「……ミケじゃないよなぁ」
あいつは今頃は自分の部屋で熟睡しているはずだしな。
俺は悲鳴を上げる体を動かしてドアの前に立った。
鍵を開けドアノブを回しドアを押す。
「……こ、こんばんは」
そこにいたのは所在無げに立つヨミだった。
普段通り白衣姿でうつむいている。
「どうした? こんな時間に」
「す、すみません。夜分遅くに……」
「別にいいけど、何か用か?」
「……あ、あの。お礼がしたくて来ました」
お礼?
「……ウルチ村で助けてもらったお礼に……こ、これ、どうぞ」
ヨミが差し出してきたのは一粒の紫色の錠剤だった。
「これ、何?」
……見るからに怪しいが。
「……クルルさんが特訓しているって聞いて、わ、わたしが作りました……」
「うん……だからこれ何かな?」
「こ、これを飲めばどんな疲れも痛みも吹っ飛びます……へへへ」
口裂け女のように不気味に笑うヨミ。
「俺のために作ってくれたのか?」
「……は、はい」
ゆっくりと小さくうなずく。
こんな夜中までかかって人見知りなのに俺のために薬を作ってくれていたのか。
これを断ったら男じゃない。
俺はヨミの手の上の錠剤をつまむとええいままよ、と口に放り込んだ。
ごくん。
水なしで飲み込んでやったぞ。
疲れが消えなくてもいい。
痛みが消えなくてもいい。
今の状態より悪くならないでくれればそれでいい。
そう期待を込めて効果が表れるのをじっと待った。
ヨミも祈るようなポーズで俺を見上げている。
とその時、嘘のように疲れと痛みがぱあーっと消えてなくなった。
さっきまで満足に動かせなかった手足も軽い軽い。
「すごいぞ、これ。やるなぁヨミ」
「へ、へへへ……」
俺は思わずヨミの頭をくしゃっと撫でた。
その拍子にヨミの前髪が上がり目元があらわになる。
ヨミの瞳は透き通ったルビーのような赤い色をしていた。
ヨミは慌てて前髪を両手で下ろした。
そんなヨミを横目に俺は「トリプルアクセル」と唱えた。
全身に黄色く輝く魔力を纏う。
「すごい、全然疲れない。これなら明日までどころか一ヵ月先までだってこの状態でいられるぞ」
「……よ、喜んでもらえてよかったです」
「ありがとう、ヨミ」
「い、いえ。どういたしまして。で、ではおやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
ヨミの背中を見送ってから俺はベッドにダイブした。
体が軽い。疲れを全く感じない。
薬が効きすぎて逆に怖いくらいだ。
俺は興奮に包まれながらも眠りについた。トリプルアクセル状態を維持したままで。
「おお。やるじゃないかクルル。まさか初日から丸一日トリプルアクセル常時発動をクリアするとはな」
モレロが手を叩いて感嘆する。
ヨミからもらった薬のおかげなのだがドーピングみたいでちょっと後ろめたいのでモレロには黙っておくことにする。
「一日をクリア出来たのなら常時発動は出来たも同然だ。あとは常にトリプルアクセルを発動し続ける自主練をするがいい。その内意識しなくても常に発動状態でいることが普通になるはずだ」
「ああ、ありがとう。モレロ。いろいろ手伝ってくれて感謝してるよ」
「水臭いことを言うな。オレたちは仲間だろう」
ばしっと肩を叩かれる。
叩かれた肩の部分がちょっとだけ濡れた。
「何してるのあんたたち?」
「こんにちはモレロさん、クルルさん」
アマナとゲッティが階段を下りてきた。
「トリプルアクセルの特訓中だったのだ。すごいぞ、クルルの奴一日で常時発動をほぼマスターしたのだ」
「へ~、それはすごいですね」
モレロの言葉にゲッティが反応する。
「それってすごいのか?」
「すごいですよ、クルルさん。だって僕も姉さんもそんなこと出来ないですから。膨大な魔力があってこそ成せる業です」
「っていうかあたしたちはそもそもそんな非効率的な魔力の使い方はしないだけだけどね」
アマナは続ける。
「あんたは魔力が無駄に多いからそんな魔力の無駄遣いみたいな戦い方が出来るだけよ」
褒められてるのかけなされてるのかわからないな。
「まあ、魔術がトリプルアクセル一つしか使えないあんたには合ってるんじゃないの」
腰に手を当て偉そうに言う。
「そういうお前たちは何してたんだ?」
「僕たちは魔王様に任務の報告をしてきたところです」
俺の問いにゲッティが返す。
「首尾は上手くいったのだろうな」
「当たり前でしょ。あたしを誰だと思ってるのよ」
「そうか、すまないな」
モレロはアマナのあしらい方を心得ている感じだ。
さすが魔王と幹部たちの橋渡し役兼調整役だ。
「エルザさんは一緒じゃなかったのか?」
「エルザ? 知らないけどお城にいないの?」
「エルザなら二人とは別の任務で遠方に出ているところだ」
モレロが答えた。
そっか、エルザさんは二人とは別の任務だったのか。
「あたしたち疲れたから部屋に戻るわね」
「すみません、僕も失礼します」
アマナはだるそうにゲッティは頭を下げながら自分たちの部屋に向かって行った。
「ではオレも失礼する。やることがまだあるからな」
「ああ、またな」
「トリプルアクセルをマスターするまであと少しだ。頑張れよ」
「ああ」
俺はモレロとわかれると城の北の森に入りトリプルアクセルを発動し続けた。
それから俺は十日間かけて、無意識下でもトリプルアクセルを常時発動させ続けることに成功した。
今では普段の生活に支障が出ないくらいに力のコントロールも出来るようになっている。
モレロ曰く、完全にトリプルアクセルを極めたとのことだ。
だがモレロと喜びを分かち合ったその日の夜、衝撃的なニュースが魔王城に届いた。
エルザさんが死んだのだ。
「エルザが死んだですって!?」
アマナは驚きを隠せないでいた。
「うそよっ。エルザがそう簡単に死ぬわけないわ! あたしは信じないから!」
「姉さん……」
『……残念だが本当だ。エルザの遺体はそこの棺桶の中だ』
俺たちは棺桶に近付きエルザさんの遺体を確認する。
まるで眠っているように安らかな顔をしているが脈を測ると確かに止まっている。
「っ……」
アマナは部屋を飛び出していってしまった。
「申し訳ありません、魔王様。アマナを連れ戻しましょうか?」
モレロが訊く。
『……構わん。好きにさせろ』
ここは魔王の部屋。
夜中寝ていたところ幹部全員に話があるということで急遽俺たちは魔王に集められたのだ。
「魔王様、エルザさんはなぜ死んだのですか?」
顔を上げるゲッティ。
『……ヨミが調べたところによるとどうやら毒殺のようだ』
「毒殺!? 殺されたって言うのですか!?」
ゲッティが声を上げる。
『……死因になった毒は自然界には存在しないものだ。何者かが調合したのかあるいは何者かの能力か』
エルザさんが殺された?
誰にだ?
「エルザさんは誰に殺されたのですか?」
『……わからん。だが心当たりならある』
ゲッティの問いに魔王が静かに答える。
『……エルザには我が直々に命じていたことがあるのだ』
「魔王様、続きはこのモレロめがお話します」
モレロが一歩前に出た。
俺とゲッティを見ながら、
「エルザは遠方への任務ということになっていたが実は違う。ある者の監視をしていたのだ。そのある者とは最近魔王様の配下になったヤドクという魔族だ。こいつはこの魔王城の宝物庫に忍び込み禁断の魔術書を盗んだ疑いがあったのだ」
「ではそのヤドクという者がエルザさんを殺したと……?」
「魔王様とオレはそう考えている」
とモレロが説明する。
その時、
「じゃあそのヤドクって奴が犯人なのね」
後方からアマナの声がした。
振り向くとアマナが扉に寄りかかっている。
モレロとゲッティの会話を聞いていたらしい。
「アマナお前、出ていったんじゃなかったのか」
「姉さんっ」
「モレロ、そのヤドクって奴はどこにいるの?」
「今は自分の部屋で寝ているはずだが……どうするつもりだ」
アマナは冷たい視線でモレロを見返した。
「もちろん殺すわ」
深夜。
俺とモレロとアマナとゲッティの幹部四人はヤドクの部屋の前に立っていた。
「早まった真似はするなよ。あくまで今は容疑が掛かっているという段階に過ぎないのだからな」
「あんたこそ気を付けなさいよ。相手が毒を使うならあんたとクルルはあたしたちと違って耐性がないんだからね」
「おい、二人とも静かにしろよ」
俺はモレロとアマナに注意する。
もしかしたらこの部屋の住人がエルザさんを殺したかもしれないんだからな。
俺はドアノブを回した。が、
「鍵がかかってる」
「当たり前でしょ、バカなのあんた。ドアを吹っ飛ばせば済む話じゃない」
「姉さん、そんなことしなくても僕が開けるよ」
いきり立つアマナを制しゲッティがドアに向かって手をかざしぶつぶつと何やら唱え始めた。
「はい。クルルさん、もう一度開けてみてください」
「ん、ああ」
ドアノブを回しドアを引く。開いた。
「おお、すごいな。今のも魔術か?」
「はい、そうです」
魔術とは便利なものだ。
そっと部屋の中に入るとベッドの上の布団がふくらんでいるのが見えた。
それが目に入った瞬間、アマナが前に手を出した。
するとアマナの手を中心にして魔法陣が浮かび上がる。
「疾風の遠雷!」
アマナが言葉を発した刹那、魔法陣から電撃が走り布団に命中する。
衝撃で爆風が起こる。
「勝手な真似をするなと言っただろっ」
「こいつはエルザを殺したのよ。死んで当然よ」
布団は焼け焦げていた。
アマナはばさっと布団を勢いよくめくる。
「っ!? いないわっ……」
とそこへ、
「幹部四人が揃って来るとは驚いたが、禁断の魔術書を試すのにはうってつけだゲコ」
部屋の隅、天井付近から喉を潰したような不快な声が聞こえてきた。
俺たちは声のした方向を見上げるが誰もいない。
「疾風の遠雷!」
アマナが宙に向かって電撃を放った。
「危ないゲコッ」
電撃を避ける瞬間、ヤドクの姿が一瞬だが見えた。
蛙のような顔をしている。
「みなさん、あいつは後ろの背景に擬態して姿を見えにくくしています!」
ゲッティが叫ぶ。
パリイィィン。
俺たちの隙をつき部屋の窓ガラスを破り中庭に飛び出るヤドク。
俺たちも窓から中庭へと飛び降りる。
全員が闘技場の上に降り立った。
「あれ? あいつ……」
「どうした? クルル」
「いや、あいつ見覚えがあるんだ」
俺の前方に立つヤドクはいつぞや見たマフラーが印象的な蛙人間だった。
「お前が俺を幹部に選んだ時に最後まで残ってた奴だ」
「……おお、思い出したぞ。確かにいたな、あんな奴」
「ちょっとあんたたち無駄話はそれくらいにしなさいよ。あいつがエルザを殺した、でいいのよね?」
「そうだな。禁断の魔術書を盗んだのも奴で間違いないようだしな」
モレロの言葉を受けアマナは魔法陣を発動させる。
「それがわかれば十分よ! 怒涛の氷結!」
無数の氷の刃がヤドクめがけて飛んでいく。
ヤドクはそれをぴょんと宙返りでかわすと空中で大きな口を開けた。
「ぶはぁ~」
黒い息を吐き出した。
「モレロさん、クルルさん。多分あれは毒の息です。吸わないように下がってくださいっ」
ゲッティが手を広げ俺たちの前に立った。
アマナとゲッティは毒に耐性があるから毒の息をものともしない。
毒の息の中アマナは魔術を発動させて攻撃を続けている。
ゲッティも姉に続けとばかりに宙に魔法陣を発動させていた。
「ゲコ……お前らには毒が効かないようだなゲコ。それならば……」
服の内側から古びた書物を取り出すと、ぱらぱらとページをめくり「……」とつぶやき出した。
「あっ、あれは禁断の魔術書!?」
「モレロ、あれには何が書かれているんだ?」
「オレにもわからない。ただ……っ」
そこまで言ってモレロは固まった。
なんだ?
俺は目線を前に戻した。
!?
見るとヤドクがぐんぐんと大きくなっていく。
一メートル七十センチの俺とほぼ同じくらいの背丈だったのが、今では百メートルをゆうに超えている。
「何よこれ!? 反則でしょ」
「これが禁断の魔術……」
双子の放つ魔術攻撃を足にくらってもびくともしていない。
「ゲコゲコ。お前らの攻撃などもう効かないゲコ」
遥か上空からヤドクの声が降ってくる。
「潰れろゲコ」
パンチを放ってきた。
モレロが紙一重でこれをかわしたがパンチの風圧で吹き飛ばされた。
地面にはクレーターのような大穴が開いた。
モレロがバランスを崩したところに第二撃が落ちてくる。
「死ねゲコ」
「かはっ……!!」
ヤドクのパンチがモレロに直撃した。
拳を上げるとモレロは地面にめり込んでいた。
かすかにだが手足が動いている。
息はあるようだ。
「幹部もこうなってはただの雑魚だゲコ……ぶはぁ~」
またも毒の息を地面に向かって吐き出した。
今度は中庭全体が毒に覆われる。
「クルル、あんたはここから離れなさいっ!」
「クルルさん、逃げてください!」
アマナとゲッティが俺に逃げるよう進言するが俺は逃げるつもりなんてない。
俺は袖で鼻と口を覆い目一杯ジャンプした。
トリプルアクセルを常時発動している俺はヤドクの目の前まで跳び上がることが出来た。
「ゲコッ!?」
「魔術が効かないなら直接殴ってやるっ!」
俺は驚いた表情を浮かべているヤドクの眉間を百パーセントの力で撃ち抜いた。
ドゴオォォォォーンン!!
叫び声一つ上げずヤドクは後ろに倒れていく。それと同時に空気が抜けた風船のようにすごい速さで縮んでいく。
どさっと地面に倒れた時は元の大きさに戻っていた。
俺は落下しながら口の中にためていた空気を地面に向かって思いきり吐き出した。
毒の霧が晴れていく。