「うわーっ」
「きゃあぁぁー」
目の前で仲間の勇者の首がちぎれる瞬間を見せつけられ、悲鳴を上げ逃げ惑う勇者たち。
我先にと散り散りになって逃げていく。
『……我は逃げる者は追わん、好きにするがいい』
ヨミは……というか魔王は逃げる勇者たちには目もくれないでいた。
魔王を恐れみんなが逃げ出す中、ただ一人の勇者だけは違った。
魔王をじっと見据えている。
「おれの名はパンドラ。ヴェルラ村の出身だ。おれが英雄になるために死んでもらうぞ魔王」
パンドラが魔王を指差す。
『……名を上げに来たか。よかろう、相手になってやる』
魔王は不敵に笑った。
「うおぉぉー!」
パンドラが剣を振りかぶり魔王に飛び掛かっていく。
素早い剣撃。
だが魔王はこれを軽々と素手で弾く。
『……この程度か?』
「まだまだっ!」
続けて攻撃を繰り出していくパンドラだったが魔王にはまったくダメージを与えられないでいた。
まるで大人と子どもの戦いだ。
完全に魔王に遊ばれている。
すると、
「くっ……やっぱり普通にやっても駄目か」
そう言うとパンドラは剣を投げ捨てた。
「あれ? 剣を捨てちゃったわよ。諦めたのかしら」
とアマナが言う。
しかしパンドラは諦めてはいなかった。
懐から魔術書を取り出したのだ。
『……うむ。それは【天の書】か?』
「ああ、これはお前の城の宝物庫から盗み出したものだぜ」
パンドラが懐から取り出した魔術書は以前【地の書】を盗まれた時に一緒になくなってしまった【天の書】だった。
『……お主が持っていたのか』
「ああ、とあるルートから手に入れたんだ。かなり高くついたがな」
パンドラは【天の書】を開いた。
「だが、おかげでおれは無敵だぜ」
言うなりぶつぶつと呪文を唱えた。
そしてパンドラが呪文を唱え終えると――パンドラは魔王そっくりに変身していた。
「あいつ、魔王様に変身したわよっ……!?」
魔王そっくりに変身したパンドラを見てアマナが声を上げた。
『……我に変身するとは命知らずめが。後悔させてやる』
「それはこっちのセリフだぜ」
魔王はパンドラに手を向けた。
『……疾風の遠雷』
パンドラもすかさず同じポーズをとる。
「疾風の遠雷!」
互いの魔術が空中でぶつかり合い相殺された。
「なんだとっ。魔王様と互角だと!?」
モレロは驚きを隠せない。
『……灼熱の爆炎』
魔王の魔術に、
「灼熱の爆炎!」
同じ魔術で対抗するパンドラ。
またしても相殺される。
「……どうやらあの魔術、魔王様そっくりに変身するだけじゃなくて能力も魔王様そのものになるようですね」
ゲッティが分析する。
「じゃあどうするのよ、勝てないじゃない!」
「よくて互角か……」
とアマナとモレロが言う。
『……埒が明かんな』
「お前におれは倒せないぜ」
パンドラは言うがそれはお前も同じじゃないのか。
すると魔王が俺に視線を向けた。
『……クルルよ、お主がこやつと戦うのだ』、
「……え」
『……お主なら勝てるだろう』
と魔王。
それはつまり魔王より俺の方が強いってことか?
いやいや、さすがにそれは……。
『……早く来い』
「あっ、はい」
俺は魔王に促されるままパンドラの前に立った。
『……では頼んだぞ』
魔王が離れていく。
「なんだ、部下に任せようってのか? どういうつもりだ魔王!」
『……そやつと戦えばわかる』
「けっ、ただのガキじゃねぇか。こんな奴殺してもなんのぐふっっ!?」
パンドラは隙だらけだったので腹にパンチをお見舞いしてやった。
腹を押さえよろけるパンドラ。
「くっ……な、なんだと。お、おれは今最強の体を手にしているんだぞ……」
パンドラは前に手をかざした。
「くらえっ、灼熱の爆炎!」
すさまじい勢いの炎が俺に向かってくる。
俺はすかさず防御する。
黄色く輝くオーラによって防ぎきると俺は反撃に出た。
「ちょっと熱かっただろうがっ!」
飛び込んでパンドラの顔を力一杯ぶん殴る。
「がはっ……!」
後ろに吹っ飛び、地面を転がり回るパンドラ。
膝を震わせながらそれでもなんとか立ち上がってくるパンドラ。
「ど、どういうことだ……? 魔王より強い奴が……こ、この世界にいるなんて……」
そこまで言うとこと切れたように前にどさっと倒れ込んだ。
俺はパンドラが地面に落とした【天の書】を拾い上げると魔王に渡す。
「これどうぞ。魔王……様っていうかヨミ?」
顔を覗き込んでみる。がよく見えない。
どう呼べばいいんだろう。
すると魔王は、
『……我は魔王だ。ヨミのことを頼んだぞ』
重く低い声で言い放つ。
その直後、突然魔王は気を失って俺に寄りかかってきた。
支える俺。
「ちょっとクルル、どうなったのよ?」
「魔王様は無事か!?」
「クルルさん」
アマナたちが駆け寄ってきた。
俺は何も答えられなかった。
「魔王様とヨミさんは同一人物ですが別人格のようです」
そう説明するのはゲッティだ。
「おそらくですが主人格はヨミさんでしょう」
要するにヨミは二重人格ってことか?
一方が気弱な少女で、一方が魔王。
「そんなことってあるわけ?」
「姉さん。信じられないかもしれないけど僕たちはこの目で見たはずだよ」
「そうですニャ。ヨミ様が魔王様でしたニャ」
「うむ。オレも見たぞ」
「それじゃあ今はどっちなわけ?」
アマナがソファに横になっているヨミを見下ろす。
「ヨミ? それとも魔王様?」
「角が生えたままだから魔王様だと思う」
とゲッティが答えた。
ゲッティの言葉通りヨミには羊のような角が生えていた。
つまり今は魔王の人格ってことか。
でもヨミが魔王だったってことは元の世界に帰る装置を作ってくれるって話はなかったことになるのかな。
そう俺が考えた時、
『……案ずるなクルル。お主が元の世界に帰る方法ならエルリーが知っている』
ヨミが、いや魔王が起き上がった。
「魔王様!?」
「魔王様、大丈夫ですかニャ?」
『……大丈夫だ』
魔王はすっと立ち上がる。
「あの……元の世界ってなんですか?」
ゲッティが疑問をぶつける。
俺が答えられないでいると魔王が代わりに答えた。
『……クルルはこの世界の人間ではないのだ』
「えっ、どういうことですか魔王様?」
『……クルルは別の世界の人間だ。だからその世界に帰る方法を探しているのだ』
魔王の言葉にゲッティたち幹部が俺を見る。
「クルル様、本当ですかニャ?」
「ああ、そうだ。俺はこの世界の人間じゃないんだ。神様にこの世界に飛ばされたんだよ」
「神様ですって? 何よそれ?」
「神がこの世にいるというのか?」
「まあな。俺もよくはわからないんだが……」
あの幼女が本当に神様だったのかどうかは知るすべはない。
それより気になっていたことを魔王に訊く。
「元の世界に帰る方法をエルリーさんが知っているって言ってましたけどそれはどういうことですか?」
神隠しの森のことは聞いたがあの情報は役には立たない。
『……エルリーには元の世界に帰る方法をお主には言わないように口止めしておいたのだ。密書を使ってな』
密書だって?
モレロと一緒に運んだあの手紙のことか……。
「なぜそんなことを……?」
すると魔王は重い口を開く。
『……お主が元の世界に帰ってしまうのはもったいないと思ったからだ』
魔王は続ける。
『……幹部たちとも上手くやっているようだったし、ヨミにもよくしてくれていたようだったしな』
「はぁ」
確かにここの生活に馴染んではいたが。
『……お主がまだ元の世界に帰りたいと思っているならエルリーに話を訊くがよい。今度は我も邪魔はしない……』
魔王はそれだけ言うとふっと気を失った。
俺はすかさず倒れそうになった体を支えるとソファに寝かせた。
「クルルさん、元の世界に帰ってしまうのですか?」
「うーん、それは……」
「ふん、好きにすればいいんじゃないの」
「姉さんはそれでいいの?」
「べ、別にあたしはどうだっていいわよっ。帰りたいならさっさと帰れば」
「姉さん、待って」
アマナは部屋を出ていってしまう。
ゲッティも後を追うようにして出ていく。
「クルル、もしお前の世界に帰るつもりならその前にオレを倒してから行け。いいな」
モレロは俺の肩をばしっと叩くと振り返り部屋をあとにした。
「クルル様、帰らないでくださいニャ。ずっとこっちで暮らしましょうニャ」
ミケが俺の腕にしがみついてくる。
「ミケ……」
「ボク、クルル様と離れ離れになるのは嫌ですニャ」
そう言ってもらえるのはすごく嬉しいのだが……。
「ミケ、俺はやっぱり――」
「ニャニャ~!」
俺の話をさえぎるようにミケは部屋を飛び出していってしまった。
ヨミと部屋に二人きりになってしまった。
俺はヨミを見下ろす。
ヨミは気持ちよさそうに眠っていた。
「はぁ~……どうすればいいんだ」
三日後、俺は天使族の集落にいた。
エルリーさんに元の世界に帰る方法を教えてもらうためだ。
魔王も幹部も俺にこの世界に残るよう言ってくれたがやはり俺の本来いるべき場所はここではない。
「あら、クルルさん。いらっしゃい」
屈強な男の天使にエルリーさんのもとへ案内された。
「どうも、お久しぶりです」
「話は大体わかっています。元の世界に帰る方法でしょう?」
「はい」
俺がそう答えるとエルリーさんはわかっていたかのように立ち上がり部屋に飾ってあった掛け軸をずらした。
するとそこには隠し通路があった。
「ここを進んでいくと泉があります。その泉に飛び込んでください。そうすればあなたは元の世界へと戻れるはずです」
「本当ですか?」
そんな簡単に戻れるのか?
「ええ……でもいいのですか? 後悔しませんか?」
エルリーさんは優しい笑顔で訊いてくる。
「この世界もそんなに悪くないですよ」
「はぁ……まあそうですね……」
決心が鈍るようなことを言わないでほしい。
ただでさえここに来ることはみんなには黙って来てしまったのだから。
「あるべきものはあるべき場所に……そう思っていますから」
「そう……わかりました。ではこちらへ」
エルリーさんは俺を隠し通路へといざなった。
俺は掛け軸の裏にあった隠し通路に入った。
中は暗い。
「では、クルルさん。ごきげんよう」
そう言うとエルリーさんは掛け軸を元に戻した。
通路の中がさらに真っ暗になる。
俺は手探りで通路の中を進んでいった。
人一人通れるくらいの狭い通路をどんどん進んでいく。
一時間程歩いただろうか先の方に光が見えた。
出口だ。
視界が開けるとそこには青々とした泉があった。
「ここに飛び込めばいいんだよな……」
異世界でのとんでも体験もこれで終わりか。
そう思うとちょっと寂しくもあるが……。
俺は意を決して、
「せーのっ!」
と泉に飛び込んだ。
ぶくぶく……と沈んでいく。
泉の中は思った以上に深い、というか深すぎて下がどうなっているのかわからない。
まるで深海みたいに真っ暗だ。
まずい……息が続かない。
俺は一旦泉から上がることにした。
水を吸って服が重いが必死に水の中をかく。
トリプルアクセルを使っていてもなかなか上に進まない。
それでもなんとか意識を失う寸前で水の中から出ることが出来た。
「ぷはーっ!」
大きく息を吸い込む。
そして落ち着いて周りを見回した。
そこは通路の中の泉ではなく人の家の風呂場だった。