宿屋に戻った俺たちを待っていたのはテーブルいっぱいに並べられた夕食だった。
「わあ、おいしそうですね」
「一日中歩き回ったから腹ぺこだ」
俺は腹を押さえる。
俺とゲッティの前には色とりどりのきのこの炒め物と鍋が用意されていた。
その他にも山菜のおひたしや白身魚の刺身など村でとれたと思われる料理の数々が並んでいた。
仲居さんが「失礼します」と鍋の下の固形燃料に火をつけてくれる。
俺たちは仲居さんに礼を言い鍋がぐつぐつ煮えるのを今か今かと待っていた。
すると、
「ちょっとあんたたち、帰ってたんなら帰ったよってちゃんと言いに来なさいよっ」
アマナが部屋に上がり込んできた。
「……なんだよいきなり」
「なんだよ、じゃないわよっ。あんたたちが帰ってくるまで夕食は待とうってエルザが言うからあたしたちずっと待ってたのよっ」
「姉さん、落ち着いて……」
「あたしすっごくお腹がすいてるのにあんたたちの帰りを今か今かと待っていたんだからねっ!」
アマナが声を大にする。
うるせぇな。
「てっきりアマナたちはもう食べ始めてるんだろうなって思ったからそっちの部屋には顔出さなかったんだ。なあゲッティ」
「そうだよ、姉さん。別に僕たち悪気があった訳じゃないんだから――」
「関係ないわ! あたしたちの好意をあんたたちは無にしたのよ!」
叫ぶアマナ。
宿屋で叫ぶなよな。仲居さんが何事かとびっくりしているじゃないか。
「じゃあどうすればいいんだよ」
「一言謝って」
「は? なんで俺たちが――」
「クルルさん、ちょっと」
ゲッティに発言を制される。
腰に手を当て仁王立ちするアマナを盗み見てゲッティが、
「姉さんはああなったら意地でも動きませんよ。ここはこっちが大人になった方が賢明だと思います」
小声で言う。
「お前、あいつと姉弟で大変だな」
「わかってもらえて助かります」
俺は目線を上に向ける。
「悪かったよ、アマナ」
「ごめん、姉さん。次からは気を付けるから」
「ふん。わかればいいのよ、わかれば」
満足したように部屋を出ていくアマナ。
台風みたいな奴だな。
夕食を済ませた俺は、寝る前にもう一度温泉に入ることにした。
「お前はいいのか?」
「今日はもう入ったので僕は明日の朝にでも入ることにします」
「そっか。じゃあ俺は行ってくるけど、先に寝ててくれていいからな」
「わかりました」
ゲッティを残し俺は一人部屋を出た。
すると向かいの部屋からちょうど同じタイミングで浴衣姿のエルザさんが出てきた。
「あら、クルルくん」
「エルザさん」
「もしかしてクルルくんも温泉?」
俺の持ち物を見て訊いてくる。
「はい。じゃあエルザさんも?」
「そうなの。アマナちゃんと入ろうと思っていたんだけど夕ご飯食べ終わったら寝ちゃったのよね~」
とエルザさん。
「そうですか」
俺とエルザさんは温泉に向かって歩く。
「あっそういえば、夕食食べずに待っててくれてたらしいですね。すいませんでした」
「ううん、いいのよ。むしろそのせいでアマナちゃんがクルルくんたちの部屋に怒鳴り込んで行っちゃったでしょ。逆にごめんね」
エルザさんは申し訳なさそうに目を細める。
「いえ、エルザさんは何一つ悪くないので気にしないでください」
「ありがと~。クルルくんは優しいね」
そう言ったエルザさんの顔はほんのり赤くなっていた。
もしかして酔っているのかな。
「じゃあまたね、クルルくん」
手をひらひらさせエルザさんは女湯にそして俺は男湯へと入っていく。
脱衣所に入ると昼前に入った時よりも客が多い。
夕飯の後だから当然と言えば当然か。
俺は手早く浴衣を脱ぐと掛け湯をしてさっさと温泉に浸かった。
今日は疲れたから温泉を出たらすぐ寝よう。
目を閉じそんなことを考えていると、
「ここ、よろしいですか?」
と凛々しい声が降ってきた。
律義な人だなぁと思い顔を上げると、
「っ!?」
そこにいたのは立派な角を生やした真っ白いユニコーンだった。
「あ、どうぞ」
俺は驚愕と興奮を隠しながら答えた。
「すみません。失礼します」
ユニコーンが俺の隣にやってきて足を折り曲げ、お湯に浸かる。
本当にユニコーンか?
俺は横目で盗み見る。
そもそも本物を見たことがないから真偽は定かではないが俺の直感がユニコーンだと言っている。
「旅の人ですか?」
ユニコーンが俺を見ずに訊いてきた。
やばっ……ちらちら見ていたのがバレたかな。
「え、ええ。そうですよ」
「ここは楽園のようでしょう。わたしは二年前にここに家族で移り住んだのですが正解でしたよ」
よかった……バレてはいないみたいだ。
「へ~、そうですか」
「妻と娘も向こう側で温泉に入っていると思います」
「家族で温泉なんていいですね」
「あなたはどなたかと一緒に来たのですか?」
「ええ。連れが三人います」
「やはり旅は一人より大勢の方が楽しいですからね」
この後も初対面のユニコーンとの世間話が盛り上がり少しのぼせてしまった俺は夜風に当たってから撫子の間に戻ったのだった。
「あ、おはようございます。クルルさん」
翌朝、俺が目を覚ますとゲッティはすでに布団を畳み終え服も着替えていた。
「いい天気ですよ」
窓の外を見ながらゲッティが言う。
「朝食は一階の食堂に用意されているみたいですから、クルルさんがよければ一緒に行きましょうか」
「ああ。そうしよう」
俺は浴衣から自分の服に着替えるとゲッティとともに部屋を出た。
ゲッティと食堂に向かうと、そこには席について朝食に箸をつけているアマナの姿があった。
「おはよう、姉さん」
「早いな、アマナ」
「あんたたち、やっと来たのね。遅いから先食べ始めてるわよ」
言いながら卵をかき混ぜる。
「エルザさんはどうしたんだ? まだ寝てるのか?」
「あたしが部屋を出た時はまだぐっすり眠ってたわよ」
「でもドアに札が掛かってなかったよ」
とゲッティ。
ゲッティが言う札とはまだ寝てるから起こさないでくださいというドアノブに掛けるやつのことだろうか。
「あれがないと仲居さんが布団を片付けに入ってきちゃうんじゃないの?」
「……っ!?」
ゲッティの言葉に顔色が変わるアマナ。
「やばっ、まずいわっ。知らない人が起こしたらエルザが暴走するかも――」
アマナがそう口にした瞬間、
ドゴオォーン!!
上の階からものすごい轟音が聞こえてきた。
天井にひびが入りぱらぱらと破片が料理の中に落ちてくる。
「うそでしょっ!」
駆け出すアマナ。
俺たちもあとに続く。
二階に上がるとエルザさんが寝ていたはずの菖蒲の間の壁には大きな穴が空いていた。
見ると浴衣姿のエルザさんは半壊した菖蒲の間の中央に立ち尽くしていた。
近くには仲居さんが尻もちをついて震えている。
「エルザ! 落ち着いて! あたしよ、アマナよっ!」
アマナの声にエルザさんはうつむいていた顔を上げる。
その目は完全に座っていた。
「やばいわ、エルザのキレてる……」
「どういうこと、姉さん? これはなんなの?」
ゲッティが惨状を見て驚きながら訊く。
「そういえばあんたには言ってなかったわね……エルザは気を許してない奴に睡眠の邪魔をされるとそいつを殺しちゃうのよ」
言うが早いかエルザさんは尻もちをついている仲居さんに向かって手を振り下ろした。
ガキイィィン。
仲居さんの脳天めがけて振り下ろしたエルザさんの手が当たる直前で止まった。
「なんとか間に合ったわっ」
一瞬早くアマナがバリアを張ったようだ。
エルザさんは何度か赤色のバリアに手を振り下ろすが破れないとわかるとじっとアマナを睨みつけた。
「まずっ。あの人が助かったのはいいけど今度はあたしが標的になったみたい……」
刹那。
エルザさんが消えた。
そして次の瞬間、アマナの前に現れたエルザさんの両腕を俺はがっしりと掴んでいた。