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第15話

 篠原の言う恥ずかしい恰好とはどのレベルを指すのだろうか。学部生時代、文化祭で女装やアニメキャラのコスプレをして歌ったことがある三喜雄は、それ以上に恥ずかしいのはもう裸しかないと思っているので、大概の恰好なら許せそうな気がする。

『グレーと黒の全身タイツに、頭にいるかやくじらをつけた帽子をかぶる』

 三喜雄が試しにそう送ってみると、失神したネコのスタンプがまず返ってきた。

『無い』

『そう?』

『だって片山くんの先生と友達来るんだろ? 俺も家族来るかもしれないし』

 あ、そうだな。北島さんががっかりするし、国見先生から呆れられそう。

 三喜雄は篠原の言葉に、受け狙いはやめようと考え直した。

『タキシードでよくない? シルバーならいるかっぽいけど、篠原くん持ってる?』

『それならいい。シルバーは無いけど、レンタルする』

 これも辻井と牧野に希望を伝えるということで、話がまとまった。そこで三喜雄は、さっきからもやもやしているので、プロになりたいと考えているのかどうかを篠原にずばりと訊いてみた。

『なりたいかと尋ねられたら、なりたいと答える。留学したら、あちらに残っても帰国しても、周りがプロと見なすから』

 篠原の言う通りだと思った。彼の現在の目標は、古楽を学ぶためにヨーロッパに渡ることだ。

『カナダのホストマザーに、ソリストとしての俺の歌を聴いてほしい。これもプロにならないと叶えられないと思う』

『具体的な夢があってうらやましい』

 三喜雄は篠原に返す。素直な思いだった。今の自分の気持ちを突き詰めると、知らない歌をできるだけ沢山歌ってみたいだけで、大学院が一番そうさせてくれるから選んだのかもしれない。

 今度は篠原が尋ねてきた。

『片山くんはプロになりたくないの?』

『なれると思ってない』

『そうなの?』

『だからプロ目指してるみんなと一緒に授業受けてたら、たまにしんどい』

 つい正直に返信したことを、三喜雄は軽く後悔した。こんな愚痴を篠原に言っても仕方ないのに。少し間が開いて、返事が来た。

『たぶん片山くんより歌えない人もプロ目指してるから、なれないかもとか今思わなくてよくない?』

 篠原の言葉は忌憚ないが、そういう発想はなかったので、ちょっと面白かった。彼のメッセージが続く。

『なれるかどうかじゃなくて、なりたいかどうかも大事だと思うんだけど』

 もっともである。三喜雄は少し考えて、今の自分に一番近い言葉を選ぶ。

『歌い続けたいとは思ってる、でもそれだけかも。それでお金とか要らないというか』

『何でそんな無欲なわけ笑。もしかして怖いとか? 俺は怖いけど』

『なるほど』

 怖いのかもしれない。大学院を出たら、「まだ学生だから」と言い訳できなくなる。今はいい声だとか何だとか、たまにちやほやされるが、掌を返されることもあり得る。

 ぽこん、と新しい吹き出しが画面に現れた。

『それでもプロかって言われたら、たぶん死にたくなると思う。でも自分が選んだ道だし、進むしかないし』

 篠原の言葉は、自分と三喜雄の両方に向けているようだった。あの時も、自分が選んだのだからと思い、歯を食いしばったと三喜雄は思い起こす。最近高3の頃のことがしきりに思い出されるのは、やはり後輩に似ている篠原と接しているからかもしれない。

 数分ののち、篠原からの新しいメッセージにスマートフォンが震えた。

『11月中旬に1回、本番の会場で歌ってみてもいいみたい』

『そうなのか、それはいいね』

 これでゲネプロを除いて3回、2人で合わせることができるので、良いものに仕上げられそうに思えた。愚痴につき合ってくれた篠原に礼を述べ、次回の練習の場所と時間を確認し合ってから、三喜雄はトークルームを閉じた。


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