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22.私たちだけじゃないのよ!

 ジャンの話を聞き終えたアンナは、ほうっと息を出した。

 アリシアとは違う視点のロクロウ。

 急に出てったことは変わりなく、憤りはもちろんあったのだが、それでも少し印象は変わった。


「父さんは本当に、コムリコッツの遺跡や秘術、その歴史に夢中になっていたのね……」

「それは間違いないよ」


 アンナにしても、もっと遺跡の話を聞いてみたいと思わせる内容だった。ジャンも同じだ。だからこれほどまでに雷神の話を聞き、遺跡のことが普通の人よりも詳しくなっている。


「少しは伝わった、ロクロウの人物像」

「ええ、とっても。ありがとう、ジャン」

「うん」


 薄い笑みを見せるジャンに、しかしアンナは憐みの目線を向けた。


「ジャンがどうして母さんのことを気にかけてくれてたのかが、ようやくわかったわ。そんな父さんに、『アリシアを頼む』って言われたからなのね……」


 アンナは雷神の言葉のせいで、ジャンを縛り付けてしまったのだと思った。

 いつも振り回されているのに、ずっと我慢して。それどころか、雷神の言葉を真に受けて、アリシアの部下となってまで見守っているのだと。


「真面目すぎるわ、ジャン。父さんの言葉なんてもう時効よ。好きに生きていいのよ?」

「まぁきっかけはロクロウの言葉ではあったよね。でも今は、自分の意思で決めてる。大丈夫だ、アンナが心配する必要はないから」

「……ジャンがいいなら、いいんだけど……」


 それでも気にするアンナに、グレイは背中を叩いた。


「こういう時は、『任せる』と言ってもらった方が男は嬉しいもんだ。実際、ジャンがアリシア筆頭のそばにいてくれた方が、アンナも安心だろ?」

「ええ、もちろん。だって母さんったらめちゃくちゃするんだもの」

「なら、それを伝えた方がいい」


 グレイの言葉で、アンナは霧が晴れたようにスッキリとした。

 ジャンが自分の意思でアリシアのそばにいて、そのおかげでアンナも安心できるのだ。思えば、なにも問題はない。


「そうね。ありがとう、ジャン。これからも母さんをお願い」

「うん……筆頭は俺が守るよ。約束する」


 頼もしい言葉に、アンナはアリシア譲りの笑顔を見せ。

 グレイはやっぱりこの人は……と思いつつも、言葉に出さずに見守った。


「ばばーん!! 母がお風呂から出たわよ! なんの話をしてたのかしら!?」


 突如バタンッと豪快に扉を開けて入ってきたのは、もちろんアリシアである。


「もうちょっと静かに開けられないの? びっくりするじゃない」

「あら、びっくりしちゃうくらい、なにを話していたの?」

「……母さんには秘密よ」

「やぁねぇ、今ごろ反抗期?」


 笑いながら目の前に現れたアリシアに、アンナは絶句した。

 ばばんっと突き出された、アリシアの大きな胸。それは誰が見ても、明らかに……


「か、母さん!! 下着をつけ忘れてるわよ!?」


 ぎょっとしながらも視線を送ってしまうのは、男性陣である。アリシアの服の下には、明らかに下着が着けられていなかった。

 アンナは慌てて腰を上げると、アリシアがこれ以上進まないようにと立ちはだかった。


「着けてないのよ。だってもう寝るだけじゃない」

「も、もうっ!! ここにいるのは私たちだけじゃないのよ! 男の人がいるんだから、下着をつけるのは当然でしょう!!」


(いや、その当然がアンナもできてなかったんだが)


 グレイは心の中で思うだけにとどまり、アンナに文句を言われる前にアリシアから視線を逸らした。

 ふと見ると、ジャンも視線を逸らし、座っていた肘掛けからソファへと腰を落としている。

 ちゃんと座り直した意味を察したグレイは、密かに笑いを噛み殺した。


「二人とも、見て……ないわね! もう、母さんは自分の部屋に行って! 出てきちゃダメよ、もう寝なさい!」

「えええ? まだ九時よ。子どもじゃあるまいし」

「いいから、今日は早く寝る!!」

「わかったわよ、アンナったら怖いんだから。じゃあね、ジャン、グレイ! また明日!」


 アンナに背中を押されたアリシアが部屋を出ていくと、ようやく全員が息を吐けた。


「まったく、母さんったら。不用意すぎるのよ」


 どの口がそれを言うんだ、とは言えないグレイである。


「見てないわよね、グレイ」

「見てないぞ」


 さらっと嘘をつき、グレイは平然とする。

 好きな女だと動揺もするが、アリシアは恋人の母親だ。唐突のことに驚きはしたものの、服は着ていたのだし、特別な感情は持ち合わせていない。


「ジャンも」

「……見てない」


 アンナと逆の方を向いたままで、ジャンも嘘をついた。


「ならいいけど。私たちはどうする? まだ起きているなら、なにか温かい飲み物でも用意するけど」

「いや、そろそろ寝よう。アリシア筆頭を追いやって、俺たちだけ起きてるのも悪いだろ」

「そう? それじゃあ、ジャンは客間に行ってもらえる? この部屋の蝋燭、もう消しちゃうわ」


 アンナがそう声を掛けるも、ジャンは暖炉の方を見たまま動かない。


「ジャン?」

「……客間はわかるから、勝手にするよ」

「行かないの?」

「アンナ」


 首を傾げるアンナに、グレイは肩を抱いて部屋の外へと促す。


「ちょっとグレイ?」

「俺たちは先に休むぞ。ジャン、部屋の明かりだけ頼む」

「ああ」


 部屋を出たグレイはさっさと自室に向かい、アンナと一緒に中へと入った。

 納得いかないアンナは、眉を寄せてグレイを見上げる。


「どうしたの、あんなに急いで」

「まぁ、色々な」


 ジャンの気持ちがわかったグレイは、まったくわからずにいるアンナに苦笑いを向けた。


(ジャンは俺以上に生殺しの目に遭ってそうだな)


 そう思いながら、もうそんな目に遭わずに済む自分にホッとする。

 すぐ傍にいる愛しい人は自分のものなのだと、互いに慈しみ合える関係であることを心から喜び、グレイはアンナの髪に指を通した。


「今日も俺の部屋にいるだろ?」

「……どうしようかしら。母さんたちだっているし」

「隣で寝てくれるだけでいい」

「本当に隣で眠るだけで済むのかしら」

「さぁてな、わからんが」

「もうっ」


 そう言いながらも、本気で怒っていないアンナの額に、グレイはそっとキスをする。

 これ以上なく近い視線は、互いを引き込む力があった。


「アンナと一緒にいたい」

「……私もよ、グレイ」


 ほんの少し目を細めたグレイを見るのが嬉しくて。

 アンナはグレイの腕の中に飛び込むと、そのままグレイの部屋へと行き、同じベッドへと潜り込んだ。


 そして翌朝、アンナとグレイが部屋から出てきた時には、ジャンとアリシアは出勤済みでいなかったのだった。




 ──────────────────────────────────


 ⭐︎おまけのジャンとアリシアのこぼれ話⭐︎

 飛ばして次を読んでもらっても問題ありません!

 二人に興味のある方だけどうぞ!



 ***


 おまけ①『惚れさせるから』


「母さんはすぐ顔に出ちゃうんだから、ジャンと部屋で待っててね。短剣は私たちで隠すわ」

「もう、信用ないわねぇ」


 それはそうだろうと思いながら、ジャンはアリシアと一緒に部屋に入った。

 もちろん、アリシアの部屋へと。

 幼い頃から何度もこの家を出入りしているジャンだが、ここにアリシアの部屋があるとわかっていても、入る機会などそうそうない。


「……割と、殺風景だな」

「必要なものは、全部王宮の方へ運んでるもの。そういえば、この部屋に入るのは初めてだったかしら?」

「そうだな。部屋の前までは来ることはあっても、入ったのは初めてかもしれない」

「ふふっ、じっくり見ていってもいいのよ!」

「……普通、嫌じゃない」


 ジャンは中に入ってもじろじろ見ずに、アリシアだけに視線を送っている。

 アリシアは意味がわからずに、きょとんとジャンを見つめ返した。


「そう? 別に見られて困るものなんて、置いてないわよ。重要書類はここには置いてないもの」

「そうじゃなくて……」

「そういえば、ジャンはさっき私の部屋を見られるのを『俺が嫌だから』って言ってたわね。どういう意味?」


 まったく気にしていないのがこの人らしいと思いながら、ジャンはその理由を説明しようと試みる。


「ほら、あるだろ」

「なにがかしら?」

「その……下着とか」

「そんなの、誰も気にしないわ! あ、でもグレイは恋人の母親の下着を見せられても、困るかもしれないわね!」


 アリシアは納得して大きく頷き、ジャンへと細めた目を向ける。


「うふふ、ありがと!」

「言っとくけど、グレイを心配して言ったわけじゃないよ」

「ああ、そうよね。ジャンだって見せられたら困っちゃうわよねぇ。でもジャンは、女の下着なんて見慣れてるでしょう?」


 色々とそういう意味じゃないと思いながらも、どこから突っ込んでいいかわからず、ジャンは視線だけをアリシアに向けた。

 ハッとしたアリシアは、ジャンの目から発する怪光線から逃れるように、扉へと目を向ける。


「……まだかしら、アンナたち。遅いわね」


 目を背けられてしまったジャンは、一歩アリシアへと踏み出した。


「筆頭」

「なぁに、ジャン」

「こっち向いて」


 外されていた視線を、ジャンは取り戻す。

 まっすぐにジャンを見る、アリシアの明るいエメラルド色の瞳。

 ジャンの深い緑眼と、視線がもう一度重なる。


「もっと、自分で気を付けてくれる」

「ええ、そうよね。わかってはいるのよ、これでも」

「全然わかってないから。俺だっていつ、狼になるかわからないよ」

「……ジャン」

「……アリシア」


 二人はじっと瞳を見つめ合い、そして──


「母さん、ジャン! 隠し終わったわよ!」


 アンナのその声に、アリシアはニマァッと笑った。


「ジャンの番ね!! 何分で見つけられるか、楽しみだわ!!」

「……たった今、俺は楽しみを奪われたけどね……」


 しかしジャンは、ニコニコ嬉しそうに笑うアリシアを見て、己も口の端を上げて。


「すぐに見つけて、惚れさせるから」


 誰にも聞こえない声でそう呟くと、アリシアの部屋を出るのだった。




 ***


 おまけ②『どこに行っちゃったのかしら??』


「あら、もう起きてたのね、ジャン」

「おはよう、筆頭。寒いからさっさと起きて、火を入れさせてもらったんだよ」

「ふふ、相変わらずジャンは寒さに弱いわねぇ」


 すでに暖炉に火を入れてリビングを暖めていたジャンを見て、アリシアは笑った。


「今日は一応休みだろ。これからどうする」

「休みではあるんだけど、ルナリア様とフリッツ様の件でごたごたしているし、今日から仕事に戻ろうと思ってるのよ。あなたはどうする? ここでゆっくりしていく?」

「じゃあ俺は筆頭の仕事ぶりを見てるよ。用事があれば、すぐ言いつけられるだろ」

「少ない休みなんだから、ちゃんと体を休めなさいな」

「いいんだよ、それで」


 当然のように言うジャンにアリシアは微笑み、ジャンもまた、彼女に笑みを見せる。


「それじゃあ、アンナたちが起きてくる前に朝食を作っちゃいましょうか!」

「うん」


 二人でキッチンに立ち、四人分の朝食を作り終える。

 しかしまだアンナたちが出てくる様子はない。


「ちょっと起こしてくるわ。せっかくの朝食が冷めちゃうもの」

「あ、筆頭」


 ジャンが止める間もなくアリシアは行ってしまい、しかしすぐに戻ってきた。


「ジャン! アンナが部屋にいないわ! どこに行っちゃったのかしら??」

「グレイの部屋に決まってるだろ……どうしてこう、鈍感かな……」

「ああ、そうよね。じゃあグレイの部屋に──」

「ちょ、ストップ! やめときなよ。きっと夜遅くまで仲良く・・・してたんだろうし、寝かせてあげれば」

「え? あ……あー!! そうね!! 二人は仲良しさんだものね!」

「羨ましいよ、まったく……」


 やはりジャンは誰にも聞こえないような声でぼそりと呟き、二人で朝食をとった。

 二人分の食器を片付け終えても、まだアンナとグレイは部屋に入っているままだ。


「まったく遅いわねぇ、二人とも!」

「俺たちが早過ぎたんだよ」

「だって、昨日は九時に寝ちゃったんだもの! 年寄りは朝早くてうるさいと思われてるかもしれないわね!」

「筆頭は十分若いから」

「あら! ありがとう」


 ふふっと少女のように笑うアリシアを見て、自然とジャンは目を細めた。


「まぁこのまま置いておけば、朝起きた時に温めて食べるでしょう。私たちは王宮に戻りましょうか」

「うん」


 そう言って家を出ると、空からは雪がちらついていた。

 寒さが苦手なジャンは、眉を寄せて空を見上げる。


「どうりで、昨夜は冷えたはずだ……」

「積もるといいわねぇ!」

「冗談……これ以上寒くなると、宿舎住まいは凍え死ぬよ」


 はぁっと手に息を吹きかけるジャンに、アリシアは自分のマフラーをジャンの首へと巻きつける。


「……筆頭?」


 驚いて少し目を大きくしたジャンに、アリシアはにっこりと笑った。


「使って」

「筆頭が寒くなるだろ」

「着込み過ぎたみたいだわ。暑いくらいよ!」

「本当に?」


 ジャンに瞳を覗かれたアリシアは、あっさりと素直に白状する。


「バレちゃった? ちょっと寒くはあるけど、王宮は近いしこれくらい平気だわ」


 太陽のような笑みを見せるアリシアに、ジャンはマフラーを一度取り外すと。


「一緒に巻けばいいだろ」


 その長いマフラーを、二人で分け合った。


「あら、ありがとう。そういう方法があったのね」

「筆頭に寒い思いなんて、させないから」


 そう言って、二人は王宮への道を一歩踏み出す。

 冷たい雪が木枯らしに乗って、人々の体温を奪おうと躍起になっている。

 ヒュウゥゥウッと音でまで寒さを感じさせる中、歩きにくいと言い合いながらも、二人はマフラーを外すことはしなかった。


「筆頭」

「なぁに、ジャン」


 いつもの明るいアリシアの声に、ジャンはふっと笑みを漏らす。


「誘ってくれて……ありがとう。いい年明けになった」


 そんなジャンに、アリシアは木枯らしを吹き飛ばす太陽のような笑みを見せる。


「ふふっ、よかったわ! 来年も一緒に過ごしましょ!」

「うん……いいね」


 そう言って二人は、ぽかぽかと体を温かくして。

 一緒に、王宮へと入っていったのだった。

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