ミケは背中に俺を乗せ荒野を駆け抜けた。
そして魔王城を出発して走ること三日目の夜、俺たちは辺境の町エスペラードに到着した。
町の入り口に近付いたところで俺はミケの背中からおりた。
「なあ、今更なんだがお前って人間の町に入ったら目立つんじゃないか?」
俺は体長三メートルはありそうなミケを見上げて言う。
「ニャニャ。そういうこともあろうかとクルル様に内緒でボクも魔術の特訓をしていたんですニャ」
ミケは不敵な笑みを浮かべた。
魔術の特訓だって?
「どんな魔術なんだ?」
「見ていてくださいニャ」
そう言うとミケは一点をみつめぶるぶると体を震わせ出した。
そして、
「……ニャー!!」
「うおっ!?」
急に叫び声を上げたと思ったらなんとミケの体がみるみるうちに小さくなっていく。
俺はバカみたいに口をあんぐり開けたままその様子を見ていた。
「どうですかニャ? クルル様」
あっという間に普通サイズの猫になった。
俺はしゃがみこむとミケの体を触りながら、
「これがお前が特訓して覚えた魔術か……すごいな。これなら町の中に入っても騒ぎにならないで済むな」
あごの下を撫でる。
「ありがとうございますニャ~」
ミケが気持ちよさそうに喉をごろごろと鳴らす。
魔王の命令のターゲットはあくまで勇者であって町の人ではないからな。
むやみに驚かす必要はない。
俺は見た目はいたって普通の黒猫と化したミケとともに、エスペラードの町に足を踏み入れた。
辺境の町エスペラード。
もちろん夜ということもあるがさすが辺境の地にあるだけあって町の中を歩いている人は少なく、いてもそのほとんどが旅人のような恰好をしていた。
早速この町にいるっていう勇者たちの情報を町の人たちから訊き出さないとな。
「宿屋か酒場に行ってみるといいと思いますニャ」
俺の足元をついて歩くミケが小声で言う。
「そうだな。とりあえず宿屋に行ってみるか」
「ニャー」
ミケは可愛らしく鳴いた。
「なんか変じゃなかったでしたかニャ、さっきの宿屋のおじさん」
ミケは俺の足元で俺を見上げる。
「そうだな。まるで勇者を怖がっているような感じだったな」
勇者の情報を集めるためついさっき宿屋に行った時のことだ。
「ゆ、勇者様ですか? そ、それなら酒場にいるんじゃないですかねぇ。あの方たち毎日のように酒場に入り浸っていますから……あ、わたしがそう言ったってことは内緒にしておいてくださいね……」
気の良さそうな宿屋の主人はおどおどしながら話してくれた。
「勇者どもは人間にとっては味方のはずですニャ。おかしいですニャ」
「うーん。どういうことだろうな」
俺たちは夜の町の中を酒場に向かって歩いている。
明かりの灯った家々を通り過ぎ、大きな石階段を上がると酒場の看板が見えてきた。
俺は酒場の扉に手をかけたところで立ち止まる。
「……クルル様、どうしたんですかニャ?」
「俺よく考えたら未成年だったんだよな」
「ニャ?」
「いや、なんでもない」
ここは異世界だ。高校生が酒場に入ろうが関係ないか。
ギィィ。
酒場の扉を開けると中にいた数人の客たちが俺に視線を向けてくる。
俺は平常心で酒場の中を突き進むとカウンター越しにマスターに訊ねた。
「ちょっと訊いてもいいですか?」
「おっと、困るなぁお客さん」
眉を寄せるマスター。
あれ? やっぱり異世界でも未成年が酒場に入っちゃまずかったかな。
「いや、あの俺、見えないかもしれないけど一応二十歳なんです」
完全に嘘をついた。
「ん? だからなんだっていうんだ。そんなこと言われてもうちはペットはお断りだぜ」
マスターはカウンター越しに俺の足元のミケを覗き込みながら言う。
なぁんだ、ミケがいたから止められただけか。
俺はひとまず胸をなでおろす。
「ああ、すいません。すぐに出ていきますから……あの、迷惑ついでにいいですか?」
俺はミケを抱きかかえるとマスターの顔色をそっと窺った。
「ん? なんだってんだ」
「ここに勇者一行がいるって聞いてきたんですけど……」
するとマスターは苦虫を嚙み潰したような顔で、
「あ~、勇者……様ね。勇者様たちなら、まあ、奥の部屋にいるけどよぉ。酔っ払ってるし、会わない方がいいぜ」
歯切れ悪く答えた。
「俺、勇者のファンなんでひと目だけでも会いたいんです」
「そうかい。まあ、好きにしなよ……忠告はしたからな」
俺はマスターに「どうも」と会釈してから奥に向かった。
ドアの前に立つと中から男の声が聞こえてくる。
「……誰のおかげでこうして酒が飲めると思ってるんだ! えぇ!」
酒癖の悪い奴がいるみたいだなぁ。
俺はドアを開け部屋の中に入った。
部屋の中にはテーブルが三つあり、その一つの席でテーブルに足を乗せてビールを浴びるように飲んでいる男がいた。
剣を腰に差して頑丈そうな鎧を着こんでいる男。
さっき聞こえた声はこいつかな。
その男は俺に気付くと、
「よお、お前も酒が飲めるのはおれたち勇者のおかげだからなっ」
と立ち上がり絡んでくる。
勇者だって?
この酔っ払ったなんとなく癇に障る奴がか……?
「そうよ、わたしたちのおかげであんたたちは生きていられてるんだからね。ここの勘定くらい安いもんでしょ」
「あたしたちがいなかったらこんなへんぴな町、今頃は魔族に潰されてるわよっ」
同じテーブルについていた女二人がビール片手に口を揃えて勇者に賛同する。
一人は魔法使いのようなローブをもう一人は露出の多い鎧を身に纏っている。
勇者の仲間のようだ。
「魔族はおれたち人間様にあだなす存在だ。女だろうが子どもだろうが関係ない、魔族は皆殺しにするべきなんだ! なっ、そうだよな!」
酔っ払った勇者が両手を広げ、他の客たちに向かってわめきちらす。
周りの人たちは苦笑いを浮かべていた。
……なんか俺が思っていた勇者と違うな。
冷めた目で見ていると、
「なあ、お前もそう思うだろっ」
またも勇者が絡んできた。
俺の肩に手を回して寄りかかってくる。
俺は人間だし魔族なんかじゃない。
勇者か魔王、どっちにつくかと訊かれれば間違いなく勇者だと思っていたのだが。
ではなんだ? このふつふつと込み上げてくる怒りのような感情は……。
その時、
「思わないニャ!」
俺の腕の中でおとなしくしていたミケが突然勇者の顔めがけて飛び掛かった。
「ぐあっ、なんだこのくそ猫がっ!」
顔を引っ掛かれた勇者はミケを掴みテーブルに投げつけた。
その勢いでテーブルの上に置かれていたジョッキや皿が割れる。
「ニャ~」
ふらふらっと立ち上がったミケの体には割れたガラスの破片が突き刺さっていた。
血が流れ出ている。
勇者は引っ掛かれた顔の傷を触ると、
「血が出てるじゃねぇか、このくそ猫!」
今にも倒れそうなミケを蹴り飛ばした。
「ぐニャッ」
壁に当たりそのまま床に倒れ込むミケ。
「くそっ。ふざけやがって……ったく」
顔の血を手で拭う勇者。
「あははっ、猫なんかに本気になってるし~」
「バッカじゃないの、勇者のくせに」
仲間の女二人はそれを見てけらけらと笑っている。
「うるせぇ。お前らは黙ってろ!」
そう言い放つと勇者はこっちに近付いてきて俺の胸ぐらを掴んだ。
「お前の猫だよな。どう落とし前つけてくれるんだ? あぁ?」
「……トリプルアクセル」
俺は勇者の目を見ながらつぶやいた。
「あぁ? お前何言って――」
シュッと俺は手を払った。
次の瞬間、勇者の頭部が酒場の床に転がった。
「きゃあぁぁぁー!」
床に転がった勇者の頭部を見て、酔いから醒めた女二人の内の一人が声を上げた。
魔術師然としたその女は腰を抜かしたかのように床に崩れ落ちる。
もう一人の戦士のような恰好をした女が俺を見ながら立ち上がると、
「貴様、何をした!? あたしたちは勇者だぞ!」
震える手で剣を抜いた。
剣の切っ先を俺に向ける女戦士。
「どういうつもりだ、貴様!」
俺は意に介さずミケのもとへと歩くとしゃがみこんだ。
「大丈夫かミケ?」
「……ニャ~。だ、大丈夫ですニャ~」
「少しだけ待っててくれ」
立ち上がり女戦士を睨みつける。
「こいつは俺の友達なんだ」
「猫が友達だと……気味の悪い奴め、殺してやる!」
女戦士が剣を振るってくる。
素人の俺から見ても華麗な剣捌きだ。
だが今の俺にはかすりもしない。
「くっ……」
俺に何度も斬りかかる女戦士。
それを素早い動きで避け続ける。
「くそっ!」
女剣士が渾身の力を込めて剣を横になぎ払った。
俺は後ろに飛び退いてかわす。
「……はぁ、はぁ、貴様、何者なんだ……」
「俺はクルル……魔王軍の幹部だ」
「魔王軍だと!? 貴様、人間じゃないのか……!」
「人間だ」
「だったらあたしたちの仲間だろうがっ! なんでこんなこと――うっ!?」
俺は一瞬で女戦士の懐に潜り込むとがら空きの腹に一撃を入れた。
倒れ込む女戦士を尻目に俺は女魔法使いに歩み寄る。
「……っ」
恐怖で言葉が出ないのか女魔術師はただ俺を見上げていた。
俺は女魔術師を見下ろす。
「手加減はした。そこの女が目覚めたらこの町を出ろ。そして二度と勇者の真似事はするな、次会ったら命はないぞ」
「……っ!」
女魔術師はがたがたと歯を鳴らしながら必死に何度もうなずいた。
振り返った俺は倒れていたミケをそっと抱きかかえると、静まり返る酒場をあとにした。