「どこだここは? 俺の家じゃないよな……」
泉に潜ったはずが出たところは人ん家の風呂場の浴槽。
俺はびしょびしょに濡れた服のまま風呂場の戸を開けた。
すると目に入ってきたのは正座をしているさえないおじさんとあぐらをかく自称神の幼女の後ろ姿だった。
「な、なんじゃお主、どこから入ったわさ!?」
「おいおい、嘘だろ。元の世界じゃないじゃないか」
「こら、聞いてる……って。ん? お主はこの前異世界送りにした者じゃないわさ?」
「ああ、そうだよ。憶えていたかこのガキ。俺を変な世界に落としやがって」
「憶えているわさ。それよりそのびちゃびちゃの服で畳の部屋に入ってくるんじゃないわさ」
幼女は棚からタオルを引っ張り出し俺に投げつける。
「とりあえずこいつで拭くんだわさ」
俺はタオルで体全体を拭きながら、
「なあ幼女、ちょっと話があるんだが……」
「今はこの者の相手をしているんだわさ。ちょっと待ってるんだわさ」
そう言っておじさんを指差す幼女を黙ってみつめる。
「こほん、思わぬ邪魔が入ったけど続けるわさ。小林正幸、お主は蟻を千五百二十二匹殺しているから有無を言わさず地獄行きだわさ」
「そ、そんな……勘弁してくださいよっ。子どもの頃の話じゃないですかっ」
幼女にすがりつくおじさん。
はたから見たら誤解される絵面だな。
「おねがいします、おねがいしますよ神様仏様~」
幼女相手に恥も外聞もないおじさんだなぁ。
「うちは神であって仏ではないわさ。それより離れるわさ、暑苦しいわさ」
巫女さんのような服をおじさんに引っ張られながらもそのおじさんを足蹴にする幼女。
……カオスだ。
「地獄は勘弁してくださいよ。わたしには妻も子どももいるんですよ~」
「だからなんなんだわさ。関係ないわさ。え~い、しつこいわさ」
泣きつくおじさんにいらつく幼女。
「官吏の者よ、この人間をおとなしくさせるわさっ」
幼女がそう叫ぶとガタイのいいイカツイ男が入ってきておじさんを取り押さえた。
「勘弁ふぐふぐっ……」
「ふぅ~。やっと静かになったわさ。では地獄に送るわさ」
幼女は俺の時と同様またしても奇妙な舞いを踊り始めた。
「あっそ~れ、怖~い怖~い地獄へ~、行っちゃえ行っちゃえ行っちゃえ~!」
短い手足をぷるぷる震わせながらもぴーんと伸ばす。
すると数十秒後、おじさんの足元にぽっかりと穴が開きおじさんは「ぐわっ、助けて~!」と言いながら穴の中に落ちていった。
幼女はくるりと振り返り、
「で、話ってなんだわさ?」
何事もなかったような顔で訊いてきた。
「お前いつもこんなことやってるのか?」
「まあそうだわさ。でも大変だけどやりがいはあるわさ」
「いや……っていうかお前にかかったらほぼ全員地獄送りなんじゃないか?」
「そんなことないわさ。天国に行く者も百人に一人くらいはいるわさ」
平然と答える。
そんなだから地獄で人手が足りなくなるんじゃないのか。
「まあいい。それで俺の話ってのはだなぁ、俺を元の世界に戻してほしいんだ」
「……何を言っているのかわからないんだわさ。もちょっとちゃんと説明するんだわさ」
「だから、俺を元の世界に、戻してくれ」
「出来る訳ないわさ。お主はすでに自分の世界で寿命を全うしたわさ。お主が言っているのは生き返してくれって言っているのと同じことなんだわさ」
つまらなそうに言う幼女。
「じゃあ、それで頼む」
「じゃあ、それで頼む……じゃないわさっ。死んだ者を蘇らせるなんて神でも簡単に出来ることじゃないわさ」
「簡単に出来ることじゃないってことは出来なくもないってことだよな?」
「う~む。それは……」
「頼むよ。俺まだ高校生なんだ! 童貞なんだ!」
「……お主、言ってて恥ずかしくないのかわさ?」
目を細める幼女。
呆れているのかもしれない。が、俺にとっては切実だ。
「そもそもお主は地獄行きだったはずだわさ。それを異世界送りにしてやっただけでも感謝してほしいわさ」
「感謝はしてるさ。でもそこをなんとか頼む!」
「虫が良すぎるわさ。さすがにそれは出来ないわさ」
俺が何を言っても暖簾に腕押しだ。
幼女が相手ながらちょっと腹が立ってきたぞ。
「大体お前の天国行き地獄行きの決め方が悪いんじゃないのか。もうちょっと天国行きを増やせよ。さっきのおっさんだって蟻殺したくらいで地獄行きって可哀想だろ」
「うちに向かって意見を言うとはいい度胸だわさ。もういいわさ。官吏の者こやつをおさえつけるわさ」
幼女がそう言うとさっきのガタイのいい男が部屋に入ってきた。
無言で俺を取り押さえようとする。
だが、俺はそれをひょいとかわすと逆に男を床に押さえつけてやった。
「なっ!? 何をするんだわさっ。神の官吏に歯向かうなんてやっちゃ駄目なんだわさ」
「知るか。俺はお前のおかげでかなり強くなったんだ。こんな男が何人来ようが無駄だぞ。さあ俺を生き返らせてくれ」
「むぅ~、神相手に脅迫とはお主はなんて奴だわさ」
脅迫しているつもりはないのだが、そう思われても仕方ないか。
俺は異世界に行ってから性格が少々過激になったのかもしれないな。
「わかったわさ。お主に生き返るチャンスを与えるわさ」
「チャンスじゃなくて生き返らせてくれよ」
「それは本当に無理なんだわさ。神であるうちと勝負して勝った者だけが生き返ることが出来るんだわさ」
と幼女は言う。
「わかったよ。それでいいから頼む」
「では今から勝負をするわさ。その前に官吏を放してやってほしいわさ」
「あ、ああ。すまない」
俺は男を解放した。
「で、勝負って何をするんだ?」
じゃんけんとかかな?
まさかこの幼女と闘うってことはないよな……。
「勝負の方法は……」
するとドラムロールがどこからともなく聞こえてきた。
ダララララ……ジャカジャン。
「……勝負の方法はすごろくだわさっ!」
「すごろくだって……!?」
「そうだわさ」
「生きるか死ぬかって大事なことをすごろくで決めるのか?」
「そうだわさ。別に嫌ならやらなくてもいいんだわさ。お主は生き返れないだけだわさ」
「う~、やるよ。それしか生き返る方法はないんだろ」
「それでいいわさ」
幼女が満足気に首を縦に振る。
「ルールを説明するわさ」
「いいよ、別に。すごろくくらい知ってるから」
「ふーん。じゃあ早速始めるわさ」
「先攻は譲ってやるわさ」
サイコロを二つ俺によこしてくる。
「おう、サンキュ」
俺は二個同時にサイコロを振った。
すると突然、
ビービー!
と警報のような音が部屋中に鳴り響く。
「おい、なんだこの音」
「不正をした時の警告音だわさ」
笑みを浮かべながら言う。
「不正ってなんだよ。俺は不正なんてしてないぞ」
「お主はサイコロを二つ振ったわさ」
「だからなんだって言うんだ」
「このすごろくはサイコロ一つでやるものだわさ」
幼女がにやり。
「お前がサイコロ二つ渡してきたんだろうがっ」
「二つ振れとは言ってないわさ」
「卑怯だぞ。そんなこと俺は知らなかったんだから……」
「お主が説明はいらないって言ったんだわさ」
「それは普通のすごろくだと思ったからだよ。違うなら違うって言えよっ」
「もう遅いわさ」
警告音はビービーとまだ鳴っている。
「おい、この音どうやったら止まるんだよ」
「お主がうちに1000ゴールド払えば止まるわさ」
「1000ゴールドってなんだ?」
「所持金だわさ。どっちかがゴールした時に所持金をたくさん持ってた方が勝ちなんだわさ」
「くそっ、そうなのか……で、俺は今いくら持ってるんだ?」
「1000ゴールドだわさ」
楽しそうに言う幼女。
「全額じゃねぇか!」
「ほら、さっさと払うわさ。耳が痛くて堪らないわさ」
片手で耳を塞ぎ、もう片方の手でお金を催促する。
「ちっ……これで文無しだ」
「ちなみに言っておくとマイナスになった瞬間負け決定だから注意するわさ」
なんだと!?
もう俺の所持金は0だぞ。
「そういうことは先に言っとけ」
「ふふ~んだわさ」
俺はサイコロを一つ持って振った。
「よし、六だ!」
出た目は六。
俺は駒を動かそうとして、
「駒はどこにあるんだ?」
駒がないことに気付く。
「ふふ~ん、駒はお主だわさ」
幼女はどーんと俺をいきおいよく指差した。
その瞬間俺は小さくなりすごろくの駒になってしまった。
「このガキ、どういうつもりだ!」
小さくなっているので俺の声は幼女には届かない。
「早く六マス進むわさ」
淡々と言う幼女。
「くそ」
俺は渋々ボードの上を六マス分歩く。
ボードゲームは好きだが、まさか自分がすごろくの駒になるとは思わなかった。
だが最高の目が出たんだ。気分を切り替えよう。
「ほら、六マス歩いたぞ」
「じゃあ下に貼ってあるシールをめくるわさ」
「はいはい」
俺は六マス目のシールを小さい体ではがした。
そしてマスを見る。
そこに書いてあったのは【五マス戻る】の文字。
「なんだこりゃ」
「ほらほら、早く戻るわさ」
「なんだ、このクソゲーは」
俺は五マス戻った。
ちくしょう、実質一マスしか進めなかったじゃないか。
「次はうちの番だわさ。ほいっ」
サイコロを振る。
出た目は五。
「はい、じゃあうちも小さくなって……と」
そう言いながら小さくなっていく幼女。
「五マス進むわさ」
五マス歩いた。
そしてマス目のシールをめくる。
【五マス進む】
の文字。
「お前、いかさましてるだろっ」
「そんなことしてないわさ。でもうちは神だから運がめちゃくちゃいいんだわさ」
反則すれすれのきたない体質かよ。
ボードゲームでは有利すぎるだろ。
「五マス進むわさ。ほいほいほいっと」
なんだこれは……しょっぱなから九マスも差をつけられてしまった。
早く追いつかなくては。
俺は天に祈ってサイコロを振った。
すると出た目はまたも六。
「よっし。ついてるぞ」
俺は足を弾ませ六マス進んだ。
「シールをめくるぞ」
「どうぞだわさ」
マス目に書かれていたのは【相手から1000ゴールドもらう】の文字。
「よっしゃ、やったー! くれっ。1000ゴールド早くくれっ」
「うるさいわさ。ちゃんとやるわさ」
「へっ。これでイーブンだぜ。運がいいっていっても所詮こんなもんだな」
「はいはい、次いくわさ」
そう言ってサイコロを投げる幼女。
出た目は一。
「ほら見ろ、めちゃくちゃ運がいいなんて言った割には大したことないじゃねぇか、えぇ?」
「お主、人が変わったようだが大丈夫だわさ?」
「へへへ、ゲームは人を変えるんだぜぇ」
幼女は一マス分歩いて進んだ。
そこのマスのシールをめくる。
そこに書かれてあった文字は、
【相手から50000ゴールドもらう】
「なんだこの無理ゲーはっ!」
「ほっほ。お主の所持金はマイナス49000ゴールドだわさ。ということでうちの勝ちだわさ」
「いんちきだ。いかさまだ。こんなのあり得ないだろっ」
「往生際が悪いわさ。そんなんじゃ女子にモテないわさ」
「生きるか死ぬかの時にそんなこと気にしてる余裕ないわっ」
ピロリロリーン!
急にへんてこな音が鳴る。
「……なんの音だよ、今の」
「ゲーム終了の合図だわさ」
言うと幼女も俺も元の大きさにぐんぐん戻っていった。
「うちが勝ったからお主は地獄行きだわさ」
「ちょっと待ってくれって、神様~」
「……お主、こんな時だけうちを神扱いするとはこずるいを通り越して逆にすがすがしい奴だわさ」
「だったら俺を天国に――」
「それは駄目だわさ」
ぴしゃりと幼女に断られる。
「でも……」
と幼女は話し出し、
「うちも鬼じゃないわさ。お主が異世界で悪者退治をしてきたのも知っているわさ。だからもう一度だけチャンスをやってもいいわさ」
「え……またすごろくとか?」
「そうじゃないわさ。お主を異世界に戻すわさ」
「……は?」
意味が分からない。
俺は苦労して魔族だらけの異世界からここまで帰ってきたというのに。
「お主が異世界で悪者をあと千人くらい倒したら、その時はまたすごろくの相手をしてやるわさ」
「千人倒してすごろくかよっ! いやいや……」
冗談きついぜ。
「あのな、俺は何も多くを望んでいるわけじゃ――」
「官吏よ、全員出て来るわさ!」
幼女が叫ぶ。
するとムキムキマッチョな男たちがわんさと部屋に入ってくる。
「おい、なんだよこいつら……って近寄るなっ。放せったら」
強引に俺を畳に押し付けた。
トリプルアクセルを使っているのにはねのけられない。
……っ!?
なんとか顔を動かし男たちを見ると男たちもまた俺と同じように黄色く輝くオーラを纏っていた。
「なっ、反則だぞ……こんなのっ」
そうこうしているうちに幼女は不吉なことを口走りながら珍妙な踊りを舞い出した。
「あっそ~れ、元いた異世界に~、飛んでけ飛んでけ飛んでけ~!」
最後にぴーんと伸ばした短い手足がまたもぷるぷる震えている。
まずい。
数十秒後には足元に穴が開いて異世界に落とされるはずだ。
俺は力を振り絞り覆いかぶさっている男たちを押しのけ、じわじわと立ち上がる。
俺は魔力を全開にして、
「んおおおりゃあああぁぁー!!」
思いきり力んだ。
フルパワーの魔力が男たちをはねとばす。
「ありゃ~、こりゃすごいわさっ……」
床に穴が開かれる寸前、俺は畳を蹴って跳び上がった。
「ほら見ろガキ、同じ手にかかるかよっ」
だが、すました顔の幼女は人差し指を上げて言う。
「上を見てみるわさ」
えっ、上?
っ!?
俺が見上げると天井にもぽっかりと穴が開いていた。
「なっ……てめ」
ブラックホールのように俺はいきおいよくその穴に吸い込まれてしまう。
あっという間にさっきまでいた和室の光が小さくなっていく。
真っ暗な空間をすごい速さで吸い込まれ続けている感覚。
「くそガキ~。憶えてろよー!」
俺の声さえも吸い込まれてしまってもう幼女には届かない。
亜空間をすごい速さで移動し続けること数十秒。
突然目の前が明るくなったと思ったら俺はブラックホールにぺっと吐き出されるようにして宙に飛び出た。
雲が俺より下にある。
そして重力に引き寄せられるように落ちていく俺。
ぐんぐんと地面が近付いてくる。
「……あれは、闘技場か?」
風を受けながら目を見開く。
目の前まで迫ってきているのは見覚えのある闘技場。
そして、
ズシーン。
魔王城の中庭にある闘技場に下り立った。
石畳に足がめり込む。
その足を持ち上げ、周りを見渡した。
そこには沢山の魔族と、
「クルル。クルルじゃないかっ!」
モレロがいた。
「お前、戻ってきたのか?」
駆け寄ってくるモレロ。
数十時間ぶりの半魚人の顔のどアップ。やっぱり生理的に受け付けない。
「あ、ああ。まあな」
不本意だがな。
「ちょうどよかった。お前がいなくなったから新しい幹部を今から選ぼうとしていたところだったのだ」
モレロが手を広げる。
なるほど、そうか。
ここに集まっているのは幹部候補か。
「お前もこいつらに混じって幹部試験を受けろ」
妙に楽しそうに喋るモレロ。
「え……俺がか?」
「ああ。手加減はしないから覚悟しろよ」
その言葉を聞いていた魔族たちが、
「嘘だろ、手加減しないってよ」
「やばい、オレ下りるぞ」
「おれも!」
我先にと闘技場を下りて逃げ出していく。
「ふん、軟弱な奴らめ」
結局、闘技場の上に残ったのはモレロと俺だけだった。
とそこへ、
「クルルさん、戻ってきてくれたんですね!」
ゲッティが姿を見せる。
隣にはアマナもいた。
「何よ。帰ったんじゃなかったの、あんた」
不機嫌そうなアマナ。
「いろいろあったんだよ」
「姉さん、素直じゃないんだから。クルルさん聞いてください、姉さんたら――」
「それ以上言ったら殺すわよ、ゲッティ」
「あ、ははは……ごめん姉さん」
本気のにらみに両手を上げ降参ポーズをとってみせるゲッティ。
「クルルさん、ミケさんにも早く会ってあげてください。すごく喜ぶと思いますよ」
「ああ、わかった」
俺は魔王城に入っていく。
勝手知ったるなんとやら。
足が自然と四階の幹部の部屋に向かう。
俺の部屋だった場所を通り過ぎて隣のミケの部屋をノックする。
トントントン。
「はいニャ~。今出ますニャ~」
ミケの声が返ってきた。
ドアが開く。
「どちら様で……ニャ~!? クルル様ですニャ~! 会いたかったですニャ~! クルル様~!」
がばっと抱きついてくるミケ。
ミケの体温が伝わってくる。
ふかふかの毛並みと合わさって実に心地いい。
俺はミケの頭を撫でた。
「クルル様、もう勝手にどこかに行ったりしないでくださいニャ~!」
ミケが涙をぽろぽろ流す。
それを見て罪悪感を覚える。
「なんか、悪かったな……一人にして」
というか一匹にして。
「あ……一人ではないんですニャ~」
「実は」と前置きして、
「ヨミ様と一緒に暮らすことにしたんですニャ」
ミケは後ろを振り返った。
俺は体をずらしてミケの後ろを見る。
ミケの大きな体でさっきまで見えなかったがそこにはヨミがいた。
「ど、どうも」
ヨミがすすっと近寄ってくる。
「ヨミ様が魔王様じゃない時はここで同居しますニャ」
「そ、そういう訳なんです」
「そうなのか。よかったじゃないか二人とも」
ヨミは前より表情が明るい。
前髪をちょっと切ったのかな……。
そこへ、
「おーい、クルル。早く戻って来い! 幹部試験始めるぞっ!」
モレロが城中に聞こえるくらい大きな声を張り上げた。
「まったく……面倒くさいな」
「クルル様。お供しますニャ」
「わ、わたしも……」
はぁ~……しばらくはこっちの世界に厄介になりそうだし、また魔王の配下になってみるのも悪くないか。