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02.どういう意味?

 食事を終えると、グレイがアンナを女子寮まで送るのが常である。

 この日もすっかり日が落ちて暗くなった道を、アンナは同い年とは思えぬほどの体格のいいグレイと共に歩いていた。夏が過ぎ、秋を迎えた今は少し肌寒い。

 肩が触れそうなほどに近い位置関係は、最初こそ緊張したアンナであったが、今では安心感を得られるまでになっている。


 おしゃべりではない二人は、この帰り道で話すことはあまりない。

 しかしアンナは、


(寮までもっと遠ければよかったのに)


 と思うくらいには、グレイと一緒にいる居心地のよさを感じていた。


「ディックだ」


 唐突のグレイの言葉に、アンナはふと草陰を見る。

 茂みの中から黒猫が飛び出してきて、グレイの肩に飛び乗った。

 半分野良猫のようなものだが、グレイの手ずから餌をあげたことがあり、ちゃんと面倒を見るつもりであることをアンナは聞いて知っている。


「珍しいな、ディックがここに来るのは。どうした?」


 グレイの言葉にディックはにゃぁんと鳴き、ストンと地に降り立つ。そして数歩進んでグレイの顔を振り返った。


「なんかあったみたいだ。ちょっと行ってくる。悪いが、一人で帰ってくれるか」

「私も行くわ」

「なにがあるかわからんぞ」

「大丈夫よ、剣はあるわ。あなたの役にくらい、立てる」

「……そうだな、わかった」


 走り出したディックの後を、アンナとグレイは追いかける。

 途中でガサっと音がして驚いたが、野良犬が二匹、グレイを追いかけているだけだった。

 グレイは妙な特性を持っていて、動物にやたらと好かれてしまう。

 軍の敷地内は来ないように躾けていたが、ひとたび外に出れば、ぞろぞろと犬猫を侍らせながら歩いている姿は頻繁に見られた。

 野良に名前はつけないとグレイは言うので、アンナは白と黒の二匹の犬を、勝手にブランとノワールに命名しているが。

 犬たちを引き連れながらディックを追っていくと、草陰に誰かが倒れているのを発見した。


「行き倒れか!?」

「子どもだわ!」


 急いで駆け寄り、グレイがその少年を抱き起こす。うっすら目を開けて呼吸している姿を見て、二人はほっと息を吐いた。


「大丈夫か。今水をやるからな」

「外傷はなさそうね。どうしたのかしら、こんなところで……」


 オルト軍学校は町から離れて独立している。街道沿いからも離れている場所に、子どもがこんな時間に倒れているのは奇妙だとしか言いようがない。


 グレイが少年に水を含ませると、それに気づいたのか水筒ごと奪っていった。ごくごくと勢いよく飲むその姿を見て、大丈夫そうだとほっとする。


「んぐ、んぐっ……ぷはっ」

「大丈夫か?」


 声を掛けられた少年はハッとし、きょろきょろと周りを見回した。

 月明かりでしか確認できないが、そこらじゅうが薄汚れている。年のころは、十二といったところだ。


「お前……どこから来た」

「ちょっと、グレイ?」


 急に声のトーンを落としたグレイに、アンナは非難の声を上げた。

 死にかけていた子どもに使う声音ではない。


「ぼ、僕は……」

「サエスエル国の者だな」

「えっ!?」


 断定するグレイに、少年よりもアンナの方が声を上げる。


「どうしてわかるの?」

「見ろ」


 グレイはちらりと見えていた少年の腹に目を向け、その服を許可なく捲り上げた。そこには奴隷印と呼ばれる焼印が、脇腹のあたりにくっきりとついている。


「これは……初めて見るけど、奴隷印よね?」

「ああ。このストレイア王国に奴隷制度はないし、隣のフィデル国も同様だ。近隣諸国で奴隷制があるのは、サエスエル国のみ……」


 サエスエル国は、この辺りで一番の大国である。といっても、北にひとつ国を挟み、その向こう側の国だ。ここからではかなり遠く、子どもの足で来られるような距離ではなかった。

 現在、ストレイア王国はフィデル国と緊張状態でよく小競り合いはあるものの、サエスエル国とは直接的な戦闘はここ二百年余りない。一応の外交関係はあるが、潜在的な敵という位置付け……つまり仮想敵国なのである。

 表面上でしか付き合いのない国の奴隷が、なぜかこんな遠くまで来ているのだ。グレイが警戒するのも当然だと、アンナは自分を納得させた。


「僕は、確かにサエスエル国の奴隷です……」


 少年がその事実を認める。

 奴隷ということは、所有主がいるということだ。やるべきことは、強制送還である。

 勝手な真似は許されない。どんな小さなことで両国間に摩擦が起きるかわからないのだから。


「隊舎に戻って教官に報告だ」

「ま、待ってください……っ!」


 震える声を上げて、少年はグレイにしがみついた。


「僕は、逃げてきたんです……ようやくここまで! お願いです、見逃してください……戻ったら、殺される……!!」


 必死に訴えるその姿に、グレイとアンナは顔を見合わせた。

 奴隷というのは、もちろん地位が低い。人間扱いされないこともあると聞く。

 逃げ出した奴隷を強制送還させれば、確かに悲惨な未来が待っていてもおかしくはなかった。


「グレイ……」

「……あんたがそんな顔をするなよ」


 明らかに同情するアンナに、グレイは困って眉を寄せる。

 ディックがぴょんと少年の胸の上に乗ると、彼は「わぁ」と子どもらしい声を上げて黒猫を撫でた。


「お前、名前は」

「僕はスヴェンといいます」

「腹は空いてるか?」

「はい、ぺこぺこです」


 グレイはひとつ息を吐くと、フードコンテナを取り出した。


「……え? もらっていいんですか?」

「ああ。とにかく食べろ。空腹で倒れるなんて、よっぽどだろ」

「ありがとうございます!」


 蓋を開けるとスヴェンはすぐに食いついた。アンナが中を覗くと、先ほど食堂で出ていた食事と同じ内容だ。


「こんなの持ってたの?」

「俺の夜食用だ。夜は腹が空くからな」

「よく食べるのね」

「カールもやってる。トラヴァスもああ見えて、自分の好物の時はしれっと持って帰ってるな」

「男子って、そんなことしてるの? トラヴァスまで、まったく……」

「ん? 普通だぞ?」


 グレイの言う男子の普通にあきれながらも、アンナはスヴェンに目を向けた。

 急いで食べてむせていたので、アンナが背中をさすってあげる。


「誰も取らないわ。ゆっくり食べていいのよ」

「ありがと、ございます……」

「で、どうするの? グレイ」

「さぁてな。餌をやっちまったんじゃ、責任取らないとだよな」


 ディックがにゃあと鳴き、グレイの肩に飛び乗った。

 助ける理由をわざわざ作るグレイに、アンナは心の中でそっと微笑む。

 当のグレイは無愛想なまま、食事を続けるスヴェンを見下ろした。


「スヴェン。お前はどうやってここに来た?」

「ご主人様のお供で国を出た時に、チャンスだと思って逃げ出しました。そこからは歩きと、乗り合い馬車に無理やり頼み込んで乗せてもらったり……」

「食い物はどうしていた?」

「親切な人が恵んでくれたりして、なんとか……」

「これからどこへ行くつもりだ?」

「この国のヤウト村ってところなら、誰でも鉱山で働けるって聞いて。そこを目指していました」

「ヤウト村か」


 ヤウト村は金鉱の出る鉱山地帯だ。僻地にあるため、金鉱が出る割に町としては発展せずに娯楽施設などはなにもない。

 仕事内容は厳しく、働き手がすぐやめてしまうため、労働力はいくらあっても足りない状態で出自は問わず雇っているのだ。

 確かにそこでなら、サエスエル国の奴隷であることを隠しさえすれば、少年でも働けるだろう。


「ヤウト村は、ここからまだまだ距離があるわよ」

「とにかく、俺たちは一度寮に戻ろう。点呼が終わってから、毛布を持ってきてやるよ。こいつを寮に連れてくわけにもいかないしな」

「じゃあ私も……」

「あんたは来なくていい。夜に一人で出歩くようなことはするなよ」


 釘を刺されたアンナは仕方なく頷く。

 そして言いつけ通り、一度寮に戻るともう外に出ることはしなかった。


 朝になり日が差すと、日課であるロードワークに行く際に、昨日スヴェンがいたところに寄ってみる。

 そこにはすでにグレイの姿があり、スヴェンが毛布をグレイに返しているところだった。


「グレイ、スヴェン!」

「あ……おはようございます」

「なんだ、来たのか」

「そりゃ、来るわよ。昨夜は冷えたから、心配だったし」

「ありがとうございます。グレイさんが毛布を持ってきてくれたし、猫ちゃんと犬くんが温かかったから大丈夫でした」

「そう」


 毛布には、ディックとブランとノワールの毛がついている。寒さに震えることはなかったのだとわかって、アンナはほっとした。

 昨夜は暗くてわからなかったが、改めてスヴェンを見ると彼は非常に顔立ちの整った美少年であった。薄汚れてはいるが銀色の髪に、少年でありながら色気のある薄紫色の瞳。身なりを整えさえすれば、男女問わず振り返りそうだ。


「スヴェン、まずは川で顔を洗いましょう。髪も整えてあげるわ。服も持ってきたのよ。私が以前使っていた服だから、少し大きいかもしれないけど、着られると思うわ」

「いえ、いいんです。このままで」

「着古しは嫌だった?」

「いえ、そうじゃなくて……」

「せめて顔を拭きましょう。スッキリするわよ?」

「おい」


 タオルを取り出したアンナを、グレイは止めた。

 その意味がわからず、アンナは眉を寄せる。


「どうして止めるの?」

「いいから放っといてやれ。十二歳なら、自分で考えられる」

「そうだけど……」

「それより、少ないが持っていけ。ヤウト村までの乗合馬車くらいなら、乗れるはずだ」


 小さな巾着袋をグレイから受け取ったスヴェンは、深く頭を下げた。


「ありがとうございます……このご恩は、一生忘れません!」


 グレイは結局、強制送還という選択はしなかった。少年の未来を思えばこその決断だ。

 アンナは同室のリディアという女子からもらった焼き菓子を取り出し、スヴェンに見せる。


「部屋に食べ物がなくて、これしかないんだけど……よかったら持っていって」

「わ……お菓子だ……ありがとうございます!」


 少年は涙を浮かべながら笑顔を見せ、それを受け取ると何度も頭を下げながら離れていった。

 子どもが一人で旅しなければいけないことに胸を痛めるも、できることはもうなにもない。スヴェンの姿が見えなくなると、アンナは隣にいるグレイを見上げた。


「まさか、お金を渡すとは思ってなかったわ」

「ん? まぁな。必要最低限くらいはくれてやるさ」


 オルト軍学校は、学校と名はついているが予備軍隊という位置付けであり、緊急時には出兵も有り得るのだ。よって、少ないが毎月給金も出る。

 よほどのお金持ちでなければ、貴重なお金だ。それをあっさりと渡した割に、スヴェンの身なりに関しては無頓着過ぎて、アンナは納得できずに声を上げた。


「服くらいは着替えさせたかったわ。汚れた顔もひどかったし……」

「あれがあいつの防御策なんだろ」

「防御策?」


 首を傾げるアンナに、グレイは少し躊躇してから口を開く。


「……あれだけ美形だと、色々あるんだろうさ」

「ええ、きれいな顔していたけれど……どういう意味?」

「日常的に食事が抜かれているような体じゃなかった。それなりに大事にされた奴隷だったんだろう。つまり……」

「つまり?」


 アンナに純粋な目を向けられたグレイは、愛玩用という言葉を飲み込んだ。

 きれいな顔を汚しているのは、そういう・・・・者に目をつけられないための防御策なのだと。


「いや……まぁ、そういうことだ」

「なにを言ってるのか、ちっともわからないわ」

「あんたはわからないままでいい」


 視線を逸らされたアンナはむっとしたが、グレイがほんの少し困った顔をしたので聞くのは諦めた。


「まぁいいわ。あの子、無事にヤウト村に辿り着くといいわね」

「そうだな」


 サエスエル国の奴隷、スヴェン。

 その美しい少年を救った事実を、グレイとアンナは誰にも漏らさぬよう、胸の内に秘めるのだった。


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