エスペラードの町にいた勇者を俺が殺してから三日が経つ。
魔王軍によって魔王討伐の大本命と目されていた勇者が殺されたという話は人間たちの間にかなりの衝撃をもたらしたらしい。
「しかもそれが魔族じゃなくて人間だっていうんだから今頃人間たちはパニックになってるわよ。いい気味だわ」
自分の手柄のようにアマナが胸を張る。
「姉さんは何もしてないでしょ。殺ったのはクルルさんだよ」
ゲッティが言う。
アマナとゲッティは俺の部屋で紅茶を飲みながらくつろいでいた。
アマナが言うには気が向いたからちょっと立ち寄ってみたんだそうだ。
「あの時のクルル様、かっこよかったですニャ~。仲間の人間たちはクルル様を見て震えていましたニャ」
とミケ。
「へ~、僕も見てみたかったです。さぞ人間たちは恐怖で引きつった顔をしていたのでしょうね」
「あたしたちも一緒に行けばよかったわね」
楽しそうに話す双子。
俺は素朴な疑問をぶつけてみた。
「なあ、そもそもなんで魔族は人間たちと争っているんだ?」
「え……さあ、考えたこともなかったわ」
きょとんとした顔でアマナが答える。
「理由もわからずに戦ってるのか?」
「だってあたしたちは魔族だし、魔王様が人間は悪だって言うし」
「お前なぁ……」
唯一の眼鏡キャラなのに全然役に立たない奴だな。
「では姉さんの代わりに僕が説明しますね」
とゲッティが前置きして、
「先に手を出してきたのは人間の方なんですよ」
と言う。
「そうなのか?」
「ええ。昔は魔族と人間は共存していたのですがいつの頃からか人間が魔族を恐れるようになりそして魔族への弾圧が始まったのです」
ゲッティは続ける。
「僕たちの両親もある勇者に殺されてしまったんです……もちろんその勇者は今は土の中で冷たくなっていますけどね」
きれいな顔で不敵に笑った。
夕食の時間になり部屋を出た俺とアマナとゲッティとミケは食堂へとつながる渡り廊下でヨミが二体の魔族と一緒にいるのを目にした。
「あそこにいるの、ヨミじゃないか?」
「そうですニャ。珍しいですニャ」
研究室以外でみかけることは滅多にないので同じ人間同士挨拶くらいしておくか。
近づいていくと何やら様子がおかしい。
「お前、人間のくせに魔王様のお気に入りなんだってな」
「どんな裏技使ったんだよ、えぇ? オレたちにも教えてくれよ」
「……そんな、わたしは別に……」
ヨミは魔族たちに絡まれているようだった。
「あんたたち弱い者いじめして楽しいわけ?」
アマナが声をかけた。
「あぁん? なんだ……ってアマナ様っ!?」
「それにゲッティ様にクルル様までっ……」
二体の魔族は俺たちを見て驚きひるむ。
「べ、別にいじめとかそういうのじゃないですからっ」
「そ、そうっすよ」
「確かに人間は僕たちの敵だけどヨミさんは魔王様が連れてきたのだからさっきみたいな態度はよくないと思うなぁ」
ゲッティが独り言のように言う。
「人間のくせにって言うなら俺も人間だけど。俺にもなんか文句ある?」
と俺。
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか」
「そ、そうっす」
「だったら二度とヨミに絡むなよ」
俺は睨みつけた。
「わ、わかりましたっ。すみませんでしたっ」
「この通りですっ」
二体の魔族は頭を下げるとそそくさと退散していった。
「ヨミ様、大丈夫でしたかニャ?」
「は、はい。みなさんありがとうございました」
ヨミの長い前髪が揺れる。
「ヨミさん今度また何かあったら遠慮なく言ってくださいね」
「俺もいるからな。同じ人間同士助け合わないとな」
魔王城にいる人間は俺とヨミだけなのだから。
「はい。ゲッティ様もクルルさ……様もありがとうございます」
「あー、俺のことは今まで通りでいいよ」
幹部になったから俺のことも様を付けて呼んでくれたんだろうけどちょっとむずがゆい。
「わ、わかりました……ク、クルルさん」
ヨミはためらいながらも口にした。
「可愛いわね~、ヨミは素直で……同じ人間でもあんたとは大違いね」
ヨミに抱きつきながらアマナが俺を見て言う。
「どういう意味だよ」
「ふっふ~んだ」
口を尖らせてみせる。
だからどういう意味だ。
「それにしてもまだあんなことをヨミさんに言う連中がいたんですね」
「またあいつらが何かちょっかい出してこないといいけどな……」
さっきのでわかってくれていればいいのだが。
するとヨミが、
「……多分もう大丈夫だと思いますよ」
ぼそりとこぼした。
「そうか、だったらいいんだけど。それより俺たちこれから食堂に行くんだけどヨミも一緒に行かないか?」
「あ、いえ、わたしは研究室で一人で食べる方が落ち着くので……」
そう言ってヨミは階段を下りていった。
「じゃあ僕たちだけで行きましょうか」
「そうですニャ」
「あたしもうお腹ぺこぺこだわ」
「実は俺もだ」
俺たちは再び食堂へと歩き出した。
翌朝。
城の外が騒がしいのでミケと様子を見にいくと――
ヨミに絡んでいた魔族たちの死体が城壁にはりつけにされていた。
「……おい、あいつら昨日人間の女にちょっかい出した奴らだろ」
「……魔王様のお気に入りっていう人間にか」
「……魔王様に粛清されたんだぜ、きっと」
「……なんで魔王様はあんな弱そうな人間に肩入れするんだろうな」
「……しっ。魔王様の耳に入ったらお前もああなるぞ」
城壁にはりつけにされた死体を見上げながら魔族たちが口々にこぼす。
俺とミケはその様子を後ろから見ていた。
「ヨミ様に嫌がらせをしたから魔王様が見せしめにやったんですニャ」
ミケの声が頭の上から降ってくる。
「魔王……様がねぇ……」
本当のところはどうかわからないが、魔族たちは魔王の所業だと思っているようだ。
「クルル様、あんな奴らのことは放っておいて早く朝ごはんにしましょうニャ」
「ん、ああ、そうだな」
俺たちは城内へと戻った。
朝食を済ませ部屋で休んでいると、
トントン。
ドアをノックする音がした。
俺はソファから立ち上がりドアを開けた。
すると、
「……」
そこには蟻が立っていた。
「なんだ?」
「……」
蟻は黒く大きな瞳で俺を見る。
蟻というのは魔王軍の中で最も数が多く最も弱い魔族だ。
将棋でいうところの歩兵みたいなもので人間の言葉も話すことが出来ない。
蟻は無言で俺に一枚のカードを差し出してきた。
俺がそれを受け取ると蟻は一礼をして去っていく。
「なんですかニャ? クルル様」
「ああ、えーと……」
ミケの言葉で俺はカードに目をやった。
カードにはただ一言こう書かれていた。
【魔王の部屋に来られたし】
「多分魔王……様からだ」
ミケにカードを見せると、
「魔王様ですかニャ! すごいですニャ~。うらやましいですニャ~」
お座りをして大きな体を左右に揺らす。
ミケは魔王に会うのが夢らしいからな。
「悪いけど連れてはいけないぞ」
「わかっていますニャ。いつかボクも幹部になって魔王様に会いますニャ。そのためにボクはトレーニングをしてきますニャ」
「そっか。頑張れよ」
「はいニャ」
俺とミケは部屋を出ると別々の方向に別れた。
最上階への階段を上りながら、
「今回はなんの用事なんだろうな……面倒くさいのは嫌だぞ」
考えを巡らせる。
魔王の部屋の前に着くとすでにアマナとゲッティが扉の前にいた。
「おっそいわよっ、クルル」
開口一番アマナが発する。
「なんだ。お前たちも呼ばれていたのか?」
「なんだとは何よ。いちゃ悪いって言うの!」
「そういう意味で言ったんじゃないって」
「ふん、どうかしら」
アマナがそっぽを向いてしまった。
「すみませんクルルさん。姉さんちょっと機嫌が悪くて……さっきエルザさんのことを話していた魔族たちの言葉がたまたま耳に入ってしまって」
ゲッティがささやいてくる。
「エルザさんの?」
「ええ。エルザさんはとても胸が大きくてセクシーだと。それに比べて姉さんは残念だとも――うぷっ」
「クルル相手に全部丁寧に話さなくていいのよ!」
アマナが後ろからゲッティの口を塞いだ。
「さっきの奴らはエルザのいやらしい服装に惑わされているバカな連中なのよっ。男なんて所詮胸の脂肪が大きい方がいいんでしょ。クルル、あんただってそうでしょ!」
「いや、俺は別に胸とかはどうでもいいけど……」
何を隠そう俺はお尻派なのだ。
「え、そうなの? ふ、ふーん。あんたは他の男どもとは違うみたいね……」
ゲッティの口を塞いでいた手を放すアマナ。
「なあ、そんなことよりモレロたちはいないのか?」
「そうですね。呼ばれたのは僕らだけのようですね」
「こんなとこで話しててもしょうがないしとにかく入りましょうよ」
俺たちはノックをして魔王の部屋の扉を開けた。
前に来た時と同じく薄い布で魔王の姿は直接見ることはかなわない。
『……ゲッティ、アマナ、クルルよ。よく来てくれた』
魔王を前に俺たちは立て膝をつく。
「もったいないお言葉です、魔王様」
ゲッティが返す。
『お前たちに集まってもらったのは他でもない。人間たちの王から和平の申し入れがあったのだ』
「わへい……って何?」
アマナが首をかしげ訊いてくる。
「つまり仲直りしようってことだ」
「えっ!? 仲直りですって!? そんなたわごと聞き入れませんよね魔王様っ。人間は悪だって言ったじゃないですかっ」
アマナが立ち上がって声を上げた。
「ちょっと、姉さん。落ち着いてっ」
『……アマナよ。確かに我はお主にそう言ったが人間全てが悪という訳ではない。実際そこにいるクルルも人間だが我らの仲間だ』
「それは……」
『……我は人間からの今回の申し入れ受けようと思う。そして魔族代表としてお主らに会談の場に出てもらいたいのだ』
魔王の低い声が腹に響く。
「あの、なんで俺たちなんですか? こういうことはモレロの方が向いているような気がするんですけど」
魔王の参謀としていつも動いているのはモレロのはずだ。
『……会談には人間の王が出席する。本来ならば我が出向くのが筋というものだが人間を必要以上に怖がらせることもあるまい』
まあ、魔王が会談の場に出てきたら確かにビビるな。
『……モレロも同じ理由だ。あやつは少々人間離れしておるからな』
モレロは見た目完全に半魚人だ。
だいぶ慣れてきたはずの俺でもモレロの顔面ドアップはきついものがある。
「僕たちは人間に近い見た目なので選ばれたという訳ですね」
『……その通りだ、ゲッティよ』
人間に近いもくそも俺は正真正銘人間なのだが。
『行ってくれるか?』
「はい、もちろんです」
「はい」
「……はい」
アマナもやや不服そうではあるが返事をする。
『……人間たちとの会談は明日グラバニャ城で執り行われる。早速出発してくれ』
魔王の言葉に従い俺たち三人は旅の支度を整えた後、魔王城をあとにしたのだった。