俺の膝の上ですやすやと眠っていたミケも声に反応して起き上がる。
俺とミケは窓から外を眺めた。
「あれがそうなのか……?」
馬車の窓から見えた景色は弥生時代の集落を連想させるものだった。
天使たちは思っていたよりだいぶ原始的な暮らしをしているのかもしれない。
馬車から降りた俺たちを筋骨隆々の男の天使二人が出迎えてくれる。
「エルリー様がお待ちです。どうぞこちらへ」
案内されるがままに俺たちは天使たちの後をついていく。
農作業をしている天使たちを横目で見ながら歩いていると、
「クルル様、ここは空気がおいしいですニャ~」
足元をついて歩くミケが俺を見上げて言った。
「ああ、のどかなところだな」
正直空気がおいしいうんぬんはわからないが、雰囲気のいい落ち着く場所だってことは同感だ。
「ミケ、あまりきょろきょろするな。失礼だぞ」
「はっ、すみませんニャ、モレロ様」
集落を見回していたミケがモレロに注意される。
あぶね、ミケがいなけりゃ俺が注意されてたとこだったな。
「こちらです」
そう言って天使たちは一軒のわらで出来た家の前で立ち止まった。
天使たちを先頭に俺たちも家に入っていく。
外から見るより中は意外と広かった。
わらで出来た椅子に腰掛けていたエルリーさんが立ち上がり、
「お待ちしていました……あら、使者の方が来るとは聞いていましたがクルルさんだったのですね」
俺を見て顔を明るくさせた。
「すみません。クルルとミケは来る予定ではなかったのですがついてきてしまいました」
モレロが一歩前に出てエルリーさんに頭を下げる。
「いいのですよ。来客は多い方が楽しいですからね」
「そう言ってもらえると助かります」
モレロは服のポケットから手紙を取り出すとエルリーさんに手渡した。
「魔王様からの密書です。お納めください」
「どうもありがとう」
優しい笑顔でこれを受け取る。
「拝見してもよろしいですか?」
「はい、もちろんです」
「では失礼して……」
そう言うとエルリーさんは手紙に手をかざし何やら魔術を唱えた。
すると何も書かれていなかった部分に文字が浮かび上がった。
それを無言で黙読する。
「……そうですか。わかりました」
エルリーさんは続けて言う。
「お手数ですが返事のお手紙を届けてもらえますか?」
「はい」
モレロが答えると、エルリーさんは男の天使から一枚の白紙を受け取ると手で紙をなぞった。
エルリーさんがその白紙を折りたたむ。
「では、これを」
「わかりました」
とモレロ。
俺にはよくわからなかったがどうやら魔術を使って文字を書いたらしい。
まあ、とにかく魔王に頼まれた任務はこれで終わりかな……。
俺はモレロとエルリーさんの顔色をうかがう。
と、
「クルルさん、何かわたくしに話したいことがあるのではないですか?」
突然エルリーさんの方から声がかかった。
訳知り顔で俺をみつめる。
「ええ……実は二人きりで話したいことがあります」
「いいですよ。奥の部屋でお話ししましょうか」
エルリーさんは奥に招き入れてくれる。
男の天使たちが「大丈夫ですか?」「我々も……」と気に掛けるが、
エルリーさんは、
「ここで待っていなさい」
と首を横に振った。
奥の部屋は暗く狭い造りになっていた。
そこで俺とエルリーさんは二人きりになった。
お互い椅子に座る。
「ここなら落ち着いて話せますね」
エルリーさんが口を開いた。
俺は気になっていたことを訊いてみる。
「……あの、俺のことどこまで知ってますか?」
するとエルリーさんは「ふふっ」と微笑してから、
「あなたが別の世界から来たということは知っていますよ」
と言う。
やっぱり。
エルリーさんにはエルザさんと同じ能力があるようだ。
「じゃあ単刀直入に訊きますけど、俺が元いた世界に帰る方法ってわかりますか?」
「本当に単刀直入ですね」
「すみません、他に相談できる人がいないので……」
「ふふっ、構いませんよ。若い方に頼りにされて悪い気はしませんから」
そう言って微笑むエルリーさん。
「ではわたくしも単刀直入に答えますね」
エルリーさんはそう前置きすると、
「クルルさん、あなたが元の世界に帰るには神隠しの森に行く以外ないと思います」
「神隠しの森?」
「ええ、そうです」
さも当たり前のように言われても俺はこの世界の人間じゃないからわからないのだが。
俺が眉を寄せたのを見てエルリーさんが詳しく説明してくれる。
「神隠しの森というのは別の世界と繋がっていると噂されている森のことで昔から多くの者がそこで失踪しているのです」
「はぁ……」
「逆に別の世界から神隠しの森を通ってこの世界にやってきた者もいます」
「本当ですか?」
「ええ。わたくしは実際にその者に会ったこともありますから」
にわかには信じられないがエルリーさんが俺に嘘をつく理由もないしな。
……神隠しの森か。
「幸か不幸か神隠しの森は魔王城のすぐ近くにありますからどうしても帰りたいのでしたら行ってみたらいいでしょう」
「魔王城の近くにあるんですか?」
「ええ、お城の北にある森がそうですよ」
なんだって!?
その森ならそんなこと知らずに何度か入ったことあるぞ。
「森の中をさまよっていればいつしか別の世界へといざなわれるはずです」
とエルリーさんは言う。
だが、ちょっと待てよ。
異世界って沢山あるんじゃないのか?
自称神の幼女がそんなようなことを言っていた気がする。
もしそうなら俺がいた世界にどんぴしゃで帰ることなんてほぼ不可能なんじゃないだろうか。
ぺろっ。
「うわっ!? ちょっと何してるんですか、エルリーさん!」
「隙だらけだったからつい」
舌をぺろっと出し反省したそぶりを見せるエルリーさん。
つかみどころのない人だな……まったく。
「ここ以外の世界って沢山あるのですね」
俺の記憶を読んだエルリーさんが言った。
「はい、多分」
「だとすると神隠しの森からあなたがいた世界に帰ることはかなり難しいかもしれませんね」
「……はい」
俺とエルリーさんはそう結論付けた。
結局、数時間馬車に揺られエルリーさんに会いに来た甲斐もなく、元の世界に帰る方法はみつからなかった。
駄目もとで神隠しの森に行ってみよう、なんて気にはなれない。
もっとふざけた世界に飛ばされたら目も当てられないからな。
神隠しの森は最後の最後、どうしても他に帰る方法がみつからなかった時にまた考えるとしよう。
天使族の集落から魔王城に戻って三日。
異世界に帰る方法は未だみつからない。
俺は一縷の望みを託して何十万冊と蔵書があるという古い書庫をあさっていた。
だがそこにあったのは役に立たない古びた魔術書ばかり。俺には必要のない物だ。
八方ふさがりで参っていると、
「あんた、こんなところで何してるの?」
アマナが書庫の扉に寄りかかりながらこっちを見ていた。
「いや、ちょっと探し物を……」
「ここには魔術書しかないわよ」
「そうなのか」
やはりそうだったか。
探しても探しても訳のわからない魔術書しかなかったからな。
「そんなことよりあんた今日暇?」
つっけんどんな態度で訊いてくる。
「だったらなんだ」
「暇かどうか訊いてるのよっ。暇なの、暇じゃないの!」
いつにも増して当たりが強い。
虫の居所でも悪いのか。
「暇だよ」
「だったら今日一日あたしに付き合いなさいよ、いいわね」
「王様か? お前」
理由も言わずそんな命令聞けるわけないだろ。
「姉さんに協力してやってもらえませんか?」
見るとゲッティが反対側の扉に寄りかかっていた。
もっと普通に登場しろよ。
「協力ってどういうことだ?」
「僕たちが双子の姉弟なのは知っていますよね。実は上にあと二人姉がいるんですがこの二人が姉さんに輪をかけて性格が悪くて……」
「ちょっとゲッティ」
にらみを利かすアマナ。
「ああ、ごめん姉さん。まあとにかく今日僕たちは毎年恒例の麒麟族のパーティーのために実家に帰ることになっているんですけど姉さんは上の姉二人にバカにされないように強い人間を連れて帰りたいんですよ」
「……話が見えないんだが」
「僕たち麒麟族の女性は強い人間のペットを戦わせ合う娯楽を昔から楽しんでいましてね、上の姉二人は格段に強いペットを飼っているんです。それに比べて姉さんは今まで人間のペットを飼ったことすらないんですよ」
「アリーべとデルチのことだから絶対またバカにしてくるに決まってるわ」
「あ、アリーべとデルチというのは姉のことです」
ゲッティが補足する。
「要は俺にアマナのペットになれってことか?」
「要約するとそんな感じです」
「断る」
誰が好き好んで魔族のペットになんかなるか。
「もちろん振りですよ、振り。本気でクルルさんをペットにしようだなんて思っていませんから」
「それでも断る」
「……そう。別にいいわよ。アリーべたちにバカにされるのはもう慣れっこだし」
意外とあっさり諦めたな。
「邪魔したわね」
そう言ってアマナは書庫を出ていった。
「クルルさん……どうしても駄目ですか?」
「悪いな」
姉思いなのはいいことだが俺にもプライドってものがある。
「わかりました。変なことを頼んでしまってすみませんでした」
ゲッティは去り際、
「あっ、でももしよろしかったら麒麟族のパーティーには是非顔を出してください。見たこともないような料理の数々が振る舞われますから」
「ああ、気が向いたらな」
「では失礼します」
言って出ていく。
人間をペットにして戦わせるなんて悪趣味だなぁ……まったく。
俺は魔術書を片付け書庫をあとにすると自分の部屋へと戻った。
「おかえりなさいニャ、クルル様」
ミケが毛づくろいをしながら俺を出迎える。
どうでもいいがミケは自分の部屋があるにも関わらずしょっちゅう俺の部屋に入り浸っていた。
昨日の夜も俺の部屋で眠りについたくらいだ。
「クルル様。ボク麒麟族のパーティーに行ってみたいですニャ」
尻尾をおどらせながらミケが言う。
「ん、なんでパーティーのこと知ってるんだ?」
「さっきゲッティ様が来て教えてくれたんですニャ」
「ふーん、そうなのか」
「おいしい料理がいっぱい出るらしいですニャ」
「おい、俺の部屋でよだれ垂らすなよ」
ミケはよだれを前足で拭った。
「行きたいですニャ。一緒に行きましょうニャ、クルル様~」
喉を鳴らしすり寄ってくる。
体毛がふわふわで気持ちいい。
「わかった、わかった。じゃあ一緒に行ってみるか」
「はいニャ!」
ミケは首を大きく縦に振った。
元の世界に帰る方法はひとまず置いておいてせっかくの機会だ、おいしい料理をごちそうになるか。
俺はミケの背中に飛び乗った。
「そういえばアマナたちの家どこにあるか俺知らないけど……」
「大丈夫ですニャ。ゲッティ様が教えてくれましたニャ」
俺を見上げながら返すミケ。
ゲッティ、さすが抜け目のない奴。
俺たちは二十分程でアマナたちの家に着いた。
家というにはあまりに大きな豪邸だった。
そこにはキリンのような角を生やした男女が大勢集まっていて外で立食パーティーが開かれていた。
「広いですニャ~」
「そうだな」
すると俺たちに気付いたゲッティが手を上げてそばに寄ってくる。
「クルルさん、ミケさん。いらしてくれたんですね」
「ああ、ミケがどうしてもって言うからな」
「クルル様も来たがってましたニャ」
「はははっ、お二人がいらしてくれて嬉しいです」
爽やかな笑顔のゲッティ。
「ボクお腹がすきましたニャ。何か食べさせてもらってもいいですかニャ?」
「もちろんですよ。ここにある料理、好きなだけ食べてください」
ゲッティが両手を広げ周りを見回す。
「本当ですかニャ。では早速いただきますニャ!」
そう言うとミケは近くのテーブルの上に並べられた大皿の肉料理にかぶりついた。
「いいのか? あいつここにある料理全部平らげる気満々だぞ」
その証拠にミケの体は大きいままだ。
来る途中「この体の方がいっぱいお腹に入りますニャ」とか言っていたからな。
「大丈夫ですよ。料理はまだまだ出てきますから」
「それならいいが」
料理にがっつくミケの背中を眺めていると、
「ちょっとクルルじゃない。なんであんたこんなとこにいるのよ?」
背後から声をかけられた。