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【第四話】来月の家賃代を今のうちに稼げばいいことに気が付いた

 翌朝、俺は真理に辿り着いた。

 毎度のことお金が足りなくなって月末に苦しくなるのだから、月初めにさっさと家賃を支払ってしまえば滞納する心配がないということに。


 よし、そうしよう。

 稿料が入り次第、すぐに大家さんの許を訪ねて「どうぞこちらをお受け取りください、今月分の家賃です」とドヤ顔で手渡そうじゃないか。


 ……まあ、問題はその後だ。

 いつもの俺は、稿料が入ると同時にパーッと使ってしまう。エロ漫画を描く上で役に立ちそうな漫画やゲームを片っ端から買い込み、知識として蓄えていく。それが俺の生活スタイルだ。


 で、月初めに家賃を支払うと、そのスタイルを崩さなくてはならない。パーッと使うだけの金が無くなるわけだからな。


 できるか?

 ……うん、無理だ。俺には絶対我慢できない。三百円賭けてもいい。


 今のご時世、ネットで調べる派が多いのは知っている。だが俺は違う。データの塊なんかじゃなくて、現物が欲しい。手元に残しておきたい派なのだ。


 エロ漫画を描く上で、資料が多いに越したことは無い。特に俺の場合、実戦経験がないわけだから、資料の有無は作品の質に関わってくる。


 じゃあ、どうするか。

 稿料を家賃の支払いに充てず、先月のように単発の日雇いバイトで稼ぐのがベストだろう。あれなら一日でヒガコ荘の一ヶ月分の家賃を稼ぐことも不可能ではないし、他の時間を原稿に費やすことができる。あくまでもエロ漫画で生計を立てたい俺にとって、探索者組合は最高のバイト先と言っても過言では無い。


 まあ、そんなことはどうでもいい。

 今の俺には、昨日のバイトで稼いだ金がある。それを使って資料探しに行くのが先決だ。家賃の支払いは来月になってから考えればいい。


 正午を過ぎた頃、ヒガコ荘を出て自転車を漕ぐ。

 目的地は勿論、資料探しに最適な場所――中野ブロードウェイだ。


 秋葉原や池袋も選択肢の一つとして挙げられるが、電車代が若干高くなるのが難点だから仕方あるまい。それにアレだ、中野のディープな空気が俺には合っている気がする。


 昔をよく知らないが、今の時代の中野ブロードウェイはとても居心地がいい。

 俺と同じような趣味や目的を持った人間が大勢いるから、他人の目を気にする必要もなく、堂々と資料探しに専念することができる。


 十八禁コーナーに足を踏み入れても、そこには俺を含めて紳士しかいない。

 例え視界の端に紳士の姿が映り込んだとしても、決して互いに目を合わせず、阿吽の呼吸で通路を譲り合う精神の持ち主達だ。これは変態という名の紳士でなければ実演不可能な領域に足を踏み入れている。


 東小金井駅に着いた俺は、駐輪場に自転車を停めて改札へと向かう。

 すると、丁度改札から見知った顔が出てきた。


「あれ? 山口さんじゃないですか」

「お? 茶川くんか。昨日振りだな」


 改札から出てきたのは、山口不動産の山口さんだ。その後ろにはクランメンバーもいる。昨日とは面子が少し変わっているが、これはもしや……。


「あの、もしかして今日も潜るんですか?」

「ああ、その通り。赤の門で採れる鉱物が入り用でね」


 なるほど。門毎に採れる鉱物や、出現する魔物の種類は異なる。

 山口不動産は赤の門で採れる鉱物を求めて二日連続で足を運ぶつもりらしい。


「茶川くんもどうだ? 昨日と同じ依頼内容で報酬はこれだけ出すぞ」

「えっ、四万……そんなにいいんですか?」

「但し、組合は通さないから貢献度は増えないけどな」


 ああ、そういうことか。

 組合を通して依頼を出すと、手数料として報酬の半分を支払う必要がある。昨日のように護衛役の報酬が三万円だとすれば、山口不動産は探索者組合にも三万円を支払う必要がある。つまり、合計で六万円の出費ってわけだ。だが、探索者組合を介さずに直接声を掛けることで、出費を落とすことができる。


 但し、どこにも所属していない俺のような探索者が直接依頼を受けた場合、探索者組合を通さずに潜ることになるので、貢献度が貯まらない。

 探索者組合が定める貢献度は、ダンジョン内で倒した魔物の数や未踏区域をマッピングすることで増えていく。貢献度を貯めれば探索者ランクが上がり、探索者組合から何かと優遇されるようになる。


 はっきり言うと、明らかに悪い話だ。

 探索者組合に知られてしまえば、俺は目を付けられるし、山口不動産は制裁を受けることになるだろう。とはいえ、常時金欠の俺としては悪い話では無い。

 今の中に来月分の家賃を稼いでしまえば、後は原稿に集中することができる。資料探しは明日以降でもできるし、だとすれば断る理由などない。


「お願いします!」

「よし、決まりだな!」


 二つ返事で告げる。

 すると、山口さんは嬉しそうに肩を叩いてきた。


「昨日は本当に助かったから、スカウトしたいと思ってたんだよ。どうだ、これを機に、うちに所属してみないか?」

「あー、それは有り難い話ですけど、本業があるんで……」

「本業? 何をしてるんだ?」

「エロ漫画家です」


 隠すこと無く、堂々と告げる。

 すると山口さんは驚いたのか目を丸くするが、しかしすぐに笑顔になる。


「そりゃいい! 描いたの見せてくれ! 本になってるなら買うから教えてくれ!」

「あ、はは……じゃあ、あとで」

「絶対だぞ? いいな?」


 念を押されてしまった。

 結局、駐輪場から自転車を引っ張り出すと、俺は山口さん達と共に赤の門へと移動した。


     ※


 昨日の今日ということもあってか、前回と同じメンバーの人には、しっかりと顔を覚えていてもらえたし、初対面でも感じの悪そうな人はいなかった。

 この調子なら二度目の護衛役もそつなくこなすことができそうだ。


 そんなことを考えつつ、仕事場での護衛中、他のクランに所属する探索者達が通路を行き来するのを何度か目撃した。

 その中に、彼女がいた。昨日、帰り際に肩がぶつかった女の子だ。


 彼女は一人だ。

 ソロで潜っているということは、やはり探索者ランク百位以内で間違いない。


「山口さん、ちょっと休憩入ってもいいですか?」

「ああ、トイレか? 見えないところでするんだぞ」


 苦笑いで応えながらも山口さんに許可を取り、そそくさと仕事場を離れる。

 行き先は勿論、彼女が向かった方角だ。


 ランキング上位の探索者など、早々お目にかかれない。

 もし、魔物と遭遇した場合、どんな戦い方をするのだろうかとか、単純に興味が沸いたのだ。


 だからアレだ、決してやましい気持ちがあるとかストーカーしようとか考えているわけではない。例えあの太ももが頭の中に浮かび上がっているとしても、それだけは全否定させてもらおう。


 だから煩悩よ去れ!


「……不味いな」


 妄想を止めて、すぐに意識を取り戻す。

 彼女は、この先に進んでしまったのか。


 そこはまだ電力の魔石が未設置で、人目を憚るようにして作られた隠し通路だ。つまり、未踏区域である。そしてすぐに思い出す。


 そう言えば、昨日は定期報告するのを忘れていた。ソロで潜ることができない以上、この機を逃す手は無い。ついでにしてしまおう。しかし問題は彼女だ。


 実を言うと、隠し通路の先が俺の目的地だ。

 故に、このままでは非常に不味い事態に陥るということだ。


 先を急ごう。

 このままでは手遅れになってしまうかもしれない。


 灯りの無い道を迷い無く奥へと進むこと数分、目的地が近づいてきた。と同時に、耳に届く音に焦る。


「っ、始まってるか……」


 真っ暗闇を駆け足で向かうと、バスケットコートほどの広さの場所に出た。手持ちの電力の魔石を四方に投げたのだろう、有り難いことに空間内は灯りに満ちている。

 この空間の中心部に彼女は一人で佇み、それを複数体の魔物が取り囲んでいた。


 見える範囲を確認した感じだと、魔物の種類は赤石蟻だけらしい。

 赤石蟻は赤色の石のような胴体を持つ蟻の魔物で、体長は小さいもので二十センチ前後、大きくなると五十センチを超えるものもいる。

 非常に固く防御力が高いのが特徴だが、動き自体は遅いので、冷静に対処すれば問題ない相手だと言えるだろう。


 当然、ランカーの彼女にとって、赤石蟻は相手にもならなかった。


「カッコいいな……」


 彼女の戦う姿は、まるで芸術作品でも見ているかのようだ。

 小型の刃物を両手に持ち、たった一人で次から次に仕留めていく。ついさっきまでそこにいたのに、瞬き一つすると別の場所へと移動し、背後から赤石蟻の首を狩る。手こずる様子など微塵もない。ただただ圧倒的な強さ……いや、暴力がそこにはあった。


 いやはや恐れ入った。これがランカーの実力ってやつか。

 同じ探索者とは思えない動きを披露しているじゃないか。


 肩を竦めながらも、その姿を見届ける。

 やがて赤石蟻を全て退治した彼女は、魔石や素材の回収をせずに踵を返す。


「っ、やばっ」


 見つかると面倒だ。ストーカー野郎と罵られるかもしれない。

 慌てつつも来た道を駆け足で戻り、俺は山口不動産の仕事場へと戻った。


「結構遅かったな? ウンコか?」

「いや、まあ……すみません」

「なあに、我慢できなくて漏らすよりいいさ!」


 山口さんに軽く肩を叩かれ、俺は頭を垂れる。ウンコじゃないと否定したいが、これも黙っておいた方がいいだろう。くそっ。

 それから暫くして、例の隠し通路から彼女が出てきた。


「……」


 山口不動産のクランメンバーを一瞥し、けれどもすぐに視線を外して門の出入口へと歩いて行く。

 あの様子だと、どうやらバレずに済んだらしい。

 そして気付いた。


「定期報告……し損ねたな」


 仕方あるまい。また次回、潜る時に隙を見てすることにしよう。

 溜息一つして、俺は肩を落とした。


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