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第14話

 コレペティテュアの牧野は、音楽療法士でもある。今回のコンサートは彼女が企画立案したそうで、クリスマスコンサートなので、ホームの近所の中学のハンドベルクワイヤも参加することになったと連絡がきた。

 牧野は急な電話を詫びながら、きびきびと話す。

「『恋するくじら』は、入居者さんとその家族に受動的に楽しんでもらうプログラムなのね、だから片山くんたちには観客を、いるかの言う『うみのみなさん』と思ってほしいの」

 三喜雄は牧野の話を聞きながら、どっちみち突っ立って歌うだけじゃ駄目だなと思った。

「観客参加型ということですか?」

「舞台に誰かを引っぱり上げるまではしなくていいから、皆を巻きこむ意識を持って歌ってほしいかな……中学生に、海の生きものの恰好をして、客席に紛れてもらおうと思ってて」

 牧野がわざわざ電話でこんなことを伝えてきたのには、理由があった。三喜雄と一緒に舞台の場当たりをある程度固めたと、篠原から聞いたのだという。その牧野の報告に、三喜雄のほうがびっくりした。

「2人でやる気になってくれてるみたいだから、次の練習までに伝えたかった」

 牧野の声は低い目だが、楽し気なことは伝わってきた。彼女は、会場の写真と見取り図を送るから、動きの参考にしてと言って電話を切った。

 牧野からメールがすぐに来たので、添付されているデータを開いた。写真を見ると、少しだけ段上がりになった舞台にグランドピアノが置かれていて、パイプ椅子を並べた客席が舞台に近接している。客席となるスペースに通路を確保できるかわからないので、観客を巻き込むために客席の中を行き来するようなことは、あまりしないほうが良さそうだ。

「どれくらい椅子が入るのか訊いたらよかった……」

 三喜雄はひとりごちて、篠原と決めた動きが舞台の上でできるかどうかを、見取り図を開いてシミュレーションする。舞台も会場も割と広そうなので、もっと大きく動いてもいいだろう。ホールのように客席が段上がりになっていない会場は、動きがちまちましていると後方席から舞台が見えず、観客のフラストレーションになってしまう。

 辻井が大学に来た日、共同研究グループから交通費と出演料が出ると聞き、三喜雄は嬉しさと同時に緊張感を覚えた。これは、プロとして演奏することを求められる「仕事」で、ライブハウスで軽食つきで楽しく歌うのとは違う。ミスなく演奏することは当然で、観て面白いプラスアルファを観客に提供しなくてはいけない。

「プロとして……」

 楽譜と場当たりを照らし合わせる作業が一段落着くと、少し疲れを感じた。

 三喜雄は自分の声楽に対する姿勢が不真面目とも甘いとも思っていないし、専門教育を受けている自負を持って常に演奏に臨んでいるつもりだ。でもそれを、プロになるためにやっていると思われることに抵抗があった。

 しかし最近、「プロになる気は無い」と周囲に言い続けることに、矛盾や罪悪感のようなものを覚え始めている。なぜなら、才能があるのに、諸事情で芸術系の大学や大学院に行くことができない人も世の中には多く、運よく勉強させてもらっている自分がプロを目指さなくてどうする、と思わなくもないからだ。

 だいたい篠原は午後9時辺りから身体が空いているようなので、三喜雄は時計を確認してから、メッセージアプリを開く。彼のところにも牧野から連絡があったらしい。

 舞台が広いので、もう少し大きく動いてもいいかもしれないという話が一段落すると、篠原が振ってきた。

『ところで俺たち何着て歌うの?』

彼の出した話題を、全く意識していなかったことに三喜雄は気づく。これは何気に大切だ。

『牧野先生、中学生に海の生きものの恰好をさせたいって言ってたから、俺たちもそれに準ずるのでは』

『マジ? あまりに恥ずかしいカッコは断固拒否』


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