゃあるまいし」
「いいから、今日は早く寝る!!」
「わかったわよ、アンナったら怖いんだから。じゃあね、ジャン、グレイ! また明日!」
アンナに背中を押されたアリシアが部屋を出ていくと、ようやく全員が息を吐けた。
「まったく、母さんったら。不用意すぎるのよ」
どの口がそれを言うんだ、とは言えないグレイである。
「見てないわよね、グレイ」
「見てないぞ」
さらっと嘘をつき、グレイは平然とする。
好きな女だと動揺もするが、アリシアは恋人の母親だ。唐突のことに驚きはしたものの、服は着ていたのだし、特別な感情は持ち合わせていない。
「ジャンも」
「……見てない」
アンナと逆の方を向いたままで、ジャンも嘘をついた。
「ならいいけど。私たちはどうする? まだ起きているなら、なにか温かい飲み物でも用意するけど」
「いや、そろそろ寝よう。アリシア筆頭を追いやって、俺たちだけ起きてるのも悪いだろ」
「そう? それじゃあ、ジャンは客間に行ってもらえる? この部屋の蝋燭、もう消しちゃうわ」
アンナがそう声を掛けるも、ジャンは暖炉の方を見たまま動かない。
「ジャン?」
「……客間はわかるから、勝手にするよ」
「行かないの?」
「アンナ」
首を傾げるアンナに、グレイは肩を抱いて部屋の外へと促す。
「ちょっとグレイ?」
「俺たちは先に休むぞ。ジャン、部屋の明かりだけ頼む」
「ああ」
部屋を出たグレイはさっさと自室に向かい、アンナと一緒に中へと入った。
納得いかないアンナは、眉を寄せてグレイを見上げる。
「どうしたの、あんなに急いで」
「まぁ、色々な」
ジャンの気持ちがわかったグレイは、まったくわからずにいるアンナに苦笑いを向けた。
(ジャンは俺以上に生殺しの目に遭ってそうだな)
そう思いながら、もうそんな目に遭わずに済む自分にホッとする。
すぐ傍にいる愛しい人は自分のものなのだと、互いに慈しみ合える関係であることを心から喜び、グレイはアンナの髪に指を通した。
「今日も俺の部屋にいるだろ?」
「……どうしようかしら。母さんたちだっているし」
「隣で寝てくれるだけでいい」
「本当に隣で眠るだけで済むのかしら」
「さぁてな、わからんが」
「もうっ」
そう言いながらも、本気で怒っていないアンナの額に、グレイはそっとキスをする。
これ以上なく近い視線は、互いを引き込む力があった。
「アンナと一緒にいたい」
「……私もよ、グレイ」
ほんの少し目を細めたグレイを見るのが嬉しくて。
アンナはグレイの腕の中に飛び込むと、そのままグレイの部屋へと行き、同じベッドへと潜り込んだ。
そして翌朝、アンナとグレイが部屋から出てきた時には、ジャンとアリシアは出勤済みでいなかったのだった。
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⭐︎おまけのジャンとアリシアのこぼれ話⭐︎
飛ばして次を読んでもらっても問題ありません!
二人に興味のある方だけどうぞ!
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おまけ①『惚れさせるから』
「母さんはすぐ顔に出ちゃうんだから、ジャンと部屋で待っててね。短剣は私たちで隠すわ」
「もう、信用ないわねぇ」
それはそうだろうと思いながら、ジャンはアリシアと一緒に部屋に入った。
もちろん、アリシアの部屋へと。
幼い頃から何度もこの家を出入りしているジャンだが、ここにアリシアの部屋があるとわかっていても、入る機会などそうそうない。
「……割と、殺風景だな」
「必要なものは、全部王宮の方へ運んでるもの。そういえば、この部屋に入るのは初めてだったかしら?」
「そうだな。部屋の前までは来ることはあっても、入ったのは初めてかもしれない」
「ふふっ、じっくり見ていってもいいのよ!」
「……普通、嫌じゃない」
ジャンは中に入ってもじろじろ見ずに、アリシアだけに視線を送っている。
アリシアは意味がわからずに、きょとんとジャンを見つめ返した。
「そう? 別に見られて困るものなんて、置いてないわよ。重要書類はここには置いてないもの」
「そうじゃなくて……」
「そういえば、ジャンはさっき私の部屋を見られるのを『俺が嫌だから』って言ってたわね。どういう意味?」
まったく気にしていないのがこの人らしいと思いながら、ジャンはその理由を説明しようと試みる。
「ほら、あるだろ」
「なにがかしら?」
「その……下着とか」
「そんなの、誰も気にしないわ! あ、でもグレイは恋人の母親の下着を見せられても、困るかもしれないわね!」
アリシアは納得して大きく頷き、ジャンへと細めた目を向ける。
「うふふ、ありがと!」
「言っとくけど、グレイを心配して言ったわけじゃないよ」
「ああ、そうよね。ジャンだって見せられたら困っちゃうわよねぇ。でもジャンは、女の下着なんて見慣れてるでしょう?」
色々とそういう意味じゃないと思いながらも、どこから突っ込んでいいかわからず、ジャンは視線だけをアリシアに向けた。
ハッとしたアリシアは、ジャンの目から発する怪光線から逃れるように、扉へと目を向ける。
「……まだかしら、アンナたち。遅いわね」
目を背けられてしまったジャンは、一歩アリシアへと踏み出した。
「筆頭」
「なぁに、ジャン」
「こっち向いて」
外されていた視線を、ジャンは取り戻す。
まっすぐにジャンを見る、アリシアの明るいエメラルド色の瞳。
ジャンの深い緑眼と、視線がもう一度重なる。
「もっと、自分で気を付けてくれる」
「ええ、そうよね。わかってはいるのよ、これでも」
「全然わかってないから。俺だっていつ、狼になるかわからないよ」
「……ジャン」
「……アリシア」
二人はじっと瞳を見つめ合い、そして──
「母さん、ジャン! 隠し終わったわよ!」
アンナのその声に、アリシアはニマァッと笑った。
「ジャンの番ね!! 何分で見つけられるか、楽しみだわ!!」
「……たった今、俺は楽しみを奪われたけどね……」
しかしジャンは、ニコニコ嬉しそうに笑うアリシアを見て、己も口の端を上げて。
「すぐに見つけて、惚れさせるから」
誰にも聞こえない声でそう呟くと、アリシアの部屋を出るのだった。
***
おまけ②『どこに行っちゃったのかしら??』
「あら、もう起きてたのね、ジャン」
「おはよう、筆頭。寒いからさっさと起きて、火を入れさせてもらったんだよ」
「ふふ、相変わらずジャンは寒さに弱いわねぇ」
すでに暖炉に火を入れてリビングを暖めていたジャンを見て、アリシアは笑った。
「今日は一応休みだろ。これからどうする」
「休みではあるんだけど、ルナリア様とフリッツ様の件でごたごたしているし、今日から仕事に戻ろうと思ってるのよ。あなたはどうする? ここでゆっくりしていく?」
「じゃあ俺は筆頭の仕事ぶりを見てるよ。用事があれば、すぐ言いつけられるだろ」
「少ない休みなんだから、ちゃんと体を休めなさいな」
「いいんだよ、それで」
当然のように言うジャンにアリシアは微笑み、ジャンもまた、彼女に笑みを見せる。
「それじゃあ、アンナたちが起きてくる前に朝食を作っちゃいましょうか!」
「うん」
二人でキッチンに立ち、四人分の朝食を作り終える。
しかしまだアンナたちが出てくる様子はない。
「ちょっと起こしてくるわ。せっかくの朝食が冷めちゃうもの」
「あ、筆頭」
ジャンが止める間もなくアリシアは行ってしまい、しかしすぐに戻ってきた。
「ジャン! アンナが部屋にいないわ! どこに行っちゃったのかしら??」
「グレイの部屋に決まってるだろ……どうしてこう、鈍感かな……」
「ああ、そうよね。じゃあグレイの部屋に──」
「ちょ、ストップ! やめときなよ。きっと夜遅くまで
「え? あ……あー!! そうね!! 二人は仲良しさんだものね!」
「羨ましいよ、まったく……」
やはりジャンは誰にも聞こえないような声でぼそりと呟き、二人で朝食をとった。
二人分の食器を片付け終えても、まだアンナとグレイは部屋に入っているままだ。
「まったく遅いわねぇ、二人とも!」
「俺たちが早過ぎたんだよ」
「だって、昨日は九時に寝ちゃったんだもの! 年寄りは朝早くてうるさいと思われてるかもしれないわね!」
「筆頭は十分若いから」
「あら! ありがとう」
ふふっと少女のように笑うアリシアを見て、自然とジャンは目を細めた。
「まぁこのまま置いておけば、朝起きた時に温めて食べるでしょう。私たちは王宮に戻りましょうか」
「うん」
そう言って家を出ると、空からは雪がちらついていた。
寒さが苦手なジャンは、眉を寄せて空を見上げる。
「どうりで、昨夜は冷えたはずだ……」
「積もるといいわねぇ!」
「冗談……これ以上寒くなると、宿舎住まいは凍え死ぬよ」
はぁっと手に息を吹きかけるジャンに、アリシアは自分のマフラーをジャンの首へと巻きつける。
「……筆頭?」
驚いて少し目を大きくしたジャンに、アリシアはにっこりと笑った。
「使って」
「筆頭が寒くなるだろ」
「着込み過ぎたみたいだわ。暑いくらいよ!」
「本当に?」
ジャンに瞳を覗かれたアリシアは、あっさりと素直に白状する。
「バレちゃった? ちょっと寒くはあるけど、王宮は近いしこれくらい平気だわ」
太陽のような笑みを見せるアリシアに、ジャンはマフラーを一度取り外すと。
「一緒に巻けばいいだろ」
その長いマフラーを、二人で分け合った。
「あら、ありがとう。そういう方法があったのね」
「筆頭に寒い思いなんて、させないから」
そう言って、二人は王宮への道を一歩踏み出す。
冷たい雪が木枯らしに乗って、人々の体温を奪おうと躍起になっている。
ヒュウゥゥウッと音でまで寒さを感じさせる中、歩きにくいと言い合いながらも、二人はマフラーを外すことはしなかった。
「筆頭」
「なぁに、ジャン」
いつもの明るいアリシアの声に、ジャンはふっと笑みを漏らす。
「誘ってくれて……ありがとう。いい年明けになった」
そんなジャンに、アリシアは木枯らしを吹き飛ばす太陽のような笑みを見せる。
「ふふっ、よかったわ! 来年も一緒に過ごしましょ!」
「うん……いいね」
そう言って二人は、ぽかぽかと体を温かくして。
一緒に、王宮へと入っていったのだった。