「……クルルさん、どうかしましたか?」
ヨミが俺の顔を覗き込むように訊いてくる。
「っ!?」
俺は辺りを見回した。
ここはウルチ村の入り口。
足を一歩踏み入れたところだった。
村人たちが俺たちを魔族を見るような目で見てきている。
「ヨミ、これは一体どういうことなんだ!?」
「?」
ヨミは頭の上にはてなマークを浮かべるが、いやいや、俺たちはさっき殺されたはずじゃ……。
「……だ、大丈夫ですか?」
「さっきのは……いや……」
俺は言葉に出そうとして口をつぐむ。
俺は確かにヨミの生首が地面に転がるのをこの目で見た。
夢だったのか……?
俺は後頭部に触れてみた。傷一つない。痛みもない。
勇者に後ろから斧でばっさりいかれたはずなのに。
……訳が分からない。
あんな鮮明な夢があるだろうか。
子どもを遊ばせていた母親が自分の子どもを連れて家に入っていく。
この光景はさっき見たぞ。
露店商の主人はこれでもかというくらい俺たちを睨んできている。
これも見た。
「なあ、ヨミ。お前何か不思議な力があるのか?」
例えば予知夢とか……。
「……よ、よくわかりませんが、小さい頃に似たようなことを訊かれた記憶はあります」
ヨミが首をかしげながらも答えた。
おそらくだがさっき体験した夢のようなものはヨミの力だろう。
そしてそれが予知夢の類いならこの後俺たちが教会に近付いたところで中年の男が現れるはず。
「のこのこ帰ってきやがって、この魔女め!」
教会の陰から中年の男が叫びながら石を投げつけてきた。
やっぱり!
俺はそれをかわすと「トリプルアクセル」と唱えた。
全身を黄色く輝くオーラが包む。
なおも石を投げてくる男に先導されるように数人の男女も石を拾う。
俺は目にもとまらぬ速さで移動し石を持った村人たちを地面に沈めた。
「きゃあっ」
ヨミの叫び声がして振り向くと、斧を持った奇妙な出で立ちの勇者がヨミを人質に取っていた。
「そ、それ以上近付くなよ。す、少しでも動いたらこの女の首をはねてやるからな」
斧をヨミの首元に当てる。
「勇者が女の子を盾にするのか?」
「う、うるさい! お、お前がエスペラードの勇者を殺した魔王軍の人間だろ。お前を殺せばぼくは億万長者になれるんだ!」
声を荒らげる勇者。
「う、動くなよ……」
斧を構えながらじりじりと近付いてくる。
こんな奴が勇者なのか。
俺は失望と怒りで手が震え出す。
俺の中の善と悪の概念がひっくり返りそうだ。
斧を押し付けられ、ヨミの首からは血が垂れていた。
「い、いいぞ、じっとしてろよ」
射程距離まで近付いた勇者が斧を振り上げた。
「死ねぇっ!」
ガキイィィン。
斧はまるで鋼鉄のような俺の首に当たり弾かれた。
「なっ!?」
衝撃の反動で勇者は斧を落としてしまう。
「お、お、お前は人間じゃないのかっ!?」
「人間さ」
俺は手を伸ばす。
「うわあぁぁぁー! 化け物ー!」
ヨミを解放して一目散に逃げ出す勇者。エリマキトカゲのようなかっこ悪い走り方で必死に逃げていく。
実害はほぼないからこのまま逃がしてやってもいいのだが、俺の脳裏にはヨミの生首の画が鮮明に刻まれている。
「人間の皮を被った化け物はお前だろ」
俺は瞬時に勇者の前に回り込み、握りこぶしを作って心臓付近を二割程度の力でドゴンと撃ち抜いた。
「がはっ……!?」
後ろに吹っ飛ぶ勇者。地面を転がっていく。
俺はヨミに近寄ると、
「大丈夫だったか?」
「は、はい。大丈夫です……へへへ」
なんとも薄気味悪い作り笑顔を見せられた。
「そっか。元気そうで何よりだ」
「は、はい」
ヨミには自分でも気付いていない力があるのだろう。
そして不遇の子ども時代に魔王に誘拐という形で拾われたのだろう。
うーん。魔王って一体どんな奴なんだろうな。
ウルチ村ではヨミの予知夢のような能力がなければ俺は死んでいただろう。
魔力が高いということにあぐらをかいて少々油断をしていた。
トリプルアクセル使用時は無敵のような状態になれるが、使っていない時は俺はただの人間だ。
ナイフで腹を一突きされただけでも死んでしまうかもしれない。
これから生き残っていくにはどうにかしなければ……。
「オレに相談とは珍しいな、クルル」
俺は同じフロアに暮らしているモレロの部屋を訪ねた。
魔術に関してはアマナかゲッティに訊きたいところだったが、二人とも部屋にはいなかった。
「魔術についてもっと詳しく知りたいと思ってな」
「ほう……だがオレなんかより双子の方が適任なんじゃないのか」
「正直に言うが、アマナとゲッティがいなかったからお前のところに来たんだ」
「ふっ。本当に正直な奴だな」
ニヒルな笑みを浮かべるモレロ。とはいっても結局半魚人なのだが。
「立ち話もなんだし、まあ入れ」
部屋に通された。
「おお、すごいな」
広い部屋の中は一面ガラス張りになっていてさながら水族館のようにありとあらゆる魚が泳いでいる。
見たこともない魚も沢山いた。
「三百六十度魚に囲まれていると落ち着くんだ」
「へー、そうなのか」
やっぱり半魚人だからか、とは訊かないでおく。
「魔術に関してだが実はオレもあまり詳しい方ではないんだ」
と前置きした上でモレロは、
「だがこの城の宝物庫には禁断の魔術書があるという噂だ。それを読めばたちどころに魔術が上達するという」
「その宝物庫ってどこにあるんだ?」
「さあな」
「さあな……っていい加減な奴だな」
「所詮噂だしな」
そう言って煙草に火をつけた。
「ふー」と煙を一吐きして、
「魔王様に訊いてみたらどうだ。機嫌が良ければ宝物庫の場所を教えてくれるかもしれんぞ。まかり間違えば殺されかねんがな」
煙草の灰を落とす。
死ぬリスクを減らしたいのにそんな不確かなことに命をかけてたまるか。
「そういうことじゃなくてだな、もっと現実的なことを訊いてるんだが」
「それならエルザに訊いたらどうだ……ってそういえばあいつは任務で遠出しているんだったな。う~む」
考えこむモレロ。
手には水かきがついているから煙草を挟みにくそうに持っている。
「クルル、お前は基本中の基本のトリプルアクセルしか使えないんだったな」
「ああ」
「ならばそれを極めるしかないだろうな」
鋭い眼光で俺をみつめる。
「それはつまりどういうことだ?」
「それはだな……トリプルアクセル常時発動だ」
「トリプルアクセル常時発動?」
「ああ。お前は戦う時だけ発動させているだろう。それを普通の何もしていない状態でも発動させておけば不意打ちをくらう心配もないし常に最強の状態でいられる」
「そんなこと出来るのか?」
「可能だ。かなり疲れるがな」
煙草をふかしながらモレロが言う。
「試しに今から明日のこの時間までトリプルアクセルを発動させ続けてみろ」
「食事の時も寝る時もか?」
「食事の時も寝る時も風呂に浸かる時も便所に入る時もだ」
俺は特訓なんかせずに楽して強くなりたかったんだけどなぁ。
「ほら、早くしろ」
俺の思いを知ってか知らずかモレロは急かしてくる。
「わかったよ」
もう目を閉じなくても簡単に精神集中出来るようになっている。
俺は「トリプルアクセル」と唱えた。
その瞬間、黄色く光り輝く魔力に全身が包まれる。
「……膨大な魔力量だな。これを極めれば他の魔術などお前には不要になるだろう」
「この状態でも結構疲れるのにこれを丸一日続けるのか?」
「ああ。慣れたら二日、三日と徐々に増やしていく」
ひ~、大変だ。
口で説明するのは難しいが、しいて言えば鉄棒にぶら下がっている状態と似た感覚だと言えば伝わるだろうか。
とてもじゃないが丸一日なんて無理だ。
「頑張れよ」
モレロの声援を背中に受け俺は自分の部屋へと向かう。
「おかえりなさいニャ。先に食べてますニャ」
部屋ではミケが昼食を先に摂っていた。
俺も席に着くとスプーンを握る。
くにゃ。
スプーンが溶けたチョコレートのようにくにゃりと曲がった。
力の加減が難しい。
「何してるんですかニャ?」
その様子を見ていたミケが疑問をぶつけてくる。
俺はモレロに言われたことを話して聞かせた。
「……という訳だ。だからとりあえず明日まではこのままで……あー、体がちぎれそうだ」
「大変ですニャ~。でもクルル様の頑張りにボクもやる気が出てきましたニャ!」
どういう訳か奮起したミケは昼食も早々に切り上げるとトレーニングルームへと駆けていった。
「……横になるか」
俺はベッドに寝転んだ。
……あーきつい。
明日までなんてもたないぞ絶対。
案の定、トリプルアクセルは寝ている間に解除されてしまっていた。
「……いてて」
ベッドの上で体中がみしみし音を立てる。
「大丈夫ですか? クルル様」
黒真珠のような丸い瞳で心配そうに俺を見てくるミケ。
「ああ、なんとか大丈夫だ」
俺は強がってみせる。
「晩ご飯食べられますかニャ?」
「ああ、食べるよ」
ベッドから起き上がりテーブルへと歩くが、その途中よろけそうになったところをミケに支えられる。
ふかふかの体毛に顔がうずくまる。
「やっぱり寝ていた方がいいですニャ」
ミケに連れられベッドへと移動した俺は再度横になった。
ベッドに前足をかけ俺を見下ろすミケ。
「トリプルアクセル常時発動はやっぱり大変ですかニャ?」
「……ああ、そうだな」
モレロに明日なんて言おうか。
そんなことを考えているうちに疲れがピークに達していたのだろう、俺は気絶するように眠りについた。
トントントン。
夜中にドアが三回ノックされた。
「はい」
「……」
「はーい」
「……」
俺は返事をするがうんともすんとも言ってこない。
誰だこんな夜中に……。